第19話
朝日が昇る。暗闇を裂くように光が射し、木々の影が深くなる。そうして現れた太陽は、思わず目を背けたくなるほどまぶしく、何者にも屈することのない鋭い光を放っていた。
森の中を移動し続け、一体どれくらい経ったのだろう。
すでに日は高く昇っている。道中は存在を隠す為にも、必要最低限のこと以外は話さない。そのため、先ほどから聞こえるのは小鳥のさえずりと落ち葉を踏む音のみ。馬は先の火事の後手放した。
秋螢がこちらに向かっている――昨晩、洸樹の口から語られた言葉には今までの空気が一変するような重々しさがあった。
「別に見つかっても負けるつもりはありません。けど、これだけの数をかばいながらの戦闘はさすがにキツいですね」
刃の確認をしたあと、洸樹は占師に視線を向けた。
「戦えるか?」
じっと洸樹に見られ、占師はすぐさま首を横に振った。
「無理です! 無理無理! 僕は一介の占師ですよ?」
「黄国の王だろ」
「ここでは占師だ」
埒があかないと思ったのだろう。洸樹は占師から陽稟の方へ視線を向けた。
「で、実際は?」
占師の方を指さしながら聞けば、陽稟は肩を落とした。
「法王の言っていることは本当。自己防衛の為にも組み手くらい収得させようとしたけど、勘も機転も利くからいっつも逃げられて。結局無駄に終わったわ」
「手の掛かる主を持ってしまったせいで、苦労するとは――俺たち似た者同士かもな」
しみじみと言う洸樹に一瞥すると白麗は苦笑した。
「まったく。どの口が言うのかしら」
これほどまで横暴な態度をとる従者はなかなかいない、と白麗は思った。
それからもうしばらく歩いたとき、竣雨が突然顔を上げた。その表情は心なしか嬉しそうに見える。
「さすが。暮らしていた者にはわかるみたいね」
陽稟は興味深いといった様子で竣雨に視線を送る。
白麗も周囲を見渡すが、特に変わった様子はない。何の変哲もない森の中だ。
「お嬢ちゃんはわかりやすいねえ」
占師がくすくすと笑った。
「深淵の森に入ったのさ」
さわさわっと木の葉が揺れ、木々がささやくように音が駆け抜ける。
「ここからは竣雨に先頭をきってもらわないと。頼んだよ――って洸樹。どうしたんだい?」
風が止まない。周囲の木々は、まるで侵入者を告げるかのように葉を揺らし続けた。そんな中、洸樹は一人、じっと今来た道を睨む。そこに目には見えない何かがいるのではないか。そう思ってしまうほど洸樹は食い入るように遠くを睨んでいた。
「洸――」
「姫さんたちは先に行ってください」
「一体どうしたんだい?」
「俺としたことが、忘れ物をしてしまいまして」
占師の問いかけに洸樹は目を向けることなく答えた。
「忘れ物? 分かれてまで探しに行かなければならないものなのかい?」
「まあ、できることなら無くしたくないものだな」
黙っていた占師だったが、しばらくして息をふっと吐いた。
「わかった。それじゃあ僕らは先に中心部へ向かっているから。キミもその場所はわかるんだよね?」
「ああ」
「早く来るんだよ」
日没までもう時間はない。ましてや森の中だ。さすがに日の沈んだ深淵の森の中を移動するのは望ましくない。竣雨はちらりと目線をやると先へと進み始めた。その後を陽稟、占師が続く。
「お嬢ちゃん、行くよ」
何か声をかけたくて。考えれば考えるほど浮かばなくなる自分がじれったい。生半可な言葉はかけたくなくて、結局何も言わず白麗は占師の後を追った。
しかし、このときからすでに白麗は決意していた。
「ごめん、ちょっと先に行っていて」
「お嬢ちゃんまで。一体どこに行くつもりだい?」
「厠よ」
それだけ言って列から抜け出すと、白麗は走った。
洸樹が見据えるその先に向かって。
◇
本当、めんどくさい奴だな――。
洸樹は、頭をかくと腰に下げた刀へと手を伸ばした。
「いい加減、出てきたらどうですか?」
ああ、姫さんいないし、敬語じゃなくていいんだ――無表情で現れた秋螢を前にそんなことを思う。
目の前にいる男がどれだけ強いのか洸樹は知っている。それに、気付いている者は少ないだろうが、秋螢も古者だ。髪の色は栗色だが、瞳の色が違う。こういう黄昏時でなければ気付かない。
瞳に混じる黄金色に。
古獣をつれているのかいないのか、どうのような力なのか、そこまでは知らない。
しかし、今では軍の特殊部隊長でもあると風の噂で知った。軍の特殊部隊は戦になった際、要になる重要部隊。その部隊の隊長に護衛人と兼業で就くというのは、それなりに実力がなければなることはない。
そんな男が目の前に立ち、槍を構える。
