2. 商人の末路

「どうだった?」

 持ち場に戻ってみると、ラグナスがまだそこにいた。オグバーンの店の入口が遠くに見える、交差点にある喫茶店。その窓際でお茶とお菓子を前に寛いでいる。騎士の制服を着ているというのに働いているように見えないのだから、不思議だ。見張りだとは誰も思わないのではないか。

 彼がまだそこにいるということは、突入の命令は出ていないらしい。まさか待っていてくれたのではないか、と一瞬考えたが、否定する。この人は、ある程度優しいかもしれないが、好機を逃すような人間ではない。

「……駄目でした」

「その割りには、清々しい顔してるな」

「決めましたので」

 彼の指摘はもっともで、ソフィアの表情だけでなく、その心の中までここ数週間とうってかわって穏やかだった。本当に、さっきまで悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるほど胸の中がすっきりとしている。どうしてもっと早く決められなかったのかと思う。

「悩むようなことではなかったのに……」

 彼のことを思うなら、答えは決まっていたはずなのに、どうしてその道を選べなかったのか、今となっては不思議だった。即決しなかったことを後悔するほどである。

「いざ直面しないと、折り合いってのは付けられないもんだ」

 優しい声があまりにも意外で、まじまじとラグナスの顔を見つめてしまった。励ましてくれるなど珍しい。いつもは他人を煽ってばかりだというのに。

 ソフィアが何を考えているのか察したらしく、彼は少し拗ねた表情を浮かべた。これも珍しい。

「……受け売りだよ、友人の」

 友人がいたのか、とは言わない。が、ラグナスがそう親しみを込めて呼ぶ相手がいたことには少しばかり驚いた。しかし彼も悪人ではない。少なくとも、ユーノを止めるのを助けてくれる辺りはそうだ。そこを理解し、受け入れてくれる人間がいたのだろう。どんな人なのだろうかと気になった。この人に付き合っているのだから、絶対に苦労していると思うのだが。

 まあ、今は置いておこう。

「さて、それじゃあそろそろ悪人退治と行きますか」

 フォークを置き、お茶を飲み干す。団長たちを呼んでこい、とソフィアに命じ、ラグナスは席を立つ前に再びオグバーンの店に目を向けた。その獲物を前に舌舐めずりしているような姿は、結局のところ彼の本性なのだろう。先程励まされたのも忘れてしまいそうだ。悪人ではないが、やはりあくどい。しかし、それにもいつの間にか慣れてしまった自分がいる。

 やれやれ、と首を振ってから、ソフィアはエレンを呼びに行った。


「オグバーン、家宅捜索令状が出ています。ご協力を」

 先頭きって店に入ったエレンが手に持つ書類を突き出す。それだけで店内は騒然となった。理由を求める責任者をあしらいながら、騎士たちは次々に中に踏み込んでいく。強引だと思わなくもないが、ときに理不尽とも思える力を行使できなければ、罪人は捕まえることができない。

 令状ありきの強行捜査は騎士に与えられた特権の一つだ。ただし、特別であるが故に、責任も重い。だから話を持ちかけたときはエレンも気が進まない様子だったのだが、ラグナスがどうやってか彼女を頷かせた。素直に喜べず、エレンの率いる騎士団の将来に少しばかり不安を覚えたのは言うまでもない。が、今は横に置いておく。

 煉瓦造りであるためか、夏であるのにもかかわらず店内はひんやりとしていた。毛皮でできた飾り物が暑ぐるしく感じられないのはその所為だろうか。並べられた品々が見慣れないことも相まって、異国に来たような気分を味わい、少しばかり緊張する。侵略をしている気分だ。

 店内に客は少なかった。その頃合いを見計らったので当然だ。数人の騎士たちが買い物客をやんわりとした態度で追い出す。大事にする気はないが、きっと騒ぎになるだろう。野次馬が集まる前に終わらせたいものだが、果たしてどれほど抵抗されるか。

