第6話

 占師せんしという存在を聞いたことがある。宮廷にいた頃、街でとても流行っていたのだ。人の未来を予測する占師に群がる人々を見て、すぐに占師を名乗る偽物が現れた。

 しかし、未来は不確定だ。本当に未来を予見できる占師は、偽の占師の存在により、信用を一気になくしてしまったのだ。

 だから、今ではあまり見かけない。現に白麗も初めて見た。そして思う。

 ――結局、先のことなんて誰にもわからないのよ。

 気の向くままに歩いていれば、立ち入り禁止区域前まで来ていた。

 馬車でこの先へ荷物を届ける商人を見て、荷物に紛れ込んでしまえばと考えたがすぐにやめた。たとえ入れたとしても、帰るときはどうすればいい?

 行きの荷物検査は簡単なようだが、帰りはきちんと荷台を確認している。できるだけ騒ぎは起こさずにいたい。

 じっと門を見つめていた白麗だったが、門番の視線を感じ何事もない顔でその場を後にした。

 一日、犂州を歩きわかったことは、いくつかある。

 一つ目は、商人がとても多いこと。二つ目は、見かける人間のほとんどが、他の州から来た者だということ。そして三つ目。賑やかな通りを外れれば外れるほど、粗末な家や身なりの人間が増えること。――そして、この泥だらけで、不衛生な環境の中で生きる人々が、この犂州の民だった。


