3. ソフィア・アボットという令嬢

 ――またか。

 ユーノは顔を顰めた。訓練の時間、一緒に組んで戦う相手がおらず一人剣を振っていると、先輩騎士が見かねたらしく、ソフィア・アボットを呼んだのだ。望まぬ相手と組まされるのは自分に原因があると分かっているが、彼女以外でもいいだろう、といつも思う。

 ユーノはソフィアが苦手だ。彼女と関わるくらいなら、つまらない罵声を浴びせてくる同僚を相手にする方がマシだと思えるくらい、彼女の扱い方に困っていた。

 ソフィア・アボット。十八歳。アボット侯爵家の一人娘。後頭部で高く結った細く長い髪は、柔らかくも鮮烈な日光の色。人形のような綺麗な顔立ちを彩るのは、春の泉の色を映したような青。着飾れば間違いなく多くの男の視線を浴びるだろう美しい娘は、何をとち狂ったのか騎士を目指した。

 別に女騎士は珍しくはない。この国では女性王族には女騎士が護衛に就く決まりとなっているので、一定数の確保を必要としている。騎士の家系の令嬢がなることもままあることだし、男児を産めなかった子爵以下の貴族が安定した地位を欲して娘を騎士として国に差し出すことも珍しくない……が、アボット侯爵家にはどちらも関わりのない話のはずだ。だから、やはり酔狂としか思えない。

 だが、酔狂にしろなんにしろ、ソフィアは優秀だった。騎士学校卒業時には次席にまで上り詰めている。教養は申し分なく、剣に至っては女にしておくのが惜しいと教官に言わせるほど天才的。身分を笠に着ることはなく、性格は実直。友人は多く、先輩後輩関わらず多くの人から好かれている。彼女の実力や家の地位を僻む者もいるが、あからさまに批判されることはなかった。

 そんな優等生のソフィアが、何故成績優秀とはいえ問題児であるユーノに構うのか。それは当事者も含め誰もが思っている疑問だった。

 関わった切っ掛けは何だったか、と回想する。確か、騎士学校入学後の初めての戦闘訓練で伯爵家の息子を打ち負かしてしまい、平民が何様だ、と因縁をつけられたのだ。そうして喧嘩になったところを彼女が止めに入った。

 ……あの時、彼女は自分に怯えていた。必死に隠そうとしていたが、ユーノの目を覗き込んだ彼女は確かに硬直していた。学友を叩きのめそうとした自分を恐れたのだと、だから近づいてくることもないだろうと思っていたのだが、予想に反して彼女は頻繁にユーノの前に姿を現した。揉め事の仲裁に入り、ユーノを叱って諭す。それはいつの間にか日常の光景の一つとなってしまい、卒業し騎士となった今も変わらない。

 思い返してみても理由は分からなかった。ユーノが誑かした、となどと馬鹿馬鹿しいことを言う者もいるが、そもそも正義感が強く規則に忠実なソフィアが、問題ばかり起こしている自分に惑わされるはずもない。

 とにかくうっとうしいと思ってはいるのだが、彼女はそう言ってもめげずに纏わりついてくる。いつの間にか周囲も彼女を宛がってくる始末。煩わしくて本当に敵わない。

「どうした、ガスター」

 声に意識を戻してみれば、剣を構えたソフィアが訝しげにこちらを見ていた。石壁で囲っただけ、土を踏み締めただけの侘しい訓練場で、剣を持っていても、騎士服を着ていても彼女の存在は場違いだった。

 ――ドレスを着てお茶を飲んでいるほうがお似合いだろうに。剣を振り回し、男言葉を馴染ませて、いったいどうしようというのか。

 密かに忌々しくそんなことを思っていたユーノがいつまでも剣を構えないのが不服だったようで、彼女はこちらを睨めつけてきた。

「訓練中だ、ぼうっとするな。真面目にしないと怪我をするぞ」

 余計なお世話だ。言葉を飲み込んでユーノは剣を持ち上げる。しばらくそのまま対峙し、どちらともなく踏み出した。

 金属のぶつかり合う音が響く。下から上に、右から左に、閃く剣を弾いて防ぐ。それを何度も繰り返す。

 ソフィアが扱う剣は女性らしくしなやかだ。しかし、きちんと鍛えてあるので娘にしては膂力もあり、受け止めると予想以上に重い衝撃が腕を伝う。手応えのある良い剣だ。その上きちっと型どおりの動きで無駄がない。ユーノとはまるで違う。

