第9話
大紫殿で公表されたのは、王の病と白麗姫の失踪。そして、新しい制度の執行を宣言するものだった。
王が病に伏しているという公表は、白麗と洸樹にとって紅貴の死を表す。
王のそばに仕える、信頼できる臣下。その者たちが今、王の死を偽ったのだ。
洸樹っと紅貴が呼びかける声が遠くで聞こえた途端、ふっと周りから切り離された気がした。ざわめきが遠くから聞こえ、ここは夢の中なのかもしれないと思い始めたそのときだ。
「四部身分制を再度、適用する」
高らかと叫ぶ大臣の言葉。それは、異常なほどよく聞こえた。
身分制の――復活?
「ダメよ!」
はっと声のした方を向けば、凛としたたたずまいで、舞台に立つ行政大臣をまっすぐ見据えている白麗がいた。
まずいと思ったときには後の祭り。周囲の視線が剣先のように向けられていた。これでは、逃げることも適わない。
「確かに奴隷は自由に使用できる労力。けれど、――人間は物じゃない」
やめろと口をふさごうとするが、はたき落とされてしまった。熱を持って痛む手。しかし、ここで捕まってしまえば、もう二度と会えなくなる。
「これは王の命だ。背くことは反逆の意と捉えるが良いか」
大臣の言葉に、白麗の目の色が変わった。
「王の命? 本当に――」
「バカ。やめろ」
小声で忠告をしながら、とっさに口をふさいだ。そしてそのまま深く頭を下げた。
「申し訳ございません。この者は、先の身分制で兄弟と生き分かれてしまった過去を持つ故。なにとぞ寛大なお心でお許しくださいますようお願い申しあげます」
喉を痛める薬草を竣雨に煎じてもらっていた為、何十年も生きてきた男のようにしわがれた声が出た。自分でも自分の声には聞こえない。
足先を睨み、返答を待つ。同じように、無理矢理頭を下げている白麗は、抵抗しようともがく。だが、これ以上好き勝手させないよう腕に力を込めた。
「その者、男児であるか?」
「はい。私が育て親をしております」
「そうか。いや、男にしては少女のような声だったな」
舌打ちを打つのをぐっと堪える。状況は最悪な方へ転がりつつある。額から流れた汗が目尻を通り、地面に落ちた。
「その者の顔を見せよ」
無意識のうちに唇を噛んでいたのか、鉄の味が口の中に広がった。
どうする――?
考えを巡らせる間もなく、二人の兵がやってきて、洸樹から白麗をはがすと強制的に顔を上げさせた。
――こんなところで捕まってたまるか。
二人の兵は、洸樹など眼中に入れていない。兵の腰に下げられた剣を注意深く睨みながら、懐にある短刀の柄に手を伸ばす。
抵抗する白麗だったが、躊躇なく、目深くかぶっていた布をはぎ取られた。その瞬間、洸樹は丸腰の背に刃を突き立てようと飛びかかろうとした。
しかし、それは叶わなかった。
いや、できなかったと言う方が正しい。
――どうして。
洸樹は我が目を疑った。
――風にそよぐ、栗色の髪。しかし、洸樹の目に飛びこんで来たのは、絹糸のように長く煌めく長髪ではない。
「髪が......」
「ふむ。確かに短髪か。短髪なら男児だな」
大臣の言葉で、兵たちもその場を去る。ただ、残された洸樹は、まだ目の前の出来事が信じられないでいた。
肩に触れる程度の、髪。
「麗凛――」
思わず口に出せば、白麗は振り向きながら泣きそうな笑顔を作って見せた。
◇
洸樹が怒っている。
理由はわかっている。白麗は、そっと髪に手を伸ばした。
「――髪は延びるわ」
「短髪の女は罪人の証。髪が延びる以前の問題です」
言われなくてもわかっている。
胸まであった栗毛の髪。これから延ばし続けたとしても、おそらく前のような長さになることはない。
寂しい気持ちはある。けど、もし髪を切っていなければ今、こうして宿に戻れなかった。
「足手まといになりたくなかったの」
麟紫宮に行くのに、危険が伴うのは白麗でもわかる。それに、今は宮廷を抜け出した身。姫ですらない白麗に洸樹や竣雨を守る術は、ないに等しい。
だけど、あの占師が言っていた。
これが、私の覚悟――。結果的にその覚悟があったからこそ難を逃れることができた。
もしかしたら、洸樹は私が宮廷に戻ったときのことを心配しているのかもしれない。
