第10話

 大木の向こうに小高い丘がある。その向こうには、大河の流れる森がある。王都より西に来た白麗たちは、ひとまず森の中へと身を潜めた。

「あの男、いつ切っていいんですか」

 洸樹は事あるごとに聞いてきた。確かに胡散臭いけど、悪い人ではないと思う。かといって旅の同行を許したわけでもない。

 けど、たとえ白麗が同行を拒否しても顔を隠した怪しいこの男はついてくる――それだけははっきりわかった。

「あきらめましょう。あの人、死んでもついてくる気がするわ」

 しかし、洸樹は納得いかないようで、不満そうな表情をたたえたまま柄から手を離す。あの目は、隙あらば切ってやるという目だ。

 はあ、と心の底からのため息をはいた。

 息を吐いても気持ちは軽くならない。

「どうかした?」

 竣雨がこちらをのぞき見る。白麗は頭を左右に振った。

 今の白麗たちにとって夜が一番安全な時間帯だ。軍ならともかく、二、三人で行動する警備兵は獣の出る森に入ってこない。たとえ火を持っていたとしても、小さな炎は獣を追い払うのには役に立たないからだ。

 そのとき、頬に温かい空気を感じて顔を上げると、炎馬が顔を寄せてきた。そのたてがみを撫でてやれば、嬉しそうに目を細める。

「炎馬も心配している」

 竣雨はそう言うと火に薪を放り投げた。赤い火花が散る。

 それを見て、白麗は目を伏せた。

「……兄様、紅王は権威も権力もない王だったのかなって思ってね」

 最近の兄様は、とても疲れていた。きっと頭を悩ませていたのだろう。

「それに四部身分制の復活――。もし紅王が存命だったら絶対にそんなことしないわ」

「身分制、とりわけ奴隷の存在は軍事を扱う者にとっては大変利用価値のある存在ですからねえ」

 軍事を扱う者――か。

 白麗の頭に一人の男の顔が浮かんだ。

「泰樂が黒幕で間違いないでしょう」

 洸樹の言葉に深く頷く。

「でも、何故王に次ぐ官がそんなことをするのかしら」

 王の次とはいえど、権力のある地位だ。わざわざこんなことをしなくても、いいはずだ。

 しかし、くすくすっと小さな笑い声が耳をついた。

「お嬢ちゃんはいいねえ。今まで大切にされていたことが嫌でもわかる発言だったよ」

「黙れ」

 洸樹がつかみかかるが、占師は抵抗しなかった。

「よーく考えてごらん。官はどんなに上り詰めても王の次。王の一言で簡単に覆るんだよ。だからこそ、今持っている以上のものが欲しくなるのさ」

「今以上のもの?」

 そう、と占師は答える。

「つまり――王になろうとしているんだ」


 頭の中を占師の言葉が巡る。

 來の王になれるのは、來の血を引く者だけ。それは変えられない理だ。

 來の血を引かない者が王になる――その言葉の意味が理解できない。

 とにかく今は、このまま腐敗を見逃し身分制を復活させることだけは阻止させなければならないと強く思った。

 皆にそう話せば、占師がきょとんと首を傾げた。

「それなら簡単にできますよ?」

 占うまでもないと占師は言う。

「現在の正当な王後継者は來白麗――お嬢ちゃんだけでしょう? 名乗りを上げてすべてを白日の元にさらせば丸く収まります」

 しかし、白麗は頭を左右に振った。

「それはできないわ」

「何故?」

「できないの」

 弱々しく頭を左右に振る。

「矛盾しているって思うでしょうね。でも、王になるつもりはないわ」

 言葉にすればするほど、自分がいかに勝手なことを言っているのか身にしみる。わがままをこねる子供のようだと思われても仕方がない。それでも白麗は、自身が王にならず、泰樂や朸浪の不正を暴く方法を求めた。

 沈黙が支配する中で、声を上げたのは竣雨だった。

「だったら、白麗が王を決めればいいんだよ。――あまり気は進まないけど」

 來の血を引かない者が王になる唯一の手段。それは王位に就くことができる者からの指名だ。しかし、その方法で來族以外が王になったとしても、指名された者の一代限り。もしかしたら、來族は血を残さず滅ぶ可能性もある。そうなると、この国に王はいなくなり、王の次に権力のあった者か貴族が国の実権を握るだろう。

「そもそも何故、王を來の血を引く者と定めているんだい? 今みたいに血が絶える可能性が想像ついただろうに」

 占師の言うことは正しい。だからこそ歴代の王は、側室を持ち、絶やさぬよう努めたという。しかし、女の髪があるときを境に伸びなくなるように、來族はなかなか子を成さない家系だった。ここ数世代、一人の王に一人の子が続いたため、白麗が生まれたとき、二人目の子に国中が沸いたという。

