第三章 揺らぐ黒

1. 裏切り者

 襲撃から一週間。さすがに頻繁に賊の襲撃に遭っているだけあって、領都の立ち直りは早かった。特別にすることもなく普段通りの毎日を続けていると、珍しくユーノがソフィアとヴィクターに声を掛けてきた。普段はソフィアたちが構えばうっとうしがるユーノの方から関わりに来たことに驚きながら、二人はユーノの居室に招かれる。

 彼の部屋は、イザベルの部屋から置物を一切排除したような、せいぜい数冊の本が放られただけの簡素な部屋だった。確かユーノはディクソンという先輩騎士と同室だったはずだ。その騎士も存外素っ気ない性質らしい。騎士の部屋とは、本来こんなに寂しいものなのかと周囲を見回していると、ユーノが机の中から一枚の紙を取り出して広げた。そしてソフィアたちを手招きする。

「過去一年、この領が賊の襲撃を受けた記録を遡ってみた」

 メモ用紙に書かれた二桁から四桁までの数字の羅列と、その隣に領内の地名と思われる文字。襲撃の日にちと場所が縦に並べられているのだと少し置いてから分かった。キャメロン領はだいたい一月に一度は賊に襲われているようだ。あまりの多さに眉を潜めた。領民への被害はいったいどれほどだろう。

 と、あることに気付いたらしく、ヴィクターが顔を上げた。

「……前の襲撃から次の襲撃まで、日にちの感覚がだいたい同じだな」

 その通りだとばかりにユーノは頷く。

「平均して二十日の間隔がある。誤差は平均七日、最大十五日ってところだな。前回の襲撃も、二十一日前だった」

 十日の前は、二十一日。その前は二十八日。あまりにも計画的すぎる。賊は計画性のないものだと決めつけるのではないが、さすがにここまできっちり期間を決めて襲撃したりはしないだろう。

「普通偵察して、油断してそうなときとか狙うんじゃないか? それを考えると二十日って少し気が緩む時期じゃないかと思うけどさ」

 確かに、一、二週間なら警戒し続けていられるだろうが、それ以上となると、もうないのではないかと気が緩んでしまう。

「それだけじゃない。毎晩騎士が巡回しているというのに、襲撃場所は、騎士がいる何処からも離れた場所だった。当時の巡回記録と合わせて見てみると、ある組がその地点を離れ次の組が通るまでの時間、その中間で襲撃が起こっている」

「つまり、騎士たちが駆け付けるのに時間が掛かる頃合いを狙っている?」

 この前の襲撃は、ソフィアたちが通り過ぎて四半刻が経過した後だった。巡回計画から考えれば、次の巡回――後続のユーノたちが来るのは、あの時点から半刻が過ぎてから。ソフィアの組とユーノの組、どちらからも遠くなる頃合いに襲われた。

「でも、巡回の予定って日毎に違うよな。なるべく毎日規則性がないように予定が組まれているから、狙ってそのときを襲うってなかなか難しいはずだ」

 ある地点を回る時刻。担当する騎士。周回の経路。それらはすべてシリルをはじめとしたある程度上層の騎士たちが、月毎に計画を決めていた。確かそれは、統計を取っていても予想を立てるのが難しくなるように予定が組まれているらしいので、予測するにも困難になっているはずだ。

「普通はな」

「普通は」

 含みのある言葉に、ソフィアは普通ではない状況を考えてみた。都合の良い――こちらにとっては悪い――タイミングで襲われるだなんて、こちらの巡回予定が把握されているとしか思えない。

 となればだ。

「……巡回の予定が、あちらに流れている?」

 予定は当番表となって騎士たちに渡されている。それを見て、騎士たちは自分たちがいつどこにいるのかを把握し、自らの私的な予定を立てるのだ。

 ところでその当番表、各騎士一人一人に配られているのは、自分の予定のみが記載されたものだけだ。他の騎士の騎士の予定を知るためには本人に直接聞いて確認しなければならないし、誰かの当番表を入手しても全体の動きは把握できない。つまり、全員分の予定を見なければ、巡回計画の全容を掴むことはできない。

