第8話

 長蛇の列ができていた外門を抜け、久々に戻ってきた麒京で安い宿をとった。

 王都は、辺境にある犂州とは違い、都に入るにも厳しい検閲があったのだが、変装はバレることはなかった。こんなにもあっさり入ることができ、嬉しい反面、白麗は眉間にしわを寄せた。

 ――ここは、王都麒京なのよ。こんな簡単に素性もわからないような者を入れていいわけがない。

 父、貴王や兄、紅王のときはもっと厳しかった記憶がある。しかし、洸樹とともに麒京を抜け出したときも、あっさりしていた。

 そもそも、來国では国中を震撼させる大事件は滅多に起きない。手配書が発行されたのも、数年ぶりくらいだ。だから、別におかしくはないといわれればそれまでなのだが、妙に腑に落ちない。

 しかし、今はそんなことよりも――。

「久々に屋根のあるところで寝られるわ!」

 寝台に寝ころびながら思いっきり腕を伸ばす。安い宿と言っても、一人一部屋の余裕はない。野宿生活だった白麗からすれば、一部屋しか取れなくても問題はないのだが。

「はあ」

 頭を抱え、ため息を吐く洸樹に白麗は顔をしかめた。

「何よ」

「いえ、別に」

 そう言われると、余計に気になる。

「明日、町で情報を集めるわ。でも、洸は留守番ね」

 何故、という声は上がらなかった。ここは王都だ。洸樹はもちろん、白麗の素顔を知る者はいる。

「さあ、早く寝て明日に備えるわよ」

 窓の外から見える宮廷がどこか遠く、ここが慣れ親しんだ王都とはまだ実感が沸かない。しかし、油断は禁物だ。どんなに実感が沸かなくても、王都麒宮に違いはないのだ。

「蝋燭、消すよ」

 竣雨の言葉に頷く。ふっと息を吐く音と同時に、部屋の中は真っ暗になった。


   ◇


 情報収集に適した場所は居酒屋だ。酒を飲み、気をよくした連中の口は軽い。しかし、女子供を向かわせるにはいささか場違いである。

「いいですか。まずは、町中を歩くだけでいいです」

 壁の薄い部屋の真ん中でささやく。

「歩いているだけでいいの?」

「もちろん、ただ歩くだけじゃあダメです。――聞き耳を立ててください」

 人の口に戸は立たず。どんなに内密にしても、他者が絡めば絡むほど、噂は立つ。徴集以外で王都へ来たのなら、嫌でも噂は流れるだろう。手始めにはちょうどいい。

「しかし、気をつけてください。首を突っ込みすぎれば、怪しまれます」

 竣雨と白麗は無言で頷いた。

 特に問題はない、と思いたいが――。

「……心配だな」


   ◇


 町中を歩くだけでいい――洸樹はそう言ったが、さすがに日中からどうどうと顔をさらして歩けるほど馬鹿でもない。人通りの多い場所は竣雨に任せて、白麗は裏路地を巡る。

 しかし、細い路地に人の姿は少なく、逆に動物や物ばかりが目に付く。

 昼間から酔いつぶれている男の前を通り、奥へと進む。音に注意してはいるが、家事や仕事に勤しむ者以外は、厄介者しかいない。

 ――もう少し人通りの多い場所に行くべきかしら。

 一度足を止め、振り返ったときだ。

「やあ」

 いきなり目の前に現れた男に目を大きく見開いた。それは、いつか会った占師センシだった。

「どうだい? 僕の見立ては間違ってなかっただろう?」

 必要な物はもう持っている――確かあのときそう言われたのだ。

「どうかしらね」

 朸浪の元まで行く方法を探していた白麗に、あの発言はないだろうと思う。勘違いさせようとして言った言葉にも捉えられる。

 つれないなあ、と布で顔を隠した占師は呟いた。

「今度は一体何を探しているんだい?」

「貴方には関係ないわ」

 先を行こうとする白麗に占師が慌てて割り込んだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「もう何よ。私急いでいるの」

