第81話 少女レモア

「うわっ! 噂をしてたら出ちまった! 逃げろぉ!」

「逃げろぉ」「あ、まってよぉ」


 バートが悲鳴のような声を上げるのと、楽しそうに逃げていくのが同時だった。取り巻きの二人は、まだ痛むお尻を抑えながら、バートが逃げた方へフラフラと走っていく。

 ふぅと、マムの小さな口から吐息が漏れた。


「あの子はいつもああなんです。私の言うことをちっとも聞かない。あと二つ年を取れば、孤児院を卒業して、製紙工場へお勤めに出られるのに。本当、男の子って難しい」


 元気に走り去っていく後ろ姿を見えなくなるまで見つめた後、マムはそっと窓を閉めた。


「それに比べてレモアはいい子です。ありがとう。ちゃんとお茶を淹れて来てくれたんですね」

「うん。……うん? お客さん?」

「ええ。そうです」


 レモアが不思議そうな顔をしながら、カップを三つテーブルに置く。

 一瞬、髪の毛のお化けが現れたのかと思った。前も後ろも関係なく、ツタのように垂れ下がる髪。その束と束の間から覗く大きな瞳が、魚の目のようにぎょろりとこちらを覗いていた。

 いったいどれだけオシャレに怠けたら、こんな浮浪者と見間違う風体になってしまうんだろう。肌や衣服が清潔でなければ、私は絶対に近寄ろうとはしなかった。

 隠したつもりだったけど、伝わってしまったのかもしれない。レモアと呼ばれた女の子は、私から視線を逸らして目を伏せたまま、茶碗を三つテーブルに置く。


「よ、相変わらずだな、レモア」


 ヴェルトの声が割って入る。

 こういう時、この男は要領がいい。空気を読んでいないような感じで、空気を読んで声を掛けるのだ。いつもより声が少しだけ高い。


「あれからちょうど一年か。全然変わってなくてびっくりだ」

「え、ええっとお」

「ほらレモア、ちゃんと挨拶しなさい。ヴェルトさんよ」


 レモアが抱えていたお盆が腕の中から滑り落ち、カランという乾いた音を響かせた。慌てて拾うのかと思って見ていたけれど、レモアの瞳はたった一点、ヴェルトの顔を見つめていて、自分が落としたお盆のことなど既に眼中にないようだ。


「ヴェルトだあ……。本物だあ……」

「あぁ、本物だ。ただいま」

「うくく。うくくく。とても、嬉しい。うくく」


 レモアは握った拳で、口元あたりを隠してサルのように笑った。


「やっぱり先生が言った通りだね。祈っていたら、ヴェルトが帰ってきた。うくく。今日はいい日。今日はいい日」

「レモア。私たちはまだお話の途中です。後でたっぷりヴェルトさんとお話しする時間を作りますからね。もう少し、外で遊んでいてください」

「はあい。ばいばい、ヴェルト。また、後でね」


 落としたお盆を恥ずかしそうに拾って、レモアはずっとヴェルトの目を見たまま、後ろ向きで部屋を出ていった。扉が閉まると、どたどたとリズミカルな振動が音として伝わって来た。もしかしたらスキップをしているのかもしれない。


「どういう関係?」


 私が横目でヴェルトに問う。


「どうもこうもない」

「どうもこうもあるから聞いているんだよ」

「なんか不機嫌だな?」

「不機嫌じゃない。呆れてるの。全く……」


 童話城へ向かう旅の往路で、いったいどれだけの女の子と運命的な出会いをしてきたのだろう。私は思いを馳せずにはいられなかった。アリッサだけに留まらず、出で立ちも振る舞いも私の感性からしたら少しずれている女の子まで射止めるなんて……。

 あのまっすぐな目は純粋過ぎていけない。私の女としての第六感が、ビンビンに反応している。

 この朴念仁は果たして気が付いているのだろうか。

 眉にしわを寄せてしばらく考えてみたら、気が付いているのだろうという結論に至った。そうでなければ、レモアの記憶を童話の原石にすると言い出さないはずだし。

 それなりの縁があるからこそ、ヴェルトはレモアを原石に選んだ。

 熟考から醒めると、マムが孤児院の紹介を終えたところだった。



 ヴェルトが湖の村に帰る前に数日ほど厄介になりたい旨を伝えると、マムは一も二もなく承諾した。

 マムが一人で切り盛りしているこの孤児院は万年男手が不足していて、力仕事が片付かないのだそうだ。館内の大掃除、書庫の整理、古い家具の入れ替えから、新しく来た子供のベッドの搬入など。懇意にしている製紙工場のお兄さんたちに来てもらい、作業を片付けてもらうのだが、それもいつ頼めるかは工場次第。季節感のない工場ゆえ、こうして作業だけが溜まっていくこともあるという。


「ヴェルトさんが帰ってきてくれたことは、まさに渡りに船です。これも日々の祈りの賜物でしょう」

「いえ。こちらも無理を言って恐縮です。ただで泊めていただくわけにもいかないので」


 大人な対応に大人な対応を返す大人たち。釘を打つトンカチのように首を垂れる姿は、もはや様式美と言っても過言ではない。まったくもって大人は大変である。


「リリィは、子供の世話担当な」

「え?」

「本当ですか!? とっても助かります! ありがとうございます!」

「え? え?」

「ただで泊まるわけにはいかないだろう」

「いや、ちょっと……」

「年の近い子たちの方が、思春期の彼らにはいいと思うんです。ほら、特にさっき覗いていたバート。それからその後ろにいた身体の細いヴィッキーと背の低くて気弱なロニー。昔はあんなにかわいかったのに、今では口を開けば生意気ばかり。リリィさんと接したら改善がみられる気がするのです」

「ええーっ!」


 私の抗議の声など聴く耳を持たず、大人たちは勝手に話をまとめ上げる。

 大人は勝手だ。

 私は永遠に童話を読むだけの子供でいい。

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