 その全体を把握できるものは、領の役人に提出されているという話だ。確か、巡回ルートと担当騎士の名が書かれているのだとギルバートから聞いた。

 以上を総合して考えられるのは。

「裏切り者がいるってことか」

 重々しくヴィクターは言う。上層の騎士か、それとも役人側か。情報の出所はその辺りしか考えられない。

 裏切り者、と聞いてソフィアはまず役人を疑った。キャメロンでは、騎士と役人の折り合いが悪い。剣を取る者と筆を執る者、互いの仕事と立場が違うばかりに理解し合えず揉めることは珍しくないが、ここは特にそれが顕著だった。シリルは領主と反目していて、騎士はそれに続いている。役人は領主についている。

 そしてソフィアは、良くも悪くもこちらの騎士に影響されてしまったらしい。その気分は悪くはないが、気に入らないという理由だけで根拠もなく他人を疑うのは如何なものだろうか、と密かに反省する。

 が、どうもそれはソフィアだけではなかったらしい。

「俺は、それが領主、もしくはその息子だとみている」

 ユーノもまた、役人側を疑っていたようだ。しかし、まさか領主まで疑うとは。なんだってそんな結論に至ったのか、ソフィアはただただ驚き、ヴィクターは面白がった。

「容疑者は多いと思うが、その根拠は?」

 自分から話をはじめた割に、尋ねられるとやや躊躇った。それでもしぶしぶといった様子で口を開く。

「……透澄の翅衣」

 ヴィクターはその若葉色の目を見開いた。

「はあ?」

「あれは禁制品だ。表の流通経路では絶対に手に入らない。もし、あの賊たちを通じて手に入れていたら?」

「待て待て、待てって」

 勢いづいたユーノを宥めるように、ヴィクターは腕を持ち上げる。

「確かにあの息子が持っていたけどさ、強引すぎやしないか?」

 その通りだ、とソフィアも頷いた。あの領主もその息子もできた人間には見えないが、禁制品を持っていただけで領民を売っていると判断するのは、さすがに如何なものかと思う。

「この領は北の国境線に面している。そして、あの賊の人間には、北国の者が多かった」

 食い下がるユーノだったが、それでもヴィクターは首を横に振った。

「それだけじゃ弱い。そもそも、それだと賊の利点が少ないだろ」

 騎士の巡回情報の謝礼としてはあまりに高級で、仮に妨害なく略奪できたとしても、この領都からその金額に見合うほど奪えるとは思えない。そんな取引ができるようなら賊などする必要がない。

 それに、だ。領主のほうは襲われる民を憂いて減税などという措置を取っている。民を裏切りうまい汁をすするだけの人間が、そんなことをするだろうか。

 本人も自らの論の弱さを自覚しているのか、若干苦々しげな表情を浮かべて俯いた。悔しそうにも見えたので、ソフィアは不思議に思う。そう言えば、基本的にすべて一人で片づけてしまうユーノが相談なんて、らしくない。領主を疑いながらも、自信がないということだろうか。いや、それを考慮してもやはりおかしい。彼はいつも冷静で、まっとうな判断ができる男だ。ここまで考えを飛躍させたところなど見たことがない。

 最近変だ、と思いながらソフィアは苛立った様子のユーノをぼんやり見つめた。そんな彼を前に見たのはいつだっただろうか。

 ――透澄の翅衣を見たときだ。

「それが、そうでもないんだよねー」

 耳障りな金属の軋みの音と共に乱入してきた声に、三人そろって扉の方を振り返った。ここはユーノの部屋。会議室や食堂などの不特定多数が使う場所とは違う。個人の部屋とあって声を潜めることはしなかったかもしれないが、同室の騎士以外は入ってくることはないと思っていたのに。

 開かれた扉の先には、イザベルが立っていた。その彼女は顔の前でぱしんと掌を合わせ、ソフィアたちを拝むように頭を少し垂れた。

「ごめん、話聞いちゃった。でも君たちも迂闊だよ、こんなところで内緒話だなんてさ。なにせ、ここの扉は薄いんだ」

 拳を作った手で開きっぱなしの扉を叩かれると、今にもばり、と破られてしまいそうな不安な音がした。薄い板を張り合わせ、開閉のための取っ手だけがあるそれ。鍵もないし、廊下にいる人の話し声どころか足音すら妨げないそれは、扉というよりは仕切りと言った方がいいのかもしれない。そう、廊下の人の声も通すのだ。その逆もあり得ると何故考えなかったのだろう。イザベルの言う通り、確かに迂闊だった。