 ――くれぐれも変なのに絡まれないでくださいよ。

 出かける直前、洸樹は白麗だけに釘を差してきたのだ。これを知ったら、絶対に怒られる。

「君に一つだけ忠告」

「お代なら、払えないわよ?」

「お金目的じゃないよ」

 心外な、と口をすぼめる占師は気を取り直して言った。

「備えあれば憂いなし。君の覚悟が救う命もあるのさ」


   ◇


 ああ、近くに嵐がきたようだわ。

 久々に清潔な布団の上で横になることができ、小さな幸せを噛みしめる一方で、窓辺の格子からじっと外を見つめる洸樹は、さっきからやけに不機嫌であった。

「何かあったの?」

 白麗のそばで荷物を広げていた竣雨は、振り向くと困ったように首を傾げた。

「大したことじゃありませんよ」

 竣雨が言う前に、洸樹が言い放つ。その言葉に含まれたいつもと違う棘に気づかない白麗ではない。

「大したことじゃないのなら、話せるでしょう?」

「大したことじゃないから、話さないんです」

 ふんっとそっぽを向く洸樹は、明らかに機嫌が悪い。

 洸樹は、不機嫌になってもまわりに当たることはない。ただ、身にまとう雰囲気ががらりと変わる。そのせいか侍女や臣下、兵たちまでもが機嫌の悪いときの洸樹には近寄りたがらない。兄様いわく噛みつき殺されそうなのだという。

 確かに虫の居どこが悪いときの洸樹は、白麗でもわかる。けど、荒れ狂う風を身にまとって人を寄せ付けないだけで、特別怖いと思ったことは一度もない。

 洸樹の機嫌が悪くなることは滅多にないので、からかってやるのがいつものことだ。

 再び窓の外を眺めている洸樹の背後にゆっくり近づく。竣雨には人差し指を唇に当て、静かにするよう伝えた。

 触れるくらい近づけば、その頬をつねろうと手を伸ばした。そのときだ。

「まったく。何してるんですか」

 呆れた声と同時に急に振り向くものだから、脅かそうと思っていた白麗の方が腰を抜かしてしまった。

 あっ、と倒れそうになったとき衝撃に備え強く目を閉じたのだが、腕を強く引っ張られ転ぶことはなかった。

 耳朶を暖かいため息が打つ。思わず目を見開いた。

「野宿じゃなくて嬉しいことはわかりましたから、出来心から怪我をしないでください。それこそ本当のバカですよ? あ、麗凛は元からおバカさんでしたね。すみません」

「もう! そんな流れるように罵倒しなくてもいいじゃない!」

 ふんっと顔を逸らしてやった。こんなことばかり言う従者の心配をした私が大馬鹿者みたいだ。

 そのとき、ふっと笑う気配がして視線を向ければ、小さくではあったが洸樹が笑っていた。そう言えば、こんな生活になってから洸樹が笑ったのを見たのは初めてかもしれない。

 もちろん、口角を上げ、笑っているふうに見えるときもある。けど、それは本心からの笑顔ではない。

 ところが、今はどうだ?

「何見てるんですか。金とりますよ?」

 私の視線に気づいた洸樹は、耳を赤くして視線を逸らした。


   ◇


 翌日からは洸樹も加勢した。身元がバレたらと何度も説得したが、竣雨と何か話し込んでいたから策があるのかもしれない。それでも、危険なことに越したことはないのだ。しかし、聞く耳はもたないだろう。

