第4話【マスクパレードの秋】

 遠くの船の汽笛合図が小さく聞こえる夜の海。他に目立った音はない。

 いつもの屋根の上。ライゼもすっかりここが気に入ってしまったようだ。出来るなら、隣に誰もいない方が良い。

「ねえライゼ」

 そんな彼の理想をぶち壊し、毎晩屋根の上に登ってくる少女がいる。まるでそこにいるのが当たり前だと言わんばかりに、涼しい顔をして。

 底抜けに大きな好奇心を持ち、何にでも首を突っ込み、何でもかんでも聞きたがる。一日十回は彼女の「ねえ」を聞いている。せっかく遠くの水平線に思いをせているというのに、うるさくて気が休まらない。

「なんだよ」

 ライゼは彼女の兄貴分としてうわべだけの返事をしてやる。

「新しい名前、欲しいと思う?」

「いいや。別に」

 この少女はアーシャたち人間から「バンダナちゃん」などという変な名前を付けられていた。今まで仲間内から101ワンゼロワンと呼ばれていたのが、急に間抜けになってしまった。

 確かに間抜けだが、そこにアーシャの気遣いがあったのは分かっていた。名前と認識させてはいけない。ただのあだ名なら、それは「エンゲージ」に到達しないから。

「記憶がなくなるって、どんな感じなのかな」

「そうだな……記憶がなくなるってのは「記憶がなくなったらどうしよう」なんてクヨクヨ考えてたことまで忘れちまうってことなんじゃねえのか。あーだこーだと想像するのもバカバカしくなるだろ」

 101ワンゼロワンはぷうっと頬をふくらませた。

「なんでそんな意地悪言うの」

 子供の発想に付き合わされるこっちの身にもなってほしい、とライゼはごろんと横になってそっぽを向いた。でも、その話が遠からず他人事ではないとだけ、彼は分かっていた。

「もし私の記憶がなくなったら、ライゼはどう思う?それって、ある意味幸せなことなのかな」

「さあな。お互いのことが分からなくて、殴り合いのケンカが始まるんじゃねえのか?」

「嫌だよ、私ライゼとはケンカしない。勝てないもん」

「そうだといいな」

 相手をしているときりがない。ライゼは適当に相槌を打って終わらせた。


          ◇◆◇


 その日の教室は休憩時間のざわつきがいつもと違った。イークダッドで行われる年に一度の祭りが近いせいもあるのだろう。

「ねえ、もう完成した?」

「大体ね。あとはニジドリの羽根が三つ四つあれば完璧なんだけどなぁ」

「決めた!わたし、今日告白するから!」

「うそ!ねえ誰?教えてよ」

 秋も深まると、イークダッドは「マスクパレード」に浮かれ始める。もしかすると新年を迎えるよりも盛り上がる行事かもしれない。

「今年はスロビ大橋を超えるルートになるらしいよ」

「ホントかよ。お前んの近く通るんじゃねえの?」

「ああ。もう爺さんなんか腰が悪いのに張り切っちゃってさぁ――」

 仮面、仮装で町を練り歩く人々が通りを埋め尽くし、大仰おおぎょうな鈴の鳴り物をシャンシャンと鳴らし、太鼓を叩き、踊り、一年の憂さを晴らす。多くの学校や仕事場もその日を公休日とさだめているほどの力の入れようだ。

 マスクパレードには七十余年の歴史があり、今のエスタビア連合国イークダッド州が、かつてイークダッド王国という一つの小さな王政国家であったころから続いている。近海特産物であるオグロという魚の最漁期を過ぎた頃に行われ、豊漁をたたえ、誇示し、王家を楽しませるためにり行われたのが始まりだという。

 今では王政がたおれ、漁師以外の働き口も多くなり、祭りのり方も変わった。それでも、州外や国外からの観光客も訪れるほどに有名で、イークダッド州民にとっては秋と言えばマスクパレードの季節。魂を揺さぶる祭りなのだ。

 特に今年はユウたちにとって、少年少女時代に迎える最後のマスクパレード。大人としての義務を背負う前の、青春を謳歌おうか出来る最後の年。気持ちの上ではまったく違う。毎年この日は十四歳どうしのカップルがもっとも多く誕生するのだそうだ。


