4. 自覚

 目を開けると、青空だけが明るかった。鼻腔をくすぐる香しい花の香りで、気絶する前に自分が何をしていたのかを思い出す。

「気がついた?」

 こちらを覗き込んだ顔に驚いた。

「エレン……先輩?」

 いつの間にか、気を失う前よりも多くの人の気配があった。身を起こせば、エレンだけではない、同じ団に所属する騎士達数人がそこにいた。

 だけど、一つだけ見当たらない。

「ユーノは!?」

 気を失う直前まで居た彼の姿が何処にも見えない。庭にいる顔を何度見回しても、ユーノの姿が見つからなかった。

「彼は居ないわ」

「では……」

 逃げてしまったのだろうか。ベックウィズを殺した後で。ベックウィズの姿も見当たらないので、ソフィアの胸は騒ぐ。

「ベックウィズも無事。今連れていったわ」

 禁止されている私兵を所持していること、その私兵を騎士に向けて危害を加えようとしたこと。その説明をしてもらうのだそうだ。彼女たちがここに来たのは、まさにソフィアが気を失った直後であったらしい。地に伏す武装した男たち、剣を抜いた騎士、安全圏に立って状況を見ていたベックウィズ。何があったのか容易く推測できるほど、完璧な状況だった。

 そして、ラグナスが声を掛けたとき、ユーノは剣を向けてベックウィズに歩み寄ろうとしている最中だった。彼はユーノの凶行を引き止め、宥め、何処かへと連れていったらしい。今二人がこの場にいないのはそのためだ。

「間に合った……んですね」

 ようやくソフィアは胸を撫で下ろした。これでベックウィズは裁かれ、ガスターの件も明らかになるだろう。また隠蔽されてうやむやになる可能性は考えていなかった。万が一そんなことになるのなら、黙ってはいない。

 ところで、どうしてエレンたちが都合よくこの場所に現れたのだろうか。気にはなったが、疲れたエレンの顔を見て、今訊くのは諦めた。どうせ、後で誰かが説明してくれるだろう。


 その後、ソフィアは状況説明だけ求められ、取調官の前で素直に――ユーノの件だけは伏せて、呼び出された経緯についてのみ――答えた。エレンやラグナス達は、日が変わった今日も事後処理に追われている。だが、ソフィアはこの事件の当事者であるために手伝うことを禁じられ、暇を持て余していた。

 こうなってしまっては、剣の訓練の他することがない。訓練場で一人剣を振るう。周囲には同じような騎士が幾人かいるが、皆一人で黙々と剣を振るっていて、とてもではないが手合わせを頼める雰囲気ではなかった。

 こんなとき、と頭の中で誰かのことを思い浮かべてしまう。

 果たして、その願いは叶えられたのか。

「精が出るな」

 訓練場の端の方でヴィクターが手を振っている。できれば話したいと思っていた相手。本当は今日にでも頃合いを見計らって会いに行こうと思っていたのだ。それが向こうから訪ねてきてくれて、ありがたい。

「大変だったらしいな」

 その気安さがなんともほっとする。最近は気の抜けない相手との会話ばかりだったから、彼と話せることが本当に嬉しくて堪らない。

 これまでのことを思い出し、今更ながら胸がいっぱいになった。その胸のうちを晒すことができる相手をようやく見つけたのだと思ったら、今まで無意識に張りつめていたものが弛んでしまったのかもしれない。

「悪かったな。結局大して役に立たなかった」

「そんなことはない。困ったときにいつも助言をくれた。あれがなかったら、私は動けなかった」

 ヴィクターが叱咤してくれなければ、ユーノのことを調べてみようとも思わなかっただろう。調べ物に行き詰っていたときに助言をくれたのも彼だ。ヴィクターがいなければ、ユーノはベックウィズやオグバーンを殺めていただろうし、ソフィアはもしかするとそれすら知らないままうじうじして終わっていた。

 剣をしまい、ヴィクターと共に隅に移動する。落ち着ける場所に来た途端、するすると口から言葉が飛び出した。絹の事件のこと、コニーやオグバーンのこと、ユーノと一度話したこと。

「ベックウィズについては、どうも兄も調べていたらしい」

 私兵をけしかけたときにソフィアの兄の名を口にしていたベックウィズ。あのときは何故なのかと思ったが、あの後兄――オズワルドが、透澄の翅衣関係でベックウィズの身辺を調べていたことを知った。話をしているとき、どうも変だと思っていたのだ。呼び出しはソフィア自身やラグナスが原因だと思っていたから。

 母が透澄の翅衣を購入後のこと、ソフィアはコニーやオグバーンといった透澄の翅衣を所持していた商人達と会っていたこともあってすっかり頭の隅に追いやっていたのだが、兄は母に翅衣を売り付けられたことに裏があるのではないかと探っていたらしい。恐れたのは、アボットの家が十年前のガスターと同じ事態になること。故に、ガスターの件に深く関わっていたベックウィズを調べていたのだそうだ。それをベックウィズはアボット家が彼を失脚させようとしていると考えた。奇妙なすれ違いである。

「家に帰ったら、兄上に謝られた」

 もう少し慎重になっていれば、ベックウィズはソフィアを狙わなかっただろう。それに加え、以前ソフィアを止めたこともあった手前、こんなことになってしまって後悔のしきりだった。結果としては、ソフィアは彼に接触できたので万々歳だったのだが、オズワルドは妹を危険に晒したことを今も気にしている。

