第15話

 人が人によって家畜のように扱われる。そんなことさせない国を作ろう――。兄様と語ったあの頃が、ずいぶん遠くに感じる。

 兄様、語ることは簡単ですがそれを成し遂げようとするのは、ずいぶん厳しいことですね。

 手に持った短刀をぎゅっと握りしめた。

 來族の紋章の入った短刀は、王族の証。犂州での出来事がずいぶん遠く感じる。

 洸樹が連れて行かれて三日。白麗は朱雀門の前に立っていた。

 外門は、この短刀で通ることができた。夜更けではあるが、朱雀門も問題ないはずだ。

 この短刀で來白麗と証明し、洸樹を助け出す――。いくら象徴的存在だったとはいえ、そのくらいの権力は持っているはずだ。

 白麗は唇を堅く閉じた。

 洸樹は、絶対に助け出す――。

 門兵に名乗りを上げた白麗は、動揺する兵から「女王」という言葉を聞き取り、眉をしかめた。

 胸の奥がざわつく。そして、その予感は的中してしまった。

「王族の所有物を盗み出した罪で捕縛する」

 え、っとこぼれた自分の声が酷く惨めに聞こえた。

「ちょ、どういうことよ! 私は――」

「華姫次王の命でもある」

 華姫? 次王?

 頭の中で言葉を反芻し、かろうじて飲み込めた現実に白麗はめまいを覚えた。

「近いうちに紅王の正室だった、朱華姫様が王座につく。紅王はそれを遺言に崩御された」

「――本当に? 貴方たちは本当にそう思っているの?」

 足に力が入らなくなり、体が傾けば、門兵が片腕を持ち支えた。

 本来なら痛みを覚えるだろう腕の力に、今は何も感じない。

 兄様――。

 白麗の名を呼び、優しく頭を撫でてくれる兄はずいぶん前にいない。それはわかっていた。けれども――。

 ――これじゃあ、二度、兄様を亡くしてしまったみたいだわ。

 こぼれ落ちる涙が、地面をぬらした。


 まさか、こんな形で再び玉間に入るとは思わなかった。

 白麗は両腕を背後でしっかり組まれたまま、玉座の前に立つ女に視線を向けた。

 次王とはいえ、玉座に座ることができるのは王のみ。華姫は猫のようにつり上がった目で白麗を上段から睨んでいた。

 確かに兄様には強制的に契りを交わせられた女性がいた。しかし、兄の自由奔放さから夫婦らしいことは何もしておらず、気ままな生活をしていたはずだ。

 逆に白麗が心配になるほどである。国のため、血を残すのは使命ではあったが、まだ紅貴自身も若く、父や母が健全だったためそれほど重要視されていなかったのかもしれない。

 白麗自身も正室に入った女の存在は知っていた。けれども、こうしてきちんと対面するのは初めてだ。白麗よりも数歳年上だろう華姫は、長い髪を結わえ、華やかな髪飾りで彩り、ほんのりと紅をさした目元で冷ややかな視線を向けてくる。

