第十五話 出会った階段で

 



 空き地から家への帰り道。

 まだ梅雨の時期で空き地を早々に切り上げてきた。プレハブ小屋で過ごすのも良いが曇り空が暗くて嫌だったので、家へ帰ることに決めて歩いている、帰り道。

「そうだ。教えてやろうか?」

 俺は思い立ったように央雅に言う。

 俺と央雅が出会ったあの日。階段で風を切る楽しさ。外階段から一階へ降りていたあの日のことを。

 大きくなったら教えると約束した。央雅も大きくなったし、今のうちに体験しておくのも悪くないと俺は思った。

「兄ちゃんはあの日からあんまりやってないの?」

「そう言えばやってないな」

 二人と出会ってから、一人じゃなくなったから、たくさんの言葉を飲み込んで、央雅を見る。

「じゃあやってみようかな。あの時、僕本当に楽しそうな顔で兄ちゃんが降りてくるからびっくりしたよ」

「俺も別の意味でびっくりしたよ」

 忘れない、あの時、あの瞬間。

 俺は久しぶりに「7」を押す。央雅が退院してから押すことが減ってしまった「7」。帰宅するときは二人が眠る時間なので俺はいつも玄関先で別れを告げていたからだ。

 あの時、出会ったばかりの俺は酷く不安定な時期で、大人になりたくてたまらないどうしようもない子供の一人で、どうやったら困ってくれるだろう、とそんな事ばかり考えていたのである。

 とは言え万引きなんて正義に反したことは出来ない。

 それは本当の「悪いこと」で「大人」とは違った意味を持ってしまうからだ。俺が怪我をすれば心配になって仕事に行かないだろうか、不登校になったら家にいてくれるだろうか。たくさん考えを張り巡らしていた時期もである。

 それくらい、俺は愛情に飢えた一人の人間だった。

 小さい頃は保育園で、母さんがいつも一番最後に俺を迎えにくる。その時はかなり夜も遅くて俺は一人で先生と遊んで不安な毎日をただ過ごしていた。小学校に入ると母の帰宅は幾分早くなったものの最初は学童に預けられて夕方まで同じような境遇のこどもたちと遊んで時が過ぎるのをただ待っている。

 それでも他の子供は親が迎えにくるのに、俺一人だけ迎えは来ない。

 最後の一人になると俺は諦めたように鍵を握りしめてマンションへと向かうのだ。

 母親の帰宅は十八時。そこからご飯の用意やお風呂の準備始まって二十時頃になると夜ご飯を食べてその間にお風呂に入るように言われる。二十一時にはさあ寝なさい、という声と共に父さんが帰宅するのだ。

 そんな生活を続けて小学校三年生になると学童の審査から落ちることになり、時間が無限のように余ることを知る。おやつ代と夕食代も込みで、帰宅するとテーブルの上に置かれたお金に俺の心がぎゅっとその時締め付けられたものだ。

 夕食代が置かれている時、十九時か二十時過ぎに帰宅する。お風呂だけ沸かしておくわね、と言われお風呂が沸いたらすぐに入って洗って乾かして寝る。

 夕食代が置かれていない時は母さんと二人で他愛ない話やテレビを見ながらご飯を食べて過ごす。

 寂しかった。もっと構って欲しかった。でもそれが大人だというのなら、俺は早く大人になりたくて仕方なくて、それで余った時間の使い方を探していたけれど、見つかることはなく時は過ぎる。

 そしてあの日、出会った。

「この玄関の前を躊躇うことなく俺は通り過ぎた」

 俺は「701」号室を素通りして外階段へ向かう。

 手すりととは別に少し出っ張った壁がある。それでも小さな時はそれすら飛び越えて落ちてしまいそうで怖かった。

「手でしっかりとブレーキをかけながら、でも止まらないように調整して降りるんだ」

 俺は手すりの上に身体を預ける。大事なのは手の使い方。ブレーキかけれないと上手く曲がれなくてそのまま階段に降りるんだ。そうならないようにカーブでの調整は大切だ」

 俺はそう言って、見本のように一階まで降りていく。久々に風を切る。天井がないから、雨粒が当たってそれが冷たく感じたけれど、久々の爽快感。この風。一人でも感じたあの風をいつだって三人で感じることの出来た場所。

 俺が一階に到着して見上げると、一番上から覗き込むような央雅の顔が見える。

「来いよ」

 俺の声が聞こえたのかは分からないが、顔が階段から引っ込む。

 そして上手に央雅は降りてきた。

「上手いじゃん」

 俺が言うと「当たり前だよ」と央雅が返す。

「どういうこと?」

 央雅はにっこりと笑った。

「だって二人の帰りが遅いから、一人で実はやってたんだ」

 俺は央雅の頭を軽く叩く

「先に言えよ」

「良いじゃん、兄ちゃんがどうやって降りていくか、見たかったんだもん」

 知らない間に成長していく央雅。

 変わっていく琉玖。

 俺もなにか昔と違うことはあるんだろうか。

 それでも、変わらない。三人でいることは、どんな時でも。

 夕食を一緒に食べて、テレビを見て宿題をすませる。そんな毎日を当たり前に思う。


 けれど、それは長く続かない。



     ◆


 

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