   ◇


「州主、張朸浪は、反逆罪で裁かれなければいけないわ!」

 この目で見たものを語る白麗は、怒りで顔が赤い。

「税を定めている以上に徴収して、宮廷には言われたとおりの金額を、残りは自分の懐に入れているに違いないわ! 王に対する立派な反逆よ!」

 今すぐにでも宮廷に戻って直談判したいが、王である紅貴はいない。

 だったら、賢老師に訴えるべきなのだろう。が、今会えば聞く耳持たずに幽閉されることは目に見えていた。

 頼るべきときに頼れない歯がゆさに、自然と眉間に皺が寄る。

「ねえ、おねえさん」

 言いようのない空しさを覚えつつ、白麗は少年に目を向けた。バチっと火がはじける。洸樹はまだ目覚めない。

「明日、またあの子に会うんだけど、一緒に行かない?」

 断る理由などなかった。


 少女は、最初に会ったときより痩せているように見えた。

 少年は、少女からわずかな食材の入った籠を受け取ると薬を渡す。

「獣を寄せ付けない薬とかはないの?」

「やろうと思えば作れるけど、古獣には効かないだろうね」

「――どうしてあの子たちはここから離れないんだろう」

 少女に手を振れば、小さく振り返してくれた。気恥ずかしかったのか、頬を染めその場から逃げるように立ち去る背中を眺めながら、そっと息を吐いた。

「古獣が出る州は、深淵の森に近い犂州だけ。ここを離れればまだ生活しやすいんじゃ――」

「信じているんだよ」

 白麗は首を傾げた。命を懸けてこの場に留まる理由にしては、腑に落ちない。

 そんな白麗の心情を察したのか、少年がちらりと横目を向けてきた。

「いつか戻れるって信じているんだ。――たとえ苦役にまみれた場所でも、彼らにとっては故郷だからね。大切な思い出もあるんだよ」

 おねえさんは、戻りたい場所はないの? と少年が尋ねる。

 白麗は、頭を左右に振った。

「あるわ。でも、戻れない」

 洸樹にかけられた王殺しの罪。それを晴らさない限り、宮廷には戻れない。

 ここでふと白麗は思った。

 自分たちを助けてくれた少年。彼は犂州の者ではないのだろうか、と。


 翌朝、けたたましく鳴く鳥の声に起こされた。

 目をこすり、上体を起こせば、半壊している天井から見える空はまだ暗かった。洸樹が目を覚ましたわけでもなさそうだ。

 しかし、小屋の中に少年の姿が見えなかった。

 ――無差別に人を襲う古獣もいる。

 ふいに少年の声がよみがえり、血の気が一気に落ちた。

 急いで外に出ると、大きく息を吸った。

 しかし、何と言えばいいのかわからなかった。

 ――白麗は、少年の名前を知らないのだ。

 事情が事情だったこともあり、互いに名乗っていないのだ。少年は、白麗たちのことを「おにいさん、おねえさん」と呼び、白麗も少年を「君」と呼んでいた。

 それでいいと思っていたけど、まさかこんなところで裏目に出るなんて。

 しかし、白麗の心配を余所に、少年はすぐに姿を見せた。ほっと胸をなで下ろすが、少年の表情は暗い。嫌な予感がした。

「ねえ、どこ行っていたの?」

 かがんで少年と目を合わせる。少年の顔は驚くほど青白かった。

「――また、始まった」

 今にでも倒れそうな少年の手を握る。冷水のような冷たさに、一瞬手を離しそうになったが、何とか思いとどまった。自分の熱を分け与えるように、強く握る。

「とりあえず、中に入ろう」

 そう言って小屋へと促すが、少年はその場を動こうとはしなかった。

「ボクは……また何もできない」

「そんなことないわ!」

 少年の頭を抱き抱え、白麗は言う。

「だって、君はこの森に詳しく、人を助ける薬が作れるわ! それに、二本の足がついている。どこにでも行けるし何にでもなれるわ!」

 ――何をそんなにくよくよしているんだい? 白麗には足があって考える頭もある。どこにでも行けるし何にでもなれるじゃないか。

 年頃になれば、貴族の子息を婿にさせられる――そんな話を侍女から聞いて、部屋に引きこもったとき、紅貴が言った言葉だ。

 どこにでも行けて、何にでもなれる――。その言葉が、どれだけ気持ちを楽にしてくれたか、兄様は知らないだろう。

 落ち着かせるように、少年の背中を軽く叩く。さっきよりか落ち着いているようだが、少年の表情は堅い。

「そんな顔をしていると、あの子も怖がるよ」

「――もう、会えないかもしれない」

「え?」

 少年は、顔を上げた。

「州の外に追い出された人間が、外壁近くで暮らしていれば、腹を空かせた野生の獣や人間嫌い古獣が襲ってくる。そうなると、商人も危険を感じて犂州には来なくなる。――いくら売上税が免除されていても、命には変えられない。商人が来なければ、軍事以外で他州から人も来なくなり、州自体の活気がなくなる――だから、外民は州主にとって邪魔なんだ」

「――な、何を言っているの?」

 冷や汗が、背中を伝う。

 そもそも、商売の自由を制定している以上、課税の免除を州主が行っていいわけがない。

 だが、今問題なのはそこじゃない。

「――犂州は、外民狩りをするんだ」


   ◇


 白麗が自室から宮廷から持ってきたものは、三つ。

 一つ目は、母様からもらった朱色の櫛。二つ目は、兄様からもらった首飾り。そして三つ目が父様から譲り受けた短刀だ。どれもいつも身に付けていたものだ。もはや体の一部と言っても過言ではない。

 白麗は走った。しかし、まだ日も出ていない森は、足元さえ見えないほど暗い。数歩走れば、足を取られ、転び傷が増える。しかし、そんな白麗の前に淡い光が飛び込んできた。

 藁にもすがる思いで走る。走れば走るほど、火薬の臭いが強くなる。

 森を抜けたとき、白麗は自分を導いたのが七色の尾を持つ小鳥だと知った。すでに、夜明けも近いのか空が明るい。

 だが、目の前の光景を見て、言葉を失った。

 ――何よ、これ。

 黒煙があちらこちらから立ち上っている。火薬の臭いに混ざり、鉄と肉の焼ける臭いがして、胃液が逆流してきた。

 片手で鼻と口を覆うが、こびりついた臭いはなかなか落ちない。

 自分で切り捨てておきながら、こんな惨い真似をするなんて――。

 脳裏を過ぎるのは、少女がはにかみながら手を振ってくれたあのとき。

 白麗は外壁のその先、他の建物よりいくらか高い屋敷を睨んだ。

「絶対に許さないわ」


 外門の門が開くのと同時に、白麗は再び犂州へと足を踏み入れた。そして、立ち入り禁止区域――州主と重役の住む居住区へ入る荷物馬車に身を潜めた。

 ここから出るときのことなど、今はどうでもいい。

 とにかく、この腐った州の膿を取り除くことしか頭になかった。

 州主の屋敷となると、やはり警備も堅い。どうしたものかと考えていると、屋敷の門が開いた。荷車とは比べものにならない豪華絢爛な馬車が姿を現す。

 身を潜め、聞き耳を立てる。懐から取り出した短刀の柄を強く握ったときだ。

「……張主は宮廷へ出る。留守中、抜かりないよう」

 従者だろうか。しわがれた声の男はそれだけ言うと馬に鞭を入れた。

 速度を上げ、砂埃をまき散らしながら去っていくその後ろ姿を、白麗は呆然と見送ることしかできなかった。

 ――何故、朸浪は宮廷へ?

 悪事が露見し、裁かれるために向かったとは考えにくい。

 それに今、宮廷には王がいない。

 王が不在の今、実質的な権力を持つのは、王に知恵を授ける賢老師と国軍を束ねる将軍、そして、各州の相談役である州長官の三名――。

 何が、起ころうとしているの――。

 よく知るはずの麟紫宮が、得体の知れない化け物のように感じた。


 もう、日も沈みかけている。

 白麗はかれこれ数時間、物陰に隠れつつ見張りの目を欺く隙を狙っていた。州主が不在の今、多少警備も緩くなるのではないかともくろんでいたが、そううまくいかないようだ。

 どうしよう――。

 強制突破も考えたが、白麗の足だとすぐに捕まるのは目に見えている。それに、こんなところでじっとしていても、不審者に思われれば、兵から犂札の表示を求められる。さすがに、そうなると逃げ場がない。