「もう知らない」

 ふんっとへそを曲げる白麗だったが、数日後、とんとん拍子で情報が集まり、あっという間に朸浪の場所がわかった。

「――やっぱりというか、案の定というか」

 蝋燭の明かりが三人の影を揺らす。

「どうやら泰楽が呼び出したようですね」

 洸樹の言葉に白麗は顔をしかめた。

「泰楽は知っているのかしら」

「まあ、一人の州主と密接にやりとりしているのでしたら、知っているのでしょうね」

「――もう何を信じればいいのか、わからないわ」

 顔を埋める白麗に竣雨が水を差し出した。

「少し、落ち着こう」

 沈黙が部屋を支配する。誰も何も言わない。犂州で傲慢と殺戮を繰り返す州主。朸浪を罰するにはどうすればいいのか。

 宮廷にいる顔見知りに訴えることを考えたが、王に続く権力者である軍将さえ、朸浪につながっていると知った今、その考えを改めなければならない。

「――話が変わるけど」

 竣雨が口を開く。静かな部屋に水が落ちてきたような声だ。

「今、みんな噂している」

 白麗も洸樹も口を挟まなかった。今更どんな噂が立とうとこれ以上悪い話などない――そう思っていた。だが――。

「――近いうちに紅王の勅命が下るって」

 水を浴びせられたような衝撃が走った。


   ◇


 來国の王は、血で受け継がれる。そのため、時代によっては女王が統治する世もあった。王位を次ぐことができるのは、初代來国をまとめたと言われる王、來の血を持つ者とその意志を継ぐ者。どちらかが欠如していれば、王とは認められない。王を定めるのは、麒麟が眠ると言われる黒珠だ。血は問題ないとしても意志を継いでいるかは、人にはわからない。しかし、黒珠は違う。その双方がそろう者が手にしたとき、光り輝くのが來国の宝玉だ。

 今では、儀式の一つとなってしまっているが、黒珠の光に偽りはない。現に紅貴が王に即位する際も黒珠は光り、宮廷中にその光りを放った。

 だから、今現在宮廷が何者かに侵略されているといえど、王を語ることはできない。もちろん、白麗の夫となり白麗の命で王の座に座るよう命じられれば話は別だが、次王は來の血を持つ者でなければならない。

 勅命が下る――。それは、王の存在を示唆している。

「そんな……嘘よ」

 だったらあの日、あの嵐の晩私が見たものは一体――。

 今でも夢に出る。赤黒い血だまりの中で息耐えた兄様の姿。

 夢だったらそれで構わない。悪い夢を見て、こんなことまでして馬鹿だなと兄様に怒られるくらいなら甘んじて受けよう。

 しかし、もしも王が不在のまま、王の名を語り、勅命を下そうというのなら――。

 それは、來国に対しての謀反と言っても過言ではないだろう。


   ◇


 三人で一部屋。決して広くはないが狭すぎることもない。揺らめく灯籠の明かりの中、洸樹は一人、武器の手入れをしていた。道中手入れをする道具もなく、予備とはいえさんざん使ってきた刀は、心なしか、くたびれているように見える。

 明日、広間にて勅命が下る――。

 そして案の定、姫さんは行くと声を上げた。危険は覚悟の上だという。だとしたら、護衛人もお供するのが常識だ。姫さんは来なくていいというだろうが、そこは譲れない。

 明日は、何が起こるかわからない。

 武人として常に最悪の状況を予測することは、必要なことである。

 しかし、今回ばかりはその状況にならないことを祈るしかない。

 格子の隙間から入る風が、優しく頬を撫でた。

「洸樹」

 静かな部屋にころんと鈴がなったような声が響く。今、洸樹の名を出すのを禁止だ。しかし、白麗はささやくようにその名を呼んできた。

「寝ないの?」

「俺のことはいいですから、麗凛はさっさと寝てください。寝坊したら笑い者です。まあ、俺としてはお寝坊姫さんって渾名も良いとは思います」

「渾名、ね」

 白麗は洸樹のからかいには乗らず、その言葉を深く噛みしめるようにつぶやいた。

 代々來国王を名乗る者は、市井の人々から渾名のような通り名をつけられる。それは、その王の特徴を表しており、善王だから良い渾名というわけでもない。

「兄様は、渾名をつけられる間もなく王位を退いたのよね」

 白麗の隣で規則正しい呼吸を繰り返す竣雨に掛け布団をかけ直すと、白麗は小さく息を吐いた。

「兄様は、みんなの記憶に残る間もなく逝ってしまった」

「姫さん、それは勘違いです」

「どういうこと」

 有無を言わせない言葉と視線。姫といえど、一見、どこにでもいる普通の少女だ。なのにふとした瞬間、來の血筋を垣間見せる。本人にその自覚はないだろう。しかし、いつものように冗談を言える雰囲気は微塵もない。

