3. 受け入れられない事実

 絹高騰の騒動は、結局南国への輸出による品数の減少、というところで収まった。コニーの店に限らず、何処へ行っても国内で売れないから輸出したとの回答を得ており、値上げにしても数年前の価格に戻っただけで高騰と呼べるほどのものではなかったという結論しか得られなかったのである。

 ただ一点、絹製品の中でも特に高級とされていた絹織物は本当に高騰していて、これが大げさに受け止められてしまったのだということで、財政部の威信はかろうじて踏みとどまった。騎士としては振り回されただけの、なんとも白ける結末である。

 しかし、ソフィアにしてみれば意義のある任務だった。もしこの仕事がなければ、今こうして中庭でラグナスの話を聴くことはなかっただろう。彼はあまりよろしくない手も使うが、その情報力はソフィアと比べ物にならない。

 紫陽花の花壇に囲まれて、今もまたそれを実感する。

「この前コニーと関わり有る商人の中に、オグバーンという名があったのは覚えてるか?」

 ラグナスに尋ねられ、ソフィアは肯定も否定もせず、首をわずかに傾げた。コニーを追窮するときに彼がその名を挙げていた気がするが、覚えていると言い切れるほどの確信はない。

「そいつがなんと、ベックウィズと関わりがあった」

 ベックウィズの名は、ソフィアも聴いたことがあった。

「確か、外交官でしたね」

「そう。西国との外交で有名な、な」

 ベックウィズ。ラグナスの言う通り西国との外交官で、それも外交官の中ではかなりの有名人だ。十年前の透澄の翅衣絡みの西国との衝突を収めたのは、他でもない彼である。

 ということは、だ。

「ガスターと関係が?」

「商売敵だった。扱っている商品が被っていたんで、オグバーンはいつもガスターに後れを取っていたらしい」

 まさに目の上のたん瘤というわけだ。

 ところがある日、透澄の翅衣がらみで西国と揉めてるという話を耳にし、そして彼は思い立った。透澄の翅衣は北国の品で、ガスターは北国から商品を仕入れている。もしかしたら彼を売ることで、ライバルを始末するだけでなく、権力者たちに取り入ることもできるのではないか、と考えた。そう、ラグナスは推測を聴かせてくれた。

「そうして奴は頭を悩ませていた外交官に接触し、ベックウィズはそいつの提案を受け入れたんだろ」

 西国の精霊信仰は、こちらからしてみれば過ぎたものだった。妖精を傷つけ晒しものにした張本人を差し出せないこの国に苛立ち、まさに一触即発といった雰囲気だったそうだ。こちらの外交官への圧力はかなりのものだっただろう。まさに藁にも縋りたかったに違いない。

 そして、オグバーンの思惑通り、ガスターが西国を静めるための生け贄となったのだ。

「因みにこれは裏情報なんだが、ガスターは翅衣に手を出していなかったが、オグバーンは出していた。ガスターを罪人に仕立て上げるとき、自分のところの帳簿と残っていた品を利用したのかもしれないな」

「陥れただけでなく擦り付けた、と」

 呟いて、怒りよりも虚しさを抱いている自分に気が付いた。西国の不興を買うのは大変な問題だったに違いない。透澄の翅を持ち込んだ商人を捕らえることができず、どうしようもなかったのも分かる。けれど、本当に誰かを犠牲にしなければ、西国との関係を保つことができなかったのだろうか。

「それを後押ししたのが、キャメロンだ。こっちもオグバーンに唆された。……或いは、その逆かな」

 当時のキャメロンは、のし上がるための資金を必要としていた。オグバーンは、自分の思惑を後押ししてくれるような人物が欲しかった。おそらく利害が一致したのだろう、とラグナスは言う。

「どちらにしろ二人がガスターを陥れたことには間違いない。ユーノの奴は、それを何処かで知ったんだろ」

 ラグナスがキャメロンの騎士から聞いたところによると、キャメロン領主殺害の凶器は騎士に支給されていた剣である可能性が高いのだという。あの晩、賊退治のためにほとんどの騎士が出払っていて、単独での行動は指示されていなかったため、全員にアリバイがある。

 持ち場を離れ森に入ったソフィアとユーノ以外は。

「あんたには残念だが、キャメロン殺しの犯人はユーノである可能性が高い。動機も状況も、疑うには十分だ」

 もはや、反論の余地はない。

 はじめから疑っていただけあって、思ったよりも衝撃は少なかった。悔しさや憤りや嫌悪といった感情は、今のソフィアの中に沸き上がることはほとんどなかった。むしろユーノに対して哀れみを抱いている。

 ――ただ、その一方で胸がざわめく。目を閉じ、耳を塞ぎたい衝動に駆られている。

 そこから無理矢理目を逸らし、ソフィアは口を開いた。

「……彼は、オグバーンやベックウィズ卿に復讐するでしょうか」

「さあな。ただ、一度殺してしまったことで、後には退けないと思い詰めている可能性はある」

 それは、由々しき事態なのではないだろうか。彼は、必要もない罪を無理矢理犯そうとしているのだとしたら。

「……止めなければ」

 真実を知った以上、見過ごせるはずがない。ソフィアにできるのは、せめて彼がこれ以上罪を重ねないようにすることだ。

 どうにか止めて、そして。

 ――そして……?

 何故かいつも、その先が決められない。考えられない。ユーノを救うには、そこから先が重要だというのに。

 頭の中を真っ白にさせたソフィアを見て、ラグナスは肩を竦めた。

「正義感が強すぎるのも大変だな。お前みたいなのは嫌いじゃないが」

「……嬉しくありません」

 どういう意味で言ったのかは知らないが、これからも彼の都合の良いように使われそうな気がして、素直に喜べない。

「だが、そろそろ決めるんだな。さもないと、あいつは自滅するぞ」

「それは」

 分かっている。本当はどうするべきなのかも知っているのだ。ユーノの事を調べていたのだって、本当の事を知ることもあったが、踏ん切りをつけるためでもあった。

 ――だけど、そうしてしまったら、ユーノがソフィアの前からいなくなってしまうではないか。

 とうとう直視してしまった。

 もう逃げられない。

 なんて愚かな考えだろう。ソフィアは自らを嫌悪した。ユーノ自身の事を全く考えていない、自分勝手な考えだ。それでよくユーノのためだなどと、助けたいなどと言えたものだ。

「馬鹿だな、お前」

 ソフィアの心を見透かしたように、ラグナスの冷淡な声が降ってくる。返す言葉も全くなくて、押し黙るしかなかった。

 責められているような気がした。責められて当然だと思った。そこには騎士としての心構えも、ソフィアの掲げていた正義も存在しない。ラグナスを非難しておきながら、自分はこれだ。ずるいとしか言いようがない。

なんて情けない。唇を噛み締める。

「会ってきたらどうだ」

 ソフィアにとっては唐突にラグナスが言った。ぽかん、と見つめる彼は、仕方ない奴だと言わんばかりに目を細めていた。そこに他人を馬鹿にした風はない。

 なんとなく、面倒見の良い先輩だと錯覚しそうだ。

「あいつに。踏ん切りがつかないんだろう?」

 素直に頷いた。もともと嘘を吐くのも隠し事をするのも苦手な質だが、不意打ちだった所為か、誤魔化すことも虚勢を張ることも思い付かなかった。

「本人そっちのけで決めようとするから悩むんだ。だったら、本人を目の前にすれば、どうしたいかが分かるんじゃないのか」

 会って、話を聞いてこい。

 ラグナスは、そうソフィアの背を押した。

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