白麗は小さな窓から麟紫宮を見ると、小さく頭を左右に振った。
私が宮廷に戻る日はないわ。
◇
四部身分制が公表されて三日。現在存在しない第四身分の奴隷に、外州民が当てられた。
四部身分制は第一身分が來族、つまり王族、第二身分が貴族や賢老師などの臣、州などの主統治者、第三身分が商人などの州民、そして第四身分が第一から第三身分以外の者からなる。
白麗の祖父の時代まで存在していた制度だが、父である白貴がそれを廃止した。
父様はよく言っていた。
――麒麟は慈悲深い生き物だ。だから、人間同士の争いはもちろん、奴隷なんてものを見たら、それこそこの国に愛想尽きるだろうね。
だけど、よかれと思って廃止した四分身分制だったが、廃止当時は相当荒れたらしい。第一から第三分民の反発に加え、第四分民の混乱が白貴を悩ませた。
なにせ、第四分民は他の暮らしを知らない。また、古者も第四分民だったことも大きい。
だが、白貴は優秀な王だった。次々と政策を打ち出し、身分制のときに存在した溝を完全にとは行かないが埋めていった。
あとは時が解決するだろうという言葉を残した白貴は、変革の王の渾名で親しまれていた。
宮廷の至る所に、神獣である麒麟と応龍の細工が施されている。中でも玉間は他とは比べものにならないほど、美しい彫金が品よく施されていた。
そういえば、父様は何かと麒麟と結びつけたがった。いくらこの來国の守護神とは言え、すでに姿も形もない幻の獣というのにだ。
「……麒麟なんているわけないのに」
「いるよ」
無意識のうちにつぶやいていたらしい言葉に、珍しく竣雨が反論した。
「麒麟はいる。絶対に」
真剣な面持ちでまっすぐに向けられた黒い瞳。そこには有無を言わせない何かがあった。
「そうね。ごめん、変なこと言って」
そうだ。ここは來国。麒麟の守りし土地だ。麒麟は存在すると信じる人間はかなり稀だが確かに存在する。父様が良い例だ。
私もまだまだね。
まだまだ、この国のことを知らない。
◇
玉間はひどく殺風景だ。
政治のことは任せて欲しいとあの男は言うが、仮にも王座に腰掛けるものだ。――好き勝手やられてはたまったものじゃない。
かといって、政治に疎いのも事実だ。格子からのぞく満月に目をやる。
「まずは身近なところから知るべきね」
柏手を打つとすぐに侍女が現れた。羽織るものを持ってこさせると、誰もつけず、こっそりと宮廷を抜け出した。
◇
「いい加減にしなさい」
夜。あの日からまともに目を合わせない洸樹に白麗の堪忍袋の緒が切れた。
ずかずかと歩み寄った白麗は、洸樹の袖を掴むと思いっきり引っ張った。目を剥きながら、洸樹はようやく白麗の顔を見る。
「確かに母様からもらった櫛はしばらく使えない。もしかしたら、髪ももう延びないかもしれない。――だけど後悔はしてないわ」
來国の女にとって大事な髪。だけど、髪を失っても、白麗にはそれ以上に失いたくないものがある。
「いい年の大人がいじけないでちょうだい」
ふんっと鼻をならして言い放ったときだ。
「――それは、命令ですか?」
「は?」
思わず声が出てしまった。この護衛人は何を言っている?
「命令なら従いますけど――」
「貴方、いつの間にそんな大バカになったのよ」
いつもバカだと言っている本人が、大バカなんじゃないの。
目頭が熱くなる。ぎゅっと眉間に皺を寄せ紛らわす。
「命令かわがままか、貴方の頭で考えなさい」
洸樹の大バカ者。にじむ視界を拭うように目をこすったのに、目の前の竣雨の表情はしばらくわからなかった。
しばらくして、だいぶ落ち着いてきてから、白麗は再び洸樹と向き合った。洸樹は、申し訳なさそうに視線を下げている。
「すみません。いささかからかいすぎました」
あれをからかっていたというのなら、平手打ちだけではすませないと思うが、さすがにそれは違うとわかる。
それより、話があるのは洸樹じゃない。
「竣雨、少しだけ話を聞いてくれないかしら」
白麗は真剣な面もちで竣雨を見た後、覚悟を決めるように息を吐いた。そして――。
「私の名は、來白麗。ついこないだまで、來国の姫君と呼ばれていたわ」
竣雨にすべてを語ることを決めた。
――火事だ!