 そんな浮かれた同級生たちに囚われることなく、無心で周りへの遅れを取り戻そうとテキストを読みふけるユウだったが、

「ユウ様、ユウ様!なにとぞ!何でもしますから!」

 やかましいのが一人いる。前の席に横座りして、こっちの机に頭を擦りつけるのだからたまったものじゃない。

 ユウは仏頂面ぶっちょうづらのまま前を見た。その視線は騒がしい友人カイルを通り越し、黒板の文字を追う。ユウはただでさえ他人の半分しか学校に通えない。よって、その短い間に人の倍は勉強しないといけない。算術に史学に文学、やらねばならないことは山積みだ。

「カイル、とりあえずそこどいてくれるかな。見えないよ」

「どけばよろしいのですね!おおせの通りどきますとも!その代わり――」

「うるさい」

 いつになく辛辣しんらつ一蹴いっしゅうする。「それだけ元気があるなら本人に直接言いなよ」

 カイル本人は秘めた想いのつもりだったらしいが、近頃彼がアーシャのことを気にかけているのはユウもとうに知っていた。それがここ最近はまったく隠さなくなってきたのだ。非常にうっとうしい。

「言えるわけないだろぉ……」

 カイルは、ユウとアーシャが最近ちょくちょく会っていることに目を付け、ユウをしつこく問い詰めた。そしてどうやらユウはアーシャを恋愛対象として見ていないのではないか。そんな結論にいたるや、今度はアーシャと近づくきっかけをユウに求め出したのだ。

「三人でカフェに行くのでも、釣りに行くのでもいいんだ!」

 血の涙でも流しそうな暑苦しさで迫ってくる。

「僕にそんな暇が無いのは分かるだろ」

「そこを何とか!」

 カイルのわがままに付き合いたくない理由がもう一つある。この時期は異性に話しかけただけで周りがざわつく。特に女子が。

 ユウはパタンとわざと音を立ててテキストを閉じた。そしてため息一つのあとに少し離れた席にいるアーシャに向かって、

「アーシャ!」

 そう呼びかけるなり小さく「きゃあっ」と黄色い歓声が上がった。「あの二人がくっつくなんて!」という興味の目線がユウにグサグサと突き刺さる。思った通りだ。

 いつも三白眼さんぱくがんのアーシャが四白眼しはくがんになって、どきりとした表情を見せた。

「カイルが何でもするってさ!」

 情報をぎゅっと圧縮して、もとい端折はしょって伝えた。

「お、おい!バカかお前は!物事は正確に伝えろよ!」

 カイルが慌てふためく。

「は?」

 アーシャの返事は短く、反応は冷たい。というより、何も伝わっていない。

「これでいい?」

 ユウはカイルに一瞬だけじとっとした目で「残念だったな」と合図を送る。

 「違うんだよアーシャ、今のは――」とカイルが弁解に向かう。何やらぎこちない身振り手振りでぐねぐねと動いているのが滑稽こっけいだ。結果的に話すきっかけができて良かったじゃないか、とユウはまたテキストを開いた。ようやく机が静かになった。


 マスクパレードか……とユウはぼんやり考える。

 三年前のマスクパレードには父の姿があった。元来マスクパレードは豊漁を讃える祭りであったという名残から、港湾こうわん組合ギルドの上級幹部であった父は祭りの主役のような扱いで、注目の的であった。人々が彼をはやし、彼もまた観客を大いに盛り上げていたのを覚えている。

 気概のある若者を誰かれ構わず可愛がる豪放磊落ごうほうらいらくな海の男、ケブロン・ウィナ。

 以前からユウの父ケブロンはことあるごとに相談を持ち掛けられた。赤ちゃんが夜中に泣き止まないとか、妻が経営している料品店が盗難に遭ったとか、およそ組合ギルドの仕事とは無関係であったが親身になって人の世話をした。

 反面、商会の連中とは馬が合わずにたびたび殴り合いのケンカもやった。しかし部下には決してそれを許さず、手を出させず、自分だけがとがめられるように仕向けていた。そんな「背中で語る」父だった。