「王座がほしいわけじゃないわ」

 王に即位する直前に現れた白麗の存在は、華姫からすれば邪魔以外何者でもないだろう。白麗は続ける。

「ただ、泰樂に捕らえられた私の護衛人、清洸樹を自由の身にしてほしい、それだけなの」

 決して貴方の邪魔をしにきたわけではない――言葉の節々から伝われと念じながら白麗は華姫に向かって叫んだ。

 しかし、反応はとても薄かった。

「――短い髪。貴方本当に来白麗なの?」

 ばっと空気を切るように広げられた扇で口元を隠し、相変わらず冷ややかな視線を白麗に向ける。じっと言葉の続きを待てば、面倒臭そうな声音が響きわたった。

「死罪ね」

 開いた口が塞がらなかった。

 幻聴かと思った言葉を華姫はもう一度言う。

「だから、死罪。貴方は王の物を盗んだ――」

「盗んでなんかいないわ!」

 これは父様から戴いたもの。それを盗品といわれ黙っていられるほど白麗は大人しくない。

「私は來白麗! 白貴を父に、紅貴を兄に持つ者よ! それは決して盗品ではないわ」

 しかし、白麗の気迫のある叫びにも華姫は表情を変えない。むしろ、その視線はより一層冷ややかになった。

「來白麗は行方知らずのまま。その間に何人の娘がその名を口にここへ来たと思う?」

 言い返す言葉もない。唯一と言っていいほどの王族である証は、今、目の前で盗品扱いされている。他に、白麗を來族と認める証は持っていない。

「法令に則って、貴方は死罪よ。別におかしいことでもないでしょう」

 扇で口元を隠し、白麗を見下す華姫の目は明らかに笑っていた。

 ――あの人は、私を知っている。けど、認めるつもりは端からなかったんだ。

 無駄足だと知った途端、全身から力が抜けた。白麗に突きつけられた死罪という罰は、どうあがいても白麗一人で覆せるわけがない。

 ――ごめんね、洸樹。

 いつも軽口を叩く、唯一の護衛人に向かって心の中で謝れば、何かが頬を伝った。それが涙だと気づいたのは、手の甲に当たったときだ。

 王族でありながら、たった一人の人間も救えないのなら、兄様と交わした約束を成就させることなど到底無理だ。

 ――そもそも、私に王座に座る資格はない。

 力なく座り込む白麗を牢へ連れて行けと華姫が命を下したときだった。

「――お待ちください」

 耳になじむその声を聞き間違えるはずがない。

 顔を上げれば、洸樹がこちらに向かってくるのが見えた。

「華姫様、どうか死罪だけは取り下げていただけますようお願い申しあげます」

 白麗より半歩手前で平伏した洸樹は、よく響く声で懇願する。

「確かに王族の所有物を盗み出したら死罪。ですが、次王になられる華姫は麒麟のように慈悲深いお方と存じ上げております。どうかこの者にご慈悲をいただけますようお願い申しあげます」

「――洸、御前は蘭の間で待機するよう命じたはずだぞ?」

「申し訳ございません。華姫様の御身が心配でつい――」

 ――何だ、これは。

 今目の前にいる洸樹は、白麗の知る洸樹じゃない。それに華姫も心なしか声音が柔らかい。

 ――何なのよ、一体。

「女なのに髪も短髪。すでに前科があるのでしょう? そんな輩をみすみす見逃すわけにはいかないわ」

「華姫様、どうかよくご覧ください。たとえここで死の罪を与えずとも、こんな貧相な身なりでは近いうちのたれ死ぬのが関の山でしょう」

 どうかお考え直しください――。

 そう言って、頭を垂れる洸樹はいっさい白麗の方を見ようともしなかった。白麗の知っている大切な護衛人。――強く救いたいと願う彼は、今、目の前にいる。だけど、それは白麗の知らない人間だった。

