第88話 お化け病院のうわさ

「仕方がないですね。――でもいいんですか? そんなこと言っている子は、夜、お化け病院に連れて行かれちゃうかもしれませんよ?」


 芝居がかったように目を瞑り続ける。


「悪い子は寝ている間にさらわれちゃいます。残念です。私の子供たちからお化けに食べられてしまう子供が出るなんて。いくらマムと言えど、あの病院へ連れていかれてしまった子供は助けられません。骨が戻ってくることを祈るばかりです」


 効果は覿面だった。今まで不満を言っていた子供たちが一斉に涙目になっている。

 そんなに怖い話だったかな? と思ったけれど、子供の頃に聞かされたら夢に出てくることがあるのかもしれない。童話を読んで創造された世界を知ってしまった今だからこそ、それが作り話と見抜けるわけだし。

 そう言えばグスタフとそんなことを話した記憶があった。


「リリィお嬢様、早くおやすみください」

「や! まだ寝ないの。『リンドウの咲く庭』を読み切ったら寝るの!」

「ほっほっほ、いけない子ですね。そんなことをしていると、モーモーお化けがお嬢様をさらいにまいりますよ?」

「も、モーモーお化け?」

「はい。顔は馬、両腕は屈強な兵士のもの、身体は蛇のうろこに覆われて、足は大鷲のそれ。噂に聞く童話城の地下に住む魔物でございます。近頃お手伝いさんが減っているのは、そのお化けに食べられてしまったからではないか、というのが昨今の童話王の悩みの種でございます。兵士も何人か犠牲になっていると聞きます。……ほら、聞こえてきませんか?」

「な、何がよ?」

「モー、モー。と」

「モー?」

「はい。耳を、澄ませてみてください。ほら、モー。ほら、モーモー。モーモー、聞こえますよ、モーモーモー……」

「き、聞こえない!」

「なんと! それはますます大変だ。この老いぼれはもう、怖くて仕方ない。あぁ、だんだん鳴き声が大きくなってきています。今日は、早めにお暇させていただきます、リリィお嬢様。お嬢様も、あの声には気を付けてください。……それでは、おやすみなさい」

「え、ちょっと! グスタフっ! 行っちゃうのぉ!」


 扉が閉まった後の静寂があれほど恐ろしかったのはあの日が初めてだ。何も聞こえない。グスタフが聞こえると言い、だんだん大きくなっていると言っていた声が、私には聞こえない。何かよくわからないものが近づいてきているかもしれないという恐怖を、私は味わった。

 大人は子供の知らない世界を知っている。そんな先入観が生み出す、教育的指導はどこも同じなのかもしれない。

 子供たちは恐怖には打ち勝てず、素直にマムの言いつけを守る選択をしたようだ。いそいそと食器を片付けに行った。

 自分の食器を片付け終わったバートが食堂に向かって声を張る。


「授業の前にボールで遊ぶ奴、中庭に集合だ! 遅れた奴が鬼な!」


 すると子供たちの興味は一斉にそっちへと移っていった。取り巻きのヴィッキーとロニーをはじめ、何人かのわんぱく少年たちが後に続いて出て行く。バートの権力は、こういうところがあるから保たれているのかもしれない。


「面白い説法ですね。お化け病院と言うのが、ここの子供たちの恐怖の対象なのですか?」


 ひと段落して子供たちが去って行った散らかった食器を片付けながら、ヴェルトがマムに尋ねた。


「俺の村でもありました。時計の形をした魔法使いで、悪いことをすると荷車に乗せて別の時間に連れて行ってしまうのです。この話をすると子供はとても従順になります」

「私のところはモーモーお化けだった」


 私も丁度思い出した架空の存在の話をする。

 マムは聞き終えて少し笑った後、でも、と言う。


「あながち創作でもないんですよ、この話」


 テーブルを布巾で拭きながら、ゆっくりした口調で言う。


「この街をずっと西に歩いて行ったところに、ポツンとあるんです。使われていない廃病院が。もう十年になります。この国で流行った疫病を治すための隔離病棟だったらしいのですが、いつの間にかその病も収まって、人知れず朽ちていったようなんです……」


 一度息を止めて、振り返った。


「その廃病院に、人が消えていく、なんて噂がありましてね。実際この街でも行方不明者が出ているとか……。ほら、子供って独自の情報網を持っているじゃないですか。どこで聞きつけて来たのかわかりませんが、それ以来、この孤児院であの廃病院はお化け病院ということになりました」

「ふ、不思議な話だね。ね、ヴェルト」

「あぁ……」


 物語の下になったベースがあると、途端に信憑性が増すのは何だろう。お父様が童話の三要素のうちの一つを童話の原石、他人の記憶に頼ったのはこういう裏付けがあったからだろうか。


「お二人も迷い込まないように気を付けてくださいね」


 マムはにこりと微笑んだ。

 その笑顔には、噂を信じているという意識が微塵も感じなくて、なんだか少し不安になった。

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