 ユーノの剣は荒い。基礎はしっかりしているのだが、剣を握ると感情が先走って動きが粗くなってしまうのだ。普通そう言った剣は簡単に防がれてしまうのだが、そこは気概で乗り越えているのだろう、と珍しくユーノに構う先輩騎士が言っていた。絶対に討ち取るという強い意志。誰にも負けないというその意思が絡んできた相手にも及び、問題行動の一端となっている。

 そんな剣ではいつか立ち行かなくなる、とそのお節介な先輩に言われた。それは破滅の剣だと。

 知ったことか、と思う。強くなれるなら――目的を果たせるのなら、この身に訪れるのが破滅だろうが死だろうが関係ない。ただ勝ち続けること、それだけを考えてユーノは生きてきた。

 そして今もその執念で、ソフィアから一本取った。右側だけを執拗に狙い、疲弊させてから左側を打つ、とても正々堂々とは言えない勝ち方である。

「強いな、相変わらずお前は」

 上がった息を整えて、感心したように言って立ち上がり、剣を納めるソフィア。負けそうになった焦りから卑怯ともいえる手段を取ったという相手に対し敬意を表すさまは、本人にその気はなくとも実に嫌味だ。こういう時は口の中が苦くなる。

 苛立つ心を押さえつけ、ユーノも剣を納める。否定も反論もしない。口を開けば感情を抑えられなくなる気がした。

 彼女から目を離し、あちこちから剣戟が響く訓練場を見渡す。誰か空いていないか、と探してみたが、打ち合っている者がほとんどで、次の相手は見つかりそうにない。……せっかく彼女から離れられると思ったのだが。

 辺りを睨みつける彼に、傍らに立つ彼女はふと尋ねた。

「ガスターは何故騎士になったんだ?」

 あまりに唐突な質問にユーノは思わず振り返ってしまった。そういうことを訊ね合うのは普通学生の時分で、時期はとうに過ぎたはずだ。

 どうして今更。

「いきなりなんだ」

 問い返せば、彼女は気後れしたように首を竦めた。

「いや……その……なんとなく」

 嘘だ。必死に言い訳を考えようとして視線があちこちに動き回っている。腹の底を隠し合い、それでいて探り合う貴族にしては、彼女は嘘が下手だった。女児で、兄もいるということから背負うものもなく、さぞかし甘やかされ、守られて生きてきたのだろう。だから、考えていることが顔に出る。きっと誰かに唆されたのだと、ユーノは推測した。そうでなければ、目を泳がせたりはすまい。

 だがまあ、別にどうでもいい。彼女に構う必要なんてないのだ。何を思ってそんなことを訊いてきたかなど、知ったことではない。

 無視しようとしたのを察したのか、彼女は慌てて付け加えた。

「そう、その、強さの秘訣は何だろうかと思ってな」

 とってつけたかのような言い訳。取り合う気はなかったというのに、内容はすっかり聞きつけてしまい、思考はそちらへ働いていく。

 強さの理由。負けてはいけないのだと、自分に言い聞かせてここまできた。

 何故か。

「……お前には分からない」

「え……?」

 思わず漏らした言葉は、ソフィアには聞き取れなかったらしい。それをあえて言い直してやる優しさはユーノにはなかった。

「訓練中だ、下らない事を考えるな。真面目にしないと怪我をするぞ」

「ああ、その……すまない」

 先程言われた言葉を繰り返してやると、素直に謝罪してきた。本気で反省しているらしい殊勝な反応に、またも苦虫を噛み潰した気分になる。――本当に調子が狂う。

「ガスター、もう一度手合わせを頼む」

 そうしてもう一度剣を構えるソフィア。周囲に手すきの人はなく、申し出を断る口実がなかった。仕方なく剣を抜く。

 相対して、その凛とした佇まいを目にして、身の内が燃え上がるように熱くなった気がした。

 それが憧れなのか嫉妬なのか、はたまた別の感情なのかはわからず、ユーノは激情のままに剣を振ってソフィアを叩き潰さないようにするのに精いっぱいだった。

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