第四章 動機

1. 遠征の終わり

「一ヶ月半、お疲れ様だったね」

 領都、騎士庁舎の広場。見送りの笑顔のイザベルとは反対に、ソフィアは表情を曇らせた。長いようで短かった――短すぎた遠征も今日で終わりだ。

 キャメロンの空は青く、ソフィアたちの旅立ちを喜んでくれているようだった。それはまた、ソフィアの心境と対照的であったりするのだが。

「正直、心残りです。まだ領主の件は完全に解決したわけではないのに……」

 賊退治はそこそこ上手くいったが、領主の殺害事件のほうはあれから目に見えて進捗はなく。中途半端に関わっただけで何もできないまま、一月半の日程を使い果たしてしまった。この遠征はただの教育の一環。そうと分かっていても、心残りができてしまう。せめて領主の件だけでも片付いてくれればよかったのだが、あれから一週間、捜査は全く進展しなかった。

 何も――ユーノが犯人なのかどうかも分からないまま、ソフィアたちはこの領を後にするのだ。

「そうだね、不可解な事は多い。けれど、賊の後始末も、領主の件も私たちがきちんと片づけるからさ、安心して王都に帰ってよ」

 彼女が言うからには、本当にいつかは片付くのだろう。時間がどれほど掛かるかはまた別の問題で、キャメロンの騎士たちは事態を良くしようとするだけの意気込みと行動力がある。どの騎士もソフィアの先輩ではあるのだが、あえて客観的に述べるとするならば、若い者ばかりの集団でよくここまでできるものだと思う。

 彼らのようになりたい、とソフィアは思う。少なくとも、役に立ちたかったと残念に思うくらいには、この領の騎士たちに尊敬を抱いている。

 そしてイザベルはソフィアの肩に手を置くと、顔を近づけ囁いた。

「彼のこと、きちんと見ておいてあげてよ」

 その蜂蜜色の視線は、いつもの穏やかさを消してユーノに向けられていた。

「……ガスターのことですか?」

「うん。あの子、きっとまた無理すると思うからさ」

 ソフィアは思わずイザベルを見返してしまった。ここでユーノがした無理、と聞いて思い出すのは、作戦の日の彼の単独行動だ。そのことを言っているのだろうか。

 しかし、彼女は敢えてそのことについて言及せず、もう一言付け加えた。

「君はたぶん、どこかで選択肢を間違えた」

 選択肢。いったい何の話かと、ソフィアは彼女の顔をぽかんと見上げる。しかし、彼女は明確な答えをくれないまま、励ますように笑った。

「それでも、彼を止められるのは君しかいないと思うんだ」

 だから、気を付けて。そうして彼女はソフィアの背を叩き、シリルの方へと押しやった。振り返ると、あちらに行け、と手を振っている。イザベルへの挨拶はこれで終わりにしろと告げているのだ。

 もう一度頭を下げて感謝の意を伝えると、彼女に促された通りシリルの下へ向かった。

 腕を組み、憮然とした様子で立つ白の騎士。一見とっつきにくそうな若き支部長は、愛想が表に出にくいだけで実はとても親しみのある人物であるとすでに知っている。

「お世話になりました」

「達者でな」

 低い声でただ短く。だが、そこには思いやりが感じられた。

「気が向いたら、こっちに異動して来い。歓迎する」

 端的でありながら、最大限に心の籠った言葉だった。はじめは反感を抱いていたはずの、甘ったれた貴族令嬢のソフィアを受け入れていいと思うくらいには認めてくれたのだ。胸が熱くなる。

 ここで騎士として働けたら、と夢想する。それも良いかもしれない。

 そんな風に、キャメロンの騎士たちとはまさに感動の別れを繰り広げたが、出立の時間となり三人が集まると、途端空気が重たいものに変わった。さっきまで騎士たちと笑い合っていたヴィクターも表情を消し、ユーノはこちらを見もしない。

「……行こうか」

 ソフィアの号令で、キャメロンを発つ。

 帰りの道中は、非常に気まずいものだった。ユーノは黙りこくったまま、普段以上に拒絶の意志がとって見れた。そしてソフィアの口数は少なくなり、それを敏感に感じ取ったヴィクターもまた口を閉ざす。

「お前たち、何かあったのか?」

 休憩の際、ユーノが席をはずしているときにヴィクターが尋ねてきた。この雰囲気に一番困惑しているのは、他でもない彼だった。ヴィクターはあの夜に森で有ったことも、領主殺しの容疑者にユーノがいることも知らない。ある日突然仲違いしてしまったような二人に疑問を持つのも当然だ。

「……何もない」

「嘘を吐くなよ。二人して威勢がなくなっているぞ。その癖、お互いを気にしながら意識して無視したり。これで何もないはずがないだろう」

 苛立ちを隠さずにソフィアをなじるヴィクターの気持ちがわからないわけではない。一月半三人で仲良くやっていたし、その上ソフィアとは二年に渡る付き合いだ。それなのにいきなり蚊帳の外、となれば不満もあるだろう。

 言ってしまおうか。一瞬口を開きかけ――結局固く結んでしまった。信頼していないわけではない。けれど、ソフィアが告げてしまったことでヴィクターがユーノを糾弾するのが怖かったのだ。彼がユーノに嫌悪を抱くようになるだけならまだいい。でももし、ソフィアが隠そうとしていたことが外に広まってしまったら? そしたら、ユーノはどうなってしまう?