 庇ってくれている――それはわかるのに、胸は張り裂けそうに痛い。目にたまる涙をこぼさぬよう瞼を閉じた。

 何もみたくない――心底そう思った。


 兵に連れられ、門まで歩いた。

 洸樹の懇願が聞き入れられ、死罪だけは免れた。しかし、紋章の入った短刀は没収され、救い出すために来たはずの洸樹に逆に救われた。

 ――でも、あれは私の知っている洸樹じゃない。

 それでも、宮廷内で歩き回れるほど自由を与えられ、生きているのならよかったではないか、と考えようとして涙が出た。

 泰樂に捕らわれた洸樹は、何故か華姫の護衛人になっている――。

 未来のない自分のそばにいるよりずっとよい結果のはずなのに、涙が止めどなくあふれてくる。

 嗚咽を殺し、音もなくあふれ出る涙を手の甲で何度も乱暴に拭う。しかし、涙は止まる気配を見せず、白麗の目の前は常に滲んでいた。

 兵の背後だけを確認し、必死について行けばもう門の前である。

 立ち止まった兵の横を通り、そのまま日ノ出通りへと歩みを進めようとした瞬間だった。

 背後から痛みが走ったと理解した瞬間には、意識を失っていた。


 頬を打つ刺すように冷たい滴で白麗は目を覚ました。

 しかし、目に飛び込むのは薄く暗い世界。まだ寝ぼけているのかと目をこするが、額に当たった水滴が現実を物語っている。

 ――私、ここを知っているわ。

 ざらつきのある石、カビ臭さと共に漂う腐臭、大きく揺らめく影を作り出している蝋燭――。

 立ち上がろうとすれば、片足は重りでつながれ、目の前は鉄格子が並んでいる。

「な、んで」

 それらすべてを視界から遮るように頭を抱えて、さっきまでのことを思いだそうとする。門の前まで行った記憶はある。けどそこから先は覚えていない。

 どうして牢に閉じこめられているのか、さっぱりわからない。

 そのときだ。白麗の目の前に陰りが差した。おそるおそる顔を上げれば、誰かが立っている。さらに顔を上げた白麗は目を大きく見開いた。

「來白麗」

 凛と張りつめた声音は、氷のような冷たさがあった。冷ややかな目で見下す人物から目が離せない。

「――朱華姫」

 こんな場所にいるはずのない人物を前に動機が収まらない。

 嫌な予感がする。

 表情を強ばらせる白麗とは対照的に、華姫は口角を上げた。

「わたくし、この短刀見たことがございますの」

 そう言って目の前に出したのは、さっきまで白麗が持っていた短刀。静かな空間を裂くように鯉口を切る。

「どういう仕組みかわかりませんけど、鞘から抜けない細工のある短刀――これは確かに貴王の短刀ね」

 うっとりとした目で鞘を見つめるその姿は、まるで恋する乙女のようだ。

「來白麗」

 もう一度、華姫は言う。

 そもそも白麗を「來白麗」と言っていること自体おかしな話である。まるで白麗の存在を認めたかのようだ。

 そう思って、白麗は息を飲んだ。

 華姫はそう思っているのではない。認めているのだ。

 目を見開く白麗の顔を見て、再度にっこり笑った華姫は言う。

「貴方が正真正銘の姫であろうがなかろうが、今、この來国の王はわたくしですわ。――あの場ではあの人のために願いを聞いたけれど、このまま何もせず放つと思って?」

 あの人とは、洸樹のことだろう。

「殺してしまうのは簡単。でも、もしあの人にそれが知られたときを思うと夜も眠れない――だったら、とわたくしはある考えにたどり着いたわ」

 にっこりと笑った顔のままの華姫。白麗にはそれがひどく恐ろしいものに見えて仕方がない。耳をふさぎたい衝動に駆られるが、恐怖で体が動かない。

 華姫はかがみ、白麗と同じ視線になると笑顔のまま言った。

「今、この瞬間から貴方は奴隷。――十十ジュウジュウが貴方の名よ」




 息がうまく吸えない。

 胸元を掴み、うずくまる。普段あまり意識していない、けれどもとても大切なこと――それは、失った瞬間、初めてその大きさを知る。

 胸を貫く痛み。武人として何度も経験しているが、怪我もしていないのに胸を裂かれたようだ。

 ――これが最善の方法だ。

 そう判断したのに、それを拒む自分がいる。しかし、もうあとには戻れない。第一優先事項は死守した。なら、それでいい。

 与えられた部屋は、簡素だが趣向の凝られた部屋だ。洸樹は、ここが客間だと知っている。

 一護衛人である自分が使っていい部屋ではない。

 ――華姫は一体何を考えているのか。

 あの熱の隠った視線を向けられれば嫌でもわかる。しかし、認めるわけにはいかない。

 あの女は四部身分制の復活が出されたあの日の晩、俺を見たと言っていた。火事が起きたあのとき、彼女は宮廷をこっそり抜け出していたらしい。そこで見かけたのだと言う。俺の姿を見た瞬間、初めて胸がざわついたのだと鼻高々に語る華姫の言葉をただ黙って聞くしかなかった。

