第20話

 真っ暗だ――。

 重たい瞼をこすろうとして響きわたった鎖の音に、白麗は一気に目を覚ました。

「あら、ようやくお目覚めですの?」

 ちょうどよい頃合いでしたわ、と扇で口元を隠し笑うのは華姫だ。

 両手両足につけられた鎖は、鉄格子を掴むことさえできない。

 ああ、私、捕まったのか。意識を失う直前を思い出そうとする。

 突然背後から強い衝動を与えられ、転んだ拍子に頭をぶつけたのだ。

 でも私、なんで深淵の森をあんなに必死になって走って――。

 途端、脳裏をよぎったのは口の悪い護衛人の顔。

 ガンっと鎖が延びきる。それでも牢の外でおもしろいものを見るように眺めている華姫には届かない。

「洸樹はっ――洸樹は無事なんでしょうね! もし何かあったら――」

「あら、貴方。護衛人にそこまで必死になれるなんて、恋慕の情でもお持ちですの?」

「なっ――」

 洸樹は幼なじみで護衛人で――。家族のようなものだ。なのに顔が熱くなるのを感じる。

「どのみち貴方は、すぐにこの世を去る定め。今彼の安否を知っても知らなくても同じ事ですわ。――そもそも貴方が紅王と同じ天に召されるかはわかりませんけど。何せ、彼を殺したのは貴方なんですから」

「違うわ!」

「罪人は皆、己の罪を否定しますわ」

 ふんっと鼻を鳴らし嘲笑う。

「貴方は夢だと勘違いしているかもしれませんけど、あの晩、貴方を部屋に運んだのは将師泰樂よ。王位に即位する話をされたとき、彼はすべて私に話したわ。あの日、王室の前を通ったとき不自然に開いていた扉の中でみたもの――血塗れの王と気を失った貴方。泰樂は絶句したことでしょうね。もちろん貴方を罪人にすれば來国が荒れるのは目に見えていた。だから、貴方の罪を擦り付けることができた者に王殺しの罪をかぶせた。そうすれば、貴方はそのまま王に即位し、何事もなかったかのようにできたのに――貴方はそれを拒絶した。その結果、死ぬことになるなんて思っても見なかったでしょうね」

 その言葉が水を打ったように、白麗から感情を奪う。なんとなく、察してはいた。

「明日、貴方は公開処刑されるのよ」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、立ち去る華姫を白麗はただ見送ることしかできなかった。


   ◇


 内城にある大紫堂。王族の婚姻儀式や王位即位式に用いられるこの大舞台で罪人が処刑されるのは、來国の歴史の中で初めてだろう。だが、処刑される罪人にわずかな敬意を表した結果だと思えた。

 王族である來一族。その最後の一人が処刑される。

 だが、來国は王を失わない。華姫が黒珠を光らせた。それはつまり、神獣麒麟が、來族として認めたということでもあった。

 華姫が子を成せば、それはもはや來の子だと民は信じている。

「本当に大丈夫なのよね?」

 陽稟の問いかけに洸樹は深く頷く。

「心配するな。それより、さっきの約束――」

「わかってるって。白麗を黄国へ連れて行くってやつでしょう? 白麗の意見は無視ってことになるけど、いいの?」

「ああ」

「――とんだ従者だね」

「それはお互い様だ」

 肩を落とす陽稟の頭を力強く撫でた。年の頃は白麗と同じ。だけどその若さで王に信頼され補佐を一任されている。能力の有無だけではできないことだ。それに、隣国といえど知らない土地に飛び込み、たった一人で王を探すことなど、並大抵の覚悟ではできない。そんな人物を洸樹は他に知らない。

 もう頼れるものは彼らしかない。真剣な面もちの洸樹は、陽稟からその前を歩く占師と竣雨に視線を向けた。

 ――白麗姫の代わりに処刑台に立つ覚悟はあるか。

 一文目に書かれた文字を読んだとき、洸樹は妙に納得してしまった。その言葉は希望の光のように見えた。

 木にとって根を張る大地がなければ生きられないように、いつのまにか自分にとって白麗はなくてはならない存在になっていたようだ。青蘭や紅貴に誓った以上に自分の気持ちがそう訴える。

 洸樹は祭壇の上に立つ泰樂を睨んだ。

 国を手中に治めようと思慮深く熟考している男だ。

 今回の件もそうだ。あの男は取引と記していたが、何の取引だというのか。姫さんが生きることで泰樂に得られる利益。それは白麗を自分の女にすること以外考えられなかった。それに、面倒な護衛人が消えれば奴も好き放題できると考えているのだろう。

 ――そんなことさせるか。

 洸樹は、もう一度陽稟たちに目を向ける。だからこそ彼らに白麗を託すのだ。もう二度とこのような茶番に巻き込まれないように。

 そしてその瞬間は、嫌でもやってきた。

 壇上に連れてこられた白麗を見て、かっと頭に血が上る。すぐに駆け寄ってやつれた顔に手を伸ばしたい。しかし、ぐっと堪えた。

 そしてありもしない罪状を仲介人が読み上げるとき、手紙に書かれた通り、背後から役人が迫ってくる気配を感じた。ぐっと両手を握りしめる。次の瞬間、数人の男によって地面に押し倒された。殴られ蹴られ、口の中に流れ込んだ血を吐き出せば、声を大にした役人が問う。

