2.〝餅は餅屋〟

 そもそもユーノの様子が変わったのはキャメロンで透澄の翅衣を見てからではないか、と気付いたのは、明日が休みであることを良いことに夜更かしして考え事をしていたときのことだ。長距離移動の疲れを取り除くための休暇のはずなのに、身体に負担を掛けるようなことをついしてしまったわけだが、それでもユーノの事が気になってしまう。

 ジャックに生地を見せられたあの日から、ユーノはやけに調べ物をするようになった。それも執念を持って。キャメロンを襲う賊に領主が介入していると考えた根拠もまた、透澄の翅だ。そして、彼が色んな感情を見せ始めた――こういう言い方はなんだが、不安定になったのもこの頃。

 透澄の翅衣。すべての謎がここにつながっている気がする。

 久しぶりの実家、固い藁布団にすっかり慣れてしまった所為でふかふかのベッドがなんだか落ち着かず、少ないうえに浅い睡眠から目覚めると、家族の団欒もそこそこに図書館へ向かった。目的は服飾や民芸の辞典のある書架、生地についてまとめた事典など、普通あまり手に触れることのない書物だ。

 それを一日掛けて片っ端から捲ったが、透澄の翅衣については何も見つけられなかった。嗜好品について取り扱った辞典には、現在では不正薬物とされている植物についての記載もあったのだから、禁制品でもなにかしらの辞典くらいには載るだろうと思っていたが、その期待は裏切られてしまった。

 騎士としての仕事が再開しても、空いた時間をできる限り使って調べ続けた。もちろん、ヴィクターにも手伝ってもらった。しかし、一週間かけて調べても特に手掛かりは見つからない。

「だったら、〝餅は餅屋〟じゃないか?」

 ヴィクターがそう言ったのは、とうとう行き詰まったのでは、というときだった。

 早引きだったその日、ソフィアは母が贔屓にしている仕立て屋へと赴いた。貴族へ向けた盛装を誂えている店で、ソフィアが持っているドレスの半分以上がこちらの仕立だった。増して母は羽振りが良いので、娘にもそれを期待したのだろう。店の者に蔑ろにされることはないだろう、と踏んだ。

 部屋着だろうと社交用だろうと、豪奢で繊細なドレスが並ぶ店内。ハンガーラックはなく、一着一着丁寧に人形に着せて、所狭しと店内に並べてあった。まるでちょっとしたパーティーだ。その華やかさに思わず目移りしそうになりながらも、目的を忘れず店長を呼ぶよう店の者に伝える。

 待っている間店内を巡ってみたが、薄い虹色の生地を使ったドレスは見つからなかった。

「透澄の翅衣、ですか?」

 店主に対面すると、周囲に客がいないのをいいことに早速話を切り出した。そして店主はソフィアの言葉を繰り返すと、たちまちその顔を青くする。

「あの、お嬢様、どこでお聞きになったのかは知れませんが、うちにはそのような品は……。いえ、うちだけに限らず、その生地を手に入れることは不可能でございます。どうか、それをお求めになるのは、お嬢様の為にもお止めになっていただけると」

 透澄の翅衣について訊きたい、と言ったらこの反応。どうやら言葉が少なかった所為で完全に誤解させてしまったらしい。慌てて訂正を入れた。

「心配いりません。私は布を求めてやってきたわけではありませんので」

「では……?」

 と訝しんだ後、何故か再び青ざめる。

「さ、先程も申しましたが、私どもはそのような品を取り扱ってはおりません! 存分にお調べになってくださって構いませんから、どうかご容赦のほどをっ」

 死刑を宣告された罪人が命乞いをするが如く、店主は深く頭を下げた。このままでは床に膝を着きかねない。何かさらに誤解を受けたのだとようやく気が付いた。制服のまま来ずに着替えてから来るべきだったか、と少し反省した。思い立ったら居ても立ってもいられず、機会があるとすぐに飛び出して行ってしまうのは、自覚はしていても一向に治らないソフィアの悪い癖だ。

 だけど、とその一方で思う。透澄の翅衣と聞いただけでこれだけの反応をするのだ。ある程度詳しいと見て間違いないだろう。ヴィクターの助言はいつも適格だ。

「疑っているわけでもありません。お願いですから、どうかまずは話を聞いてはくださいませんか」

 実は遠征先で透澄の翅衣を見たのだ、と大雑把に説明をする。領主の息子が持っていたこと、同僚ユーノが知っていたことまでは語れなかったが、禁忌に触れるものが出回っている可能性がある、だから十年前流行したときの話を聴きたい、と話せば、店主は素直に頷いた。

 店の奥へと勧められる。その個室はオーダーメイドの衣装のデザインを話し合うために用意された部屋で、中心に円卓と椅子がある。壁際には布地の見本やデザイン画をしまった棚もある。そういった調度品一つ一つが、貴婦人が長居しても不快に思わないためなのか、趣味が良く高価な物だった。

