第72話 みんな僕のことを知らないんだ。

「僕の責務の糧になってね」


 カシャリ。


 魔法の音が渇いた夜に響き渡った。

 終わった。私の中からトトルバさんの記憶が消えて……。


「あれ? 消えてない?」


 ゆっくりと目を開けると、私とキャメロンの間には、黒い影が割り込んでいた。


「クソっ! おい、離せ!」

「はぁ……。危ねぇ。ったく、勘弁しろよな。これだから、いつまでたってもお前はポンコツなんだよ」


 ため息交じりに吐き出された呟き。その懐かしい声に、私は勢いよく顔を上げた。


「ヴェルト! どうして……」


 傾いた半月に照らされた赤銅色の髪の長身が、そこにいた。


「じゃ、邪魔をするなよ。ちょっと思い出をもらうだけじゃないか」


 トトルバさんのキャメロンのレンズはヴェルトの力強い腕によってがっちり掴まれていた。キャメロンはその人の顔を写さないと魔法が発動しない。トトルバさんの放った魔法は不発に終わっていたわけだ。

 掴まれたキャメロンを強引に引き剥がそうと、トトルバさんは力を籠める。だが、ヴェルトの力では微動だにしない。


「すまんな、詐欺師さん。うちの連れには手を出さないでくれ。これでも預かっている身なんでな。傷物にしちまったら、俺が殺されちまう」

「ぐっ。い、いいだろ? どうせ君だって遠からず彼女の記憶を奪うつもりだったんだ。そこに僕との思い出がなくたって大事じゃない。君と彼女にとっては、長い長い物語のたった一ページじゃないか。僕は端役。物語には影響がない!」


「誰が物語だ、誰が童話だ。ふざけてんじゃねぇよ、詐欺野郎。リリィは俺の責務の対象じゃねぇ。旅のパートナーだ!」


 ドクンと、心臓が動いた。

 今まで凝り固まっていた何かが、ゆっくりとめぐり始めた気がする。


「自分の連れの記憶まで原石にしちまったてめぇと一緒にするな。俺は責務を課されても、俺の意志で生き続けることを選んだんだ。童話の国に吸い尽くされてたまるか!」


 トトルバさんの脇腹に蹴りが入った。ヴェルトにとっては大した力も込めていない一撃。けれど、非力な詐欺師を私から遠ざけるには十分な威力だった。

 トトルバさんの握っていたキャメロンが、煉瓦道に落ちて、嫌な音を立てた。


「ひっ! い、痛い! 痛いぞっ! 暴力に訴えるなんて!」

「じゃあ聞くが、こいつの怪我は暴力じゃないってのか?」


 視線をトトルバさんに固定したまま、私を指差す。擦り傷のことを指しているのだろう。膝小僧の痛みが、指摘されて戻って来た。


「そ、それは、彼女が転んで……」

「お前が無理に連れまわすからだろうが」


 これは、怒っている……。それも、とてつもなく、だ。

 向けられている先が私じゃないはずなのに、ピリピリと逆立つ空気が私の心を突き刺す。こんなヴェルト、見たことない……。

 ちょっと怖い。でも、たぶん。私のために、怒っている……。


「い、意味が分からない! どうしてだい! なぜ彼女を原石にしようとしない。彼女の感受性の高さは、一緒にいる君が一番わかっているんじゃないか! ひどく合理性に欠けるよ。これまでに面白い原石をいくつも回収してきたヴェルトさんらしくもない!」


 ヴェルトは答えない。


「僕の何が分かるっていうんだ! もう、何もないんだぞ! 友達も、家族も、何にもない。僕が知っている人間は、みんな僕のことを知らないんだ。これがどれだけ孤独か、君にはわかるか! 旅をして出会って、去るときにその思い出を奪い取る生活が! この国にはこんなにも多くの人がいるのに、僕はそのど真ん中で、ずっと独りぼっちなんだ!」


 答えず、道路わきに転がったキャメロンを拾い上げた。それは、トトルバさんが落とした、ボタンを押すとトトルバんさんの記憶が抜け落ちてしまうキャメロン。


「それでもなお、僕は出会いと別れを繰り返していかなければならない。僕はもう、疲れてしまったんだよ。――そんなとき、キラキラ輝く原石が転がってきた。久しぶりの大物を前にして、手を出すなって方が酷だと、そう思わないかい!」

「……思わないな」


 そしてヴェルトは、ゆっくりと手にしたキャメロンを構えた。


「俺は村のためにこの人生を捧げる覚悟はある。だが、生きるのを辞めたわけじゃない。未来を見ている。その未来に、リリィは必要なんだ」

「お、おいおい……。ヴェルトさん? 何してるんだい? それ、僕のキャメロンだろ?」


 ようやくヴェルトの行動の意味に気が付いたトトルバさんが、悲鳴のようなか細い声を上げた。一瞬で顔から血の気が引いて行く。


「ま、間違っても、ボタンを押さないでくれよ。頼むから。な? それを押したらどうなるか、ヴェルトさんだってわかってるだろ?」

「あぁ。わかっている。わかっているからやっているんだ」


 私が煉瓦の壁に追いつめられていたように、今度はトトルバさんが追いつめられる番だった。

 ヴェルトは暴力で押さえつけているわけではない。ただ、ここにいる者だけが理解できる、最大の恐怖で、追いつめていた。


「さっき、何もないって言ってたな。そんなことないだろ。まだ、お前の分がある」

「ま、待ってくれよ! お願いだ。わかった。リリィさんは諦めるから」

「そりゃ当然だ。だが、それじゃ足りない。これまでお前に思いを寄せて来たすべての者の感情を踏みにじった罪、それからこれから先、同じ不幸を生んでしまわないように予防を兼ねて」

「頼むよ……!」

「お前自身の思い出も消しておいたほうがいい。いったいどうなるのか、俺も試したことないが――」


 ヴェルトはニヒルに笑って、判決を言い渡す。


「――俺の知ったことじゃないな」


「う、うわぁああああああ」



 カシャリ。



 ヴェルトの手元から放たれたキャメロンの魔法が、空気を伝搬してトトルバさんに届く。

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