4. 透澄の翅衣
退屈な話を一時間ほど耐えると、食事を理由にソフィアたちは喫茶店から逃げ出した。店を出て大通りを下る。一応領都の交通の要となる通りだが、やはり首都とは違い、その広さは馬車一台とその両側に人が数人通れる程度。時折剥がれた石畳が見られるのがなんだか悲しい。
「好意……ね。本当にそう思ってるの?」
食堂を探す道中、ヴィクターがそう尋ねた。
「さすがに私もそこまで鈍くはない」
彼が求めているのはソフィアではなく、アボット家だ。それは父親の遜りようからしてもそうだし、ジャックが話題として振ってくるのは貴族としての仕事や贅沢の話。それ以外は、ドレスを着たソフィアはとても美しいだろう、とかそういったおべっかばかり。それで浮かれて彼らの思惑を見破れぬほどソフィアは単純ではない。そもそも騎士としてのソフィアの日常について訊いてこないあたり、ソフィア個人を見ていないのは明白である。
一応貴族の生まれだ、恋愛結婚を望んでいるわけではない。だが、表面しか見ない相手を伴侶にするのはできれば避けたい。
「そりゃあよかった。ソフィを見ていると、不安になるんだよね」
大げさに安心して見せるヴィクターに、ソフィアは眉を顰めた。それほどまでに自分が単純に見えるということだろうか。
目当ての食堂を見つけて、そこに入る。もう少し空いているうちに来るつもりだったが、一時間も引き留められた所為で混み合う時間帯にずれ込んでしまった。席はもう満員で、外で待たされる羽目になった。
因みに、この食堂は庶民向けの大衆食堂だ。先輩騎士に連れられて以来、度々ここに来ている。もちろんキャメロンに来るまでにソフィアはこういうところで食事をしたことはなく、三回目になる今でも店の様子や食事が新鮮に感じられる。
「ところでガスター、透澄の翅ってなんだ?」
上着なしではさすがに肌寒くなってきた時間帯、食堂の壁を背にしながら暗くなりつつある空を見上げていると、ふと思い出したようにヴィクターはユーノに問う。ソフィアも気になっていたので、彼の方を向く。
「貴族のお前たちが、聞いたこともないのか?」
「あの生地じゃドレス用だろ? 男の俺は知らないね。そもそも布とか興味ないし」
確かに、女性のドレス向けの生地だったが。
「私も聞いたことがない」
ソフィアはドレスを仕立てることが度々あるし、母はそう言った贅沢が大好きな女性である。あのような布の存在を知ったら、きっとすぐに手に入れようとするだろう。しかし、我が家にそういった物はない。北でしか手に入らないような貴重な品か。それとも出回ったばかりの品か。だというのなら納得だが、それにしてはユーノの反応が気になる。何度でも言うが、あそこまで動揺したユーノは初めてだ。
「両親にでも聞くんだな」
にべもない返事。しかしそれは、親の世代であれば知っているはずだということで。
「今聞かせろよ」
今更ではあるが、この遠征でヴィクターはユーノに対して遠慮がなくなってきた。今まで近寄ろうとしなかったのは、言うまでもなく騎士学校時代からの素行の所為だろうが、ここに来て認識を改めたようである。
ユーノはしぶしぶといった風に口を開いた。
「透澄の翅……正しくは透澄の
「今は出回っていないのか?」
「あれは禁制品だ。この国だけじゃない、周辺諸国が禁じている」
「どうして? ただの布だろう?」
ただの布地と言っても、国宝級の価値のあるものだって存在する。決して馬鹿に出来ない品なのだが、さすがに禁止されるというほどのものはなかったはずだ。動物の毛皮であれば絶滅を心配されて規制されることもあるが、あの布はどう見ても動物の毛から作られたものではない。
……では、何で作られているのだろう?