「なんなんだ、いったい! うちは騎士に中を荒らされる謂れは全くないぞ!」

 騒ぎに気付いた黒幕がようやく店の奥から現れた。如何にも、といった風情の男だった。贅沢に肥えた腹。鼻の下にだけ生やした髭。一見人のよさそうな顔つきをしていながら、その眼はぎらぎらとして騎士たちを睨みつける。

「それがあるんだなー」

 エレンから受け取った令状をぴらぴらと振って見せながら、ラグナスがオグバーンの前に立った。オグバーンは驚愕をあらわにし、大きくゴツゴツした金の太い指輪をした人差し指を突き付ける。

「お前は、フィオットのところの小倅っ」

 ソフィアはあまり詳しくないのだが、ラグナスの父親は遣り手の商人ということで有名らしい。商売敵とはいえ、後継でもない息子の顔を覚えているのだから、知名度はそれほどだということなのだろう。そして本人を前に侮るような言葉を吐くということは、彼にとっては都合の良い相手ではないようだ。

 しかし、対するラグナスはそうでもないらしい。指差されても、小倅と言われても、まるで気にしていない。むしろ侮られた彼の方がオグバーンを見下しているようだった。

「透澄の翅衣、持ってるんだろ?」

「いったい、何の話を……」

「捜させてもらいます」

 オグバーンの言葉を遮って、エレンが騎士たちに指示を出す。捜査を妨害しようとする彼の前にラグナスは立ちはだかる。彼は足止め役だった。

「あの狸、息子を使って私を陥れようと……」

「親父がそういうこと企んだとして、残念ながら騎士になった息子を使うような下手な真似はしないよ。やるなら騎士なんか使わず、もっとうまく立ち回るさ」

 話を聞き流しながら、ソフィアは黙々と捜索した。表立って置かないだろう、とすぐさまバックヤードに向かう。コニーの時とは違い令状もあり正当性もあるので、今回は後ろめたさを感じない。緊張もいつの間にか忘れた。

 部屋の一角に毛皮や毛織物の棚を見つけてそこを漁る。一度コニーの店で見つけたこともあって、何処に隠してあるのかおおよそ見当が付いている。光の当たらない、床に近い段。その奥まった場所。暗いところでなら、一見して変わった白い布。

 時季外れで奥まったところに押し込められた毛織物に紛れていたそれを見つけ出し、引き出せば、七色の輝きが晒される。

 案の定、見つけた。

「見つけました。透澄の翅衣です」

 エレンとラグナスの下に戻り、店内でその布を掲げてみせると、騎士も従業員も問わず周囲の人の目が布に集まった。あれがそうか、と溜め息のような声が何処かから漏れる。材料を知らなければ――いや、知っていても、思わず見とれてしまう綺麗な生地だ。我を忘れる人間は大勢いた。

「これで言い逃れはできないな」

 何度か目にしていることもあってこの場で唯一冷静だったラグナスの発言が、皆の意識を引き戻す。彼らの目はラグナスを見つめたあと、次第にオグバーンに向かっていった。

「き……きっと罠だ! 誰かが私を陥れようとしているんだ! そうだ、そうに違いない。私の部下を金で誑かして、商品の中に紛れ込ませたんだ」

 狼狽える様子を隠すこともなく、喚き散らす。あまりに見え透いた嘘を吐くのが、意外だった。ガスターを陥れるような狡猾な人間なのだから、もう少しうまく誤魔化すと思っていたのだが、オグバーンの反応はコニーの時と大差ない。焦りが全面に表れている。

 苦し紛れとしか思えない言い訳を無視し、ラグナスはエレンのほうを見た。

「帳簿は?」

「あったわ」

 部下から冊子を受け取ったエレンは、ぱらぱらとめくって中身を確かめる。

「不正品の取引の記録ばかり。表向きの商売と分けてたみたいね」

「そ、それだって、きっと誰かが紛れ込ませて……」

「十年前、あんたがガスターに対してやったみたいに?」

 思いがけないラグナスの発言に、オグバーンは絶句した。目を見開いて硬直している。

 その言い訳は、あまりに具体的すぎ、断定的すぎた。商品に紛れ込ませたことを思いついても、なんてことは、咄嗟には出てこない。少し間を置いて、落ち着いた頃にようやく出てくる物語だ。もしくは予め考えておいたか。