 もっともそのおかげで、町の中で港湾組合ギルドの評判は「荒くれものの集まり」だの「ヤクザの掃きだめ」だのと最悪だったが、だからこそ港湾組合ギルドは仲間内での結束が固かった。

 父の事故の後は多くの人がユウの心配をしてくれた。突然独りぼっちになったユウに食べ物や衣服を提供してくれる人も多く、父の復活を諦めて孤児院に入ることを決意するまでの一ヶ月間、それに助けられて過ごしていた。父がこれほど多くの人から信頼されていたのだと思うと、胸が熱くなったものだ。

 だがそれと同時にあちこちから「商会の連中が汚い手を使いやがった」などと恨み節を聞くようになったが、冷静になって考えればそんな証拠はどこにもない。それにユウにとっては誰がやったかなどどうでもいいことだった。

 ――マスクパレード。なぜマスクパレードはこんなに華やかなのだろう。僕にとっては悲しい思い出があるというのに。

 そしてユウは我に返った。こんな事を考えてる場合じゃない。


          ◇◆◇


 一ヶ月前、エンヴァラ帰りの船の中でアーシャと出会った当初のバンダナちゃんは始終おどおどしていて口数は少なく、人見知りが激しいのか周りのあらゆるものに怯えていた。しかしあぜ道から拾われた子猫のように、日が経ち安心するにつれて好奇心旺盛になり、活発になっていった。

 二人のドールたちはアーシャの部屋に身を隠しているが、自分の身の置き方をわきまえているライゼと違って、バンダナちゃんは穴の開いたバケツのように自由奔放。アーシャの姉が不在とみるや、その部屋に忍び込んでは流行りの恋愛小説を拝借し、アーシャの部屋で飽きることなく音読にふける。そして勉強中のアーシャに怒鳴られる。

 ドールたちの目的も、行先も、どこから来たのかさえも分からない。けれど、今彼らは幸せなのかもしれない。もっと人間社会に溶け込めば、彼らもきっと人間として暮らしていける。そうであってほしいとアーシャは思う。


 今日もアーシャの話を聞くなり、バンダナちゃんは目をキラキラさせた。

「マスクパレード?」

 片やライゼは頬杖を突いてつまらなさそうだ。

「あんまり人込みにでるのは危険――」

「行きたいです!」

 バンダナちゃんはライゼの話なんて聞いてはいない。

 こんなのだから心配なのだ。彼女はただでさえ頻繁ひんぱんに迷子になる。歩いている途中に蝶でもアメ売りでも、あらゆるものに興味を持ち、気が付いたらいなくなっている。

「俺はパスな。二人でよろしくやってくれ」

 手をひらひら振って、また窓の向こうの景色を眺めるライゼ。

「バっカねえ。イークダッド民になったアンタに祭りの拒否権はないのよ」

 アーシャがため息をついた。

「勝手に俺をこの町の住民に数えるなよな」

「お祭りまであと一週間。さすがにオリジナルのを作るなんてもう無理よね」

 アーシャはもう「オリジナル」を作ることについては今年の夏から諦めていた。どこにもない自分だけの仮面や衣装を着けて参加することがこの祭りの醍醐味だいごみだというが、成人したら父の海運会社で働くために、春先から父親に連れられて外国へ遠征することが多かったのだ。

「オリジナル?オリジナルの何ですか?」

「仮面とか、衣装よ。そりゃあ二、三ペールかそこらで安っくてぺらっぺらのハーフマスクなら近所でも売ってるから、それでもいいかなあって、今妥協を考えてるトコ」

「マスクを作る、ですか。……うん!やろうよライゼ」

「なんで俺を巻き込む!」

「はは、無理よ無理。作るための材料だってないのに――」

 アーシャは苦笑いで言いかけて、ふと思い浮かんだ。

「……いや、あるわ」


 三人がやってきたのは、ユウの働いている「フレッズ工房」。その日ユウは学校に来ていなかったから、今日は仕事の日なのだろう。

 「フレッズさん、ごめんください」と元気よく挨拶したアーシャを、親方の奥さんが出迎えた。相変わらずこの工房は木を削った時に出る、どこか香ばしい匂いが蔓延まんえんしている。居心地がいい。