「安いもので申し訳ありませんが」

 などと言って出されたお茶は、謙遜とは違って良い物だった。これもまた貴族を相手にする商売故、滅多な物は出せないのだろう。商売をするのは、商品以外のところにも気配りしなければならないので大変だ。

「どこまでご存知でしょうか」

「材料については、知っています」

 そうですか、と店主は頷く。あまり気の進まない話であるらしい。

「型に流した特殊な溶液に翅を並べ、しばらく置いておくと、型の通りの形に糊付けされ布のようになるそうです。繊維が柔らかくも丈夫になり、ビロードのような生地になるのだとか」

 薄く透き通りながらも虹色の光沢をもつその生地は、貴族間で大変流行した。特に娘のいる家では、花嫁衣装のベールに用いたり贅沢に何枚も重ねてドレスに用いたりするために求めることが多かったらしい。

 妖精の翅を用いた花嫁衣装、と聞いてソフィアはぞっとした。冗談ではない。いくら美しい物でも、そのように恐ろしいものを人生の節目で暢気に着られるはずがない。

「ですが、お嬢様もご存じになった通り、あれは妖精から取ったもの……妖精を殺して手に入れたものでございます。それがいかなる事態を招くかはお分かりでしょう」

「もちろんです。そんな、そんな恐ろしいこと……」

 妖精は万物の化身。妖精に害意を向けるということは、自然を敵に回すのと同義だ。妖精の機嫌を損ねたことで恐ろしい目に遭った人間の逸話はいくつでもある。

 例えば、野薔薇を愛でる妖精の話。ある男が恋人へ贈るために、妖精の愛でていた物であると知りながら森の野薔薇を一本だけ摘み取った。無断で花を手折られたことに怒り狂った妖精は、その薔薇の棘に毒を持たせてしまい、薔薇を受け取った男の恋人はその棘に刺されて死んでしまう。

 例えば、凍り付く山に暮らす妖精の話。ただならぬ寒波に襲われ全てが凍り付いてしまうと恐れた麓の村の住人は、それが妖精の仕業であると信じ込んで山に退治に向かった。濡れ衣を着せられた上、住み処を荒らされたことに腹を立てた妖精は、本当に村を凍り付かせてしまった。

 嘘か本当かは問題ではない。それだけ妖精の不興を買うなと伝えられていることが重要なのだ。子供を楽しませるおとぎ話だって、教訓が含まれている。

「透澄の翅衣が流行したのは、およそ十年前でございます」

 北国から仕入れられた透澄の翅衣の正体をこの国の商人はほとんど知ることなく、ただ美しく貴重な品であるとして販売していた。誰も、そんなものだとは知らなかったのだ。

 しかし、西国の者がその生地を手にしたことで事の次第が発覚した。

「西国は確か、妖精と深く関わりがありましたね」

「妖精を崇め、奉る敬虔な者たちの国でございます。故に妖精たちもかの国の者には好意的で、深く交流もあるとか」

「妖精の翅であることを見抜くのも道理……ということですか」

「ええ。そして、当然お怒りに」

 透澄の翅衣の正体を知った国は、急ぎ北国に問い合わせた。しかし相手から返ってきたのは、知らないという返事。それは偽りではなく、透澄の翅衣はどうやら北国では流通していない品であり、密輸が行われているのだろうと国は推測した。

「その推測は正しいものでした。北国から頻繁に物を輸入していたガスター商会が、闇商人から仕入れていたのだそうです」

「ちょっと待ってください。ガスター?」

 ガスターというのは、この国ではよくある名前だ。騎士の中には、ソフィアが会っただけでも三人はいた。それなのに、なんだか引っかかる。まさか、と推測してしまう。

 いや、そうであるのならば、筋が通る。何故ユーノが貴族の流行の品を知っていたのか。あの生地を見たときに顔色を変えたのか。

「どうされました?」

 黙り込み、考え込んでしまったソフィアを心配して、店主が様子を伺った。それは結局憶測に過ぎず、今考えても出る答えでもないので、何でもないと答えて店主に話の続きを促した。

「ガスターは人柄が良く、評判の良い商人でした。ですから、本人だけでなく、周囲も彼がそんなことをするはずがないと否定した。しかし、彼の店を捜索してみると、件の布とその取引が記載された帳簿が見つかりました。言い逃れのできない証拠です。

 それでも、そのような確たる証拠があっても、会長は否定し続けました。そして……事情聴取のために連行しようとしたときに激しく抵抗したという理由で、騎士の手で命を絶たれてしまったそうです」

 思わず目蓋を伏せた。胸に痛みが走る。まだそれがユーノの縁者であると決まったわけではないのに、ソフィアにはそうであるとしか思えなかった。

 なのに、彼は騎士を目指したのか。

 あの目はそういうことだったのか。

 そのガスター商会の会長の死を伴って、透澄の翅衣に関わる騒ぎは収束したという。透澄の翅衣は禁制品と定められ、以後この国で見た者はいないと。

「ご参考になりましたでしょうか?」

 店主はそう締め括る。話はそれで終わりのようだった。本当にユーノの父が密輸をしていたのか曖昧なまま。

 それで、終わってしまったのだ。

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