「來の者が、創世の話に出てくる双子の片割れだから、としか答えられないわ」

 來族が王として君臨するようになったのは、神話の時代までさかのぼらなければならない。

 元々一つの国だった來と黄。そこに双子が生まれ、災厄が降りかかったとき、天から使わされたこの土地の守護神であり神獣だった応龍と麒麟は、強い心根のある双子の兄弟に力を貸した。その後、兄弟は未開拓の地を探るべく、分かれたという。人には厳しい世界。神獣はそれぞれの兄弟につき、彼らの力となり続けた。

「政略的な作り話だろうけどね」

 白麗はどうでもよさそうに言い放った。

「そういう言い方は――」

「だってその通りじゃない!」

 白麗は竣雨の言葉を遮る。

「もし、本当に神獣が王に寄り添い、今でも力を貸しているなら、どうして父様と母様は急死し、兄様に力を貸さなかったの? これが事実なら兄様はまだ生きて――」

「白麗」

 両手で顔を隠す白麗の腕を取り、顔を上げさせ、まっすぐこちらを見つめるその視線に思考が止まる。

「落ち着いてください。――俺たちが話しているのはこれからどうするかってことですよ」

 いつもと変わらない洸樹の声に目の前がにじんだ。白麗を來の姫ではなく、一人の人間として接してくれる護衛人。それは、宮廷を出て誰にも咎められない場所でも変わらなかった。

 白麗は手の甲で涙を拭うと、言った。

「……王に推したい人はいる。ただ、私だけの発言じゃ、認められない。そういう人なの」

 兄様のそばにいて世の中をよく知る。だけど、彼は絶対にいい顔をしないだろう。――それは、民衆も同じはずだ。

 それなら、と声を上げたのは占師だった。


   ◇


 ほうっと吹きかける息が白い。

 それもそのはず。白麗たちは、來国最北端に位置する州、北州に来ていた。北州には外壁がない。そもそも州自体が大きいのだ。それに冷たい風と雨の代わりに降る雪のせいで、害獣も少ない。人の住む場所のみ門番が見張る。北州は犂州と違い、人口が少なく商業や農業で生活を営むことのできない州だ。しかし、州に北風を送る山脈から鉱物が取れる。來国唯一の鉱山なのだ。

 白麗が洸樹に渡した黒曜石もここで取れたものだろう。鉱物の細工技術は、白州民の右に出る者はいない。

「それにしても風が氷のようだわ」

 身を縮ませる白麗に、洸樹は鼻で笑った。

「何言ってるんですか。姫さん、俺たちより厚手の服を着ているでしょう?」

「貴方こそ何言っているのよ。生地は皆同じだし、違うと言えば色模様くらいで――」

「違います。腹まわり、腕まわり、あと顔まわり――」

「もう! どうせ私は貴方より太ってますよ!」

 ふんっとそっぽを向けば、俺何も言ってませんよ? としらを通しに来た。それに加え、占師の高らかな笑いが腹に来る。

「白麗、別に太ってないと思うよ」

 唯一見方をしてくれるのは、まだ子供の竣雨だけ。

 いつかこの子の爪の垢をせんじて飲ませてやるわ。

「それにしても、同じ來国とは思えない場所だなあ」

 占師は遠くにそびえる山脈を眺めながら呟く。

「緑はない、生き物はいない、人はいない。本当、よく州として成り立っていると呆れを通して感心するよ」

「それだけ、ここの鉱物は來国を支えているってことよ」

 鉛色の空を見上げ、今にも降りそうな空模様に白麗は不安を隠せない。

 白麗自身も北州に来たのは初めてなのだ。それに、ここの州主に協力を願うために来た。

 白州の州主、それは賢老師を務めているはずの倶尊だ。

 どうやら泰樂は、本格的に王座を取りに動いたらしい。今、都では新しい賢老師が立ち、倶尊は生まれ故郷である白州に追いやられた、というわけだ。

「――元気にしているかしら」

 炎馬が寄り添ってくれるから、夜は日中よりも温かい。明日、白州の中央部である銀州へ行く。

「いいですか。たとえ顔なじみの倶尊だからといって簡単に正体を明かしてはいけませんからね」

 白麗は顔をしかめた。

「どうして? 協力を仰ぐのなら別に名乗っても――」

 はあっと大きなため息が白麗の言葉を遮る。

「何よ」

「姫さん、よーく考えてください。泰樂は尊氏を左遷したんですよ? つまり今の泰樂には同等地位の者にも指示を出せる。そして、遠くに追いやったということは、それだけ警戒しているってことです」