「あっらぁアーシャちゃんじゃない!またユウに用があるのね。今日はお友達も一緒?」

「ええ、近所の子たちです」

「そうなのね、さあさあ、お上がりなさいな」

 話が早くて助かる。しかし奥さんはなぜか妙ににこにこしていた。またユウは二階にこもっているらしく、奥さんは階段上に向かって両手でメガホンを作る。

「ユ~ウ君!ユ~ウ君!カ・ノ・ジョ・よっ!」

 違う。

 「だから――」と上からユウのうんざり声が上がると同時に、「何だとおおおッ!」と別の声も混じって聞こえた。

「落ち着けってカイル、アレはおばさんの冗談で!」

「お前というやつはあああ!」

「聞けよ!」

 二階がドタドタと騒がしい。何かまずいことをしてしまったのだろうか、という罪悪感を感じてしまう。

「わはあっ!」

 またバンダナちゃんが唐突に変な声を上げた。

「“わはあっ”って初めて聞いたわよ。なんの声よそれ」

「これ!これってアレですよね!前にお姉さんの本で読んだ……えっと……そう、「修羅場」!」

 大興奮だ。そのうえまたバンダナちゃんが変な言葉を覚えた。今度から姉の部屋には鍵をかけてもらうしかない。

「えっと、お邪魔します……」

 どういう顔をしていいか分からず、アーシャはドールたちを連れ立って階段を上った。

 バンダナちゃんは階段を上りながらも初めて見る景色にキョロキョロと見回す動作が止まらない。後ろのライゼがつっかえて迷惑そうにしているのにも気づかないようだ。


「なんだよアーシャ」

 ユウはアーシャの顔を見るなり、開口一番面倒くさそうな声をぶつけてきた。おばさんにからかわれた腹いせもあるのだろう。「こんなタイミングで来なくてもいいじゃないか」という不満が透けて見えるようだ。

 その隣には、なぜか同じクラスの男子、カイル・ホドミッツがいる。ガチガチな表情で、部屋の暑さで出た汗なのか、あるいは緊張で出た冷や汗かを流している。

「や、やあ、アーシャ」

 そのぎこちない挨拶に、アーシャは「うん」とだけ返した。

「ねえユウ」

 アーシャがそう切り出しただけなのに、カイルはいきなりむすっとした目をユウに向けた。

「――パレードで使うマスク作りたいんだけど」

「え、今から?」

「そうよ、今から。ギリギリ何とかなるかもしれないなって思って」

「そう」

「ここの木材って、ちょっともらってもいいかなぁ?なんて思って、ね」

「親方に言ってくれたら、何とか出来るかもしれないね。下っ端したっぱの僕には決められないよ」

「まあ、そりゃそうなんだけどさ。ついでにほら、手伝ってよユウ。あんたのも一緒に作ればいいじゃない」

「うーん……でも、火の番を始めると仕事の手は止められないんだよ。トイレだって我慢しなきゃいけないんだから」

 やはりだめか、とアーシャは落胆する。さすがに仕事を言い訳にされると強く出られない。木材削りに慣れているユウなら戦力になると踏んだのだが。

 ユウは腕を組み、少し考えてから「あ」と何か思いついたような声を上げた。

「カイル」

「ひゃい!」

 今まで黙っていたカイルが素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。

「僕の代わり、お願いしていい?」

「代わりだって?俺にこの窯を見てろっていうのか?そりゃお前、無理だって。この工房ごと丸焦げになるのが――」

「いや、そっちは任せられない。アーシャの方」

「お、おま!おまユウお前!え!それ本当か!えっ!」

 カイルが壊れた。

「親方がいいって言えばの話だけどね」

「よし、わ、分かったよ!アーシャ、任せてくれ。すごいのを作ろう!」

「え、うん」

 カイルのテンションがすごい。長袖を肩までまくり上げ、鼻息荒くずんずんと階段を下りてゆく。

 アーシャがふと見ると、バンダナちゃんはチポリのジェイと遊ぶのに夢中になっている。ジェイの方も尻尾をピンと立てて興奮しながらボールを追いかけているのだから相性はぴったりのようだ。