 乗り込むまではよかったが、肝心の標的がいなくなってしまったのでは、意味がない。朸浪が戻るまで潜伏する方法も考えたが、禁止区域では物の売買でさえ犂札の提示をしなければならないのだ。何もできないまま、餓死するのはごめんである。

 そのときだ。向こう側から物陰に隠れてはいるが、こちらに向かって手を振る人物がいた。顔は見えないが、面白がっている雰囲気はわかる。

 何であんなところにいるのよ――。

 真っ白い布をかぶった、いつかの占師だ。

 呆れてものも言えない。捉え方によっては兵を馬鹿にしていると誤解され、切り捨てられても文句は言えないだろう。

 まったく、何がしたいのよ。

 私を馬鹿にしに来たわけ? じっと睨めば、占師は身振り手振りをし始めた。自身の懐に手を入れ、何かを取り出しているように見える。そこで、白麗は占師が何を言いたいのか気がついた。

 ――解決口はもう持っている。

「あれは、これのことだったのね」

 白麗が手にしたもの。それは、來族の紋章が入った短刀。父の形見だ。

 すっと立ち上がると、まっすぐ兵の元まで行った。すぐに、行く手を遮られる。

「犂札を拝見させていただきます」

「そんなものはないわ」

 兵の顔色が変わったのは言うまでもない。しかし、白麗は口角を上げると、手に持っていた短刀の鞘を見せつけた。

「これでもここを通してくれないっていうんなら、話は別だけど?」


   ◇


「もう、ずっと昔に捨てた」

 そう答えれば、目の前の影はそう、と短く答えた。

 そして、いつの間にか現れた大切な人の胸に剣を突き刺した。

 声にならない叫びを上げ、手を伸ばした先にいるのは、生涯をかけて守ると決めた人――。

 はっと目を覚ましたとき、自分は夢を見ていたのだと気がついた。

 伸ばした手が力なく落ちる。

 ――夢だとしても、こんな思いをするのはごめんだ。

 乱れた呼吸を整えながら、額に浮かぶ冷や汗を拭う。

 それにしても、ここはどこだ。

 見覚えのない場所だった。今にも崩れ落ちそうな小屋の屋根は、半分崩壊して空が見える。

 俺はなんでこんなところに――。

 だが、今問題なのはそれじゃない。

「……どこにいる」

 今、この場にいてほしい人の姿が見えない。

 だいぶ楽になった体を起こし立ち上がると、体がよろけた。随分と体力が落ちているようだ。

 しかし、立てないほどでもない。

 洸樹は、日の出前の空を見上げ呟いた。

「どこに行ったんだ、姫さん」


   ◇


 外壁を出てしばらく行くと、森の入り口につく。しかし、そこはまだ深淵の森ではなく、その手前に広がる森だ。少女とはこの場所で初めて会った。

 足取りが重くなり、そして止まった。

 結局、何もできなかった――。

 大粒の涙が頬を伝い、地面にしみる。力が抜け、地面にへたり込みそうになったときだ。

「おねえさん」

 少年の声が聞こえて、顔を上げた白麗はさらに涙が止まらなくなった。

「何そんなに泣いているんですか。目が腫れて出目金みたいになっても知りませんよ」

 久々に聞く、声。

「――洸樹」

 駆け寄り彼の胸に顔を埋めれば、驚いた気配が伝わってきた。

「目を覚まして、本当によかった」

 真っ暗な空に一筋の光が射したようだった。

 しかし、心は晴れない。


 それから二日後。白麗と洸樹は馬に荷物を載せていた。

「本当に、行くの?」

 少年の問いに白麗はうなずく。

「あの州主を放っておくわけには行かないわ」

 当初の予定とだいぶ狂ってしまうが、洸樹もわがままにつきあってくれる。危険な賭ではあるが、野放しにできるわけがない。

「世話になったな」

 洸樹が少年に言う。

 結局、少年の名を知らないままだったな、と思いながら白麗も少年に別れの言葉を伝えた。

 すると、それまで目を伏せていた少年は、思い立ったように顔を上げると、白麗と洸樹の顔を見て言った。

「ボクも連れて行って欲しい」


   ◇


 王座に座り、その手すりを興味深く眺めていたときだ。

「一体いつまでお座りになっているつもりですか」

 玉間に入ってきた男を一瞥して再び視線を落とした。いつの間にか日は沈み月がでている。

 磨かれた床に反射する月光を眺めていれば、再び男が声を上げた。

「……うるさい」

 鋭い声を放てば、黙ってしまう。従順な人間は使えるが、ひどくつまらない。

 ふと懐から黒い石を取り出した。人の目ほどあるこの石は、紅貴の妹である白麗の部屋から見つかったものだ。

 これを見たとき、内心歓喜の声をあげた。しかし、これは――偽物だ。

「――黒珠はどこにある?」

 ただの硝子玉だったそれは、握りつぶされ破片となり玉間に散らばった。

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