いくら腕のたつ武人でも、何の感情も伺えない、底冷えするような目に捕らわれては、いやでも恐怖の感情が沸く。
しかし、洸樹は欠伸をかみ殺していた。だが、視線は秋螢からそらさない。
「この前は油断した。けど、今度はそうはいかない」
「そういうのは、弱い奴がいうんだよ」
槍を構え、重心を落とす秋螢とは対象敵に、洸樹は一向に刀を抜こうとしない。
「俺をあの頃のままだと思っているなら――死ぬぞ?」
あの頃――おそらく宮廷にいたときのことを指しているのだろう。見習い兵だったあの頃を。
「別に。そんなことは思ってないさ」
そう、思ってはいない。微塵も。だけどそれは、秋螢だからではない。どんな相手にも、だ。
――姫さんに害を成すものに手を抜くつもりは全くない。
途端、秋螢が風を切るように突っ込んできた。寸前でかわすものの、体制を立て直す隙もなく、次の一撃が来た。目の前に迫った刃先を見て、内心で舌を打つ。
「――愚かだな」
鉄の臭いが鼻をつく。腕から流れるどろりとした血は、指先から落ちた。深紅の血が地を彩る様をどこか上の空で眺める。
ああ、これは深傷だな――。これでは刀を握ることもままならない。
「これで最後だ」
空気を凪ぎきるように空中で槍を回すと、再度体制を構える。それでも洸樹は、刀を握ろうとしなかった。秋螢の舌打ちが耳に届く。途端、先ほどより一段と早い動きで洸樹と距離を詰めると、雷鳴のごとく槍先を突き刺した。
鉄の臭いが一段と強く漂う。
洸樹の口から血が流れる。腹を貫通した槍を秋螢は思いっきり引き抜いた。血が飛び散り、ぼたぼたっと音を立てながら地に落ちる。低いうめき声の後、かろうじて立つ男は、首から下げた何かを血濡れた手で掴んだ。誰が見ても一目で助からない状態だった。
「あっけない」
淡々とした声音が響く。
「恨むなら自分自身を恨むんだな」
そのときだ。枝を踏む音が響きわたった。視線の先にいたのは、両手で口を押さえ、大きく目を見開く白麗だった。
「――嘘」
血だらけの洸樹の姿に言葉をなくした白麗は、次の瞬間背を向け走り出していた。
待てと伸ばした手は、秋螢によってはたき落とされた。
「薄情な姫だな」
白麗が逃げた方向を見据えながら秋螢がつぶやく。
「まあ、おかげで探す手間も省けたが」
ピーっと指笛を吹けば、尾が二つある黒い犬が三頭現れた。
「行け」
途端、一斉に走り出す。白麗の去った方向に向かって。
もちろん、普通の犬ではない。古獣の一種ではあるが、別種族と交わった半獣といわれる存在だ。洸樹が知る限り、宮廷にはいないはずの軍事生物。おそらく最近になって泰樂が導入したのだろう。
森の中で群を成し暮らす獣で、賢く残忍。しかし、忠誠心は強く裏切ることは決してない。
泰樂にとって理想の兵とも言える。
「あっけない。じつにつまらない幕引きだ」
半獣が消えた先を見据えながら、秋螢はつぶやく。
「そうだな。俺もそう思うよ」
背後で聞こえた声に振り向こうとすれば、首筋に当たる冷たい殺気にようやく気付いた。秋螢の額から冷や汗が流れる。
ついさっきまで洸樹がいた場所には、人影どころか血のあとさえ残っていない。もちろん、さっきまで鼻の奥をくすぶっていた血の臭いもない。
「何がなんだかわからないだろう?」
秋螢から槍を奪うと、無抵抗の秋螢を地面に押し倒した。両手を拘束しながら、ふっと鼻で笑う。
「影狼という古獣は、人に憑き身体能力を上げるものだと思っていただろう? だが、正確には違う。――とり憑いた人間の幻を見せるんだ」
しかし、そんなに便利なものではない。その幻は、影狼がとり憑いている人間にも見せ惑わす。一族の中には使いこなすものも多かったと聞くが、洸樹には教えてくれる人間はいなかった。今でもかろうじて、幻だとわかるくらいだ。
古獣の中で、精神的な攻撃をするものは少ない。そのため希少価値のある存在で一族は畏れられたと聞く。しかし、力にはそれに伴う代償が必要だ。影狼は、憑いた人間に飽きが来るとその命を食らい、次の宿主に移る。そのせいで一族はどんなに重宝されても数を増やすことはなかった。挙げ句の果てには、その力の強さから奴隷になることを強いられた一族だ。身の丈に合わない力など、持つべきではない。
「じゃあ、お前のその身体能力の高さは――」
「古獣の影響もあるかもしれないが、俺が今まで培ってきたものだ」
この來国に影狼憑きは、今では洸樹しかいない。ましてやここ数十年、洸樹を負かすほどの武人は少なく、力を出し露呈する機会もなかったのだ。影狼という古獣に関して間違った認識をされても仕方がない。むしろ洸樹はそうなるようにし向けた。