「嘘じゃありませんよ」

 今できる精一杯の軽口をたたくと、刀を置き、その視線を正面から捕らえた。

「確かに紅貴様には、民に呼ばれるような渾名がないかもしれません。でも、呼んでたじゃないですか、俺たち。「暁」って」

 それは、大人の目を欺き、街で遊ぶときの渾名だ。白麗が麗凛と名乗るように紅貴も暁と名乗っていたのだ。

 理由を聞いたことがある。随分考えて決めたようだったから、何かしら深い事柄があるのだろうと思っていたのだが、ただ単に紅は暁に似ているからだと聞いて、がくりと肩を落とした。

「確かに民衆の記憶には薄い方だったかもしれませんが、俺たちにとっては、かけがえのない人です。それは変わりありません」

 だから、渾名などで縛られる考え方をしないで欲しい。

 それに――。

「人が完全に死ぬときは、記憶からいなくなることだと俺は思いますけどね」

 真っ暗な空をほのかに照らす月。白麗にとって太陽が紅貴なら、自分は月でありたいと思った。


 翌朝、宿を出た洸樹と竣雨は目の前の光景に思わず足を止めた。

「人の川みたい」

 竣雨のつぶやきに隣にいた洸樹も頷く。確かに十数年、この王都で暮らしていたが、こんなに多くの人が一斉に宮廷へ向かう様は見たことがない。

 まあ、見たことがあるとなれば、それは王が民の手で倒れるときだろう。

 なんだか、歴史的一面にいるようなそんな気がする。

 武人として研ぎ澄まされた勘が、そう告げていた。

「行きましょう」

 凛とした声がして振り向けば、目深く布をかぶった白麗がいた。

「まったく。あまり人を待たせないでください」

 宿を出ようとしたとき、先に外で待つよう言ってきたのは白麗だ。しかし、いつもの軽口に噛みつくことなく、ただ「ごめん」とつぶやいて先へと行ってしまった。目も合わせなかったその様子に、驚きを隠せない。

「ボク達も行こう」

 竣雨の言葉に生半可な返事で答えながら、その後を追った。

 今日は勅命が下る日。麒京に住む者は内城にある大広間、大紫殿の前に集まるのが習わしだ。もちろん、下される勅命の内容も気になるが、手配書を出されている以上気が抜けない。さすがに民に俺を見つけ出せとは言わないだろうが、それでもこんな大がかりのことをするのだ。何か意図がなければこんなことはしない。

 人混みを縫いながら進む。はぐれないよう、洸樹の持つ荷物の端を白麗と竣雨はつかみながら進む。それでも人に当たりはぐれそうになる二人を気にしながら洸樹は歩いた。

 気にしなければならないのは、人混みの中だけではない。あちこちに配備されている兵にも目配せしながら足を進ませる。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。

 昔、隠れ鬼の得意だった紅貴が言っていた言葉だ。

「洸」

 はっと顔をあげれば心配そうにのぞき込んでいる白麗と目があった。

「ぼうっとしていたみたいだけど、どうかした?」

 今は男に扮しているため、低い声で尋ねてくる。それでも手の届く範囲にいることがほっと安心させた。それがなんだか気にくわなくて、目の前で思いっきりため息を吐いてやれば、むすっと口がへの字に曲がった。

 日ノ出通りと呼ばれる大通りをまっすぐ歩くと、朱色の大門が現れる。これを朱雀門と呼び、門の内側から宮廷麟紫宮になる。普段は堅く閉ざされた門が大きく開け放たれていることが、これほどまで異様な光景なのか。

 洸樹は、門の先を見据える。ここからは、賢世廷しか見えない。賢世廷は、政治を行う為の場所で王を中心に賢老師や州長官、大臣らが日々各地から持ち込まれる問題を処理したり、法を作り執行したりする。要は仕事場だ。そして賢世廷の奥、さらに厳重な警備の向こうに王の住まう來天宮がある。これらをまとめて麟紫宮と呼ぶ。

 もちろん、來天宮は王だけが住んでいるわけではない。洸樹も白麗の護衛としてあの場で暮らしていた。

 この世でもっとも安全な場所、だと思っていたんだがな。

 ぐっと奥歯を噛みしめ、洸樹は朱雀門をくぐった。

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