 マスク作りの言い出しっぺがこの調子か、とつい苦笑いしてしまったが、バンダナちゃんが工房で親方の仕事を見ていたら余計に興奮して迷惑をかけてしまうかもしれない。小動物の遊び相手をしている方がスムーズに事が運ぶような気がした。

「ライゼ、行くよ」

「俺だけか?」

「いいのよ。――ユウ、バンダナちゃんをお願いね」


 親方のフレッズは火山岩で木材の仕上げの研磨をしている最中だった。

「フレッズさん、こんにちは」

「おぉ、アーシャちゃんか!そっちの男ん子は初めて見るの」

 ライゼは小さく会釈えしゃくをした。相変わらず警戒心が強い。「友達ですよ」とアーシャが軽く受け流す。

「どうしたんだい、こんなところまで」

「パレードのマスクを作りたいんです。もしよかったら木材を分けてもらえないかな、と」

 その言葉にフレッズはとてもうれしそうな顔をした。

「そうかァ!まだ君みたいなモンがいるとはねえ!」

 聞けば、今の流行は柔らかくて色鮮やかなリネン製や、軽くて丈夫なセラミック材の物なのだという。木材で昔ながらの伝統的なマスクを作る人は年々減ってきているらしい。確かに流行の素材に比べると木材は重いし作り辛いし、見た目の気品もなく、あまりメリットがない。

「ああ、俺んとこも十年前まではマスク作りの依頼がぼんぼん入ってきて、弟子にしてくれってやつまで何人か現れたぐれえさ」

 これだけ親方が喜んでいるのだから、他に選択肢がなく……という実情は話さない方が賢明だ。

「アーシャちゃんたちはあくまで自分たちで作りたいっていうのか?」

「ええ。不器用だけど、自分の手で作るのが一番。マスクパレードってそういうものでしょ親方。それに、逆に木で作るマスクって今時貴重で目立つじゃない」

「ほほー、いいこと言うねぇ。よし、道具は好きなもん使っていいからな。あー、でもあんまり危ない刃物は俺の見てる前で使ってくれよ」

 と、ずいぶん太っ腹だ。


 アーシャとカイルは適当な木材を選ぶ。と同時に、アーシャの顔の形、横幅や鼻根びこんの位置、鼻先の出っ張り、目の間隔をカイルが一つ一つ測っていく。

「う、動かないでね。そのまま」

「いや、私は動いてないけど」

 そのカイルの顔が真っ赤になり、喉に乾いたパンを詰まらせたかのように緊張して、指先が時折ぷるぷるしている。カイルもこんなに間近でアーシャの顔をまじまじと見たことが無かったのだ。彼にとっては至福の時間であった。

「ねえ、もういい?」

「あっ、う、うん」

 ちょっとじっくり測りすぎかもしれない。

「よし、アウトラインはこれでいいね」

 まだブロック状の木材にインキペンで線を書き込み、下書きをする。

「これじゃあシンプルすぎて面白くないわ」

「うん、ここからアレンジしていくんだ」

「羽根が欲しいわね」

「じゃあ、この辺りに挿し穴を作っておこう」

「肝心の羽根は……」

「うーん?どこかに売ってたかな」

「やっぱ、取ってくるしかないかなぁ」

 悩む二人の脇で暇そうにしていたライゼが「だったら、俺が行こうか?」と提案する。

「本当?ライゼ、ニジドリって分かる?」

「ニジドリ?」

 なんだっけ、と言いたげな表情でライゼは耳に手を当てた。

「……ああ。トルトビス目ニジドリ科ニジドリ……ね。成鳥の体長は約一フィート二インチ、キアマ大陸内の温暖気候の山林地帯を中心に広く生息し、雛鳥の時期に日光に当たる期間が長いほど成鳥になった時に羽が強い虹色になる。逆に日光にまったく当てずに育てると純白の羽根になることが最近の研究で分かっている。初列しょれつ風切り羽は年に一度生え変わり、抜け落ちたものが帽子の飾り物として人気がある。主に樹木中に生息する虫を食べ――」