「半獣を今すぐここに呼び戻せ」
白麗の足では、あの半獣から逃げきれない。それに、今から追いかけてもさすがに追いつけない。
だが、秋螢が半獣に指示を出せるのであれば、問題もない。
しかし、秋螢はふっと鼻で笑った。
「無駄だ。あれは俺の指示で動いていない」
言葉が出なかった。全身から力が抜ける。
「半獣の指示を出しているのは将軍だ。――今頃他の連中の手に渡っているだろう」
おかしいとは思っていた。森の中に一人で乗り込んでくるのは自殺行為だ。半獣を従えていたからかと思ったが、そうでもない。おそらく離れたところに数人待機していたのだ。
くっと声をもらすと、洸樹は走った。
秋螢は逃げたと言うが、白麗のことだ。助けを呼びに占師たちの元へ向かったに違いない。半獣が追いつく前に白麗が合流していれば、まだ間に合うはずだ――。
洸樹は一縷の糸をたどる思いで走った。
◇
突然、背後から現れた洸樹に一番驚いたのは占師だった。
しかし、顔面蒼白で息も絶え絶え。森の中をなりふり構わず駆け抜けてきたのだろう。葉で無数の切り傷を作った洸樹は、かすれた声で問う。
「――姫さんは?」
「白麗? 廁に行くって言ってから、まだ戻ってきてないよ」
答えれば、洸樹は地面に座り込んでしまった。
「ちょっと、どうしたのよ?」
水を用意し、洸樹に差し出すが微動だにしなかった。
「くっそ!」
地面を叩き、怒鳴る洸樹は陽稟の知る洸樹とは別人だった。
「何があったんだ?」
占師の真剣な眼差しを正面から受ける。
「……あんたの先読みの力が働いていれば、こんなことにはならなかったのかな」
「洸樹!」
陽稟は占師の方を見る。ほほえみで返しているが、内心は身を裂かれる思いだろう。――いくら先読みの力が強い法王でも、自在に扱えるわけではない。しかし、勘違いしている者は多く、黄国にいたときも何度も同じ言葉を投げつけられた。
「――悪い。八つ当たりだ。気にしないでくれ」
憔悴しきっている様子をみるからに、白麗の身に何か起きたのは確かだ。もうすぐ日が落ちる。乱れた息が整ったらこの男は白麗を探しに行くはずだ。言ってもきかないのは目に見えている。だったら縛り付けておくべきか、など思案していたときだ。一羽の鳥が舞い降りてきた。青い鶏冠のある雀のような小鳥。その足には身の丈ほどある紙がくくりつけられていた。
洸樹はその鳥を知っているのか、疑いなくその紙を取る。すると身軽になった小鳥は夜空へと羽ばたいていった。早速小さく丸められていた紙を広げ目を通す洸樹。その表情が次第に強ばっていった。
「王都に、宮廷に戻るぞ」
「一体何があったのか、説明してほしいんだけど」
咎めるように見つめれば、洸樹は再び視線を落とした。
「姫さんが捕まった。文鳥によれば五日後、公開処刑になる。――ここから急げばまだ間に合う」
「ちょっと待って。その文は一体誰がよこしたんだい? お嬢ちゃんが捕まったのはついさっきの話だろう?」
洸樹は、ふっと息を吐くと言う。
「――泰樂だ。あいつは俺に取引を持ちかけてきた。とりあえず、宮廷に向かわなければ何も始まらない。竣雨、森を出るまで案内を頼んでもいいか?」
竣雨は、目を伏せると遠くまで響く口笛を吹いた。しばらくすると、静寂を裂くような地鳴りと共に現れたのは、炎馬だった。
「僕が協力しなくても、行くつもりなんでしょう?」
返事はない。それは肯定と受け取っていいだろう。
竣雨は深いため息を吐く。
「僕も白麗が死ぬのは嫌だ。でも、日の落ちた深淵の森は危険だ。夜は古獣の世界。何が起こるかわからないけど、それでも行く?」
竣雨の警告に深く頷いたのは、洸樹だけではなかった。
「僕も行くよ」
「ちょ! 法王様?」
「お嬢ちゃんの一大事に、待ってます、なんてありえないでしょう」
陽稟は思う。この王は優しすぎるのだ。
「王が行くのなら私もいきます」
武術の心得は押さえている。少なくとも、法王を守る盾にはなれるだろう。それに友人の一大事に駆けつけられないのは、袖を噛むほどもどかしい。
「わかった」
竣雨は炎馬の首元を撫でる。
「一気に駆け抜ける。炎馬のあとをはぐれずに追いかけて」
そう言うなり、炎馬は前足を上げ嘶いた。途端、本来影である炎が激しく燃え上がった。
「行くよ」
炎馬が駆け出すのを合図に、四人はその後を追った。
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