3. スケープゴート

 それから、ソフィアは聴いた話を元にガスター商会について調べてみた。店主の話を裏付け、それ以上の情報を得るためだ。騎士の捜査記録や新聞記事、果てはゴシップ紙などにも手を出した。

 その調査の結果を述べるなら、店主から聴いた以上の情報は出てこなかった。商会が本当に透澄の翅衣を密輸していたのかも、ユーノが殺された会長の息子であるのかどうかも。

 あれから、ユーノ本人とは顔を合わせない。遠征終了後、正式に所属する団が発表されたのだが、ソフィアとユーノ、ついでに言うならヴィクターも、全員違う団に所属となった。つまり、会おうと思わなければ、会えない状況になってしまったのである。ソフィアは調べ物に夢中になっていたし、そのつながりでヴィクターとも頻繁に会っていたことも原因だとは思うのだが、同じ職場ですれ違うことすらない状況から考えてみると、ユーノに避けられているような気がしていた。

 あんなことの後だから仕方がないと思いつつも、寂しくも感じるのはどうしてだろうか。遠征後、ユーノが誰かと喧嘩した、といった騒ぎもないので、余計にそう思うのかもしれない。

 そんな風に日常が過ぎて、気が付けば王都に帰ってから一月が経過しようとしていた。

 ある夜の食後のことだった。ソフィアは食事を終えてもなお席に残り、気を利かせて使用人が淹れてくれたハーブティの水面を見つめて、ぼんやりと頬杖をついていた。その頭にあるのはユーノのこと。長いこと調べ続けているのに進展がまるでない状況に、いい加減疲れ果てていた。

 それが顔に出ていたのだろう、

「ソフィ、最近悩み事でもあるんじゃない?」

 向かい側に座る六つ上の兄のオズワルドが心配そうにソフィアの顔を覗き込んだ。仕事が長引いた所為で家族の晩餐に遅刻した彼の皿もようやく空になり、背後から使用人たちが音もなく綺麗な白磁の皿や銀食器を片付けている。

「いえ……大したことでは」

「嘘だね。ここずっと上の空じゃないか。なにか考え事をしている、そうだろう?」

 ソフィアが太陽そのものであるとするならば、その兄であるオズワルドはまるで日溜まりだ、と評されたことがある。つまりは昔から気の強いところのあったソフィアに比べて、兄は幾分か柔和な印象が強いということだそうなのだが、兄がその〝日溜まり〟を有効活用して他人に洗い浚い吐かせるのを得意としていることを、いったいどれだけの人物が知っているだろうか。

 その兄を相手に人を欺くことに慣れていないソフィアが誤魔化すことなんてできるはずもなく、観念してソフィアも吐き出すことにした。

「兄上は……ガスター商会をご存じですか?」

「ずいぶん懐かしい名前だね。どうして?」

 透澄の翅衣のこと、それを追っていくうちにガスター商会のことを聞いたことを説明した。

 話の間に、使用人が座ったオズワルドの前にハーブティを差し出した。ソフィアと同じ香りのするお茶だ。頭脳労働にしろ、肉体労働にしろ、日頃疲れる仕事をしている二人のために淹れられたローズマリーのお茶。茶にしては刺激的なその匂いは、ぼんやりと靄がかっていたソフィアの思考を次第にはっきりさせた。

「なるほどね。確かに透澄の翅衣の事件の概要はその商人の言った通りだよ。挙げ句、ガスター商会が犯人として捕まったこともね」

 けれど、とオズワルドは目を細めた。

「ガスターは犯人ではなかったんだ」

「どういうことですか?」

 あれほど熱心に望んでいながら、なかなか出てこなかった事実。それがようやく目の前に現れて、ソフィアは思わず身を乗り出した。

「その生地を売った主犯の商人は、既に北に逃げていたんだ。気付いたときには手の届かないところに行ってしまった。そしてその商人は、北国の流通を担う豪商でね、引き渡しを要求したけれど、相手は受け入れてくれなかったんだよ。本国はできる限りのことをしたと主張したけれど、それでは西国は納得してくれなくてね」

「それは……そうでしょう」

 それはうやむやにされたと思われても仕方ない状況だ。西国に引き渡さないよう、商人を亡命させたと取ることだってできる。

「では、どうやって納得させる?」

「どう……と言われても……」

 それが事実である以上、信じてもらえるまで説明し、逃がしたことを謝罪するしかない。兄が望む正答ではないと分かっていても、ソフィアにはこの手段しか考えられなかった。貴族とは互いに相手の腹のうちを探り合い、国の為もしくは己の利の為に欺くものである。そう知っていても、それに準ずることができない。

