2. ユーノ・ガスターという男
ユーノ・ガスターは、ソフィアと同期の騎士だ。北方の村出身の平民で、二年前、十八のときに騎士学校に入学し、訓練過程を終えて四席で卒業した優秀な男であるが、その優秀さの反面で協調性の欠如という欠点を抱えていた。訓練生時代のみならず、現在も友人を一人として作ろうとしない、一匹狼。その姿勢が周囲から反感を買うのは当然と言えば当然だった。
おかげで彼は常にトラブルに見舞われる。主にちっぽけな自尊心を掲げる人間の攻撃対象にされるのだ。人の輪から外れた者は、格好の標的だ。加えて、貴族の多い騎士たちの中で低い身分である。情けないことに、ユーノに陰湿な嫌がらせをしているのは貴族の息子たちで、そんな相手では、進んで庇う者も守る者もいなかった。
それだけなら嫌がらせをする側の人間性の問題で済む。いや、済みはしないが、それ以上に問題なことがあった。
ユーノの気性の荒さだ。
ユーノは自分に害意を持って近付いてきた相手を容赦なく叩きのめしてしまう。そこに手加減などという言葉はなく、例え相手が降参しようとも立てなくなるまでぼこぼこにしてしまう。彼に挑み、打撲、骨折、気絶した人間は数多く、今もなお後を絶たない。今まで死人が出ていないのは奇跡なのではないかと思うことすらある。
ソフィアは二年間それをずっと見ていた。それだけでなく、止めていた。何の因果か彼はいつもソフィアの周りで問題を起こすのだ。騒ぎを聞きつけてしまえば止めずにはいられない。そしてそれが繰り返され……いつの間にか、不本意ながらユーノの手綱を握る役目を負わされていた。最近は彼女の感知しない場所での騒ぎにわざわざ呼ばれることもある。非常に迷惑な話だった。
だがしかし、それもまだ良しとしよう。その甲斐あって彼はまだ騎士をしている。それよりも何よりも腹立たしいのは、
「どうにかなりませんか、あいつの態度は!」
いくら注意しても意にも解さない、ユーノ・ガスターその人の反応だった。
ルフィン国が誇る、広い広い王城の庭。季節が移り変わるごとに数十種類の花々を見せる庭園は、国が最も誇る名所として名高い。その庭の一部は万人に開放されており、ことに首都に住まう市民たちに親しまれている。そんな開放区域の庭の一角にある、白い石でできた四阿でソフィアは吼えた。時はすでに午後三時。ユーノが騒ぎを起こしたのが昼前だったから、優に四時間は経過している。だというのに、怒りは納まらなかった。いや、ここに来てぶり返したというべきか。最近どう、などと訊かれて近況を話したものだから。
「確かに悪いのはちょっかいを出す人物です。あのような陰湿な行為、とても騎士がするものとは思えない。しかし、それに対して過剰な反応をするのも問題はあります。喧嘩を売ってきた相手を医務室送りだなんて、彼が周囲からどう見られるか!」
立ち上がり、両手を振って主張するのを苦笑いで見守る者がいた。エレン・クレスタという名の、先輩女騎士である。
騎士という職業柄、やはり女性の人口は少ない。加えて男社会に気圧されて脱退する者も少なからずいた。そんな女騎士たちを減らすため、新入りにはしばらくの間面倒を見てくれる先輩が付く。ソフィアの場合は、このエレンがその面倒を見てくれる先輩騎士だった。
「医務室送りのほうを心配するのではないのね」
騎士の生活が生活だけに、たとえ貴族の出身であっても、周囲に感化されて粗暴になったり男勝りになる女騎士が多い中、エレンは四年以上騎士を続けてもなおたおやかさを残していた。所作はたとえ紅茶のカップを持ち上げる動作であってもそこらの姫君に負けない優美さを持ち、剣を振ればまるで舞のよう。薄紅の唇を開けば、歌うような響きに男性であっても女性であっても耳を傾けてしまう。その優美さから、白百合の名を冠している。
そして極めつけは、その若さにして王宮の騎士団の一つを統括していること。令嬢として必要な資質だけでなく、騎士としての実力を充分に兼ね備えている。
そんなエレンは、ソフィアが尊敬し憧れとする人物だ。その彼女が相談相手となってくれたのは行幸であり、だからこそもっと利になる会話をしたいのだが、この件に関しては相手が誰であれ愚痴を言わずにはいられない。
「彼らは当然の報いを受けたまで。反省も学習もしない彼らに、かける情けは有りません」
きっぱりと、背筋を伸ばして断言する。ソフィアにとって、彼らは被害者ではなく加害者だった。だって、どうして不必要に相手を怒らせた人間を心配できようか。しかも、理由はただの僻み。
――平民の癖に出しゃばるな!
