第75話 別れと出会い
結局のところ、思い出は自ら作り出すものではないのだ。
トトルバさんがやろうとしたことを、私は童話の国の王女として否定することはできないけれど、童話が好きな一人の国民としては納得できない。童話にするために、自ら手を回し、道筋を立て、登場人物にその道を歩かせる。でもそれは、すべてトトルバさんが用意した物語だ。一人の人間の意志によってお話が進む。読んでいてもまったく面白くはないだろう。
童話の国が他人の思い出を童話の原石にしようとしたのは、書き手が題材に困窮し、マンネリを呼び寄せてしまうからだ。すべての登場人物が書き手の意のままに行動してしまう。結果、ストーリーに振れ幅はなくなり、同じような物語ばかりになってしまう。トトルバさんがやろうとしていたことは、現実で起こったとはいえ、マンネリを呼び寄せてしまった童話制作師の人たちとおんなじだ。
私はそんな童話に、興味を持てない。
空っぽなんだ。そう、トトルバさんは言っていた。
でも、それは自業自得だ。ずっと支えてくれたエリーシャさんを、目先の利益のために手放してしまった罰。
だってさ。もし今もまだ、エリーシャさんと旅を続けられていたら、トトルバさんにも自分で作ったものではない、素敵な思い出が生まれていたかもしれないのだから。
私とヴェルトのように。
「おい、リリィ。何してるんだ? そろそろ出発するぞ」
私の部屋の扉をノックもせずに開け放ち、トトルバさんと同じ責務を背負った長身は、不躾に私に声を掛けた。
「もぉ! 着替え中だったらどうするの!?」
「何を今更。いつも同じ部屋だし、野宿の時は平気で裸になって水浴びしてるじゃないか」
「んーっ! ヴェルトのばかっ!」
私は転がっていた枕を投げつける。あっさり躱されるのはわかっていたけれど、恨みを枕に込めて投げつけずにはいられなかった。
いつか乙女の神様から天誅がくだるといい。
散らかっていた部屋を片付けて、私はいつもの旅支度を整えた。首にはキャメロンをかける。先に出ていたヴェルトを追って部屋を発つ前、もう一度だけ、私が一人で泊まった部屋を振り返る。宙を舞った埃が窓からの日差しに照らされてキラキラと輝いていた。
会計を済ませ、宿を出る。太陽は今日も力強く、地を歩く私たちにエネルギーを与えてくれていた。
「ねぇ、ヴェルト」
ヴェルトの一歩後ろを歩きながら、ヴェルトのうなじを見つめて私は聞いた。
「思い出集め、辛くない?」
「何度目だ、その質問?」
「トトルバさんの話を聞いたから、また気になった。もしかしたらヴェルトも、いつかは空っぽになっちゃうかもしれないんだよね」
声に出来るだけ不安を混ぜないようにしたつもりだけれど、ちょっと自信ない。
ヴェルトは振り返らずに言う。
「辛いな。とんでもなくな。あいつの言う空っぽになっていくってのは、俺だって味わっている。でもな、空っぽにはならない。俺のことを知っていて、俺との思い出を共有してくれる奴が近くにいたら、それだけで耐えられるんだ。それに……」
続きを言いかけたヴェルトの言葉を遮るように、後ろの方から声が聞こえた。
「リリィっ! 待ってくれ、リリィ!」
私を呼ぶ声だった。
誰だろう? この街に私を呼び捨てにする人なんていないはずだけど……。
「勝ち逃げとかずるいじゃねぇかよ」
「え? コーギーさん?」
振り返ると、ヴェルトの賭博仲間だったコーギーさんが息を切らして立ち止まるところだった。私たちの姿を見つけて走ってきたようだ。
息を整えると、ヴェルトではなく、私の目を見て言う。
「この前は俺の完敗だ! あんたは一端の賭博師になったよ。でも負けっぱなしじゃ俺のプライドも納得しねぇ。頼む! もう一勝負、お前の旅の行く末を賭けちゃあくれねぇか?」
「え、えっとぉ……」
そうだった。キャメロンにヴェルトの記憶を奪われたコーギーさんにも、記憶の補完が行われている。人生を賭けた大勝負が補完によって消えるはずもなく、コーギーさんの記憶の中から、一番しっくりくる人物がその穴埋めに使われた。それが私。
あのバーでの勝負の後、トトルバさんに捕まったせいで、碌に別れもしていなかった。そりゃ、勝ち逃げされたと言われても文句は言えないわけだ。
「頼むよ、リリィっ」
「いやぁ、そのぉ……」
私、賭博なんてできないんだけど……。
「まぁ、待てよ、コーギー」
困り顔の私を救ってくれたのは、横から伸びて来た長い腕だった。
「ヴェルト」
「む? お前は誰だ?」
怪訝な顔をするかつてのライバルに、ヴェルトは少し嬉しそうな顔を浮かべながら言う。
「初めまして、だ。俺はヴェルト。賭け事には少々自信があってな。今はこいつの、リリィの弟子をしている」
「で、弟子!?」
弟子ぃ!? 聞いてないけど!?
「あんた、こいつに負けたんだろ? そんな奴が、リリィと再戦なんて、簡単に口にしてもらっっちゃあ困る」
「なんだと!?」
「リリィと闘いたかったら、まずは俺とやりな。軽く揉んでやるよ」
「は、はは。面白いね。いいだろう。その勝負買うよ!」
不敵に笑う男が二人。中心人物であったはずの私は、あっという間に蚊帳の外に追い出された。
「つうわけで、リリィ。出発は一日伸ばす」
「え、えぇっ!」
「俺はこいつと賭け事をやらなくちゃならない」
文句を言おうとした言葉が、喉のところで詰まって止まった。
ヴェルトの横顔、凄く生き生きしている。まるで、数年ぶりに旧友に会ったようだ。ヴェルトとコーギーさんの会話のテンポは心地よい。
――それだけで耐えられるんだ。それに……。
言いかけた言葉の続きが、なんとなくわかった気がする。
別れがあれば、出会いもある。
思い出を原石に変えてしまっても、また新しい思い出が生まれていく。
一度断ち切られてしまった縁だとしても、こうしてまた巡り合えることもあるんだ。切れたら結び、より強固な絆となって残っていく。
ヴェルトが空っぽになってしまう未来は、きっと永遠に来ない。
「伸ばすのは一日だけだからね」
視界を覆っていたモヤモヤが晴れていく気がして、私はなんだか嬉しくなった。
ヴェルトとなら旅を続けられる。
ヴェルトと一緒に旅をしてきて、これからも旅ができて。
本当によかった。
口には出さないけれど、そう思った。
第七章 了
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