5. 襲撃
騎士の仕事というのは、昼夜関係なく存在する。それを何人かで分けてやっているので文字通り一日中働いていなくて良いのだが、その代わりに仕事が早く終わったり、逆に一日中帰れなかったり、と一日ごとの勤務時間にむらが生じてしまうのだった。
そんな激務だから、騎士になると宣言したときは家族に反対された。どう考えても女性――それも貴族の娘がすることではない、と。長々と説得して最終的に許してくれたのは、結局彼らがソフィアに甘かったからだ。躾や学び事には厳しかったが、それ以外では甘やかされた……ように思う。
さて、今日の勤務は夜だった。日も暮れようかという時間帯に出勤し、夜が明けるまで勤務に就く。朝が来たら、その日は丸一日休みだ。
これまで朝に起きて昼間に活動し、夜に眠るという規則正しい活動をしてきたソフィアには正直に言ってきつい。初めての夜勤は油断したら襲ってくる睡魔との戦いだった。さすがに二度三度とこなしていれば、午睡を取ってから出勤したり、勤務の合間にお茶を飲んだりとある程度の対策を打てるようにはなった。
夜の勤務もやることは昼間と大して変わらない。町の中を巡回したり、何かあったときに出動できるよう庁舎で待機していたり、書類仕事を片付けたり。後の二つは眠気が襲ってくるので地獄だった。文字が滲んで見えることだってある。それとは反対に巡回はまだ楽だった。身体を動かしている上、二人一組での行動なので、書類を前にしているときよりは眠くならない。街の中を歩き回っていれば面白いものが見つかることだってあるし、空を見上げれば綺麗な星空があるのだ。退屈とは程遠い。もちろん、巡回の目的は索敵。気を張ることは止めていない。
今晩ソフィアたちが回る領都の西側は住宅街だ。国境の田舎町に街灯などなく、家から漏れる明かりが道を照らしてくれる。それも、夜も更けようかという時間では疎らになって頼りない。手に持つ角灯の灯だけがソフィアたちの道行きを支配している。
辺りはとてもしんとしていた。人なんて歩いているはずもなく、建物の奥は眠りに就く者ばかり。昼間と違って寂しい光景だが、そんな静けさがまた心地良い。
それも南西部に差し掛かれば変わってくる。ぽつぽつと増えていく明かり。住宅街から繁華街へと差し掛かってきたのだ。飲み屋はまだこの時間空いている。ここに来れば、人もぽつぽつと見かけるようになった。酒に酔い、千鳥足になった者が多数。それでもなんだか楽しそうだ。
領都の中は平和なもので、騒ぎがあってもせいぜい酔っ払いが喧嘩していたという程度。賊の襲撃があるという割には、ソフィアたちが来てから平穏な日常が続いていた。住民達の事を思うと安堵する反面、些か奇妙にも思う。
「おお、巡回お疲れ様ー」
開いている店の多い明るい夜道の向こうに、手を大きく振る赤い髪が見えた。赤髪の人間は珍しくないが、茶混じりでなく燃えるような緋色となると話は別だ。
その人は右手をぶんぶん振りながら、小走りでソフィア達に近づいた。
「ベルさん……お酒臭いですよ」
苦笑いするギルバートの言う通り、イザベルの大きな目は少しとろんとして、頬が赤い。笑みもにこにこではなくへらへらに変わっていて、間違いなく酒精が入っていることがわかる。
「飲んできたもん、臭くて当然」
えへん、と何故か胸を張るイザベルに、ソフィアまで苦笑いすることになった。年上なのに子供染みていて、それが違和感なく似合う。しかしそれは子供っぽさを感じるというわけではないのだから不思議だ。
「その割に酔ってませんね。……なにかあるんですか?」
イザベルは酒好きの割にあまり強くなかった。以前全身を真っ赤にさせて周囲の人間に絡んでいたのをソフィアは見ている。文字通り誰かに腕を絡ませていたのを、シリルが呆れた様子で引きはがしていた。今回はそれがなく、ただ少し気分が上昇している程度であるところを見ると、ギルバートの言う通りあまり酔っていないのだろう。それに、私服でなく騎士服のままであることがまた気になる。
「たぶんねー、時期的にそろそろだと思うんだよ」
表情はそのままに、イザベルの声が低くなる。主語のない会話。だが、ギルバートには伝わったようで、顔が強張ったのを見た。
「今回は領都でしたね」
「そうしたからね。ここに来るんじゃないかな」
「報告は?」
「私の勘でしかないから、シィルと一部にしか。ただ、下の子たちは残業名目で何人か残らせてる」
そうですか、とギルバートは返して黙り込んだ。抽象的な会話に全くついていけなかったが、深刻な様子に何か良くないことが起こるのであろうことはなんとなく察した。不安になってギルバートを見上げる。
「君たちは予定通り巡回を続けて。私は心当たりを回ってみるから」
じゃあねー、と手を振って、ソフィアたちが来た道を行く。その後ろ姿になんだか不安を覚えた。足元はしっかりしているが、周囲の酔っ払いと変わらないように見える。
だが、隣に立つ先輩騎士は、別のところに不安を抱いたようだ。
「……今夜来るな」
硬い声で低く呟くギルバート。
「え?」
「あの人の嗅覚は凄いから。いつどこであっても対応できるように、心構えだけはしておけよ」
何が、とは言わなかったが、なんとなく事態を察した。キャメロンを脅かすものは今のところ一つしかない。
敵襲来の笛が鳴り響いたのは、さらに四半刻が過ぎた頃である。
「方向からして西四区か五区だな」
「ついさっき回ったばかりだというのに!」
