第11話
まったく見えない、か。
洸樹は、顔をしかめた。姫さんは幻を見たようだが、その原因は自分にある。......忌々しい古者の血に憤りを覚えた。
白麗を背負いながら、鉱山の出口を目指す。
白麗はさきほどから声を殺して泣いていた。闇は思い出したくない記憶を引き出すのだろう。
ゆっくりと歩いていた洸樹は、石を蹴っ飛ばしてしまった。跳んだ石は壁に当たり砕ける。すると、石のかけらと当たった壁が淡く光った。
真っ暗、ね。
確かに鉱山の中は暗い。しかし、石が生む光で真っ暗ではない。
人は己を守る為に、他とは違う思いこみに囚われることがある――。そう教えてくれたのは、紅王だ。
――自分の気持ちから目をそらし、違う違うと言い続けた結果がこれだとすれば、なんだか悲しくなるよ。
紅貴はあのとき、何故あんな顔をしたのか。
今となっては思い出せない。
「……洸樹、まだなの」
「あと少しです」
「そう――。あ、そうだ。さっき黒珠にそっくりな石を見つけたの」
出口まであと少し、と聞いて気を持ち直したのか、白麗の弾むような声が耳元ではじける。
「黒珠は、來族に伝わる宝玉。こんなところに落ちているわけないのにね」
「でも、拾ってきたんでしょう? 姫さん、竣雨と会ったくらいから黒珠をなくしたとか言ってましたし」
白麗の持っていた首飾り。そこについていた黒い石。それが黒珠だとしったのはつい最近。不思議な石の話を占師や竣雨に話していたときだ。
「……お嬢ちゃん、それ、黒珠だと思うよ」
占師の言葉に一番驚いたのは白麗自身だった。
「きっと今頃血眼になって探しているんじゃないかな? ああ、でも來族の血筋でないと光らないんだっけ? なら不要なものか」
占師の言葉はまだ記憶に新しい。
「ち、違うわ! 無くしたんじゃないの。ただ、黒珠みたいに光ったから、珍しいなって思って――。でも……違うわ」
神妙な声音に、洸樹の眉間に皺が寄る。
「黒珠は、祭儀のとき麒麟が王と認めた者が持つと光り輝く。だけど、それ以外にもあるの。みんなは知らないだろうけど」
宝玉と言われる黒珠。持つ者によって光る、光らないというだけでも宝玉といわれるだけはあると思っていたのだが。
白麗は、一呼吸つくとささやいた。
「黒珠は、人肌のような温かみを持つの」
◇
「はー。本当、無事でよかったですよ」
目の前が明るくなり、おそるおそる目を開けば、占師と竣雨の姿が飛び込んできた。
開口一番に安堵のため息を吐く占師に、何だかんだ言って似た者同士よね、と占師から洸樹に視線を移した。
「ごめんなさい。私も何が起きたのかよくわからなくて――」
洸樹の背を降り、謝れば逆に竣雨と占師が狼狽えた。
「狐に化かされたんでしょう」
洸樹はどうでもよさそうに言い放つと、歩き出した。今日中に銀州には入りたいのだろう。もう、食料も水も底をつき始めている。
慌てて後を追う竣雨とは裏腹に、占師は片手で顎を支えながら考え込んでいた。
「早く行かないと置いて行かれるわよ?」
まあ、私が言える立場でもないだろうけど。
空を見上げれば、太陽は雲に隠れているとはいえ、すでに天高く昇っている。おそらくあとは傾くだけだろう。
占師が真剣な面持ちで考え込むのも珍しい。何かあったのだろうか。例えば、占術で良くない結果が出たとか。
「占師?」
顔をのぞき込めば、はっと我に返った占師が慌てて顔を隠した。
あと少しで謎に包まれた素顔を拝めたのに。
「もう、驚かせないでください」
「呼んでも返事すらしてくれなかったのは、貴方じゃない」
何を考え込んでいたの? と問えば占師はゆっくり頭を振った。
「気にしないでください。ただの思い過ごしです」
そう言うと、洸樹の後を追った。
◇
あたりが薄暗くなった頃。一同は何とか銀州に入ることができた。
しかし、大通りに人の数は少ない。宿を探すものの、見あたらなかった。
「これが北州の中心、ですか」
占師の言いたいこともわかる。犂州を見たあとだと、その差もなおさらだろう。
「犂州と違って、人を寄せて発展してきた州ではないからなあ」
洸樹が宿を探しながら言う。
北州は、商人よりも職人が多い。鉱石が産出することから、宝飾技術はもちろん、彫刻や建築にまで発展した。北州民の人柄なのか、寡黙な者が多く、商人には向いていない。しかし、長い年月を持って培われてきた経験と技術は、商人に劣ることはない。
しかし――。
「こうも余所者に厳しい場所とは思いませんでした」
降参だと言わんばかりに洸樹が音を上げた。
どんなに探しても、宿屋が見つからないのだ。
「もうこうなったら泊めてもらうしかないんじゃない?」
炎馬を州の外に置いてきた今、骨の髄まで冷え込む夜を野宿で過ごせるはずもない。
「仕方ありませんか。不本意ではありますが、珍しくまともな提案をした姫さんの言うように泊めてもらえる家を探しましょう」
「一言余計よ」
固まって行動しても仕方がないので、洸樹と占師、白麗と竣雨の二手に分かれて探すことにした。どうもこうも、洸樹は未だに占師を信用できないでいるらしい。
「若者組で見つけてやりましょう」
白麗は竣雨の手を引き、四人泊めてもらえるような家を探した。日はもうすぐ暮れる。明かりの灯る家々を横目に歩けば、塀で囲まれた立派な屋敷にたどり着いた。
「さすがにここじゃダメよね」