「あれは妖精の翅でできている」
苦々しげにユーノは言った。
妖精。この国ではあまり見られないが、至る地域の人里離れた場所で見られる不思議な生き物だ。人に似た姿を取っているが、母親の体内から生まれてくる人間とは違い、彼らは自然に発生すると言われている。自然豊かな土地に個人、または小規模な集団で住みつき、花や森や水などを管理する。また自然の力を借りて不思議な業を見せるらしく、その様子から管理のことも併せて、万物の化身とも言われていた。
その妖精の主だった特徴として挙げられるのが、肩甲骨から生える蜻蛉のような薄く透明な翅である。妖精はその翅で微風すら掴み、宙を滑るように飛ぶことができるのだという。
その翅を材料にしているということは、つまり妖精から毟り取っているということで。下手をすると殺しているかもしれないということでもあって――。
「そんなもので服を作ったってのか!?」
信じられない、とばかりにヴィクターが声を上げる。妖精との縁などほとんどないこの国の人間であっても、万物の化身である妖精を害してはならないことなど知っている。実際に目にする機会は少ないため、あくまでも知識としての理解ではあったが、妖精の多い西隣の国では彼らを崇拝し、その上で交流していると聞く。妖精とはそれほどの存在なのだ。
「おそらく貴族どもは妖精の翅のように綺麗な布地としか思わず、材料がなんであったのか知らなかったのだろう」
貴族丸ごとひっくるめて馬鹿にされたような気がするが、実際、自分の使う物の材料などに関しては無関心な者は多い。婦人たちの中には絹がどのようにして採れるかを知らない者も居るという。あの生地がなんであるか関心を持とうとする者が居なくても不思議はない。
そうだとしても、いずれは発覚する。買い手が関心を持たなくても、売り手のほうはさすがに関心を持つ。そうして透澄の翅衣が何でできているのかが知れ渡り、政府は規制と回収に奔走したという。
「……なんでそんなもの、キャメロンが持っているんだ?」
「昔購入したのを引っ張り出してきたとか」
「だが、あいつは手に入れたって言ったぞ」
しまってあったものを入手したとは言わない。
「なんだかきな臭いな」
本来だったら存在すらしてはいけない物を手にしている。それがただ偶然に手に入ったものだとはとても思えない。キャメロンの思惑にしろ、誰か別の人間の思惑にしろ、なにかしらの陰謀があるとみてもいいのではないか。
それにしても、どうしてユーノはこんなに詳しいのだろうか。十年前の、それも貴族間での流行の品である。ユーノは平民だからその布に触れる機会はないはずだ。それどころか貴族すら知らない材料まで知っていた。そもそも、あの布を見たときの反応が気になる。
「……それより、ソフィ」
「なんだ?」
考え込んでいるところを話しかけられ、しかもそれが深刻な様子だったのでソフィアは首を傾げた。ヴィクターが何やら恨めし気にこちらを睨んでいる。
「あんな奴にのこのこついて行っちゃ駄目だろう。ああいう男は二人っきりになった途端、狼になるんだぞ」
虚を突かれてソフィアは思わず呆けた。何で今更そんなことを言うのか。それに、
「帯剣していたし、万が一にはなんとかなるかと」
武器を持つ人間を襲おうと思うほど、あの男性は頑強には見えないのだ。
因みに、ここの騎士たちはいつ何が起こってもいいように常に武器を持っていた。自主的にそうしているらしい。ソフィアたちもそれに倣って、常に剣を傍に置いている。
「それでも駄目だ。……ったく、騎士生活で男社会に慣れ過ぎたのか……?」
頭を抱えてぼそぼそと呟くヴィクターに、さらに首を傾げる。暢気に過ごしてきたとしか思えないあのジャックに、騎士の訓練を受けてきたソフィアをどうこうできるとは思えないのだが。
「ガスターからも何か言ってやれよ」
話を振られて、ユーノは顔を顰めた。
「なんで俺が」
「いいから」
ユーノは仕方なさそうに溜め息を吐いて、それからしばらく考えこんだ。ヴィクターがユーノとの付き合い方を学んだように、ユーノも何か反応しないとヴィクターが引き下がらないことを覚えたのだ。
「お前に何かあったときに迷惑を被るのは、俺たち同期とヒース支部長だ。それを忘れるな」
それはいつもの会話のように淡々とした言葉だった。けれども、胸に刃を突き立てられたような気がした。迷惑するのは、同期と支部長、そしてキャメロンの騎士たち。その通りだ。だけど……。
もやついた思いを無視してユーノに頭を下げる。
「……すまなかった。今後は気を付ける」
彼はソフィア自身のことは心配してくれないのだ、と何故か寂しく思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます