第五章 妖精の翅を追う

1. 見透かす者

 ソフィアの母はおっとりした人物である。それは悪く言えば愚鈍とも言い表せるものでもあって、物事をすべて単純に受け取ってしまい、裏を考えるようなことが全くなかった。だから、手を出してはいけないものに触れてしまうことが時折あり、家族――主に父や兄が後始末に回ることがよくあった。

 透澄の翅衣を見せつけられて、オズワルドは直ちに母に生地を売りつけた商人の名を聞き出した。そして生地を取り上げ、しばらく買い物を控えるように言いつけた。娘のために良かれと思って布を買った母は、事情をとくと聞かせたというのに聞き入れず、へそを曲げてしまった。ソフィアが兄の味方になったことも気に入らなかったのかもしれないが、今回ばかりはとても肩入れできない。

「まさかこんな事態になるとはね」

 なんて酷い子たち、と息子と娘に喚き散らして食堂を出ていった母の姿に、兄は溜め息を零した。呆れているのは母の癇癪についてだったのだろうか。それとも母の迂闊さについてか。

「舌の根も乾かないうちに、といったところだけれど、私は少しこの件について調べてみようと思う」

 こうしてソフィアは、兄と二人で透澄の翅衣について調べることになった。十年前の裏を洗うのはオズワルド。母の証言から透澄の翅衣の流通ルートを調べるのはソフィア。記録と噂による情報を集めるのは文官であるオズワルドがうってつけだし、流通ルートについて探り出すのは、捜査権を持つソフィアのほうがうってつけだった。

 とはいえ、勝手に店に押し入って捜査をするわけにもいかない。それでは職権乱用となってしまう。どうしたものかと悩んだとき、天の助けかと思ってしまうようなある事件がソフィアの前に転がってきた。

 同じ女性騎士だから、というのが主だった理由でソフィアはそこに所属することになった、エレンの率いる騎士団でのことである。

「絹、ですか」

 上司となった女性騎士の突然召集に応じたソフィアは、他の騎士たち共々、エレンの切り出した話に当惑を隠せなかった。任務の話だと思ってきたはずなのに、絹というおよそ騎士と関わりのない事物について聴かされたのである。

「ええ、そう。絹製品。ここ最近高かったでしょう?」

「そういえば、母がそんなことを言っていたような……」

 といった声が上がるものの、やはり事態が呑み込めない。ざわざわと辺りから戸惑いの声が広がる。

 ざわめきが収まると、エレンは口を開いた。

「一部の財政官がね、寡占を疑っているようなのよ」

 桑の育ちは悪くなく、蚕に病が流行っているわけでもない。養蚕が盛んな地方を調べてみたら、絹糸の出荷はされているようなので、それが市場に回っていないとなると、原因はやはり商人たちとなってくるわけだ。

 それで寡占。つまり、限られた商人が単独で、あるいは共謀して絹糸や絹製品を手元に集め、売りしぶりなどを行って価格を釣り上げているのではないか、と財政官たちは睨んだらしく、調査に赴きたいという。その護衛役として同行して欲しいというのが、召集の趣旨だったようだ。万が一、商人たちが雇う用心棒たちに歯向かわれたときの対処のため、他にも牽制の意味を込めて、騎士たちがこういった査察に同行することはよくある。

 絹の調査。これは好機かもしれない、とソフィアはぐっと拳を握りしめた。今回の対象は衣類や生地、糸を取り扱う店だ。絹の調査に託けて、密かに流れているらしい透澄の翅衣を見つけ出すこともできるかもしれない。

 話が終わって解散し、石造りの回廊に出る。ふと見上げると、青い空。夏もいよいよ本格化してきて、空の色はますます深くなり、白い雲は一つもない。久しぶりに清々しい空だった。そういえば、こんな晴れやかな気分になったのも久しぶりだ。悩むことが多くて、今まで心が塞がっていたのだろう、周囲を見る余裕がなかった。けれどこうして可能性を目の前にして、枷が一つ外れた気分だ。身体がなんだか軽い。

「よしっ」

 任務は明日から。ヴィクターと兄には後で報告するとして、久しぶりに身体でも動かしてくるか――自主的な訓練は久しぶりだった――と訓練場に足を向けたときだった。

「今回の仕事ってつまり俺らは番犬の代わりってわけだが。随分とやる気じゃないか、ソフィア嬢」

「フィオット殿」

 背後から皮肉交じりの言葉を吐いて登場したのは、同じ騎士団に所属するラグナス・フィオットという名の騎士。確か、ソフィアほど四つ上の先輩だ。あまり話したことはないが、遠征前からたまにユーノと居たのを覚えている。

 実は、ソフィアはあまりこの先輩騎士が得意ではなかった。端的に言うならば、彼は騎士なのに騎士らしくない。常に斜に構えたような態度を取っているし、口を開けば本気なのか冗談なのか分からないようなことを言う。見た目にしても、肩に触れるくらいの長い髪は後ろで括っているが、纏め切れなかったところはそのまま放ってあるし、制服も普段は着崩されていて、いい加減さが拭えない。初めて見たときはこれが騎士か、とがっかりしたものである。

 そんな風であるので、彼との距離感が今一つ分からなかった。見た目で判断するのは良くないとは思うのだが、どうしても先輩騎士として尊敬ができない。かといって、素行が悪いかと思えばそうでもないので、嫌うこともできない。

