4. 十年の呪縛

 ユーノ・ガスターの人生が狂ったのは、十歳の頃である。

 その日もユーノは、勉強に勤しみながら仕事の忙しい父の帰りを待っていた。ユーノにとって父は憧れだった。部下からも顧客からも慕われ、時に厳しく時に優しい有能な商人。父を手伝うのが将来の夢で、そのために毎日勉強に励んでいた。父は、たまには遊びなさい、と言いながらもユーノの勤勉さを褒め称えてくれていたので、その想いは一層強まっていくばかりだった。

 しかしそれも突如終わりを告げる。来客を告げるベルが鳴り、夕食の仕込みを始めようとしていた母が玄関へ向かった。どんな客だろうかと思いつつもさして気に留めていなかったユーノは、突如母が叫んだことで玄関へと飛び出していった。

「馬鹿なことを言わないでください! うちの人は無実です。そんな品物に手を出したこともないわ!」

 母が懸命に縋り、訴えている相手は役人だった。父にはそういった顧客もいたので役人が家に来ることもそう珍しくもないが、その人が母を冷たい目で見下ろし、突き飛ばしたのには驚いた。

「何と言おうと有罪は確定し、奴は逃走を図った。もはや弁解の機会もない」

 言い放す役人の言葉は冷たく、耳の中になかなか浸透しない。突き飛ばされた母を助けることもせず、ユーノは呆然と二人を見つめていた。

「後日、貴様らの家の中を改めさせてもらう。妙な真似をしたら、旦那共々あの世行きだからな、覚悟しろよ」

 そうして無常に扉は締まり、床に座ったまま涙を流す母と、目の前の出来事が理解できないユーノだけが残された。

 何が起こったのか理解したのは、そのすぐ後のことである。母はユーノを子ども扱いせず、すべて包み隠さず話してくれた。父がどんな容疑に掛けられたのか、どうして死んでしまったのか。その上で父は無実だとユーノに言い聞かせた。それが事実であることは、その後にユーノが徹底的に調べたことでもはっきりしている。透澄の翅衣という禁忌の布の存在も、そのときに知った。調査の過程で実際に目にしたこともある。

 しかし、事実は隠された。ユーノたちは父の葬式も行うことができず、逃げるように母の実家に帰ることとなってしまった。父が血汗を流して設立した商会は解散。経営に関する物ばかりか、全く関係のない家具小物まで持っていかれた。

 救いは商会の従業員の多くが父の無実を確信していたこと。だが、その彼らも無力ゆえに状況を覆すことができず、次第に離散していった。

 瞬く間に生活が一変してしまったユーノは、はじめは悪夢を見ているのではないかと疑っていたが、数か月経過してようやくその事実を認識した。すると、胸の中に憤りが湧き上がった。無実の父を殺した騎士、それを冷たく蔑んだ役人。奴等をこのまま放っておいてなるものか。

 復讐を決意したのは、その時だ。

 自分の無力は自覚していたので、がむしゃらに勉強した。世間はもはや父の事件を忘れていたが、ユーノには全く関係なかった。尊敬する父の無念。父を誇りに思っていた母の嘆き。それを思うと立ち止まることなどできなかった。

 武の才能にも恵まれていたユーノは、十五の時に騎士を志すことを決めた。捜査権を持ち、外界とも貴族とも接触の機会の多い職。そして、武功によっては名声を得られる職。まだ誰とも知れぬ相手に近付くために、権力は持っているに越したことはない。それに、手を下したのは騎士と役人だ。国の中枢に潜り込めれば、復讐相手を特定しやすくなる。そう考えての決断だった。

 騎士を志す者は貴族平民どちらも多かったが、財力と教師が充実してた貴族のほうが有利だった。父の失脚の所為で財も失っていたユーノも自身の勤勉さだけでは貴族に勝つことはできず、二年の留年を経験した。しかし、その甲斐あって、騎士学校に入学したときは好成績を収めることができた。

 変わり者の貴族令嬢ソフィア・アボットに逢ったのは、そのときである。

 目標のためにがむしゃらに己を磨き、ときにやたらと絡んでくる嫌味な貴族や小姑のように喧しいソフィアを疎みながら、二年。貴族の冷やかしをつい本気で受け止めてしまった所為で成績は下がってしまったが、卒業時には四席を獲得し、晴れて騎士となることができた。これでようやく父の汚名を返上するための一歩が踏み出せると思ったが、騎士としての仕事に就いてからは予想以上に忙しく、調べ物は遅々として進まなかった。

 その状況に早々に苛立ち出した頃、ユーノにとって転機が訪れた。遠征先のキャメロン領で、透澄の翅衣を見たのである。

 領主の息子が令嬢のご機嫌取りのために持って来た、透明で虹色に輝く布。澄んだ湖面を思わせる透明度を誇るその布はあまりに印象深く、一目でそれが何なのか判った。

 手がかりをつかんだ歓喜と、父を苦しめたその品がいまだこの国に存在する憤りがいっぺんに押し寄せた。

 そこからはもう必死だ。不審に思う仲間たちをも構わずに、ただひたすらに透澄の翅衣について調べる。そうしてユーノは、キャメロン一家が北国と手を組んでいること、そして禁制品を陰で流通させていることを掴んだのだ。