 監視の一人や二人、いてもおかしくないと洸樹は言う。

「回りくどいやり方ですけど、一番安全で確実な方法ですよ」


 その日の晩、白麗は夢を見た。

 洸樹、竣雨、占師の他に兄紅貴も一緒に旅をしていた。

 兄様がいれば、旅に出ることもないと思うのだが、五人で來の様々な地を巡るのは楽しく、危険もあるが笑いの絶えない旅だ。残酷な物も目にするが、それを癒すほどの美しい物もたくさんあった。

 しかし、あっけなく旅は幕を閉じる。

 紅貴が何者かの刃に急所を刺されたのだ。

 白麗は走った。地に崩れる兄。わずかに動いた唇は何を言いたかったのか――。

「――最悪だわ」

 上体を起こした白麗は、こめかみを押さえ深く息を吐いた。

 翌朝。白麗の顔を見た竣雨が小首を傾げた。

「眠れなかった?」

「やだ、クマできてる? ちょっと夢見が悪かっただけ。気にしないで」

 寝癖のついた髪を撫でれば、竣雨の口角が上がった。

「さて。今日はいよいよ銀州に入りますからね。気を抜かないように!」

「お前が一番気を抜くな」

 朝から陽気な占師に洸樹が釘を差す。

「まったく。わかってないですねえ、護衛人殿は。僕の場合、反面教師ってやつでして――」

「はいはい、わかったわかった」

 占師の言葉をあしらいながら、洸樹は荷物を持った。

 銀州、か。先頭を洸樹、その背後に占師がついていく。

「ぼくらも行こう」

 炎馬に姿を隠しているよう伝えた竣雨が、未だに顔を隠し続ける占師の後ろについた。

 妙な組み合わせ。だけど、今白麗がもっとも安心できる場所でもあった。

「――兄様もいたらな」

 確かにあれは悪夢だった。けど、途中までは幸せな夢だったのだ。

 優しく、残酷な夢。

 生涯をかけて成したいこと、か。私にとって、月の代わりになるものがあるだろうか。

「白麗」

 顔を上げれば、随分小さくなった竣雨が手を振っている。急がなければはぐれてしまうだろう。

「今行くわ」

 急ぎ向かおうとしたときだ。

 ――鈴の音が飛び込んできた。

 視線を巡らせれば、洸樹の後ろ姿が見えた。

「そんなところに隠れて脅かそうとしても無駄よ」

 先手に回れたことに鼻を高くする白麗だが、洸樹からの返事はない。

 きっとまだ何か企んでいるんだわ。

 白麗が目を細めた瞬間だった。いきなり駆けだしたのだ。

「ちょ、待ちなさい!」

 白麗はその後を追いかけた。

「ど、どこまで行くつもり、なのよ」

 息を切らせ、立ち止まる白麗に先を行く洸樹の足も止まる。

 無我夢中で追いかけてきたけど――。

 周囲を見回した白麗は、さっと血の気が落ちる気がした。

 ここ、どこ?

 まだ、日が昇っている時間のはずだ。なのに、目に映るのは闇。二人だけに光が当たっているようだった。

「もう、いい加減にして」

 言いようのない不安が押し寄せる。

「みんなのところに戻るわよ」

 そう言って洸樹の腕を掴んだ白麗は、振り返った洸樹を見て眉をしかめた。

 あの嵐の晩の日。白麗が渡した黒曜石の守り石を、洸樹はいつも身につけている。

 なのに、だ。

 目の前の人物は、首から守り石を下げていなかった。

「……貴方、誰?」

 そう尋ねた瞬間、目の前が真っ暗になった。突然の出来事に、白麗は頭を抱え悲鳴を上げると、その場にうずくまってしまった。

 闇は、怖い。

 震える手で頭を押さえる白麗の脳裏に過ぎるのは、紅貴が死んだ日のこと。暗闇の中、突然現れた兄の成れ果てた姿に、今でもうなされる。

 野宿生活で大分慣れてきたと思ったが、そうでもないらしい。

 確かに、一人で星の光さえない正真正銘の暗闇にいたことは今までなかった。

 恐怖心が白麗を支配する。目を開ければ、また信じたくない現実を突きつけられるような気がして、動けない。

 そもそも、今目を開けているのかいないのか、それさえわからなくなってきた。

 ――まだ、死にたくない。

「……洸樹」

 藁にもすがる想いで呟いたのは、口は悪いがいつもそばにいてくれる護衛人の名。でも、こんなところで誰かが助けに来るはずもない――ぐっと胸を締め付けられた、そのときだ。

