終章

 あの後、泰楽と犂州主は黄国に派遣という名目で飛ばされた。固定概念を打ち壊し、改心できるか猶予を与えたと白麗、改め麗王は言う。

 ちなみに竣雨は、白麗の作る国を近くて見ていたいということで、時々宮廷に現れる。子供の姿である竣雨の正体を知る者は、共に旅をしていた者以外、誰もいない。侍女や臣下たちは、都の子供だと思っているらしい。まあ、その方が都合がいい。だけど、門兵に門前払いさせられる姿を見たときは、さすがに吹き出しそうになった。

 また、政治に関してはまだ無知であると自覚している白麗は、北州州主の倶尊を宮廷に呼び寄せ再び賢老師の役に就けた。荒れた国が整うにはまだ時間がかかる。しかし、王が収まり国中で起きていた古獣による被害は収まるだろうと竣雨は言っていた。少なくとも王が立つことで解決される問題もあるようだ。

 そして今日――。

「ねえ、髪、変じゃない?」

「大丈夫じゃないですか?」

 短時間の間に何十回もかけられた問いに、洸樹は同じ答えを返す。

 正式に式典をあげるべきだという大臣及び賢老師の言葉を受け、あの日から二ヶ月経った今、ようやく白麗の王位式典を行うことになったのだ。これから民衆の前に立つ白麗は、鏡の前でしきりに短い髪を気にしていた。

「今更気にすることでもないでしょう」

 肩に触るくらいに延びたとは言え、やはり他の女と比べるとずいぶん短い。王座につく者として立派な衣装に身を包み、煌びやかな髪飾りをつけた姿は、いつもの少女とはどこか違って見える。白麗はそうだけど、と答えるがやはり納得してないようだ。

「やっぱり長い方が綺麗に見えるじゃない?」

 女心というやつか、人前に出る以上、少しでも美しく見せたいと思っているらしい。別に綺麗になろうとしなくてもいい――口までで掛かった言葉を飲み込む。

「姫さん――じゃない、麗王。もう手遅れです。これ以上鏡の中の自分とにらめっこしていたら、夜になります。それに、いくら鏡を睨んでも髪はいきなり伸びません」

「もう、わかっているわよ」

 明らかに不服そうな表情を浮かべ、白麗は立ち上がった。洸樹は扉を開け、白麗の手を取った。

「ここで転けたら、侍女たちの努力が水の泡ですからね」

「まったく。こんなときでも相変わらずね、洸樹は」

 白麗は呆れたように息を吐いた。入り組んだ廊を進み、巨大な扉の前に立つ。この扉の向こうには、白麗の王位即位を祝う民衆が集まっている。

「――ねえ、誰もいないってことはないわよね?」

 珍しく不安そうな顔で見上げてくる白麗に、洸樹は笑って答えた。

「さあ? それはご自分の目でお確かめください」

 竣雨――麒麟によって來国王と認められた白麗だが、白麗自身は自らを王と認めていない。あくまで一番国をよくしたいと思っている者だと言う。おそらく、紅貴のことが気がかりなのだろう。白麗にとって王は紅貴なのだ。

「そう言えば洸樹、なんで言ってくれなかったのよ。影狼のこと」

「今更なんです? そもそもこんなときにする話じゃないでしょう」

 しかし、白麗は言葉を続けた。彼女なりに緊張をほぐそうとしているらしい。

「この際だから言っておくけど、護衛人に戻った以上、隠し事はなし! 何か言っておくことがあれば今話してくれる?」

 立ち止まった白麗がこちらを振り向く。洸樹はわざと大きなため息を吐いた。

「わかりました」

 そう言うなり、白麗の耳元で囁く。

「ずっと前から心よりお慕いしておりました」

「はい?」

 立派な着物を纏い、美しく化粧をした少女が、やっといつもの顔に見えた。思わず口角を上げてしまうほど嬉しさがこみ上げてくる。

「そんなだからバカ姫といわれるんですよ。――いや、今は王でしたね」

「もう、何よ! それにね、この際だからはっきり言っておくけど、私のことバカと言うのは貴方だけよ、洸樹!」

 まあ、そうでしょうね――と洸樹は心の内で答える。

「仕方ありませんね、もっとわかりやすく言って差し上げますよ」

「いいわよ。もう時間だし。貴方の冗談につき合っていられ――」

「好きですよ、白麗」

 彼女にだけ聞こえるよう囁いた瞬間、目の前の大扉が唸るような音を立て開いた。途端、歓声が沸き起こる。

「ほら、行ってください。早くしないと新王は人を待たせるだらしない人間だと思われますよ」

 ぽかんと口を開けた白麗だったが、時間をかけて言葉の意味を理解したのか、次の瞬間には顔を真っ赤に染めていた。

「――洸樹のバカ」

 顔を逸らしながら放たれた一言。颯爽と扉をくぐった彼女の耳は、まだ赤に染まっていた。

 歓声が上がる中、洸樹は一人、小さく笑うのだった。


   ◇


 もう本当に何考えているのよ――。

 しかし、そんな憤りの気持ちも大歓声の前では風に舞う木の葉も同然だった。

 目の前の光景が信じられなかった。

 外城に集まった人の数は、もはやここからでは点だ。大木につく木の葉のようだと思った。

 きっとこれからたくさんの試練がこの国を待ち受ける。それは、逃げられない定めだろう。もちろん、国だけではない。生きている以上、個々にも試練は訪れる。そのとき、いつの間にか身近にある虚構に惑わされず、己の足で己の人生を歩めるように。そして、そんな国にしたいと白麗は思う。

 そう、それは、奴隷制などない世の中で奴隷のように扱われ見せ物にされていた彼が、抵抗してみせたように――。

 私もいつか、誰かにとっての一光になれるかしら――白麗は祝福の言葉を叫ぶ民に向かって手を振ると、おもむろに空を見上げる。

 雲一つない、眩しいほどの青空だった。




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涙雨の一光 はるのそらと @harusora

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