 だというのに、オグバーンは考える間もなく口にした。騎士の突入に驚き焦っている様子からして、おそらく後者は有り得ない。仕込んでいたならもっと冷静だ。ならば答えは一つ。自分がそうしたからということに他ならない。かつて仕組んだことが自分に返ってきたと思い込み、口をついて出てきてしまったのだ。

 ――こんな迂闊な人間にガスターは嵌められてしまったのだと思うと、やりきれない。どうして運はこの男に味方をしたのだろうか。

「ちょうどいいな、十年前にガスターから押収した帳簿と同じ字か筆跡鑑定もしてみるか」

 エレンから受け取った帳面を見ながら言うラグナスの大きな独り言は、ますますオグバーンを動揺させた。

「馬鹿な、そんなもの残っているはず……」

「だから、なんで断定できるんだ?」

 ぴしゃり、とラグナスが黙らせた。

「十年前の証拠品、それも揺るがない証拠だったとしても、押収品をそうそう棄てるはずがないだろう?」

 取引の記録は、誰に売ったか、誰から仕入れたのか、調べる手掛かりになる重要な物証だ。そういったものが例外的に廃棄されるとしたら、それは。

「誰が廃棄してくれるって約束してくれたんだ?」

「…………」

 返事する代わりに、歯をぎりぎりと鳴らした。これ以上口を開けば分が悪くなることに気がついたらしい。しかし、気付くにはあまりにも遅すぎた。見下ろすラグナスの顔に嘲笑が浮かぶ。

「いずれにしろ、お話を聞かねばなりません。ご同行を」

 エレンの背後から、二人の騎士が出てきて、オグバーンの腕を拘束する。抵抗するオグバーンだが、訓練を受けた騎士に敵うはずもなく、呆気なく押さえつけられた。

 たちまち身動きが取れなくなった彼の表情に絶望が浮かぶ。気力を失くしてしまったのか、拘束されたままその場に座り込みしばらく放心した後――顔を大きく歪めて真っ赤にした。

「あんなもの、ただ妖精を殺して作られたっていうだけの布だろう! いったい何が悪いというんだ! 絹や毛皮と何ら変わらない、ただ妖精というだけのものが!」

「自棄起こしやがった」

 誰かが呆れたように呟く。子供のように自分は悪くないと喚きたて、あまつさえ妖精を侮るようなことを言うのだから、愚行としか言いようがない。

「十年前も、現在も、お前たちは悦んで買っていったじゃないか! それを……」

「他人を悦ばせようが、罪は罪です」

 わめきたてるオグバーンの声が耳障りで仕方なく、言葉を遮って黙らせた。自分でも分かるほど冷えきった眼差しでオグバーンを見下ろす。

 確かに知らぬ者は悦んだだろう。オグバーンのように何でできていても構わないという者もいるかもしれない。しかし、透澄の翅衣は災いを呼ぶ。呪いはなくても、戦は招くかもしれない。どんな思惑があり、その手段が悪どいものであったにしても、十年前に火消しに回った立場の人間が過ちを繰り返すようなことをした上に、自らの罪を認めないとは。

 あまりに、身勝手。

 ユーノの不幸の元凶でもある彼を前にしたとき、自分は激情に駆られると思っていた。反省をしていないところなんて見てしまえば、憤慨せずにはいられないはずだった。だが、いざ直面してみると意外にも冷静――いや、心が凍りついていると言ってもいい。心の底から軽蔑した相手には、感情を動かすのも億劫になるものだと知る。

 こんな奴のために、ユーノが罪を重ねる必要なんてない。

 だからこそ、裁きはきちんと受けてもらわなければならない。

「一つの家族を犠牲にし、欺き続けてきた十年分の罪、しっかりと償っていただきます」

 睥睨するソフィアに向かってオグバーンががなり立てる暇もなく、彼は店の外へと引っ張られていった。

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