 反響する、音。それは次第に大きくなり、足音だと気付いた。

「もう、嫌」

 白麗は死を覚悟した。頭を抱え縮こまるが、震えは止まらない。心臓の音が耳元で五月蠅く鳴る。まだ死にたくないと思うものの、恐怖心から動けない。足音はもうすぐそこまで来ていた。

 白麗の脳裏をよぎるのは、兄とした約束。それを果たせないと思った瞬間、己自身を恨んだ。

 気の遠くなるような静けさに身を置き、極度の緊張状態の中、白麗は真下に転がる光石を見た。

 ――何で、こんなところに。

 目を見開いた瞬間だった。脳天に冷たいものが当たった。

 甲高い叫びが響きわたる。暗闇の中を反響し、白麗の口がふさがれてもそれは続いた。

 突然口をふさがれた事に驚き、懐にある短刀を取り出すとそのまま突き立てようとした。しかし、手首を捕まれたことによって簡単に阻止されてしまった。それに捕まれた手首に力を入れられた為、短刀を落としてしまう。残った片手で、見えない相手に反抗しようとしたときだ。

「――姫さん、五月蠅い」

 ここで聞くはずのない声が耳に飛び込んできた。

「まったく。離れるなら一言声をかけてください。――心臓に余計な負担をかけさせて殺す気ですか」

「な、なんで貴方がここに?」

 思ったことを口にすれば、今度は両頬を引っ張られた。

「どの口がそんなこと言っているんです?」

「すひまへん」

 頬を引っ張られたまま謝れば、許してもらえたのか手が放れた。

 強くつねられたせいで痛い。両頬をさすっていれば、洸樹が深いため息と共にうずくまった気配がした。

「――本当、無事で良かったですよ」

 どうやら、洸樹たちからすれば突然姿をくらませたのは白麗の方だったらしい。白麗は自分が洸樹を追ってここまで来たことを告げれば、洸樹は眉をひそめたようだった。

「それにしても、ここどこなの?」

 突然全く違う場所に連れてこられた気分のまま、白麗が問えば洸樹は頭を抱えた。

「まあ、単純馬鹿だから騙されやすいと考えれば、納得のいきますけど」

「一言余計よ」

 釘を打つが洸樹には効かない。

「ここは、北州で一番巨大な鉱山ですよ」

「鉱山? 何でこんなところに?」

 知らないですよ、と洸樹は問答無用で一蹴する。

「よくここだってわかったわね」

 白麗でさえ、自分が今どこにいるのかわからなかったというのに。

 そう言えば、洸樹はため息をもらした。

「強いて言えば長年の勘、ですかね。姫さんのおてんばぶりに振り回される人生ですから」

「悪かったわね」

 だけど、洸樹が現れたときの安心感は何者にも変えられない。

「――ありがとう」

 お礼を言えば、嫌みの一つや二つ、返ってくるかと思ったが、洸樹は珍しく黙ったままだった。

 変なの。

 暗闇で目の見えない白麗は、黒い固まりにしか見えない洸樹の方を見て思った。

 明かりを付けてほしいと頼めば、そんなもの持ってないですよ、とあっけない返答が返ってきた。

「誰かさんのせいで、かなり焦ったんです。そこまで用意できません」

「それじゃあ、明かりもないままここまで来たわけ?」

 信じられないと言葉を返せば、別に普通だと言われてしまった。

「私には真っ暗で何がどこにあるのか全然わからないわ」

 それに暗闇は怖い。目をぎゅっと閉じたまま、うずくまっていたいのが本音だ。なけなしの力を振り絞り、立っているのがやっと。足は生まれたての子鹿のように震えている。

「まったく、仕方ないですね」

 洸樹の呆れた声が聞こえたかと思うと、すぐ近くに気配を感じた。

「姫さん、はい」

「はいって?」

「――これも見えないんですか」

 見えないものは見えない。洸樹は何をしているんだろうか?

 首を傾げれば、ため息を吐かれた。

「……そんなにため息ばかり吐いていたら、幸せが逃げるわよ」

「知りませんよ、そんなこと。とりあえず、今、姫さんの目の前でかがんでいるんでそのまま乗ってきてください」

「な、何を言っているの! 貴方!」

「おんぶですよ、おんぶ。高貴な姫さんには屈辱的かもしれませんが、暗くて歩けないんだったらしょうがないじゃないですか。ここは割り切ってください」

 ああ、背中に乗れってこと?

 白麗は顔を真っ赤にしながら、初めてこの場が暗闇で良かったと心底思った。

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