「で、話し戻すけど、その、翅衣っていうの? 情報の対価に貰ったっていう可能性は十分にあると思うよ」

 まさかユーノに同意するものだから、ソフィアとヴィクターはそろってあ然とした。

「そんな馬鹿な! ご存じでないかもしれませんけど、あれは見ただけでわかる高級品ですよ? そんな物を手に入れられるんだったら、悪事にしたって別のやり方があるはず!」

 ほとんど怒鳴りつける勢いで反論するヴィクターに迫られても平然としているイザベルは、そうだね、と頷く。

「でも、情報流す相手が違ったらどうだろう?」

 ぴたり、と時間が停止したかのようにヴィクターが硬直した。思考を止めた彼の代わりに、ソフィアが尋ね返す。

「仲介人がいるということですか?」

 賊と取引するのではなく、第三者を介しているのであれば。そこに別の思惑があるのであれば、ヴィクターが激しく主張していたことも覆される。

「いったい誰が」

「さて、誰だろう? キャメロンの情勢が不安定になって、得する立場の人」

 勿体ぶった問いかけに、皆それぞれ考え込んだ。

 キャメロンが不安定になって得する者。普通はキャメロン領主を目の敵にしている者が思い浮かべられるが、領主自体が進んで情報を流しているのだから、それはあり得ない。隣の領主がキャメロンの領地を欲しがってという案もあるが、これもまた同じ理由でありえない。

 相手は北国から入り込む賊を動かすことができ、キャメロンの領を脅かしておきながらも、領主には利を持ち掛けることができる人間。そして、高級品を譲れるだけの財力を持つ。

 なにか閃いたらしく、ユーノはさっと顔を上げた。

「まさか、北国が?」

 イザベルはそうとも違うとも言わなかったが、笑んだところを見るとそうなのだろう。

 キャメロンは北の国境に面した領地である。もし北国がこの国への侵攻を考えたのなら、キャメロンは越えなければならない場所だ。その損害を減らすために、領主を引き込むことも考えるだろう。領主が仲介人に情報を提供し、見返りを貰う。仲介人はその情報を無償で賊に流し、賊は思うが儘に略奪する。仲介人は利を得ていないように見えるが、キャメロンを疲弊させることで侵略の足掛かりを作っているのだから、目先の利は必要ない。むしろ投資と思うだろう。万全な状態のキャメロンと戦闘したときの損害を考えれば、多少の出費は厭わないかもしれない。

 そして、この領を襲う人間は北国の者で、領主たちの贈り物の中には北国から流れてきた禁制品がある。

「実際、徐々にキャメロンは疲弊している」

 他の村々に比べて防衛設備がしっかりしている領都でさえ、修復されない建物があるのだ。騎士が駆けつけて被害を抑えても襲撃されていることには変わりなく、いろいろなものが日々削り取られている。この状況はすでに数年の間続けられているのだ。

「しかも私たちは三年前に多くの騎士を追い出してるから人員不足。いろいろやって、なんとか踏みとどまってきたけど、そろそろ限界が見えてきてるんだよね」

「なら、どうしてそのようなことを……」

 騎士を追い出したりしなければ、少なくとも人員不足にはならなかっただろうに。ここまで現状を把握できている人が、まさかここまで続くと思わなかった、なんて思っているわけではないだろう。

「だってあのおじさんたち、身勝手な上に仕事しないんだもん」

 あの人たちが居たら、キャメロンはとっくの昔に終わってた。声を低めたイザベルはそう言い切った。過去を思い出してか、細められた蜂蜜色の瞳が物騒な輝きをともしている。

 そう言えば、噂では聞いていたというのに、そのあたりの事情はまだ聴いていなかった。いい機会だから尋ねてみようか。ふとそう思ったが、

「まあ、それは過ぎた話だ。大事なのは、今をどう乗り切るか」

 イザベルの表情が元の溌剌としたものに戻って口を開いたものだから、能わなかった。

 そうして一人一人を見渡すと、不敵に笑う。彼女も騎士なのか、とそう感じさせる、勝気な表情。

「でね、協力してほしいことがあるんだけど」

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