「調子はどうだ?」

 どう接するべきかと悩んでいるソフィアに、ただ一言ラグナスは尋ねる。体調が悪くなった覚えはないし、普段の業務に付いても特に問題と言える問題はなかった。他に思いつくことなら、透澄の翅衣についてだが……これは他人に知れていることではないので、答えられるものではない。結局どう返したものかと考え込んで、黙してしまった。

 が、彼は妙に得心顔で頷いた。

「体調は良いけど、調べ物はそれほど。だけど、ようやく糸口が見えてきて、期待してるってところか」

「え……?」

 まったくその通りだったので、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。そうすると相手は嬉しそうに――悪戯が成功した子供のように意地悪く笑った。ソフィアの反応が、相手に図星であることを教えてしまったのだと知る。

「そりゃあそうだよな。絹の調査を名目に、存分に生地屋や仕立て屋を漁れるってわけだ。もしかしたら透澄の翅衣も見つかるかもな」

 それもまんま先程ソフィアが考えていたことだった。もはや心を読んでいるとしか思えない的中率に、うすら寒いものを感じた。

「何故そこまで……」

 ラグナスとはあまり話したことがない。一月前部隊に所属したときに少々絡まれたのと、あとは挨拶と必要なやり取りくらいだ。個人的な話をしたことがないというのに、何故まるで見てきたかのように図星を突けるのか。

「そりゃあ、俺と関わりある後輩のことだしな。ガスターの名前を聞いたら、ちょっと気になるだろ」

 ユーノ経由で知ったのか。そういえば、とラグナスに関する事柄を幾つか思い出す。

「貴方も商家のご出身でしたね」

 商人の子であるならば、一度くらい十年前のことを耳にすることくらいあるはずだろう。ソフィアよりも年上なので、きっと記憶にもあるはずだ。珍しくもない名前だが、ガスターという名を聞けば多少は気になってくるのに違いない。

 それでも、ソフィアの心中を言い当てた理由には足りない。

「そう珍しくもないぜ。商人は金があるから、子供に教育を受けさせるだけの余裕がある。規模がでかいところなら用心棒がいるし、武器なんぞ扱ってたりしていたら戦士とも交流があるから、戦いの術を覚える機会もある」

 跡継ぎにならず、商売に退屈を覚えるような次男以降の子どもたちが選ぶ選択肢としては、割とポピュラーな方であるらしい。ついでに貴族と接する機会があるので、人脈作りにも最適というわけだ。

「さらにもっと言うなら、商人っていうのはあらゆる地域の情報も集まりやすい」

 つまり、戦争の気配を早く察知できたり、盗賊団の発生位置についての情報を入手したりすることができるという訳か。確かにそれは騎士として欲しい能力の一部ではある。きっと、それが理由で商家の子を徴用することもあるのだろう。

 なるほど、などと納得していると、相手から失笑が漏れた。顔を上げてみれば、ラグナスがうすら笑いを浮かべながら、冷めた瞳でこちらを見つめている。

「鈍いな」

 どうやら嘲られているようで、ソフィアは戸惑う。しかし、鈍いと言われる理由にも心当たりはなかった。

「だから、キャメロンでのことも知ってるぜ、と俺は言っているんだが」

「はあ……っ!?」

 はじめに感じたのは憤りだった。いくらなんでもさっきの発言からそれを推測するのは難しすぎる。さっきまでの話は、騎士に商家出身の者が多い理由についてだったはずだ。そこからどうしてキャメロンでの事件を連想できるというのか。

 そうして言い返そうとして、あることに気付く。二つ目のラグナスの発言を頭の中で繰り返してみて、頭から血の気が引くのを感じた。

 つまり、彼は今、ユーノが領主殺しの犯人になり得ることを知っている、と言ったのだ。

 ソフィアは慌ただしく辺りを見回した。他人に聞かれては困る話だ。もしたまたま誰かが通りがかったりして、ユーノのことについて知られてしまったら。

「焦るなよ。別に言い触らす気もねぇから」

 ひゅ、と喉が鳴る。見透かされている。ヴィクターと、兄と、そしてラグナスと。立て続けに自分の胸の内を知られてしまうは、回数を重ねてもあまり慣れるものではなかった。増して、ラグナスは知り合ったばかりの他人だ。自分はそこまで隠し事が下手なのだろうか、と心配にもなってくる。それこそ重大な隠し事をしている身としては、不安しか呼ばなかった。彼の定かでない罪について、自分から漏れてしまうというのは、どうしても避けたい。

 ソフィアが次々に顔色を変える様子を見ていたラグナスは、褐色の瞳から冷たいものを消すとソフィアに歩み寄り、その肩に手を置いた。そして、一つ良いことを教えてやるよ、と囁く。

「あんたの望み通り、あんたの目の前に垂らされた糸は捜し物に結びついているぜ」

 弾かれるように彼を見た。ソフィアの急な動きにラグナスはお道化ながら距離を取る。どうしてその確信を得たのかは知らないが、それが本当の話なら、答えはきっとすぐそこだ。

 ラグナスに惑わされて失いかけた希望を蘇らせたソフィアだったが、ラグナスはさらに一つ意地悪く付け足した。

「だが、せいぜい慎重に手繰ることだな。さもなきゃ切れるか、それともあいつの首を絞めるかだ」

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