第16話
「――人を捜しているの」
役人はもちろん、他の人間の目を盗み、言葉を交わすようになってから二人の距離が縮まるのはさほど時間はかからなかった。
「人? 來国にいるの?」
どうしてこんな場所にいるのか――ふと口から出た言葉。
陽稟は戸惑うことなく答えた。
「数年前姿を消して以来、ずっと探している人がいるの。かなり楽天的な男で、海に突き落とされても、食事に毒が入っていても、臣下に刃物を向けられても笑う、かなり変な男――貴方知らない?」
白麗は頭を左右に振った。そんな男、知っていたら忘れるはずもない。
陽稟は、短く息を吐くと肩を落とした。
「――つい最近、來国にいるのを見たって聞いてね。それで来たらこの有様。承認の札がないからって、あたし、そんなの初めて聞いたわよ」
「……今この国もいろいろあるから」
特に黄国民にとって、今の來国は危険極まりない場所だ。
そう言えば、陽稟はああと小さく言葉を漏らした。
「王がいなければ国は乱れる――そんな国で一番苦労するのは誰だと思う?」
陽稟はほんの少し間を置くと答えた。
「民よ」
その一言を聞いた瞬間、脳裏をよぎったのは洸樹だった。胸の奥がかすかに痛む。
私は、大切にしようと決めた人でさえ、辛い思いをさせてしまう――。
「――紅王がいれば、まだこんなことにはならなかったのかな」
「十十、王がいても真王でなければ国は腐敗するわ」
いくら隣国とはいえ、真名を伝えるわけにはいかなかった白麗は、そのままここでの呼び方をしてもらっている。
「真王?」
白麗が聞き返せば、陽稟は周囲を見渡しまだ話ができるか確認すると、深く頷いた。
「王になる為の条件――こちらではあるものを持つものが王になるんだけど、來国にも同じようなものがあるでしょう?」
ああ、と納得する。來国では、來族の血筋であることと黒珠が輝くことだと思った。
「どうしてそんな決まりがあるのかなんて知らない。ただ、人が四本足で歩かず、二足歩行をしたように、その条件下に当てはまらない者が王になったとき、国は腐敗し、それを王にした種族は滅びる。人に限らず、群をなす動物はすべてそう」
「――なんか本当のことみたいね」
思わず口からついて出た言葉に、陽稟は鋭い視線を向けてきた。
「嘘じゃないわ。本当のことよ。麒麟も応龍も存在する」
そう言われてすぐに信じろという方が難しい。白麗はもちろん、この來国に住む者のほとんどが、おとぎ話の中の存在だと思っている。
「――その顔、信じてないでしょ」
むすっと口をへの字に曲げ、ぐっと顔を近づけてきた。鼻がぶつかりそうなほどの近さに、一歩、後ろへ退けばさらに距離を縮められた。
「神獣は姿を見せなくなっても生活の中にいる――人に愛想尽かしたら二度と姿を見せないだろうけど、助けを求められたらすぐに現れてくれるわ」
黄国では神獣の存在を信じているのだな、と白麗は思いながら陽稟の言葉に強く頷く。そうしないと息が詰まりそうだ。
白麗がまだ納得していないのがわかっているのか、陽稟は渋々といった表情だったが、距離を取った。
ほっと胸をなで下ろす。同姓でかつ同世代の子とこれほど近い距離で話したことのない白麗にとっては、まさに心臓の止まる思いだ。それに、陽稟は、とてもきれいな顔立ちをしている。
「とにかく――」
見回りをしている役人が来たのか、遠くへ視線を向けながら陽稟は早口で言う。
「あたしはこのままここで大人しくしているつもりはないわ」
◇
最近、宮廷内におかしな噂が広まっている。
まだ、試験段階である影邸に異国の少女がいる――。
別にそれ自体は何の興味もわかない。承認の降りている者ならともかく不法で侵入していれば捕らえられるのは道理だ。ましてや黄国人。偵察に来た可能性もある。だが、問題はそのあとだ。
――異国の少女は、白麗姫に似た少女以外、決して近づこうとしない。
白麗がここにいる? まさか、そんなはずはない。