「しかしお前、よくあんな厄介な人と一緒にいたな」

 呆れ顔のヴィクターの突然の話題転換に、ソフィアは怪訝に思う。厄介、とは誰のことか。

「ラグナス・フィオット」

 ああ、と納得する。よくよく考えれば他にいない。

「いろいろ暗躍してるって一部では有名だぞ」

「暗躍!?」

 いろいろしているだろうと察してはいたが、まさか暗躍と言うほどのことをしているとは思わなかった。いったいこれまで何をしてきたのか、と呆れた。そして、それを知らずに従っていた自分自身にも。

 一度何処かで二人でいるのを見かけて、ずっと気にしていたのだという。隙あらば忠告しようと考えていたらしいが、ヴィクターにはヴィクターの仕事があり、叶わなかった。

「全く、噂は仕入れておけと言っただろ」

 そういえば、遠征前にそんなことを言われていた。忘れていたわけではないのだが、ユーノのことにかまけていて、それどころではなかったのだ。

「感心な人物でないことは分かっていたんだが……。でも、彼の協力がなければ、ここまで調べられなかったと思う」

 ソフィアだけでは正攻法でしか挑めない。真正面から突っ込むことしか取柄がないのだ。そんな自分を悔いたことはないが、それですべて切り開けるわけではないことも、痛感した。やり方に思うところはないわけではないが、付き従って正解だったと思っている。

「やっぱり、お前さ」

 といって、言葉を切る。続きを急かしながら、前に似たようなことがあったような既視感を覚えた。

 ヴィクターはやや言いにくそうにしていたが、仕方ないとばかりに肩を竦めた。

「あいつのこと、好きだろ」

「あいつって」

「ガスターだよ」

「はあぁ!?」

 予想外の台詞に驚いて、動揺してしまった自分の声にさらに驚く。

「待て、どうしてそんな話になる!」

「どうしてって、それはお前、端から見てるとそうとしか思えないぞ」

 これには閉口した。端から見てということは、周囲の人々は皆そう思っていたということだろうか。だとしたら、それはあまりに……。

「自分の信念曲げて、フィオットのような人にこき使われて。そこまでする相手だってことだろ?」

 それは確かにその通りだ。どうでもいい相手のために、危険を冒したりはしないし、信念を曲げるような行為をするはずがない。ユーノだからこそ、不当な手段を使うラグナスの助けに甘んじた、のだが。

 ……もしかして、ラグナスもそれを察してソフィアに声を掛けてきたのだろうか。だとしたら、とても居た堪れない。好きな人のために頑張る女の子は、扱いやすいに違いないから。

「だいたい、殺されかけてもまだ見捨てられない辺り、普通の感情じゃないだろう」

 指摘されてますます言葉に詰まる。自分を殺そうとした人間に憎悪を抱くのが当たり前なはずなのに、そうなれなかった。我ながらお人好しだとは思っていたが、ユーノを前にするとどうしても責めることが憚られた。それは、あの縋るような目を見たからだと思っていたのだけれど…… 。

「そんな、馬鹿な」

「別にそんなふうに否定することではないけどな」

 自覚はないだろうとは思っていたが、やっぱりか、とヴィクターに笑われて赤面する。自分の事にも気付かない鈍感ぶりが恥ずかしい。

 だって、今まで恋だなんて考えたことがなかったのだ。騎士を目指す以上そんなことに現を抜かしてはいられないし、普通の令嬢たちのように素敵な婚約者を得て結婚なんて未来も諦めた。そういう甘い夢とはほど遠いところに来たと思っていたのに。

 ああ、でも。

 ユーノから離れがたい、離れたくないというのは本当だ。そのために一月以上いろいろ調べ回っていたのだから。心配だからとか、世話が焼けるからだとか、そういう理由だとずっと思っていたが、もしヴィクターの言う通りだとしたら。

「私は、恋愛感情に振り回されていたのか……」

 理由が分かって納得したような。結局私情だったのだから、がっかりしたような。それはやはり、ソフィアの理想とは一致しないが、自己嫌悪は覚えなかった。諦念と、清々しさがソフィアのうちを満たす。

「いいじゃないか、年頃の女の子らしくって」

「私はそろそろ行き遅れる時期なんだが」

 ソフィアは十八。貴族の娘の結婚適齢期の終わりの方に差し掛かっている。それは、職を持つ令嬢でも同じことだ。あと一年ほどで相手を見つけなければすっかり行き遅れだ。だが、仮に今から結婚相手を捜したとして、良い相手が見つかるかどうか。ソフィアは必要もないのに騎士になった侯爵令嬢。そんな変わり者の娘を進んで娶りたがる者が果たしているかどうか。

「恋、か……」

 けれど、それも悪くはないのかもしれない。彼を心に宿したままでいられて、好いてもいない男性に従うことなく、騎士としての理想を貫くことができる。

 貴族なのだから、恋や愛がなかろうと、いずれ家のために誰かに嫁ぐ。貴族の端くれとして覚悟はしていたはずなのだが、今ユーノのことを思うと、とてもそんなことを受け入れられそうにない。

 この発想こそ、まさしく恋なのだろう。

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