家の大きさや門の細工などからして、権力者の家だろう。追われる身である以上、わざわざ危険を冒す真似はしないのが当たり前だ。
「……他を探しましょうか」
白麗が竣雨にそう言ったときだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
子供はもう家に帰りなさいと言いながら近づいてきた老人の顔を見て、白麗はとっさに顔を逸らした。
「親御さんが心配している。家はどこだね? 送っていこう」
これ以上近づかないで、と白麗は胸の内で叫ぶ。
――どうしてこんなところに倶尊がいるのよ。
「ここは、貴方の家?」
白麗の異変を察してか、竣雨は、白麗に向けられていた倶尊の視線をこちらに向けようとした。
倶尊は、顎に生えた真っ白い髭をなでながら頷いた。
「――いかにも。この屋敷は儂の住居だが。はて――」
冷や汗が止まらない。
「お主ら、北州の人間ではないな?」
心臓が警鐘のように胸を打つ。この場から離れなければ――。
「し、失礼します」
竣雨の腕を掴むと、背を向け逃げるように立ち去ろうとした。
しかし、そうする前に手首を捕まれてしまう。驚きのあまり、はっと顔を上げた白麗は、同じく驚きの表情を浮かべる倶尊と目があった。
「白麗、様?」
倶尊の記憶にある來白麗は、髪が長く、綺麗な着物を身にまとい、シミや皺のない人形のようなものだっただろう。
しかし、今の白麗は、髪も短く、肌は焼け、着ている物も州民よりみすぼらしい。別人と言っても過言ではない。
だからこそ、倶尊の一言に呼吸を忘れるほど驚いた。
――何故わかったの? そう口を出そうになる言葉を飲み込み、白麗は首を左右に振った。
「人違いです」
しかし、そんな言葉で振り切れるほど簡単な人間でない。
「ああ、やっぱり白麗様ですな。まったく。いくら賢老師の座を退いたからといって、この爺やの目はそこまで悪くありませんぞ?」
それもそうか、と思うが顔を上げられない。
倶尊は、紅貴や白麗の教育係でもあったのだ。しかし、一目見て白麗だとわかるその眼力には恐れ入る。逃げ出したい衝動に刈られているが、倶尊にとってそんなことはお見通しなのだろう。さっきから、ずっと手首を握られている。
混乱する頭、五月蠅くなる心臓。倶尊には、正体を気付かれずに近づくという当初の計画はすでに失敗したと言っていいだろう。
――どうすればいいのよ。
堅く目を閉じたときだ。
「おや、洸樹もいるのか」
その一言に白麗は顔を上げた。しかし、洸樹の姿は見えない。
「ほらやはり。貴方は白麗様ですよ」
騙されたと思ったときにはすでに遅い。笑みを浮かべる倶尊に対し、白麗は深く息を吐いた。
◇
「まったく。姫さんは次から次へと厄介事を引き起こす。まるで厄介事を引き寄せる餌でも持っているんですか」
「言い返す言葉もございません」
しゅんとうなだれる白麗の隣には、事の次第を聞いた洸樹が呆れた様子で立っていた。
倶尊に連れられる前に竣雨に頼んで呼んできてもらったのだ。
「ほう。これが北州の州主、李倶尊の邸宅ですか」
きょろきょろと落ち着きのない占師を無視して、洸樹はため息を吐いた。
「俺もいささか疲れました」
こめかみを押さえる洸樹に謝れば、頬を摘まれた。
「お待たせして申し訳ない」
突然の倶尊の登場に、洸樹と占師が身を正す。その切り替えように呆れた。
「さて。早速だが、罪人を連れ逃がした姫様が何故こんな偏狭な地にいらっしゃったのかお聞かせいただきましょうか?」
倶尊の鋭い眼光に白麗は顔を逸らした。あれは完全に怒っているときの目だ。嘘を吐けば見抜かれ、厳しい罰を与えられた記憶がよみがえる。
「李師。その点は私が話してもよろしいでしょうか?」
洸樹の言葉に目をむく。しかし、倶尊は気を害した様子もなく否定もしなかった。それを肯定と受け取ったのか、洸樹はこれまでの事をかいつまんで説明した。
「今宮廷は腐敗した現状です。新たな王を立てる必要があります。そのためにも姫様に力添えしていただきたく――」
「もうよい」
倶尊の言葉に、息をのんだのは白麗も同じだ。
「残念だが、儂にはできん」
「何故!」
白麗の叫びに倶尊はゆっくり首を振って答えた。
「紅王殺害の真犯人、またはそれにつながる証拠がわからない以上、泰樂を叩くことはできん。それにお主たちのしようとしていることは、もう無意味のようだ」
倶尊は髭をなでると、白麗を見据えた目を細めた。
「今朝、麟紫宮より文が届いた。文を読み、儂はてっきり白麗様の事だと信じて疑わなかった。この邂逅も実はお忍びで直に知らせに来たものだと思ったが……」
倶尊は瞼を閉じ、髭を二、三度なでた後思いがけない言葉を言い放った。
「紅王に次ぐ、新たな來国王が立った、と文にはあってな。しかも女王だという」
◇
もう、どうにもできないのかしら――。
顔を洗うために用意された水盆に映る自分の顔を見つめながら、白麗はあきらめの境地に立っていた。
てっきり、王を立てるとしたら、泰樂本人がなるものだと思っていたのだが――。
ちなみに、文には紅王の病死も書かれていたという。泰樂なら、紅王の遺書、ということで次王に自分の名が書かれていたと偽ることなどたやすいはずだ。
しかし、次王は女王――。
一体、誰が王を名乗ったというの?