 ソフィアの迷いを感じ取ってか、ヴィクターは苛立たしげに頭を掻くと、今までソフィアには向けたことのないような厳しい視線でこちらを睨んできた。

「わかった。じゃあ、こうしよう。王都に付いたら食事に行くぞ。そこで気が向いたなら話せ。いいな?」

 有無を言わさぬ、断っても強制的に連れていかれそうだ。様子に、狼狽えながら頷いた。頷かざるを得なかった。

 自らの敗北を感じつつ、その一方で少し安堵している自分がいた。これで一人で抱え込まずに済むのだから。


 王都に着いて帰還の報告をすると、早々にソフィアたちは街に出た。一度帰宅し、騎士服から着替える。キャメロンの出立が遅かったこともあって時刻はもう夕方で、食事に行くにはちょうどいい時間だった。

 街に下りるのでできるだけ地味な格好をするように、ということで、ソフィアは木綿のワンピースを選んだ。高くきっちりと結った髪は解いて、項の辺りで緩く三つ編みにする。

 それは確かに貴族のお嬢様が好むような格好ではなかったが、鏡で見てみればとても下町に溶け込めるような雰囲気でない。手に入りやすい生地でできていて一見簡素なワンピースだが、細部のこだわりは凄いのだ。これでは貴族に見えなくても金持ちのお嬢様には見えてしまうだろう。かといって、これの他に街を歩ける服はない。買う機会がなかったのだ。キャメロンにいるときに服屋を巡っておけばよかったかもしれない。

 自分のあまりの貴族ぶりが情けなく――というと両親などに失礼かもしれないが――思っていたが、ヴィクターはソフィアの格好にある程度予想を立てていたらしい。下町で再会した彼は、着崩したりとラフな格好をしていたが、その服は高そうなもので、今のソフィアとちょうど釣り合いの取れる格好だった。

 店もまた考えてあったらしい。連れていかれたのは、市民街の一角にあるレストランだった。高級料理店というほどでもないが、一般よりも高めの少し洒落た店だ。これなら、ソフィアやヴィクターのような人間が入っても浮きはしないだろう、ということであるらしかった。

「あそこの席が良いんだけど」

 木目の柱と白い壁の店内に入って、予約しているわけでもないのに席を指定してくるヴィクターに、席に案内しようとしていた給仕の眉根が寄った。それを見て彼はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、こそっと彼に耳打ちする。

「せっかくの密会なのに、目立つところじゃバレちまうだろ?」

 聞こえなければよかったのだが、生憎耳に入ってしまった。ソフィアは顔を赤くした。頭が沸騰するかと思った。ヴィクターの言葉の示すものが分からないほど鈍感ではない。密会とか――本当に逢瀬と思われたらどうしてくれるのだ。

 そして、案の定というか、給仕はそう受け取った。我が儘な客に不快を示していた顔がたちまち綻び、心得たとばかりに案内する。

 小さな円卓に向かい合わせになるように席を勧められ、メニューを置いてからごゆっくり、などと告げられて、眩暈を起こしそうだった。

「ま、愉快じゃないと思うけどな。許してくれ。こういう言い訳が一番通用しやすいんだ」

 文句の一つも言ってやろうか、そう思ったところでヴィクターが先手を打った。本当に申し訳なさそうにしているあたり、性質が悪い。文句も喉の奥で詰まってしまった。

 代わりにちょっとした皮肉が口から飛び出す。

「そうやって遊び歩いているのか?」

「まさか。エルンストさんの入れ知恵だって」

 キャメロンにいた騎士の一人の名を挙げた。騎士たちの中では割と年配で、少し軽い感じの男性だった。面倒見が良かったので、ソフィアもだいぶ世話になったし、ヴィクターはよくエルンストと話していた。が、いったいいつ、どういう経緯でそんな入れ知恵をされたのか。そして、何処で活用する気なのか。

 だけど、とソフィアは視線だけで周囲を見回した。確かにこの席なら他人に話は聞かれにくいだろう。ヴィクターの指定した席は、ホールと調理室が繋がっている勝手口に一番近い席だ。人の往来はあるが、客はまず来ないし注目もしない。壁から適度に離れているので声も反射しにくい。そして隅に当たるので、見通しもいい。気になるのは店の従業員だが、評判はいい店であるらしいので、客の話が耳に入ったとしてもそれを周囲に広めてしまうような口さがない者はきっといない。