騒ぎの時に必ず聞こえてくる台詞だ。
身分だけで人を判断し、立場が下であると分かったらその人のすべてを否定する。それを当然と思い、嘲り笑う。貴族の誇りが汚されたと言うが、その行いは本当に誇りあるものなのか。
ユーノが反発するのは、ある意味で当然のことではあるのだが。
「けれど、ガスターの行いが過剰であるとは思っているのね」
冷静なエレンの発言を聞いて、ソフィアは途端大人しくなった。萎れた花のように勢いをなくし、ぺたんと四阿のベンチに腰掛ける。土埃に薄汚れた白い床に視線を落としながら口を開いた。
「本当に悪いのは彼ではないのに……。けれど、私ではあの陰湿な行為を止めさせることはできない」
これまでに何度彼らに注意したことか。しかし彼らはそんなソフィアを鼻で笑い、それどころか何故止めるのかと訊き返してきたのである。訳を論じてみれば、異端扱いまでされた。もはや話を聞いてくれないどころではない。話が通じない。
それでも、と思って足掻いたこともあるが、二年経過しても実を結ぶ様子が見られなかったので、さすがのソフィアも諦めた。
「だからせめて彼には正しい行いをして貰って、これ以上周囲の反感を買わぬようにしてもらいたいのですが……」
そうすれば、彼はきっと穏やかに過ごすことができると思うのだ。喧嘩を買い、騒ぎを大きくしてしまうユーノだが、自ら騒ぎを起こしたことはない。きっと本来はもう少し落ち着いた性格なのではないかとソフィアは思っている。
「随分と彼を気に掛けているのね」
エレンはからかうように言ったが、その意図には気が付かなかった。
「同期ですから。それに、成績を競い合った仲です」
揉め事の度に怪我人を出していることからも分かるように、彼は武においてとても優秀だった。座学の成績もまた良く、総合的には主席と肩を並べるほどだ。
にもかかわらず四席に甘んじてしまったのは、彼の問題行動が原因で内申の評価が下がったが故。だが、それもユーノ自身が起こしたわけではなく、仕掛けられた嫌がらせに彼の自制が効かなかっただけである。
それもそれで問題なのかもしれないが、と思いながらついこの間まで続いた学校時代を振り返る。彼は非常に勤勉で、いつも何かを学んでいるか、剣の訓練をしていた。誰にも頼らず騎士を目指して励み続ける彼の姿はとても刺激的だった。いつの間にか彼をライバル視して、剣の腕も知識の習得も必死に頑張ってきた。今のソフィアがあるのは、彼のお陰とも言える。
ユーノ・ガスターはもっと正当に評価されるべきだ。だからこそ、ユーノにもう少し周囲の目を気にした行動を取って欲しいと願うのだが……。
溜め息を吐くソフィアの向かいで、エレンは口元に手を当てながら己の考えを披露した。
「おそらく彼の行動を変えるには、彼の意識の根底を変えなければいけないのでしょう」
「……彼の意識の根底?」
意味が捉えられずに、首を傾げた。
「ガスターの気性や行動は、きっと理由あってのことよ。そこをどうにかしない限り、同じことが続くわ」
理由。気性の荒さや喧嘩っ早さというものは性格や環境などに起因するものだと思っていたのだが、そうとは限らないのか。そういったものに理由があるとは考えもしなかった。
それだけに、想像がつかない。
「理由とはなんでしょう?」
「さすがにそこまでは私も分かりかねるわ。彼のことはよく知らないから」
それはそうだ。愚痴を聞いてくれるだけのエレンが、ユーノの内情を知るはずがない。
詮ないことを訊いてしまい、一人恥じるソフィアを他所に、エレンは席を立つ。
「貴女ならそのうち分かるのではないかしら」
曖昧ながらも助言を受けたソフィアは、しばらく呆然としながら緑の向こうに消えていくエレンを見送った。彼女の言葉を咀嚼しようとして、そろそろ戻らなければならないことに気付き、エレンに引き続いて四阿を後にする。
「理由……」
本人に訊かない限り解を得られないと知りながらも、思考はそちらへと持っていかれた。堂々巡りに嵌まりこみ、足が遅くなってしまう。
季節の変わり目にある所為で花の匂いの乏しい庭を歩きながら、はじめてユーノに会ったときのことを思い出す。あの時もソフィアは揉めていたユーノと同期の訓練生を止めたのだ。そのときに、剣を取り落し抵抗できない訓練生を甚振っていたユーノを非難しようとして、彼の目を覗き込んだ。
暗い暗い、黒の瞳。感情のないガラス玉の眼の奥に、澱みが押し込められているような、それでいてそれらを燃やし尽くしてしまいそうな炎も宿っているような気がした。いろんな〝負〟が押し込められたような、人間のものとは思えないその瞳に、ソフィアは臆した。……いや、現在も彼の目を覗き込む度に戦慄する。どうして彼はそんな目を持つようになってしまったのだろう、と。
おそらくそれがエレンのいう理由だ。
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