 そんなソフィアの性格を判り切っているのだろう。兄は柔らかくも苦いものが混じった笑みを浮かべた。

「答えは、スケープゴートを用意する、だ」

「……まさか」

 それがガスターだというのか。無罪であったのに、誰かの罪を着せられ、そして……。

「ガスター商会は、当時もっとも勢いのあった商会の一つだった。彼らの取引相手は多かったが、それを疎ましく思ったものもまた多かった。潰れて得する人間は多かったんだよ。

 ガスター商会が目障りだった商人たちは、外交問題に頭を悩ましていた貴族を唆した。彼らもまた、そうすることに利益を見出すと、その準備を始めた。けれど、そこに彼らにとって困ったことが一つ。ガスター商会は、一度も透澄の翅衣を扱ったことがなかったんだ」

 ガスターもまた北の品を主として扱っていたらしい。だから北から渡ってきた透澄の翅衣を一度くらいは仕入れたことがあるはずだ、とその商人たちは見当をつけていた。しかし、その予想に反してガスターはただの一度も透澄の翅衣に触れなかったという。その正体を知らないまでも、危険性について察知していたのか。いずれにしても、先見の明ある人物だったらしい。

 それは功を奏したが、仇にもなった。常に先を行くからこそ、周囲の反感も買ったのだ。

「どのような策を講じたのかは知らないけれど、罪をでっちあげることに苦労したことだろう。でも、その甲斐あって……残念ながらガスターはいわれのない罪で捕らえられることとなった」

「騎士が動いたと聞きました。捕らえようとして、抵抗したので命を絶ってしまったと」

「口封じだろうね。証拠を作り上げてあるとはいえ、死人に口なし。彼が死んでしまえば真実が露見することはないと考えたのだろう。その目論見はうまくいった。西国は事態を聞いて大人しく引き下がり、商人たちは密告したことで利益を得た。そしてこの件については、そのまま忘れられた」

 ガスターが無罪であったと聞いたときから予想していたとはいえ、改めて兄の口からその真実を聞くと絶句してしまった。ただのやっかみで同業者に売り渡され、謂れのない罪で捕らえられ、殺された。それはもう悲惨としか言いようがない。ガスターは一体、どんな気持ちで最期を迎えたのだろう。

「家族は……どうなったのですか?」

 それが無理矢理着せられたものであるにしろ、汚名は当人だけでなくその家族にも付き纏う。憐れみだけを与えられたとはとても思えなかった。

「妻は直接経営に関わってはいなかったから、見逃されたよ。十歳だった一人息子と一緒に実家に帰ったと聞くけれど、その後の生活はどうだろうね」

 十年前に十歳。計算は合う。ではやはり、商人ガスターはユーノの父に違いないのか。

 ――だとしたら?

 北、貴族、と聞いて思いつき、先程からずっと考えていたのは一つの可能性。それが確かなら、彼には動機がある。結びつかなかったもう一つの線が、ようやく結びつく。

「その事件、ガスターを犯人に仕立て上げたのは、一部の貴族と商人と言いましたね」

「ソフィ?」

 戸惑った兄の声は耳に入らなかった。そうすると決めてしまえば居ても立っても居られない、なりふり構わず突っ走ってしまう。

「その貴族とは誰なのです? その商人たちは、今もまだ市場に……」

「ソフィ!」

 食堂に響き渡る、鋭い声にソフィアは身を固くした。そこには咎めるような光があった。昔、ソフィアがいたずらをしたり我が儘を言ったりしたとき、叱るときに見せた兄の表情。久しぶりに見るその顔にソフィアは怯んだ。もう少し冷静に、兄相手でも慎重になるべきだったと気付いたのはその後。

「君が何を考えているのかは知らないけれど、これはきわめてデリケートな問題だよ。確かにガスターは濡れ衣だった。無実の罪で殺された彼は哀れだし、取り残された家族は可哀想だろう。けれど、今さらどうにもできないよ。西国との関係を悪化させるわけにはいかないし、関わった貴族も多い。全員を糾弾したら、国は立ち行かなくなる」

「そんなつもりは……」

 ソフィアには、西の国との関係を悪化させる気も、その悪事に加担した貴族たちを罰する気も全くなかった。ただユーノの事が知りたい、助けたい、それだけなのに。

「なくてもそう捉える人がいたら? それだけでアボットは危機に晒される」

 それをソフィアは知っているはずだった。己に馴染まないまでも、自身の都合の悪いことは全て揉み消し、時に利得を得ようとする貴族の体質はよく心得ている。

「どうしてそこまでして知りたがるのか、話してくれるかい?」

 厳しくも本質は穏やかである兄は、怒りを治めるのが早い。そしてその後はいつも、質問というよりは諭すかのような声で問い詰めるのだ。

 ソフィアはこれに弱い。

「私の友人にユーノ・ガスターという男がいるのは覚えていらっしゃると思いますが……」

 遠征の時を除いて、ソフィアはこの家以外のところで暮らしたことはないのだ。騎士学校時代から、その日あったことは大方家族に――この兄に話している。それこそ、ユーノの愚痴は毎日のように話していたくらいだ。オズワルドも笑って話を聴いてくれていたのだから、きっと記憶の片隅には残っているはず。