 騎士の作戦に合わせ、領主の館に忍び込んだ。透澄の翅衣や他の禁制品を見つけた後、過去の事件も含めて問いただすために、領主の部屋に乗り込んだ。

 領主は剣を突きつければ、すべて洗いざらい吐き出した。領を襲う賊の事も、十年前にユーノの父を陥れるために誰かに手を貸した事も。

「お前なんかの言葉に、誰が耳を貸すものか」

 キャメロンは、剣を突きつけられているのにも関わらず、ユーノを嘲笑っていた。国の威信に関わる事実、そんなもの揉み消されるに違いない、と。

「馬鹿げた事を考えず、世間の隅で細々と暮らしていれば、少なくとも生きてはいられただろうに。父親が間抜けなら、その息子も間抜けというわけだ」

 その後キャメロンが何を言っていたのか、具体的には覚えていない。ただ、激しい憤りを覚え、視界が真っ赤になったことは覚えている。

 怒りに我を忘れるのはいつものことだった。が、今回ばかりは無意識に抑えていた箍も外してしまったらしい。気が付けばキャメロンは絶命していた。血濡れた剣から、自分が殺したのだとすぐにわかった。

 失敗した、と思った。復讐は誓っていたが、思い知らせることさえできればよく、殺すことまでは考えていなかったのに。

 しかし、やってしまったのは仕方がない、とすぐに頭を切り替えた。この時は妙に冷静だった。

 その場から逃げだし、森でソフィアと遭遇した。賊を追っていると見せかけて彼女に同行し、結果的に彷徨うことになってしまったとき、ユーノは安堵した。これで領主殺しがばれることはないかもしれない、と。

 しかしそれも、彼女が返り血を指摘したときには立ち消える。ユーノの言い訳を信じて眠りについたのを見れば、たちまち苦い感情が沸き上がった。復讐相手が他にもいることは知っていた。キャメロンからも聞き出した。騎士の職務に関係なく、私怨で人一人殺してしまったので、もうここで止まるわけにはいかなくなった。

 そうなると、彼女の存在が邪魔になる。

 口を封じるなら今だ、と耳元で悪魔が囁いて、気付いたときには彼女の細首に手を掛けていた。彼女を殺してしまえば、自分の行動を不審に思う者はいなくなる。領主殺しは賊に罪を着せられる。

 ……そんな愚かな考えは、苦しむ彼女と目があった瞬間に、たちまち吹き飛んだ。

 身体を蹴り飛ばされ、宙に浮いている間、ユーノは自らに絶望した。それが父を陥れた奴らと同じ行為であったことにようやく気が付いた。

 魔が差した、なんて言い訳できない。

 涙に濡れた青い瞳がユーノを責め立てているのを見て、終わった、と思った。復讐も、父の無実を晴らすために頑張り続けたユーノの十年も、彼女との関係も。

 それならばそれでいい、そう思った。うっとうしくも、なにかと自分を気にかけてくれたソフィアを手に掛けるくらいなら、このまま捕まって、復讐なんて止めて、全てを忘れて楽になりたい。剣を捨てたのはその為だ。本当は、殺さない意思表示などではなかった。

 しかし、一晩経ってもソフィアは何もしなかった。最悪殺されることも覚悟していたのだが、彼女は自分を殺しかけた男を拘束することもせず、朝を迎えて身体を起こしたユーノに挨拶まで寄越してきた。

 ソフィアにこれほど歯痒く思ったこともないだろう。お人好しにも程がある。

 気の迷いか、それとも道案内が必要だったのか。いや、きっとそうに違いないと思い込み、今度はこちらから仕向けてみたというのに。

「……殺さないだろう?」

 躊躇いがちに、しかし確信をもって紡がれた言葉は、ユーノの胸に突き刺さった。いつもそうだ。このお嬢様はいつもユーノを見放さない。今度こそ見限ってくれると思ったというのに、そうしない。それが思いがけず嬉しく、同じほど悲しかった。

 結局、ソフィアはユーノに殺されかけたことを訴えなかった。遠征の間はヴィクターにも言わなかったようだ。けれど、さすがに今まで通りという訳にはいかなかった。顔を合わせば互いに黙り込み、気まずさに視線を逸らす。垣間に見た彼女の怯えた眼差しが、自業自得だとはいえ、想像以上に堪えた。そんな風に見るくらいなら、あのときシリルたちに突き出してくれれば良かったのに――。

 そのうちに遠征は終わり、彼女と接触することがなくなった。後ろめたさで近づけなかったし、怯えられるのにも耐えられなかった。

 気が付けば、周囲に喧嘩を売られるようなこともなくなり、一人でいることが多くなっていた。ただ一人、騎士学校時代からユーノを構ってくるラグナスという騎士がたまに絡んで来たが、あまり関わりたくない人物だったので、言葉は聞き流していた。

 そうしてほとんど一人で過ごしているうちに、復讐を続けるしかないのではないかと思うようになった。こうなってしまえば、行くところまで行ってやろう。首謀者を見つけて、全てを終わらせよう。ユーノはそう決意した。


 そして現在、ユーノは一つの建物の前に立っている。オグバーン商会のその本店。会長であるオグバーンは、かつて父を目の敵にし、濡れ衣を着せた。つまり、父の死の原因を作った男である。キャメロンに続く、二人目の復讐相手。

 剣を握りしめ、中へ入ろうと一歩踏み出し――、

「そこまでだ」

 腕を掴まれて止められる。

 聞きなれた声。聞きなれた言葉。

 振り返るとそこに、ソフィアがいた。

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