第103話 忍び寄る影 その③

「……内緒にしてほしいんだけど」

「うん、いいよ」


 頷いたのを確認すると、ロニーはポケットから何かを取り出した。


「……これ」

「これっ!?」


 驚いた。小さな掌の上に置かれていたのは、綺麗な緑の石をあしらった髪留めだったのだ。


「レモアの、髪留め……」


 こくりと、少年の頭が揺れる。


「ご、ごめんなさい! ぼ、僕たちが、僕たちが……」

「やっぱりあの時盗んでたんだね」

「え?」

「バートがレモアを突き飛ばした日の夜、レモアの部屋に入っていく君たちを見てたんだ、実は」


 事実を告げると、ロニーはさらに顔を赤くした。そして次に青くなった。自分が何をして、どう見られていたのか、一瞬で理解したんだと思う。


「バートがね、やろうって言ったんだ。僕、止められなくて……。誰か見に来ないか見張りをしていた……。バートが言うことには、逆らっちゃだめだから。僕はレモア、嫌いなじゃないけど、レモアみたいに虐められたくないから……」


 ひねり出される懺悔を、私は静かに聞いた。


「最初は、隠すだけだって、言ってた。二、三日したら、こっそり部屋に戻しておくって。僕たちを疑って、孤児院中で騒ぎまわった結果、実は自分の部屋にあったなんてわかったら、僕たちだけじゃなくて、みんなも一緒に馬鹿にするかもしれないからって……」


 孤児院の空気はバートへの追い風になる。へまをしたレモアを、誰もが咎められる空気。バートのいじめに大義名分が立ってしまう。もちろんマムがそれを許すわけはないけれど、素直な子供のコミュニティに一度浸透したら抜けそうもない。

 見た目に反してずる賢いことを考える悪ガキだ。


「でも、あまりにもレモアがバートに興味を示さないからさ。昨日、バートが……」

「バートがどうしたの?」

「……ゴミ箱に捨てたんだ」


 ロニーの言葉は震えていた。自分の中の正義と、君臨する大将の行動が矛盾することが悔しいのだろう。


「バートは誇っていたし、ヴィッキーは笑ってた。僕も笑おうと、頑張ったけど、……でも、無理だった……。レモアは、この髪飾り、とっても大事にしてたのに……。大事なものを失うことがどれだけ辛いか、僕は知っているから……」


 大事なものを失う。

 孤児院の子供たちは、多かれ少なかれそんな経験をしてここにいる。普通の家庭にはいるはずの、最愛の人がいなくなってしまった現実。きっとロニーは重ねてしまったんだ。もう戻ることができない、失った直後の自分と……。


「だから昨日の夜、バートたちが寝ちゃった後、ゴミ箱を漁ったんだ。まだ外に持っていかれる前だったから。大変だったけど、見つけた。見つけたんだ!」

「頑張ったね」


 ロニーはとても心の優しい子だ。この孤児院ではバートが権力の頂点なのかもしれないけれど、世界に出たらその優しさが活きる場所はたくさんある。


「ロニー。レモアの代わりにお礼を言うよ。ありがとう」

「う、うん……うん! 僕、頑張った!」

「そうだよ。ロニーは頑張った。誇っていいよ」


 そう言うとロニーはしゃくりあげ、堪えるように泣き始めた。流れ落ちる雫を必死に袖で拭い、唇を固く結んで、それでも溢れる思いは止められない。不安だったんだと思う。怖かったんだと思う。バートを裏切って、レモアを手助けをすることは、この孤児院では大罪だ。バートに知られたらどんな罰が待っているかもわからない。それでも自分の正義に従った。その勇気を私は称えたい。

 堰をきったように泣きじゃくるロニーの背中を優しく擦り、落ち着くまで待ってあげた。

 ヴェルト、これでいいのかな?


「それで、ロニーはこれをどうしたいの?」


 再び話せるようになったところで、鼻水を啜る少年に聞いた。


「リリィさんに、預けたい。ゴミ箱の近くに落ちていたことにして、返しておいてほしい」

「なるほど。ロニーから返すとどこかしらで角が立っちゃうもんね」


 考え出した結果なのかな。相談したいという割に、最初から私に預けることが決まっていたようだ。


「だめ?」

「わかったよ」


 胸を叩いて答える。キャメロンが揺れた。


「お姉さんに任せておきなさい! ちゃんとレモアに返しておいてあげる」

「ほ、ホント!?」

「嘘は言わないよ」


 ニッと笑う。不安に苛まれていたときにヴェルトが私に向けてくれる笑顔だ。うまく真似でいているといいけれど。あの表情に、私は何度も自信をもらった。あの時感じた安心感を、ロニーも感じてくれるといいな。

 右手を出すと、ロニーが髪飾りを恐る恐るおいた。憑き物が落ちたように、ロニーの顔に安堵が戻る。


「あ、あと、ついでにもう一つお願いしていい?」

「ロニーは意外と欲張りだね」

「だめ?」

「いいよ」


 乗り掛かった舟だ。とことん付き合ってあげよう。


「今日ね、僕もバートたちと一緒に外に遊びに行く予定だったんだ。でも、お腹痛いって言ってここにいることにしたの」

「わかった。ここで会ったこと、話したことを内緒にしておけばいいんだね?」

「うん」

「そのくらいお安い御用だよ」


 言いふらすような話でもないし、マムにお説教されるまでもなく、ロニーは正しい判断ができている。ヴェルトと共有だけして、あとは墓まで持っていこう。

 ロニーは何度も何度も頭を下げて、再びこっそり書庫を出ていった。

 掌に視線を落とすと小さな髪飾りが光っている。レモアの宝物。そして、ロニーがバートに逆らってまで守ったもの。そう思うと、小さな髪飾りがとても重く感じた。

 いくつもの思いが籠った髪飾りを握りしめて、私も書庫を後にした。

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