 ふと視線を逸らせば、あのとき一瞬だけ映った白麗の表情が脳裏をよぎった。再び胸が痛む。

 裏切ったわけではない。けれど、似たようなものだ。

 ――紅貴のときのように、半身を失った気分だ。

「あいつは俺がいなくても――大丈夫」

 決して泰樂の好きにさせるつもりはないし、今は竣雨や占師もいる。占師に関しては、今なお本名どころか顔も知らないが、彼らより信頼できる人間はいない。

 二人が姫さんの力になってくれる。俺は俺にしかできない手助けをすればいい。

 北州で捕らえられたあのとき。確かに死を覚悟した。けど、幸か不幸か華姫の目に入り、こうして生きながらえ、あわよくばわがままも通る。だが、泰樂は決してよい気分でないだろう。

 いつも背後を気にしなければならない。だからこんなに疲れているのか、と思うがそれも違う気がした。

 目を閉じ映るのは、紅貴と青蘭の顔。

 できれば、白麗のそばにいたかった――頬を冷たく光る滴が伝った。


   ◇


 四部身分制の号令は出されても、まだ執行はしていない。それなのに、宮廷内にいるこの奴隷の数は何だ。

 十十と呼ばれ始めた翌日のことだ。白麗のいない間に新設された建物は、影邸と呼ばれており、どうやら一時的に奴隷兵の住まう場所として作ったらしい。外宮にある兵が常駐している一角にあり、白麗もその場所に放り込まれた。

 ここは、軍事を取り締まる施設が多い。つまり、将軍である泰樂の権限下なのだ。

 影邸は、地上部分より地下部分の方が広い。また、奴隷は例外なく地下に放り込まれる。個室などない。かろうじて男女分かれてはいるが、鉄格子で隔てられただけの大部屋ではあってないようなものだ。

 まさか執行前に無作為に民を奴隷にすることはないはずだ。

 だが、すでに五十も満たないが奴隷がいる。しかもその大半が罪人だと見て取れた。――髪の短い女が多かったのだ。

 まだ、現実が受け入れられない。昨夜から一睡もできずにいた白麗は、両腕の中に顔を埋めていた。

 奴隷のことももちろんだが、脳裏をよぎるのは、ずっと一緒にいた兄弟みたいな存在――。なのに、凍てつくような眼差しを向けられた瞬間、そう思っていたのは自分だけだったのだと思った。

 洸樹のバカ野郎――。

 つんっと鼻が痛む。白麗をあの場から逃がすためだということは百も承知だ。確かに、死罪を言い渡されたときは腹の底から恐怖がわき上がった。しかし、そんな体験をしたにもかかわらず、目を閉じれば思い出すのは洸樹の冷めた目。――また心を閉ざしてしまった。

「……大馬鹿者」

 そのとき、甲高い音を立てながら、鉄の扉が開いた。武具を身につけた数人の兵士が各々手にしているものは食事だ。

 一日に二回の配膳。今はまだ、宮廷内に新設している軍事施設の土木に携わる程度だが、そのうち奴隷兵が生まれ、市内にも奴隷がみられるようになるだろう。

 ――まだ、この扱いはいい方なのかもしれない。

 白麗は両腕をぎゅっと抱きしめた。白麗自身は奴隷のいた時代を知らない。しかし、身分制度が廃止されたあとに現れた洸樹の存在を一番近くで見ていた。

 だから、わかるのだ。

 冷めた目、態度――。

 人が人の自由を奪い取る権利はないのだと。

 一列に並び兵士から器を受け取る。中には雑穀と白菜を水と塩で煮込んだお粥のようなものが入っている。煮込みすぎているため、触感はほとんどない。

 こんな味気ないものでも、空腹をしのげるのなら手を伸ばす。

 一日限界まで働いた体は、胃の中も空っぽで、空腹よりも腹痛が襲ってくる。目に入った小さな雑草でものどが鳴るくらいだ。

 唯一の肉親を失い、洸樹さえいなくなろうとしていたあのとき。牢の鍵を開け、飛び出したのは紛れもなく白麗の意志だ。

 一番初めの頃は、これ以上の悪夢などないと思っていたが、あの生活もまた小さな幸せが寄り添っていたのだ。

 こんなに、人肌が恋しいものなんて知らなかった。

 常に傍らには洸樹がいた。それが今、白麗は生まれて初めてたった一人だ。

 今までさんざん、己の無力さを痛感していた白麗は、その考え事態も甘かったと思わざるを得なかった。――独りは、宙を漂う綿埃のように無力だ。

 泰樂を止める――それが途方もないことになった今、目の前が真っ暗になった。頭は考えることを止め、体からは力が抜けた。もう無理なんだ――そう思った瞬間、生きている意味さえわからなくなった。

