第二章 最北の地にて
1. 北の領地
この国は、およそ東北東から南西に向けてなだらかな傾斜となっている。つまり、北部と東部は山がちで、南部と西部は平地が占めている。因みに海はなく、国土に網を張ったように細い川が走る他、西に湿地帯が所々に点在する。
ソフィアたちが赴くキャメロン領は、国の最北端。辺境伯キャメロンが治めており、低く広大な丘と国境に小さな森を幾つか持ち合わせた土地だ。気候は冷涼。荒れた土地が大部分を占めていたが、以前の領主の努力により現在では広い大地を活かした大規模な農業が行われている。多くの農家は三種類の農地を持ち、収穫期が冬と夏の二つの畑と牧畜を営んで、周期的に農地を使い回すという方法を取っていた。
だが、近年はどうも平穏とは縁遠い。およそ十年ほど前、この地は別の辺境伯が治めていたのだが、先の領主は経営能力がなかったらしく、領は困窮に追いやられてしまった。ついにはその辺境伯は没落。それに代わってキャメロン伯が治めるようになり立ち直りを見せたのだが、今度は北の国から不当に入ってきた賊による略奪が繰り返されているのだという。
ここまでは、ソフィアが基礎として知っていた情報。
ヴィクターに促されて彼の地について調べてみると、確かに白黒つけがたい情報がいくつか見つかった。
例えば、数年前にキャメロン支部の騎士たちの間で衝突があり、それが原因で半分の騎士――それも熟練者ばかりが追い出されていること。
予てより断続的に賊の被害に遭い、領民も損害を被い、減税などの措置を取っているのにもかかわらず、領主らの生活が潤ったものであること。
先の領主には確かに経営能力はなかったが、それを考慮しても衰退が激しかったこと。
どれも偶然とか気の所為とか言えそうではあるが、これほど怪しい噂が横行して放置されているのも珍しいのではないかと思う。
ソフィアが調べられたのはここまでで、それ以上の追求はできず旅立ちの日を迎えた。
キャメロン領までは、首都より馬で二日。必要最低限の荷物と食料を持ち、キャメロン領の領都――すなわち領の経済や政治の中枢となる街を目指す。
首都は国土の中心部よりも南に外れたところにあるので、ソフィアたちは標高の高い所へ向けて足を進めることになる。とはいえ、その道中立ちはだかるのは、山というよりも丘と呼べる程度のものばかりで、登山の心構えをするまでもなく、馬の足だけで十分に越えられる。登り坂よりも、小さいとはいえ流れに足を取られやすい川を越えるほうが大変なくらいだった。
春半ばだというのに寒さが残り、まだ色彩の乏しい丘を抜けて辿り着いたのは、灰色と褐色をした煉瓦の建物が混じる街だった。領の中枢であるのでさすがにある程度の大きさはあるが、活気というものはあまりない、ゆったりとした時間が流れていそうな街。それがキャメロン領の都カルネアだ。
「思っていたよりも普通だな」
街に入ったソフィアは、周囲の様子を見てそう漏らした。酷く壊れている様子もないし、住民は普通に日常を送っているように見える。賊に襲撃されているとは感じられない、至って穏やかな風景だ。
「そうでもないぞ」
ヴィクターが通りの一角を指さす。灰色の煉瓦の建物の石壁が崩れていた。表は修復されてても、そういった目立たないところの襲撃の爪痕が残っているようだ。城壁に囲まれた町でも建物に損壊が出るほどの襲撃を受けているとなると、領地全体の被害はどれ程のものだろうか。
そんな街を通り過ぎ、キャメロンの騎士たちの本拠地となる騎士庁舎に辿り着く。建物は三階建てで、屋根は平坦。屋上になっているかもしれない。建物を挟む四階まである塔は物見に使われているのだろうか。黒く重々しい存在感があり、いかにも騎士のための庁舎といった雰囲気だった。
その真ん中に入り口の前は、馬のことを考慮してか、小さな広場となっていた。そこでソフィアたちを待ち受けていたは数人の騎士と、官服を纏った壮年の男性――おそらく領主だ。
「新米騎士の遠征の出迎えに領主が来るなんて、聞いたことないな」
ヴィクターは訝しむというよりは呆れているようだった。
一方、出迎えの騎士たちのほうは若かった。上は三十はじめ、下は二十といったところだろうか。随分と年齢層が低い。支部長をはじめとし、それに連なる階級の騎士たちはここにはいないようである。立場は上とはいえ部外者である領主の出迎えがありながら、上司となる騎士たちの出迎えがないのはどういうことだろう、とひそかに首を傾げた。
三人は馬を下り、手綱を引きながら出迎えの前に立った。同時に、そそくさと壮年の男が列の中から進み出る。黒い髪をポマードで後ろに撫で付け、顎髭を生やしている。着ている物は、確かに賊の被害に遭って困っている割には良い物を着ているようだった。
「ようこそ、騎士の皆様。わざわざ遠いところをお越しくださり、ありがとうございます」
領主であるその人、現キャメロン当主は、この中で立場が一番上なはずなのに、何故かソフィアたちに対して遜った態度を取った。
――否、ソフィアたちにではない。ソフィアに、だ。
