2. キャメロンの騎士
「はじめまして! 私はイザベル。よろしくね!」
宛がわれた宿泊室に入ると、もともとの部屋の持ち主と思われる女性が朗らかに挨拶してきた。肩に流した、炎のように赤い髪。金にも見える蜂蜜色の瞳。顔立ちは幼く、少年のような印象を受けるが、実は二十四になるのだという。
新入りには面倒を見てくれる人物が必要だろう、とシリルに引き合わされたのが、このイザベルだった。滞在中のルームメイトでもある。というより、彼女はもともと一人でこの部屋を使っていて、そこにソフィアが入り込むことになったそうだ。ベッドは右側と左側の壁に一つずつ置かれていたが、調度品や小物など、部屋中が彼女の趣味と思しきものに支配されている。相変わらず重々しい色合いの石壁の部屋には、ドライフラワーのリースや陶器製のポットなど素朴で可愛らしい置物がところどころに飾られていた。
「ソフィア・アボットです。よろしくお願いします」
これから生活を共にするのだ、印象は大事だと礼儀正しく挨拶すると、イザベルは嬉しそうに笑った。
「うん、合格合格。侯爵の娘だっていうからどんな子だろうと思ってたけど、これなら心配ないや。上下関係の意識どころか親の爵位持ち出すようなら、こてんぱんにしてやろうかと思ってたんだけどね」
頷きながら物騒なことを言う。笑顔でさらっとした発言だが、とても冗談には受け取れなかった。適当に笑ってやり過ごす。案内したまま何故か退室しない、後ろで立っているシリルの沈黙が怖かった。
「私のことはベルって呼んで。イザベルなんて名前、とても似合わないでしょ?」
イザベルはこの国の貴族に多い名前である。そして、過去に女傑と呼ばれた婦人にも二人ほどいた。それを気兼ねしての発言だろうが、ソフィアにはとても名前負けしているとは思えなかった。貴族令嬢に見られるような類のしとやかさや気品はないが、不思議な魅力が彼女にはある。
とはいえ本人がそういうのだ。ここは肯定も否定もせず、素直に頷いておくべきだ。
「はい、ベル先輩」
「うん、よろしくね。……あ、シィルご苦労様。もういいよ」
背後の支部長に掛けた言葉は、驚くべきことに上から目線、加えて愛称呼びだった。
「そいつは頼んだ」
気にした素振りのないシリルにこれもまた目を丸くした。それどころかずいぶんと親しげ、そうであって当然といった様子だった。先程の冷たい上官としての雰囲気がまったく消えている。
どういうことか、とソフィアは混乱する。騎士は領主に無礼だし、年齢層は低めだし、目の前のこの女性は上司であるはずの支部長に対して馴れ馴れしいし、この地に来てから驚くことばかりだ。
ぽかん、と立ち竦んだソフィアを見て、イザベルは苦笑いを浮かべた。
「……他所とはだいぶ違うと思うけど、おいおい慣れてってよ」
曖昧に頷く。貴族や騎士としての厳しい規律の中で生きてきたソフィアにはなかなか現状が理解できないが、彼らがこの体制を変える気がない以上、そうするしかない。
「まあ細かいことはあとあと。荷解きとか、ソフィアが過ごしやすいようにしなくちゃね」
ベッドはそこ使ってー、と部屋の右側を指さした。そこにあるのは木で組まれただけの堅そうな寝台。その上は枕や毛布どころか、マットレスすらなかった。どうするのかと困り果てていると、別の部屋からイザベルが布団を一式持って来た。
「干すのが大変だから、うちはマットレスがないんだ。代わりにこのマットを敷いてる」
イザベルが寝台にそれを広げると、がさがさ、ととても綿や毛類が入っているとは思えない音がした。微かに乾いた草の匂いもする。中に藁が入っているのだ。
「固くてつらいと思うけど、ごめんね?」
文句を言える立場ではないので、素直に頷いた。
これまでベッドメイキングなどしたことがなかったので、イザベルに指導してもらう。ソフィアの拙い作業にも彼女は根気よく付き合ってくれた。誰々に比べれば上手だよ、とそんな身内情報を混ぜてくれながら。
イザベルは凄く気さくな人物だった。出逢って数刻も経っていないのに、既に姉ができたような気分になっている。
「ごめんね。さっきうちのシィルが失礼な事言ったでしょ」
ベッドメイクが終わって持って来た荷の整理に取り掛かると、自分の寝台に腰かけてその様子を見ていたイザベルがそう話し掛けた。
「実は私もあそこにいたんだよねー。まあ、見えなかったとは思うけど。
たぶん今は誤解していると思うけど、厳しく当たったり、いつまでも偏見してたりはしないから、安心して? シィルだけじゃなく、他の人たちもそんなことしないから……たぶん」