 もう死んでもいいかもしれない。その方が楽だ。

 白く濁った器の中を人形のような虚無の目で見つめていたそのときだ。

 ガシャン――っと大きな音が響いた。つられて顔を上げれば、どうやら器を落としたらしい。一人一杯と制限がついているため、例え落としたとしても、代わりはなく、それを食さなければ次の配膳まで食事はない。

 一見、受け取ったとき、一口もつけないまま手を滑らせたようにみえる。しかし、それは意図的だと配膳をしていた兵の笑った顔を見てすぐに理解した。

「お前の分は渡した。さっさと行け」

 そう言われ、列から姿を現した者を見て白麗は小さく目を見開いた。

 黄金色の髪――。

 一つに結わえ、空の器を片手に持つ少女は白麗と同い年くらいに見えた。來国に金髪の者はいない。金の髪を持つのは、黄国の者だ。

 器の側面に残った、わずかな量を指で掬い舐める少女は、他と比べ異様に痩せていた。

 白麗は立ち上がると、壁際の隅に座る少女の元まで歩み寄った。

 少女を避けているのだろう。周りには人がいない。そんな少女に向かってく白麗を複数の目が見ていた。

「隣、いいかしら?」

 返事はない。ただ、透き通った青い瞳で一瞥されただけだ。

 白麗は背中で隠すようにして、器を交換した。まだ、半分は残っている。

「別に毒は入ってないわ」

 手負いの獣のように鋭い眼光を向けられ、白麗はほほえみながら答えた。

「こうして隠しているうちに食べてくれる?」

 背中に感じる視線は、何となく増えている気がする。

 おそらく、聞き耳も立てられているだろう。白麗はたわいもない話を一方的にした後、何の返答もない彼女に興味を失ったようなふりをしてその場から離れた。空になった器を戻し、最初にいた場所へ戻る。腕の中に顔を埋め目を閉じた。

 不思議と懐かしさがこみ上げる。

 白麗は、洸樹と出会ったときのことをあまり覚えていない。けれど、おぼろげに覚えていることがある。

 ――あの目、出会ったばかりの洸樹と似ている。

 人を信じず、疑い、警戒している目。しかし、その奥に秘められた感情が見え隠れしているせいで、放っておけない。

 不安、おびえ、そして救済を求める。目は口より雄弁だと兄様はよく語っていた。

 ――もう二度と洸樹にあのような思いをさせない、そんな国を目指そう。

 兄様を語った国づくりの理想は、すべての人のためではなく、身近な人間の為だった。

 それなのに、思い描く国とは正反対になっていく。

 いつもからかってくる白麗唯一の護衛人。だけど、一度も裏切られたことはない。そう、一度だってなかった。

 それなのに、私は再び洸樹につらい思いをさせようとしている――。

 白麗は先ほどまでの己の逃げを恥じた。しかし、だからといって、解決口が見つかったわけでもない。

 兄様――。

 両手を強く握り合わせる。

 ――どうかお願い。出口の見えない暗闇に一筋の光を示して。


「動きが遅い! 誰が休んでいいといった、十十!」

 正直、体力の限界だ。元々、宮廷内で過ごしてきた白麗が過酷な労働環境に耐えられるはずもない。もうろうとする意識に渇を入れ、土袋を運ぶ。ここで意識を手放してしまえば、どういう処罰を受けるかわからない。

 しかし、限界と言うものがある。ふっと体から力が抜け、抱えていた土袋が腕から滑り落ちたときだ。

「――これで借りはなしよ」

 地面に崩れ落ちる前に、支えられた体。布越しに伝わる人肌に安心感を覚える。重たい瞼を開け、顔を上げれば、日の光を浴びた黄金色が飛び込んで、おもわず目を細めた。

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