白麗は姫だが、商人の娘と紹介されてしまえば、そのまま鵜呑みにしてしまうほど、凡庸だった。父である貴王や兄の紅貴は、王威というものがその身からにじみ出ていたが、來の者なら必ずある威厳ある風格が、白麗にはなかった。
きっと勘違いだ。噂に尾鰭がついて大きくなっただけだろう。
そう泰樂は自分に言い聞かせた。
◇
「十十、お前來白麗か?」
「私は姫様とは無関係でございます」
白麗は、平伏したままきっぱりと答えた。ここ最近、何度か同じ質問をされるようになった。やはり、ここには顔なじみの者も多い。初めは体が否定するほど嫌だった平伏行為だが、無心で行ううちに慣れてきた。
「そうか、まあ所詮噂だな。姫様が奴隷となるなんてありえない話だ」
そのあり得ない事実が目の前で起きていると知ったら、この男は一体どんな顔をするだろう。ちらりとそんなことを思うが、まあ、それを実行するほど愚かではない。
役人の足音が小さくなってようやく顔を上げた。
「十十」
呼ばれて振り向けば、陽稟が駆け寄ってきた。白麗の顔を見るなり、眉間にしわが寄る。
「額、赤くなってる」
「――ああ」
しわとひびだらけになった手を額に当てる。深く平伏すれば、それだけ顔も見られない。しかし、陽稟はそれが不服のようだ。
「また、言われたのか?」
「うん、まあね」
眉を下げる陽稟の額をはじいた。
「何シケた面しているのよ」
他人のそら似って怖いわねとのんきに言葉をかけながら、白麗は内心陽稟に謝罪した。
いつか必ずきちんと名乗る。だけど、何かあったとき陽凛を巻き込むことだけは避けたかった。
姫が自国の奴隷になっていると知られた暁には、一体何をされるかわからない。もちろん、助けてくれる者もいるだろうが、全員がそうとは限らない。それに、ほとんど人と接してこなかったせいで、どの人物にも信頼を置くことができなかった。玖芽のこともある。
「――自業自得よね」
そうですよ、姫さん――そう洸樹の声が聞こえた気がして、鼻の奥がつんっと痛んだ。
◇
いずれ身元が知られてしまうだろうということは、覚悟していたつもりだ。しかし、やはりできることならここに來白麗がいることは知られたくない。――もちろん、洸樹にも。
しかし、それは叶わない願望でしかなかった。
「白麗姫――?」
熱した鉄板の上に水をまかれたような、そんな衝撃がたった一言で全身を駆け抜けた。
振り向きたくない、どこかへ立ち去れ――。そう強く願っても、こちらへ向かってくる足音は小さくなるどころか大きくなった。
――逃げなければ。
白麗は布を目深くかぶり、立ち上がると走った。
「待ちなさい!」
しかし、言葉を聞くほどの余裕が白麗にはない。
――彼に捕まってはダメ。
呼吸を乱しながら、必死に走る。白麗の足ではたかがしれている。それでも、あの男にだけは見つかりたくなかった。
泰樂だけには、決して。
どこかに隠れなければ――。
息を弾ませながら、周囲を見回す。しかし、立ち止まれば追いつかれる状況で、逃げ切ることは不可能だと薄々わかっていた。助けを呼びたいのに、呼べない今の立場に奥歯をかみしめる。
捕まったら最後、どうなるのかしら。
泰樂は己の所行を白麗が知っていることさえ気づいていないだろう。
角を曲がったときだった。
出会い頭に人とぶつかり、思いっきり転んだ。とっさに起きあがることもできずにいる。しかし、足音はどんどん大きくなってきた。そのときだ。強い力で腕を引っ張られると、物陰に押し込められた。視線をあげても顔まで確認できない。庇うように目の前にある背中がとても頼もしく見えた。
「この辺で短髪の女を見なかったか?」
男の問いかけに、目の前の人物は首を振っただけだった。
誰だろう?
庇ってくれる理由がわからない。
しかし、すぐにその正体がわかった。
「――洸樹」
とっさに逃げようとした白麗の手首が掴まれる。
「放して!」
鋭い声が口から飛び出れば、掴まれていた手が少しだけ緩んだ。その隙に手を振り払うと白麗は振り返ることなくその場から逃げ去った。
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