第97話 マムの授業

 滞在三日目となるこの日は、私もマムの授業とやらに参加させてもらった。

 中庭を挟んでリビングの反対側にある広い多目的スペース。正面には黒板と呼ばれる黒い大きな板が飾られ、子供たちはその黒板に向かうようにして机を並べている。マムが一人黒板の前に立ち、様々な分野について講義をした。

 マムの教える分野は多岐にわたり、数字を操る学問、地理を知る学問、童話を読み解く学問など、目が回りそうだった。こんなお勉強のミックスサラダみたいな日常を過ごしていたら、さぞ優秀な学者様に育つことだろう。私は早々にリタイアしそうだ。

 魔法を国策とする学問の国では、学問の塔と呼ばれる教育機関があり、皆このように教えを乞うのだということを、以前グスタフから聞いた。このキャメロンを作った学者様もその学び舎の卒業生だったはずだ。

 学問の塔はただ講義を聞いていればいいわけではなく、卒業するためには授業以外の時間も勉強に宛てなければならないらしい。勉強の合間に勉強をする。いったいどれだけ勉強が好きなのだろう。童話だけ読んでればいい私からすれば、到底考えられない生き方だ。

 ポラーノ氏は学問の国を放浪していた経験があるから、そこで得た知識をこの孤児院で活かしているのかもしれない。


「はい、では。ここを、リリィさん」


 マムは楽しそうに私を指名する。そのたびに教室中の子供たちの好奇の眼差しが私に突き刺さった。

 童話の授業は大変楽しかった。題材にされるのが有名どころということもあり、私はそのすべてを読んでいた。『クリスプトンのからくり道場』なんかは、ぶっ飛び過ぎた主人公の発想が大好きで、子供の頃に何度も読み返した。この歳になって、授業という形でみんなと情景を共有しながら読むと、なかなか新鮮であった。

 逆に、数字を操る学問、数学に関しては散々だった。穴があったら入りたい。とんだ赤っ恥をかいた。くるくると形を変える数字たちを追いかけるだけで精いっぱいで、必死に追いかけ続けた私の頭は、授業終了とともにオーバーヒートした。


「ふしゅぅー……」

「あらあら。リリィさんの苦手は理数系なんですね。覚えているだけで生活の役に立つこともありますから、重点強化することをお勧めいたしますよ」

「お、お手柔、やわらかに……」


 ダグラスとエドナ兄妹が近づいて来て、机に頬を付けて倒れ伏す私の頭を両側から撫でてくれた。いい子たちだ。


「逆に文社系は素晴らしいですね。童話に至っては、私が教えを乞いたいほどの知識量です。これは一朝一夕では身につきません。本当に童話が好きなんですね。ポラーノさんがいらっしゃったら、さぞ気に入ったでしょう。あの方は大変な人格者でありましたが、それ以前に強烈な童話マニアでしたから」

「うん。知ってる。私も会いたかったよ……」


 童話の授業でなんでも知っている優越感は確かに心地よかった。子供たちは羨望の眼差しを向けてくれるし、最後には賞賛の拍手までくれた。童話城のイベントで民衆からもらう拍手とは全然違って、心が暖かくなり、背中がむず痒くなった。

 そんな中で、拍手をくれなかった子供が二人いた。

 一人はバートだ。バートの視線は終始レモアを見ていて、授業に身が入っていないようであった。もともと机に座って勉強をするタイプでもないのだろう。お昼の休憩時間にも真っ先に食事を終え、ボールを持って中庭に走っていった。こっちは、概ね想定通り。

 もう一人がレモア。レモアはずっと元気がなかった。マムにあてられても口ごもってわかりませんと言い、すぐに視線を膝に落とす。今日は湿気が多く、いつも以上に髪が爆発していた。膝を見るのに飽きると、今度は耳の横に垂れる髪を一房弄っていた。

 私やマムが気を使っても、レモアの調子は元には戻らなかった。髪飾りを無くしたことが相当ショックなんだろう。見ていて痛々しい。バートたちの話をして、少しでも心を鎮めてあげたい衝動に、私は何度も駆り立てられた。

 ヴェルトはというと、マムのお使いのために日中孤児院にいなかった。任せたぞと言って出て言ったけれど、正直持て余してしまっている。元はといえばヴェルトがあげた髪留めなのだから、最後まで責任を取ってもらいたい。

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