そこを通ったのはイザベルとすれ違う前だ。歩く人はほとんどおらず、多くの家が明かりを消していた住宅地。そこには眠りの静寂しかなかったというのに。
「そこを狙ったんだろう。急げ!」
ギルバートに追い立てられて、ソフィアは来た道を戻った。あの平穏が破られ、領民が脅威に晒されるのかと思うと居ても立ってもいられなかった。
騒ぎのもとは、彼の予想した通り西四区。
イザベルの勘は当たる、というのは本当のことだったようで、彼女はすでに到着し、賊たちと一戦を交えていた。しかし、一対多数で略奪を許している状態だ。開け放した扉、中から聴こえてくる怒号と悲鳴。何をされているのかと不安になる。
援護に行かなければ、と剣を抜く。しかし、ああ、いったいどこから当たればいいのか。
経験不足はソフィアの判断を鈍らせた。指示を、と思ってもギルバートはすでに渦中に飛び込んでいったので隣にいない。仰ごうにも仰げない。
目の前で繰り広げられる暴力にたたらを踏んでいると、同じく巡回をしていたユーノたちが到着した。二年も付き合いのある同僚の出現に、心に余裕が生まれる。訝しげにソフィアを見るユーノと目が合えば、安堵した。
それもすぐに引き締められる。悲鳴だ。ソフィアたちの一番近くで男が女を家の中から引っ張り出し、地面に叩きつけて殴っていた。これを見てしまえば、もう迷う余地などない。
ソフィアはユーノに目配せした後、走り出した。その背後からユーノが石を投げて相手をひきつけ、暴力を止めさせる。男が気づいて頭を上げたところを、ソフィアは剣の腹で思いっきり殴った。腕に伝わる鈍い衝撃。訓練のときに何度も感じたことがあるはずなのに、今のは特別重かった気がした。
しかし、躊躇している時間はない。暴力を受けていた女性の腕を引っ張り上げると、立たせて扉へと押しやった。
「入って。鍵を閉めて部屋の奥へ」
女性は頷くと、ソフィアの言う通りに行動した。ソフィアは彼女が再び襲われることのないよう、扉を背にして剣を構え、男を見据える。
「いきなり何しやがる」
殴り飛ばした男が身を起こすところだった。剣で殴ったことへのダメージは小さかったようだ。殴られた部分をさすりながら、ぎらぎらとした瞳でソフィアを見据えた。
「もうすぐ応援も来る。神妙にしてもらう」
「へ、小娘に何ができるってんだよ」
余裕の笑いを見せた男。緊張から唾を飲み込んだとき、彼の首から血飛沫が飛んだ。掠めていく銀旋。それが賊の命を奪った。
ソフィアの眼が見開かれる。飛び散る赤い色が、夜闇にあまりに鮮やかだった。
「一人に構うな! 時間の無駄だ」
人が死んでいく様を初めて目の当たりにして固まるソフィアに、ユーノが鋭く声を掛ける。――彼が殺したのだ。
思えば、これがソフィアにとって初めての実戦である。騎士という仕事は人を殺すこともあるのだと分かっていたが、こうして目の当たりにして、その重さを実感した。恐怖で体が震える。
だが、同じく初めてであるはずのユーノは、何の躊躇いもなく賊の命を奪った――今も奪っている。
覚悟が違うのか。
――負けてはいられない。
逃げ出したくなるのをなんとか堪えて、自分を奮い立たせた。とにかく、今は暴力から人々を守らなければならない。とりあえず自分にできること。人を助けることから始めた。賊との間に割って入り、民間人から遠ざける。逃がした後はある程度相手をのし、逃げる者は追わない。追っていたら他の人が襲われる。
無我夢中になっている間に応援が到着し。
気付いたときには賊は逃げ出し、すべてが終わっていた。イザベルが各騎士たちに指示を出し、ユーノと先輩たちはそれに従う。誰かを守る必要がなくなったソフィアはただ呆然と立ち尽くしているだけだった。
とん、とその肩が小突かれる。振り向いて、赤い色が見えたので肩が跳ねた。しばらくして、それが血ではなくイザベルの髪の色であることに気付く。
あの赤い血の色が、目に焼き付いて離れない。
「お疲れ様。はじめてにしては上出来だよ。ソフィのお陰で、皆の怪我も浅い」
その励ましは、慰めにしか感じられなかった。結局ソフィアは右往左往していただけ。騎士らしい行動など何一つできなかった。勇敢に剣を振るっていたユーノに比べ、自分はなんと情けないことか。
悔しさに唇を噛むソフィアに、イザベルはそっと語り掛けた。
「騎士の仕事は殺すことでなく守ることだよ。私たちは殺人集団じゃないんだ。人を殺せなかったことを悔やむのは、全然違う」
彼女はまるでソフィアの心情を一つも違えることなく察しているようだった。最初の言葉と違って、すんなり心の中に染み入っていく。
「……はい、そうですね。そうですよね」
あの一瞬、躊躇いなく人を殺せたユーノを羨んだ。覚悟の違いを見せられたようで、自分が情けなくて悔しかった。けれど違うのだ。賊の掃討は確かに騎士の任務であるが、その根本にあるのは人民を守ること。それさえ果たせるのなら、殺す必要なんてないではないか。
「次は、もっとうまくやります。逃がすだけでなく、奴らを捕らえて見せます」
今度はもう躊躇ったりはしない。目に入ったところに飛び込んでいく。そう決めた。
目に強い光を宿したソフィアに、イザベルは笑んだ。些か苦いものが混じった笑みだったけれど。
「あんまり気負いすぎちゃ駄目だよ。ソフィはソフィのできることをすればいい。それで救われる人はいるんだから」
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