第13話 いつもと違う朝

 街道に出ると店内の熱気に当てられた頬が、夏の夜風にさらされてほんのり気持ちがいい。自慢の黒髪が、そよそよと揺れる。

 遠くには我が家、童話城がそびえたつ。まん丸のお月様を背負ったその姿に、どこか別世界のような印象を覚えた。まるで童話の一ページみたいだ。


「ほら。ここが宿だ。安宿だがな」


 城下町の外れにある静かな路地。その一角に案内された宿はあった。街道と同じ石造りの二階建て。玄関口に飾られた小さなガス灯が、静かな城下町の雰囲気と相まって幻想的に見える。


「……狭い」

「文句言うな」


 あてがわれた部屋は、お城にある私の寝室よりも狭い。その狭い部屋にベッドが二つ詰め込まれていた。ベッド以外のスペースは人ひとりがやっと歩けるほどしかない。

 でも、今の私にはそれで十分だった。疲労と満腹で意識を保っているのが辛い。


「もう、だめだー」


 私は重力に身体を任せ、綺麗に整えられたベッドへ倒れ伏した。


「おい」

「ぐへっ……」


 想像以上に柔らかくなかった。自分の部屋の天蓋付きのベッドとは程遠い。打ち付けたお腹に鈍い衝撃が走る。


「う……ぐぅ」

「だから、安宿だって。まったく……」


 痛みに一瞬目が覚めたけれど、横になってしまったらもう起き上がれない。なんだかグチグチと言っているヴェルトの声が、どんどん遠くなっていく。

 ……ああ、幸せなまどろみだ。

 おやすみなさい、お父様。

 私の旅初日は、こうして終わった。



 体を大きく揺らされて目が覚めた。


「まだねるぅ、グスタフー」

「寝ぼけてんな、朝だ」


 いつもと違う声が頭の上から降ってきた。誰だこれ。

 うっすら目を開けるといつもより低い天井。狭い部屋。意識がはっきりすると、思い出したように体中に痛みが走った。記憶もぼんやり回復してくる。

 これはヴェルトだ。私と旅をすることになった優男が、目の前にいた。


「……おはよう」

「おう」


 律儀に朝のあいさつを交わし、私は上半身を起こす。


「風呂入って目覚まして来い。一階の奥だから」


 ふらふらとした足取りで部屋を後にする。お湯を浴びて頭をすっきりさせて帰ってくると、ヴェルトがソーセージを挟んだパンを頬ぼっていた。私の分もあるらしく、食っとけと不愛想に突き出して来た。


 なんだか不思議な感覚だった。


 グスタフに起こされ、それでも抵抗し、お日様が天頂に昇るまでは否が応でもベッドを離れず、ゴロゴロしながら童話を読みふけっている普段の私。それが今日は、涼しい時間に起き、お風呂に入って朝食を食べている。なんだか別人を演じているみたいだ。

 受け取ったパンの包みを開けて、小さくかじりつく。


「今後の予定だが、ひとまずの目標は塩の街にする」

「塩の街?」


 先に食べ終わったヴェルトが、マグカップに入ったミルクを啜りながら話題を振る。

 私は頭の中で童話の国の地図を思い浮かべる。なんちゃって王女と自称していても、グスタフからの英才教育を受けてはいる。この国の地理はそれなりに得意なほうだった。


「塩の街って確か、童話の国の南にある海が見える町?」

「そうだ。ここに来る前に一度寄ってきたんだ」

「ほほう」


 海とは、魔法と同じくらい魅力的な言葉だ。大きな水たまりという表現を、いろいろな童話で読んだけれど、油絵で描かれた挿絵だけではそれを想像することは難しい。


「よいよい。苦しゅうない」

「嬉しそうだな、リリィ」

「一度見て見たかったんだ、海」


 ん? でも待てよ。確か塩の街ってここから歩いて十日ぐらいかかったような……。


「ヴェルト、どうやって行くの?」


 お父様の力を使えば馬車で一日とかからないだろう。けれど、ヴェルトが馬車を持っているとは思えない。すると、早馬か? 王女の嗜みとして乗馬は経験がある。ただし、あくまで嗜みであって、あまりいい思い出はない。


「もちろん、歩きだ。乗り物を使う余裕なんてないからな」

「……え?」

「だから、歩きだ」


 聞き間違いではないようだ。

 ヴェルトは、あろうことか王女である私に十日間も歩きとおせとおっしゃる。その間寝泊りはどうするつもりだ? 食べ物は? トイレは?


「まぁ、落ち着け。その表情を見れば大体察せるが」


 眉間に人差し指を当てて、呆れたような表情をする。


「ないものはない。旅に出るって言った時点で覚悟しとけ」

「そんなぁ……」


 無気力にふらりと立ち上がると、私は再びベッドにもぐりこんだ。櫛で梳かした髪が静電気でぐちゃぐちゃになってしまったけれど、そんなことはどうでもいい。布団を頭からかぶると、その端から手だけを出して、旅行用に背負ってきたリュックから一冊の童話を掴んで引っ込めた。


「……今日は童話を読む日だった」

「そんな日はない」

「『あひるの王子とあやかしの森』が途中だった。読み切ってからにしないと」

「道中読めるわ」

「いやだいやだ。そんなに歩いたら死んでしまう」

「大丈夫だ。っていうかそれしか選択肢がない。諦めろ」

「私は王女だよ」

「歩け、王女」

「うわー」


 救いはなかった。そして決定事項だった。

 私は布団から頭だけを出してうるんだ瞳をヴェルトに向ける。


「出発は午後。午前中に必要なものを買い足すからな」


 けれどそれも効果はなかった。

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