「ああ、分かった分かった。そう、それよそれ」

 時々ドールは頭の中に百科事典でも入っているかのような知識を披露してくるから怖い。特に事情を知らないカイルやフレッズの前でそれをやるのはいただけない。

「でもアーシャ、風切り羽の生え変わりは夏のはじめらしい。もう抜け落ちた羽根なんて見つからないかもな」

「どうかなぁ。ニジドリさん分けてくれないかなぁ」

 何の気なしにアーシャがぼやくが

「その手があったか」

 と手のひらをポンと叩くライゼ。

「いや、直接むしり取るとか言わないでよ」

「それが出来たら一番手っ取り早いかなって思ったまでだよ。まぁ、日暮れには戻るから」

 ライゼはこの退屈から解放されるのを望んでいたかのようにそそくさと散歩に出かけた。


          ◇◆◇


 一言でいえば「小動物が二匹に増えた」というところか。バンダナちゃんとジェイはすっかり仲良くなって、二階の工房をドタドタ所狭しと駆けまわり、追いかけっこやボール遊びにきょうじたり、でたり頬ずりしたりと楽しそうだ。終いにはジェイがバンダナちゃんの服の中に潜り込んで、くすぐったくて笑い声をあげていたりと落ち着かない。だがバンダナちゃんがいてくれるから、ジェイの不満がユウにぶつかってくることもない。

 やがてどちらも疲れたようだ。ジェイはバンダナちゃんのふとももの上でドーナッツのように丸く寝てしまって、ようやく静かになった。

「ユウさんは、ここで何をしているんですか?」

 バンダナちゃんの好奇心攻撃が、今度はユウを狙い打った。

 けれど、ユウにとっては心地いい物だった。自分もちょうど話し相手が欲しいと思っていたから。

「木を焼いてる。焼き木っていうものを作るお仕事をしているんだ」

「へぇ~。木を焼くと焼き木になるんですか。炭になるんじゃないですか?」

「勉強熱心だね。これには薬品を塗ってるんだ。それを炭にならない温度であぶる。そうすると――」

 ユウの長話を、バンダナちゃんはうんうんと頷きながらしっかり聞いてくれている。バンダナちゃんは何にでも興味を持つ。ユウにとっても、自分の得意なことを聞かれるとうれしくなって多弁になる。親方もそうだ。それは自分の仕事に誇りを持っているからだと思う。

「ねえバンダナちゃん。今度は僕が聞いていいかな」

 バンダナちゃんははっとした顔を見せた。自分が何かを聞かれることはあまりないのだろう。

「はい、いいですよ」

 その返事まで少し間があったが、バンダナちゃんは笑顔を見せた。

「君たちの言っていた「エンゲージ」って、何なんだい?」

「エンゲージ、ですか」

 答えていいのかどうか、思案している様子。ひょっとするとアーシャやライゼから余計なことをべらべら喋るなと釘を刺されているのかもしれない。それにユウは言葉を重ねた。

「それって、言い換えれば「婚約」とか「契約」って意味だよね」

「そうです。私たちドールにとっては、名前をもらって、契約することを指します」

「名前をもらう……か。名前を付けることがエンゲージなんだね」

「はい」

「じゃあ、僕が君に名前を付けてしまうと、それがエンゲージになってしまうのか」

「そうですね。でも、エンゲージをしないと、私たちドールは本当の力を出せない、そう教えられました」

「教えられた。誰から?」

「はっ、あっ……それは、えっと」

 何かとても言いづらいことのようだ。ユウは慌てて苦笑いした。

「いいよ、ごめんごめん。言わなくて大丈夫だからね」

 ドールの世界にもいろいろと事情はある。それでいいじゃないか、とユウははやりかけた好奇心を落ちつけた。

 でも、こっそりと考えてみた。

 ――もし僕がこの子に名前を付けるなら、どんな名前にするだろうか。

 ――父さんが僕の名前を考えた時、同じ気持ちだったんだろうか。


          ◇◆◇


 ドールの身体は動力の節約さえしていれば一、二週間は外部エネルギーの補給を必要としない。人間と同じように食事という行為によってエネルギーを得ることも可能であるが、やや効率は良くない。しかし先日の孤児院の一件で、どうやらバンダナちゃんこと101ワンゼロワンがアーシャの目の前で食事をしたことによって、アーシャの考え方が変わったらしい。あれから毎日食事を運んでくるようになった。