それを不可解に思いながら、声を掛けられたので仕方なく代表としてソフィアが挨拶することにした。
「いえ。我々若輩者の演習先として受け入れてくださったのですから、感謝するのはこちらのほうです。こちらの先輩方を見習い、誠心誠意業務に励ませていただきますので、短い間ですがどうぞよろしくお願いいたします」
そうして頭を下げれば、領主は慌てた。
「なんてご丁寧なお言葉。誠にありがとうございます。いや、アボット侯爵様のご令嬢がいらっしゃると聞いてどんな方なんだろうと思っていましたが、お噂の通り美しいうえに凛々しくていらっしゃる。そのうえ気遣いまでして戴けるとは、本当に感激の極みでございます。首都ではさぞかし、男性から人気のあることでしょう。我が息子も貴女にお目にかかることを楽しみにしていたのですが、生憎仕事がありまして……もし機会があれば、ぜひ会っていただきたいのですが」
あまりに過剰な褒め言葉に、そういうことか、とようやくソフィアは納得した。通常ありえない領主の出迎えは、彼がアボット侯爵に取り入るためのものだったのだ。
それからも一方的な会話は続く。長々とした口舌にはさすがに困り果てた。これでは遠征の説明も聴けないし、荷解きもいつになるか分からない。しかし、口を挟もうにもその隙がない。
周囲からだんだんととげとげしい空気が漂ってきた。ソフィアたちを迎えてくれたキャメロンの騎士たちが、いつまでも終わらない話に苛立っているらしい。もちろん彼らだけでなく、ソフィアの隣のユーノも、反対側のヴィクターまでも苛立っているようで、二人とも眉間に皺が刻まれている。素直に不満を表情に出せる二人が羨ましい。
「領主」
キャメロンの背後から強引に話を遮ったのは、ユーノと同じくらいの年齢の騎士だった。プラチナブロンドと、この国では珍しい褐色の肌が目を惹く、怜悧な印象を持つ美丈夫で、白の上着がよく似合っている。
今更ではあるが、この国の騎士の制服は白を基調としている。騎士に求められるのは高潔さ。そして白はそれを示す色だとのことで国王が好み、騎士服に採用された。所属は袖口布の色、階級は襟章で示され、新米には与えられない。が、その人の詰襟には日の光にキラリと輝く金属があった。
「彼女たちは二日の行軍を経て疲労しています。どうかその辺で解放してください」
丁寧ではあったが棒読みと言えるほどに無感情な言葉だった。邪魔だからさっさと帰れ、と言外に告げているようなものだ。騎士の無表情がそれに拍車をかける。
「若造が。調子に乗るなよ」
キャメロンは彼を睨みつけて唾棄すると、ソフィアを見て表情を一転させ、ではまたいつか、と挨拶して帰っていった。
感じ悪、とヴィクターが小声で漏らす。首は振らなかったが心の中で同意した。人間は誰しも相手によって態度を変えるものだが、人前であるのにもかかわらず、取り繕う気もないとは。あそこまであからさまに態度を豹変させるのは、見ていて気分の良いものではない。
ソフィアたちの前に、先程の騎士が立った。アイスブルーの瞳が冷たくソフィアたちを見下ろす。
「到着早々、うちの領主が失礼した。小物ゆえに多目に見て欲しい」
騎士の言葉にソフィアたちが瞠目したのは言うまでもないだろう。騎士たちが所属するのは国だが、領地に駐留する騎士はそこの領主の指示に従うもの。端的に言ってしまうのなら上司と言うことになる。それなのに今この騎士は、その上司を貶めたのだ。
その白の騎士は、自らをシリル・ヒースと名乗った。なんと彼こそがキャメロン支部の責任者であるらしい。襟にはそれに相当する階級章がある。上司の出迎えはあったのだ。しかし、領の騎士の頂点に立つのがソフィアたちと年齢がさほど変わらない、二十そこそこの若者であると、いったい誰が思うのだろう。
「俺や他の連中を見ても分かるだろうが、この領には年長の騎士がほとんど居ないし、領主とも折り合いが悪い。それだけに不安を覚えると思うが、承知しておいて欲しい」
それはどうやら、数年前に騎士が追放されていることと関係がありそうだった。とはいえ、ここは追及の場ではない。尋ねたいのをぐっと堪え、説明に耳を傾ける。
「そして現状、この地は北からの賊の脅威にあって困窮している。新人、貴族だからと甘やかしている余裕はない。そこのところを忘れるな」
その冷たい色の目はソフィアに向けられていて。他の誰よりも自分に忠告しているのだと気が付いた。周りを見回せば、他の騎士たちも視線をソフィアに注いでおり、その眼差しは厳しいもの、嘲ったもの、好奇心を持ったもののいずれかで、歓迎の様子はない。
完全に、新米騎士ではなく貴族令嬢として見られてしまった。
「私は遊びに来たのではないというのに……」
こっそりと嘆息する。領主のソフィアに対して遜ったあの態度は、こちらの騎士たちに誤解を与えてしまった。実に迷惑な話である。
「先が思いやられるな」
早くも一月半の滞在に暗雲が立ち込めた気がした。
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