そんな叫び声が聞こえたのは、すべてを語り終えた直後だった。
「行きましょう」
洸樹は、すぐさま荷物をまとめると扉を開けた。途端、煙が流れ込む。
「このまま、麒京を出ますよ」
さすがにこのまま居座り続けることは難しいと思ったのだろう。火事現場にいたとなれば、役人から聴取を受けかねない。
「でもどうやって?」
今は馬もない。王都についたとき放したのだ。炎馬の存在は目につけられやすい。
「幸い、月明かりしかない夜です。細い路地なら暗闇に紛れられるでしょう」
ここは洸樹に従うのがよさそうだ。白麗は必死にその背を追った。
◇
夜の麒京はこんなに暗いのか。
朱雀通りを歩き、人々の様子に目を向けながら歩く。そこには、知らない世界が広がっていた。
昼と夜ではまた別の顔だ。
そのとき、目の前を男が駆けていった。どこかで見たことのあるその横顔に、先日の出来事が蘇る。身分制に反論した少年を諫めた商人だ。
あの男――。
すぐにその後を追いかける。しかし、男の姿は見あたらない。
どこに――?
そのときだ。
目の前がいきなり明るくなる。見れば暗いはずの空に火の手が上がっているではないか。周辺住民が騒ぎ出す前に、そっとその場を離れた。
あの場にいれば、あとあと面倒になる。
だが、それよりも気がかりなのは、横切っていった、あの男。
「あんなに若い男だったかしら」
◇
騒ぎ始める町を背後に、白麗たちは夜道を進む。しかし、最後の砦が一番厄介だ。
門の警備がこれ以上薄くなることはない。不意をつくことができれば何とかなるかもしれないが、馬も使わずここを突破することは不可能に思えた。
「どうするか――」
洸樹のささやきに反応したのは竣雨だ。
「馬がいればここを出られるの?」
「ああ、おそらくな」
白麗たちが脱出したことにより、警備が強くなっていなければの話だ。
「なら、炎馬を呼ぼう」
竣雨は当然のように言う。しかし、炎馬はもちろんここに来るまでに乗ってきた馬は門の外で放してしまった。今はどこにいるのかさえわからない。
「――呼べるのか」
洸樹の問いに竣雨は深く頷いた。
「たぶん、一緒にいた馬も来ると思うよ」
そして竣雨の言葉通りになった。
炎馬は良い意味で目立った。影が炎の馬など見たことないだろう。兵の目を釘付けにして駆け抜けた。当たり前だが、馬でそう易々と突破される外門ではない。高い塀が築かれているのだが、炎馬には小高い丘と何ら変わりないようだ。
「それにしても驚いたわ」
洸樹の腹に手を回し、白麗は言う。
「まさか、本当にこの子も戻ってくるなんて」
洸樹は、手綱を握りただひたすらに前へと進む。竣雨の言うとおり、炎馬は白麗たちの乗ってきた馬もつれてきたのだ。
「しゃべっていると舌噛みますよ」
白麗はとっさに口を閉じた。炎馬に乗る竣雨と分かれて都を出た今、事前に決めていた場所まで洸樹は馬を走らせた。
「いやー、やっぱり面白いですよ。お嬢さん」
その声に目をむいたのは言うまでもない。
王都から離れた大木の下で、白麗たちを待っていたのは竣雨だけではなかった。
「どうして貴方がここにいるわけ!」
詰め寄る白麗に布をかぶり口元しか見えない男――占師は笑って答えた。
「彼に頼んで珍しい馬に乗せてもらったんですよ。――ついでに姫君のお供もしたいなーって思って」
白麗は眉間にしわを寄せた。
私、この人に姫なんて名乗ったっけ?
しかし、考えるよりも早く洸樹が鯉口を切った。
「待って」
「いえ、待ちません」
洸樹は殺気を隠そうともせず、占師に向けた。占師も腕っ節の武人に本気の殺意を向けられているというのに、その口から笑みは消えない。
「お兄さん、何故私がお嬢ちゃんの正体を知っているのか疑問に思ったんでしょう?」
手をひらひらさせて占師が言う。その様子は相手によって挑発しているようにも見えなくない。
「まあ、私は少し先を見据える者だからね。――とりわけ大きな局面はみえやすいんだよ」
「――目的は何だ」
「やだなあ。そんな怖い顔で睨まないでよ」
占師は、相変わらずおどけた様子でもう一度言った。
「私も君に協力したいんだ。――來白麗殿」
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