「飯の分ぐらいは働くか」

 ライゼがこんな面倒ごとを引き受けたのも、そんな負い目からだった。タダ飯食らいとは呼ばれたくない。

 どこから山道に入るか、むしろ開けた舗装道路で見つかれば後は楽が出来る。ライゼはそんなことを思案しているうちに、以前通った孤児院への道をたどっていた。

 だがやはり、そう簡単に事は運ばない。こんなきれいな道に、季節を超えて羽根が落ちているわけがない。

 秋の暮掛かりの山道は落ち葉がこんもりと積もっていた。特に人通りのない道は乾燥したそれが踏みしめるたびにザクザクと音を立てる。

「あー、これ面倒くさい奴だ」

 一人納得の声を上げる。そう、この落ち葉が曲者だ。夏の間に抜け落ちた羽根など、とうに落ち葉に埋もれてしまっているに違いない。

 ライゼは少しだけ考え込んだ後、「やっぱアレしかねえな」とつぶやいて、辺りをキョロキョロと見回した。

 周りに人影はない。そう判断すると、彼は右手を大きく振りかぶった。

「久々にやるぜえ……!」

 拳を握り、力を溜めに溜めた右腕が震える。

 今がピークだ、そう判断したとき、ライゼの目がカッと見開いた。斜め四十五度、山の斜面に向かって音速の拳を振り下ろす。

「オラァッ!」

 衝撃が地表を駆け抜け、地肌がめくれ上がり、嵐の日に護岸に打ち付ける波しぶきのように土がはじけ飛んだ。

「うーん……」

 巻きあがってばらばらと落ちてくる落ち葉の雨をじっと眺め、

「無いな」

 その中に羽根が混じっていないことを確認した。

「あー、ダメだこれ。本当に面倒くさい奴だ」

 そう愚痴を言いながら、またライゼは山を登る。


 人に気づかれては後が大変だと思いつつも、地道にやるのは性に合わない。ライゼは山をまるごと耕すかのように地面を殴り、土を巻き上げ、落ち葉の雨を降らしていった。それだけやって、やっと汚れたニジドリの羽根を一枚拾っただけだ。

 深く根を張った木々が密集していると、衝撃はほとんど吸収されてしまう。これではすこぶる効率が悪い。時間にしても、エネルギーにしてもだ。山の土砂崩れを防いでくれているこの森が、少し憎らしくもなった。

 効率が悪い。

 ――失敗作

 ふとそんな言葉を思い出した。

 失敗作が失敗作と呼ばれた一つの理由として、いわゆる燃料と稼働時間の対比のようなもの、エネルギー効率の問題が挙げられていた。

 効率が悪い。無駄が多い。失敗作。ライゼは耳に残る不快な言葉に舌打ちをした。

「誰が失敗作だ。クソが」

 独り言とともに拳をぎりっと握る。腹いせにもう一発山を殴ってやろうかと思っていたが、ふと上空を見ると、鳥たちが何やら騒いでいた。これだけ山を荒らせばそれも当然なのだが、空中で円を描いてはばたくその姿が、確かに虹色の羽根をしていたことに少し心が弾んだ。ニジドリに間違いない。

「おおっ」

 ライゼは手近な木に登り、あわよくば直接むしりとってやろうと、しばらくじっとして鳥の行く先を目で追った。近くに巣があるに違いない。ひょっとすると巣にも何枚か羽根が落ちているかもしれない。

 ニジドリはやがて落ち着いたのか、奥の高い杉の木の群れに潜っていった。「よし」と一言。目星をつけたライゼは落ち葉のクッションに飛び降りると、一直線にそこを目指して駆けた。

 もう日も暮れかかってきた。落ちた羽根を狙うなどと穏やかなことは言っていられない。何も今日中に数を揃える必要はないのだろうが「あれだけ時間をかけてたったの一枚?」などと人の苦労も知らずに文句を言うアーシャが想像できたからだ。ムカつく。それにまた日を改めて羽根探しに来るのも面倒くさい。