「彼は……透澄の翅衣に詳しかったのです。それで、もしかしたら、と」

 先程の話にユーノのことを補足する。透澄の翅衣を見た途端に彼の様子が変わったこと、キャメロン領主の殺害に彼が関わっているのではないかとソフィアたちが推測していることまで。本当は隠していたかったが、思えばヴィクター相手に隠せなかったことを、兄相手に隠しきれると思ったことが浅はかだったのだ。話してしまって情報を得たほうがずっと良い。

 それでも、自分がユーノに殺されかけたことだけは死守した。その事実を知ったら、兄は友人ヴィクターとは違い、簡単に彼を見逃してはくれないだろう。

 話を聞き終えたオズワルドは気付かなかったのか、それともそれがこの件の核にならぬことを感じ取っていたからか、ソフィアの最後の隠し事を気取った様子もなく、すべて得心が行ったという風に一つ頷いた。

「なるほどね。確かに、この件にキャメロンが関わっているという話はあったよ。なにせ同じ頃、彼には一つの領地が与えられたのだから」

 兄の話によれば、それまでキャメロンはたかだか子爵位で、しかも領地を持っていなかったらしい。その理由はここでは聞けなかったが、とにかく十年前の彼は貴族のステータスでもある領地欲しさにいろいろやっていたそうだ。まだ小さい息子を娘の居る家にけしかけたり、領の経営状態が危うい家を失脚させようと暗躍したり。

 そんな彼の行いが成功して北の一つの領地がキャメロンに名を変えた頃と、透澄の翅衣の騒ぎが収束し出した頃には、そう時間の開きはない。多くの貴族はガスターが本当は無実であることを知っていたから、彼がその件に何らかの形で関わって功績を得たために、領地を与えられたのではないかと疑った。

 そして、疑ったまま真実を暴くことなく終わった。理由は先程オズワルドが言ったとおりだ。

「そう、ですか……」

 ソフィアの推測が正しいものである可能性が高くなってしまった。領を、功績を欲したキャメロンがガスターを陥れたのだとしたら、その息子であるユーノが彼に復讐心を抱いても不思議はない。

 知らずソフィアは首筋を撫でさする。ユーノに手を掛けられたその部分。あの時から、彼のことを思うとそこに触れる癖がついていた。

 まだそれが正解だとは言い切れないが。ユーノがキャメロン領主殺しの犯人であるということも、その動機も分かってしまった。となると、その後のことを考えなければいけない。

 彼を、いったいどうするのか。

 明確にすればきっとやることは見えてくるはずだと、一月前のあの日ヴィクターと食事をしたときには本気で思っていたのだが、いざこうしてそのときを迎えてみても闇の中にいるように何も見えてこない。

 またしても気分が沈みかける。お茶がすっかり冷えてしまったので、淹れ直してもらおうと使用人を呼ぼうとした時だ。

「お話は終わった?」

 すっかり空気が重々しくなってしまった食堂に、場違いな高く明るい声が飛び込んできた。生まれた時からずっと聞いている声に、扉のほうへと目を向ける。案の定、そこには食事を終えてすぐに退席したはずの母親が立っていた。黄色にも近い金の髪。鮮やかな青色の瞳。二人の子供が成人になる年齢でありながらもなお華やかな容姿は、間違いなくソフィアが受け継いだものだ。

 そしてソフィアたち兄妹は、その華やかさが見た目ばかりでないことを知っている。

「終わりましたが、どうかされたのですか?」

 今のソフィアたちの気分にはそぐわない話であることは、何かを抱えて母の後ろに控えているメイドを見て予想がついていた。それでも後にしてくれと言えないのは、母の子である所以というものだろう。

「ソフィに良い物を見せようと思って。昨日商人が来てね、良い布を見つけたのよ。高かったからあまりたくさんはないけれど、とっても綺麗な布だからあなたの新しいドレスに使おうと思って」

「……ありがとうございます」

 騎士をやっていても、ドレスや装飾品から身を遠ざけていても、ソフィアもやはり女である。綺麗なドレスと聞けば気にならないはずもないが、透澄の翅衣の話をしたばかりではなんとも喜べない。それでも母を悲しませてはいけないと思い、一応作り笑いを浮かべて感謝を述べるが、

「ああ、でも透明な布だもの、花嫁衣装に使うのも素敵かもしれないわ」

 どうかしら、と母に促されて使用人が広げたその生地に、兄共々絶句した。

 水のように透き通った透明な布。食堂の燭台の光を浴びて虹色を表面に移していて、その幻想的なこと。

 それはまるで、妖精の翅のようで。

 否。それは紛れもなく妖精の翅で。

「透澄の翅衣……」

 十年前に禁制品となった幻の布が、目の前にあった。

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