自信なさそうに付け加えて、あははごめんね、と乾いた声で笑う。
「それでも苛められるようだったら、私に言ってね。きちんと怒ってくるからさ」
そうして蜂蜜色の瞳を細めて笑った。
地方に行っても騎士のすることは変わらない。訓練に巡回、備品の整理に少しの書類仕事。首都に居る時と違うのは、巡回の範囲が広いこと。キャメロンの騎士たちが見回る場所は、当然領都だけにとどまらず領内すべての村々に及ぶ。それだけに、庁舎の人の入れ替わりは激しかった。誰かが何処かの村に行き、帰ってくる。しばらくすると、また別の村へと出掛けていく。ある一定の期間を越えて同じ場所に留まる事がないため、往来は激しかった。
さて、新しくこの地に来たソフィアたちには、到着の翌日から一人に一人ずつ先輩騎士が付くことになった。教育係といったところか。騎士は基本単独行動をしないため相棒の意味合いもある。しばらくは領都にとどまり、彼らの指導でキャメロンにやり方を学んでいくらしい。
ソフィアが付くことになったのは、ギルバートという名の赤茶の髪を持つ騎士だ。歳は二十一だが、騎士は二年目だという。
騎士学校に入学できるようになるのは、十六歳以上になってからだ。入学条件は、多少の剣の腕と求められる基礎学力の基準を満たしていることで、それは試験で問われる。騎士を希望するたいていの貴族はその入学試験を容易に通過できるが、身分のない者の中には一度で試験を通過できない者もいる。それは、身分の差によって教育を受けられる環境が異なるからだ。貴族は容易に師を見つけ出すことができるが、身分のない者は独力で勉強するものがほとんどだ。
そういう訳で、同じ時期に騎士学校に入学しても年齢が違うことがままある。ソフィアとユーノに二年の年齢差があるのはその所為だし、ギルバートもきっと後者なのだろう。
だからだろうか、顔合わせの時、ギルバートはソフィアより頭一つ高いところから嘲るように鳶色の眼で見下ろしてきた。
「よろしくな、お嬢様」
開口一番飛び出したのがその言葉だった。あまりに嫌味な言葉であったが、遅れて入学した者は身分差に悩まされることも多いし、ここに来てすぐのことも思うと仕方がないか、とソフィアも諦めていたのだが、
「ギル」
イザベルに窘められると、ギルバートはばつが悪そうな表情を浮かべるのだった。
「駄目だよ、そういうことを言っちゃ。彼女は貴族かもしれないけど、騎士で、君の後輩なんだ」
「……すみません」
決して叱る風ではない。命令する風でもない。それなのに、たちまち彼は殊勝になった。どうやら彼女にはそれなりに発言力があるらしい。それだけでなく人望もあるようで、領内の騎士たちのほとんどから慕われていた。
そんな彼女の助力もあって、領主対面直後に感じたソフィアの心配は結局杞憂に終わった。最初こそギルバートのように、騎士を目指した変わり者令嬢、男に媚を売りに来た小娘、などというの視線に晒されたものの、貴族平民に関わらず如何なる人物にも敬意と親しみをもって接し、どんな過酷な仕事や訓練にも文句を言わずにこなしていくうちに、イザベルの忠言もあってか、次第にそういうことは無くなっていった。今ではユーノやヴィクターと揃って、弟妹のような扱いを受けている。
「お前の人徳をつくづく思い知るな」
すっかり環境に溶け込んだソフィアをそう言ってヴィクターは笑った。そういう彼も、特にパートナーの先輩とうまくやっているようである。
ところで、もう一つの懸念材料だったユーノだが、彼は特に問題を起こすことなく淡々と過ごしていた。土地柄か、それとも人柄か、一匹狼を気取るユーノに対して突っかかる者が誰一人いなかったのだ。ただ、喧嘩することもない代わりに彼自身が積極的に誰かと接することもなかった。彼のパートナーも淡白な性質らしく、必要以上に彼に構うことがなかったので、結局面倒はソフィアが見ることになった。見てしまった。
もはや性分だ、とヴィクターが笑う。ソフィアもユーノも互いの関係性を煩わしく思っていたはずなのだが、実は誰よりも受け入れていたのだと、首都を離れて、は特に問題を起こさないのにユーノを構ってしまう自分を顧みて、さすがに認めざるを得なかった。
「ソフィは将来旦那を尻に敷くタイプだな」
そんな冗談には、さすがに一睨みくれてやったが。
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