第68話 膨れ上がる不安

 閑古鳥が鳴いているはずの私たちが泊まっていた宿屋は、急に団体客の予約が入ったとかで連泊を断られてしまった。ヴェルトが番台のおばちゃんと揉めていたのはそのことだったらしい。

 せっかく街に滞在しているのに野宿する羽目になってしまう。そんな未曽有の危機を救ってくれたのが、これまたトトルバさんだった。


「わかりました! わかりましたよ、ヴェルトさんにリリィさん! このトトルバにお任せください! いやね、実は宿屋にも少し顔が利くのでね、ここより少し高価な宿だけど、ちょいと口をきいてみるよ!」


 ――気を付けて!


 私にそう忠告した口とはとても思えないほど、トトルバさんは饒舌に、そして真摯に私とヴェルトに尽くしてくれた。すぐに知り合いに連絡を取り、空いている宿を手配してくた。


「さすがに二人部屋は取れなかったけど、いいかな? シングルを二部屋取れたよ」


 今まで泊まっていた宿よりも、さらに大通りに近い立派な宿。瓦の街の神秘的な景色の一角を担う、由緒ありそうな老舗だった。


「いいのか、本当に? 俺たちそんなに金持ってないぞ?」

「いいっていいって! 僕からの最後のプレゼントだと思って。まぁ、タダって訳にはいかないけど。前の宿と同じ分ぐらいはよろしくお願いね!」


 トトルバさんはそう言って、宿の女将らしき人に話を通してくれた。

 部屋の準備が整うまで、入り口のホールで私はヴェルトと待たされた。なんとなく埋めにくい中途半端な間。私の口は、簡単には開いてくれない。

 ……もし仮に、の妄想だけれど。

 そう前置きをして、私は考える。

 トトルバさんの話が事実だとする。気を付けろ、と言われたということは勘付かれてはいけないのだ。ヴェルトが本当に私の記憶を狙っているのなら、今の状態は爪を隠している鷹。研ぎ澄まし研ぎ澄まし、最高の機会を狙っているということになる。童話の原石の質を少しでも高めるために。もし私が少しでも不審な行動をしたら、ヴェルトは予定を早めるかもしれない。

 真偽を確かめるまでは、油断してはならない。

 それは、仮にどちらに転んだとしても、だ。


「……おい、リリィ。聞いてるか?」

「聞いてるよ? 何?」

「聞いてないだろ、それ。一人部屋で大丈夫か、お前? 調子悪そうじゃないか。ただでさえベッドだと朝起きれないのに、誰も起こす人がいないと昼まで寝るぞ?」

「ダイジョーブっ! ヴェルトは私のこと甘く見過ぎだから」

「そう言うところが……。ま、いいか。ちゃんと起きろよ」

「心配ごむよー」


 いつもいつも子ども扱いする。いい加減どうにかならないものかな。

 私は唇を尖らせて、ヴェルトからのお節介を躱した。




 案内された部屋に一人で閉じこもり、私は大きく息を吐き出した。

 部屋の広さこそ大したことないが、飾られた調度品からベッドに至るまで、老舗と呼ぶにふさわしいものだった。掃除の行き届いた床に、綺麗に整えられたベッド。水回りも清潔だし、部屋にシャワーまで付いていた。

 私はいの一番にシャワーを借り、濡れた髪をタオルで拭きながらベッドに倒れ込んだ。

 木組みの天井にシーリングファンがぐるぐると回っている。

 この旅を始めて、ヴェルトと違う部屋に泊まるのは初めてだ。寝るまでずっと賑やかで、今日会ったこと、明日やりたいことを語り合っていた。

 でも今日は、髪が濡れたままベッドに寝転んでも怒る人はいない。開けた窓から忍び込む秋の虫の涼し気な音色以外、音がない。


「すごく静か」


 口にしてみたけれど、その後に訪れた静寂が虚しいだけだった。


「別に、寂しくないし。ヴェルトが言うほど子供じゃないし」


 私は敢えてそう口にして、首をもたげ始めた弱い心を律することにした。

 ベッドから起き上がり歯を磨いていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「ヴェルト?」

「リリィさん、起きているかい?」


 視線を向けた先、扉の向こうから聞こえた声はトトルバさんのものだった。

 なんとなく残念な気持ちが込み上がって来て、私は理性でそれを否定した。


「起きてるよ。今開けるね」

「よかった。あ、でも待って。扉は開けなくていい。僕はあまりここに長居すべきじゃないと思うからね」

「どういうこと?」


 頭に巻き付けていたタオルを椅子の背もたれに掛けながら部屋の扉に問う。けれど声は回答をくれなかった。


「僕の泊まっている宿まで来てほしい。詳しい話を、しようと思う」

「詳しい話、って」

「さっきの続きだよ。ごめん、時間がない。待ってるよ!」

「ちょ、ちょっと。トトルバさんっ」


 私は急いで扉を開けたけれど、そこに人の影はなかった。慌てて階段を下りていく足音だけが遠くから聞こえて来た。

 耳を澄ませていると、隣の部屋の扉が開いて、風呂上りらしいヴェルトが顔を出す。


「どうかしたか?」

「うん? あ、あぁ、ヴェルト! い、いやぁ、何でもない何でもない! そろそろ寝ようかなぁ。明日からまた野宿だし、体力蓄えておかないとなぁ」

「はぁ? そんな宣言しなくていいっての」

「そ、そういう気分だったの! おやすみ!」


 勢いをつけて扉を閉めた。閉めた音が大きくて、私の小さな心臓がびっくりする。

 扉に背を預けてずるずると座り込むと、途端に心細くなってきた。

 ヴェルトに隠し事をしていることが、これほど辛いとは思わなかった。でも、トトルバさんの話が本当なら、ヴェルトの方が先に私に嘘を吐いていたわけだし、私はそれを許すわけにはいかない。

 頭の中に、ヴェルトの顔が浮かんでくる。私をフェアリージャンキーから守ってくれた時の真剣な顔。アリッサとの別れの後に、私に見せてくれた切なくて優しい顔。夕食のために取って来た獲物がひと際大きいと自慢する時の顔。私をポンコツ王女とからかう時の悪戯っぽい顔……。

 そのすべてが偽りだなんて、想像したくない。


「確かめ、なくちゃね」


 疑いを晴らして、そしてまた横に並んで旅をしたい。

 私は決意すると膝に力を入れて立ち上がった。

 窓の外の瓦の街は既に寝静まっている。こんな時間に一人で出歩いたらきっとヴェルトに怒られてしまう。でも、確かめないわけにはいかない。

 私は再び外出用の装いを整えて、音を立てないように宿を後にした。

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