 まずひとっ跳びで一番下の枝に足をかけると、姿勢を安定させ、手近なウロや枝を手足で探り、ひっかけながらスムーズに登ってゆく。

「へへ、そのまま待ってやがれ」

 すでに勝ち誇ったような笑みを浮かべるライゼだが、特にそのあとのことは考えていなかった。

「羽根ェーっ!よこせー!」

 ニジドリからしてみると、突然マイホームめがけて鬼気迫る顔の変な生き物が登ってくるのだ。当然、巣と卵を守るためにその闖入者ちんにゅうしゃを追い払おうと大声を上げる。バサバサと羽ばたきながら、数羽の群れがライゼに襲い掛かった。

「いてえ!何すんだ!」

 むろん、それはライゼに言う資格のない言葉である。

 とがったくちばしにお尻を突かれ、仕返しに足でけん制する。首元にやってきた一羽をとっ捕まえてやろうと右手を伸ばした。しかし加減が難しい。ここで一羽叩き落すことぐらい簡単だが、きっと羽根のために鳥の命を奪えばアーシャは喜ばないだろう。上手く羽根だけを何枚かもらえるか。

 何度かトライしていたその時、支えにしていた左手の甲を別の一羽に突かれた。

「いだっ!てめ、ちょっとぐらいいいじゃねえかよ!」

 さらに肘にもう一撃もらう。

「ってッ!」

 両手が離れた。視界が大きく動いて反転する。

「くそっ!」

 不安定なひっかけに置いた足の力だけで数秒絶えたが、全体重がのったとたんに木の皮が音を立てて剥がれた。

「がっ!」

 破れかぶれで振りぬいた左手がニジドリの風切り羽をかすめた。……と同時に、ライゼは真っ逆さまに転落してしまった。十五フィートもの高さを落ちる間に何とか着地体勢を取れるかと思いきや、太い枝に身体がぶつかってバウンドし、「んぶッ!」間抜けにも顔面から地面にぶつかってしまった。

「きゃあっ!」

 その瞬間、女の悲鳴がした。

ってー……」

 ライゼはおでこをさすりながら起き上がった。落ち葉が積もっていなかったらドールの身体でもかなりのダメージを負っただろう。

「だっ、大丈夫……ですか?」

 透き通った夕日のような茜色をした声。なぜその高さから落ちて無事なのか、といぶかしむ声音こわねだった。

 どうやらライゼの落ちた所はちょうど舗装道路と森の境界線辺り。開けた道路を歩いていたこの女からも見える場所だったというわけだ。

「あー、わりぃ……いや、すみません。大したことないんで。大丈夫」

 相手の恰好を見ると、いつもアーシャと交わしているようなラフな話し方が場にそぐわないように思えた。ボンネット型のフードを被り、ラタンのふたつきバスケットを持った金髪の女。歳は三十過ぎだろうか。貴婦人と呼んでもいいような恰好をしていた。

「大丈夫なはずがないわ。一度お医者に診てもらった方がよくてよ。カイアン通りに病院があるわ。私もちょうどそこに向かっているから一緒に……」

 そんな無防備な恰好で日の沈みそうな山道を歩いているアンタの方がよっぽど危ないだろう、とライゼは内心で呆れる。

 顎先を横にひねって少しずれた骨格の接続を元に戻した。でも正直なところ少し痛くて首をさする。

「カイアン通りの医者?ああダメダメ、あそこはヤブだ」

 実は全く知らないが、地元民らしさをアピールしておいた。「それに俺、人より体が丈夫なんでね」

 そんな時、ふと目線を下に落とすと、新鮮な虹色の羽根が三枚、落ち葉の上に乗っているのに気が付いた。さきほどすれ違いざまに掠めた指がニジドリから抜き取ったのだろう。

「おっ!こりゃいいや」

 大きいのが一枚、中くらいのものが二枚。アーシャもこれならよしというだろう。

「んじゃ、俺の用事は終わったんで、もう日が暮れるから、アンタも気をつけな」

「え、ええ」

 女は押し負かされたような声でライゼの背中を見送った。


 そして、ぽつりとつぶやいた。

「あの子……ガーディアンドールね」

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