水面をつつけば、波紋が広がった。
今後の身振りをゆっくり考えてほしい、という倶尊の厚意で身を置かせてもらって早七日。そろそろ決断を下さなければならない。
もともと、白麗自身が決めた事だ。これからどうするのか、どうしたいのか、白麗が決めるべき事だ。
しかし、考えても出る答えは一つだけ。
ただ、それはもう絵空事だと一蹴されるだろう。
「そもそも、誰が女王に即位したんです?」
「……お得意の占術で調べればいいだろう」
占師の問いに呆れ顔で洸樹が返せば、わかってないと言わんばかりに肩をすくめられた。
「見えるのは未来だけ。それに未来は変わる可能性が大きい。そう便利なものじゃないんだよ」
役に立たないですね、と言う洸樹と反論する占師の間に一悶着起こる手前で、竣雨がそれを阻止する。
頭を抱える白麗にとって、二人の喧嘩を止められる気力は持ち合わせていない。
「女王になられた方は、紅王の正室だと聞いていますぞ」
そう言いながら部屋に入ってきた倶尊の手には、饅頭の乗った盆があった。
一瞬で静まりかえった部屋の中で、倶尊の笑い声が響く。
「なに、そうのけ者にするな。力にはなれんかもしれないが、儂はお主たちの敵でもないぞ」
饅頭でも食いながら語り合おう、と倶尊は腰をおろすとあぐらをかいた。沈黙を破ったのは、洸樹だった。
「紅王に正室などいませんでした」
確かに二十を過ぎ、正室、側室を持てとまわりからさんざん言われていたのは知っている。しかし、紅貴はそれらをさまざまな理由をつけ断ってきた。
だが、このままでは來国に王家の血筋が残らないと泣き脅され、渋々貴族の娘を側室にしたが、名前はおろか顔も知らぬと話したことがあった。
白麗も同じで、兄が女性を連れて歩く様をみたことがなく、夜も側室のある離宮に行った様子はなかったという。
「まあ、お主たちは内部に詳しいからな。真実を知っているだろう。しかし、側室として召し上げられた娘は、公には正室だったのだ。そうでもしないと示しがつかなかった。もちろん、これは紅王も存じ上げていたことじゃ」
「となると朱家の娘か」
「だろうな」
洸樹のつぶやきに倶尊が応じる。格子越しから馬車が通る音が聞こえた。
「おそらく泰樂は、病死間際に王命を授かったと言い、内も外も言いくるめたのだろうな。じゃが、それだと納得がいかん」
そう言って、倶尊は白麗へと視線を向けた。
「姫様が出てくれば、状況は一変する可能性が大いにある。危険分子は残さないのが奴の流儀だ。――それ故、儂もこんなところにいるのだからな」
「それなら、お嬢ちゃ――。白麗姫が麟紫宮に戻ればあるいは――」
「まあ、確実に王は変わるだろう。大騒ぎになるだろうな。じゃが、姫様は王位に就くつもりはないのだろう?」
「一時的に王座に座り、すぐに他の者に王位を渡すという方法もあるのでは?」
「無理だよ」
占師の案を否定したのは、竣雨だった。
「王に即位する為の儀式がある。王の意志がなければ王にはなれない」
「儂が疑問に思っているのは、そこじゃ」
倶尊は髭をなでた。
「偽りの遺言により偽王を立てても、儀式で必ず退けられる。仮に王の意志があの娘にあっても、來の血筋の者ではない。時代の中には、正室だった女が王を名乗ることも確かにあったが、その腹には王の子がいたという。まさか、あの娘に紅王の子がいるとは考えにくい。その時点でもう失敗しているはずなのだ。しかし、泰樂は打って出た。何か思惑がなければできないはずじゃ」
――ああ、もういっぱいいっぱいだわ。
「ちょっと外の空気を吸ってくる」
そう言って白麗は逃げるように部屋を出た。途方もない話に胸が押しつぶされそうだった。
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