「紅王を殺したのは誰だ!」

 すべて文に書かれていた通り。一斉に集まる視線を振り払うように洸樹は叫んだ。

「紅王を殺したのは、俺だ!」


   ◇


 さっきまで周囲の痛いほどの視線を一身に受けていたというのに、これはどういうことだろう。

「――何で」

 音を鳴らすつもりはなかったのに、琴の弦を弾いてしまったかのように、口から言葉がこぼれる。

 夢、だろうか。

 もしそうなら、あの嵐の晩以来の悪夢だと思った。

 大怪我をしていたはずなのに。何事もない姿が嬉しいはずなのに。――どうして彼は今、死の舞台に立っているのか理解できなかった。

 高見の見物をしていた華姫は、一体どんな顔をしているだろう。

 突如壇上に上げられたのは、白麗の護衛人。そして、後から現れたのは、泰樂だ。泰樂は、鬼のような形相で仲介人を追い出すと、この男こそ真の罪人だと叫んだ。

「証拠は刀だ。今罪人の持つ刀は予備刀。宮廷内に滞在していたとき帯刀していた刀は見つかっていない。そして、紅王にも刀傷があった。それもたった一つだけ。武人ではない白麗姫が一撃で人を殺すことなど不可能。おそらく、奴は姫の護衛人になり王に近づくことが目的だったのだろう。王の護衛人という地位を得るために! 奴は見ての通り古者だ。それも背中に奴隷の焼き印を持つ。地位を得、見下してきた輩に鉄槌を与える気だったのだろうが、今、この場に来たことが運の尽きだった。いや、必ず来るようにし向けた。私は王より軍事を任された将師だ。治安を守るのも私の役目。華姫王のご協力のもと、奴をあぶり出させるためこのような大規模な芝居を打ったこと、この場を借りて謝罪する」

 深々と頭を下げる泰樂に、次の瞬間、大衆から歓喜の叫びが上がった。

 ――彼らが來国を導いてくれる。あの王と将師様なら來国は安泰だ。黄国が攻めてきても大丈夫だろう。

 次々上がる声に、白麗は力なく首を振った。

 違う。

「違う!」

 白麗が叫んでも、歓喜の渦に飲み込まれるだけ。囚われた洸樹には、着々と死が迫っていた。

 もはや白麗など初めからいなかったかのように相手にされない。民衆は、異を唱えることなく流される。

「違う、違うの!」

 頭を大きく振り、全身全霊で訴える。だが、うるさいと判断されたのだろう。そばに控えていた兵が、口を塞ごうと近づいてきた。

 ――ああ、兄様。

 まだ日中だというのに厚い雲が空を覆う。雲の向こうには、太陽に隠れるように朧気な月が浮かんでいることだろう。

 今宵は満月だ。池に映った月を取ろうとしてから、一体どのくらいの月日が流れたのだろう。

 白麗は目を閉じ願う。

 ――叶うことなら、この瞬間だけ。水面の月が夜空の月以上に輝けるように。どうか、弱虫な私に勇気を。

 迫り来る男を前に、白麗は目を見開いた。

「……私だ」

 囁くような言葉は誰の耳にも届かない。しかし、白麗は壇上の隅に置かれた、罪人の処刑後、死体と共に燃やされる罪人の所有物の中から、短刀を奪い、中央に立った。短刀の柄には小さな小袋がついている。

 洸樹が拘束されるのと同時に、白麗の手足にあった枷を外すよう指示した泰樂は、白麗の取った行動に言葉を失っていた。

「聞け!」

 突然の出来事に、ざわめく周囲に向かって白麗は叫ぶ。そして、手にした短刀の柄にあるわずかな突起を押しながら、鞘を抜き取った。

 この短刀は仕掛けがあり、他の短刀のように抜けるのではない。父、貴王が白麗に短刀を渡すとき、教えてくれたこの仕掛け。武人でもない。でも、自己防衛できる術はあった方がいい。いろいろ考えた結果だったのだろう。

 しかし、やはり武器は武器。扱う者が未熟であれば――人を殺める。

 白麗が天高くかかげた短刀の刀身には、錆のようなものがまとわりついていた。

 あの嵐の晩以来に見る刀身は、もはや刀の役割を果たせそうもない。しかし、白麗の目には、あのときのように刀身に血糊がついているように見えた。足が震える。今すぐこんな短刀、捨ててしまいたい。旅の途中、何度思ったことだろう。だけど、兄様の顔が浮かぶから捨てるに捨てられなかった。

「これが証拠だ!」

 その場の雰囲気が、がらりと変わったのが嫌でもわかった。

「私が、來紅貴を殺した」

 ああ――。

 涙が頬を伝う。この場から一刻も早く消えたいと震える足に渇を入れながら、白麗は強く願った。

 ほんの少しだけ勇気をください、と。

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