 さすがだな、と舌を巻く。貴族の癖にどうして下町の店に詳しいのか。これもエルンストからの入れ知恵なのだろうか。

 適当に料理を頼んで、並ぶのを待つ。その間は互いに水を飲みながら無言だった。長く一緒に居たので今更話すこともないというのもそうであるし、これから話さなければいけないことに緊張していることもまたそうだった。料理が並ぶまでは本題は切りだせないし、他愛のない雑談も思いつかない。

「それで?」

 ようやく料理がそろうと、ナイフとフォークを構えた格好でヴィクターが目を光らせる。その手で捌かれるのが、彼の前にある肉ではなくソフィア自身のような気がして、思わず唾を飲み込んだ。だが、逃げることはできないので、ぽつぽつとあの夜のことを話し出す。

 賊を追っていたら領主の城の周辺でユーノに遭ったこと。騎士の制服ではなく、闇に紛れるような格好をしていたこと。彼の服には血が付着していたこと。状況を考えるとユーノが容疑者に入るのだが、動機が思い当たらないこと。

「俺もあいつに限ってそれはないと思うけどな。でも、状況が……」

 はじめは食事をしながら聴いていた彼も、次第にその速度が遅くなって、ついには手を止めてしまった。想定外の話であったのか、斜め下に向けられた視線は戸惑いに揺れていた。

 判断材料が少ない所為だろう、しばらくすると頭を振って、結論は先送りにしたようだった。

「で、それだけか? まだ何か隠しているだろ」

 再び問い詰める彼は、ぎらり、と獲物を追い詰める目をしていた。ソフィアがユーノに殺意を向けられたことはさすがに話せなかったのだが、隠しごとはばれているらしい。

「誤魔化しても無駄だぞ。お前たちのあの態度、それだけだとはとても思えないんだからな」

 付き合いが長いだけあってか、お見通しだ。

 観念して、森の中で過ごした夜のことも告白した。もちろん、それについてユーノを責めたくないというソフィアの気持ちとその理由も添えて、だ。

「呆れた。本当にお人好しだな。お前やっぱり……」

 半眼でじぃっとソフィアを見ることしばし。いろいろと含みのある視線に、落ち着かなくなってきた。切れた言葉の先を気にする余裕もない。

 食欲は完全に失せた。冷めた白身魚のムニエルは、まだ半分も残っている。

「まあ、いいや。それでどうするんだ?」

 意図が掴めず、眉を寄せた。

「どうって……?」

「あいつの無実を証明したいのか、それとも知らない振りをするのか」

 答えに窮した。こうやって直接聞かれてはっきりと自覚したが、ソフィアはずっとそこに悩んでいたのだ。

 自分の気持ちを掘り下げて、ソフィアは躊躇いながら口を開く。

「……知らない振りはしたくない。それはしたくないと思うんだ」

 けれど、知りたくないと思っているのもまた事実で。

 はあ、と溜め息を吐き、卓の上に両肘をついて頭を抱える。どうしたらいいのか全然わからない。本人のためを思うなら――もし彼が犯人だという仮定の下であるが――法の下に裁きを受けさせる方がいいのは間違いないのだが、それを拒否する自分がいるのだ。彼がいなくなるくらいなら知らぬふりをしてそのまま闇に葬ってしまえばいい、とまで考えてしまいそうにもなっている。

 自分らしくない、という自覚はある。ソフィアが騎士になったのは国民のために正しいことをするためだ。だけど今は、それに背を向けるような行いを視野に入れている。

 そんなソフィアが焦れったかったのだろう、

「煮え切らないな、しっかりしろよ! お前らしくもない」

 どん、と拳が卓の上に振り下ろされる。そう強いものではなかったが、衝撃で食器がぶつかり合って音を立てた。

 抱えていた頭を上げた瞬間、ソフィアは若葉色の視線に射貫かれた。有無を言わさぬほどに真剣味を帯びたヴィクターの瞳は、二年の付き合いで初めて見るものだった。ぐるぐるととりとめもなく脳内を回っていた思考が停止する。

「調べるぞ。それではっきりさせるんだ。あとのことはそれから考えればいい」

 力強い言葉に、氷解する。

 霧が晴れたようだった。そうだ。まだ、ユーノが殺したと決まったわけではない。言い聞かせて誤魔化すように口にしていたが、それもまた事実だったのだ。仮定の話に頭を悩ませるくらいなら、まずそこを明確にするべきだった。そうすればきっと、自ずとやるべきことも見えてくるはず。もしもまた悩むようなことがあったとしても、それは今ここで懸念することではない。

「そう、だな。その通りだ。まだなにも分かっていないんだ」

 とりあえず、動く。そのほうがソフィアの性に合う。

 たちまち調子を取り戻したソフィアに、ヴィクターはようやくいつもの表情で笑った。

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