第十四話 将来の夢
琉玖が部活に入って共に帰宅しなくなった頃、俺と央雅の待ち合わせ場所は雪空学園の図書館になっていた。中等部と高等部の中間地点になる、そこそこ大きな図書館だけれど市が運営しているわけではないからパソコンは置かれていない。
図書館から空き地へ歩きながら、俺はふと央雅に問いかける。
「央雅は将来、何になりたい?」
将来の夢が俺には見えない。
琉玖はきっと、何かしら絵に携わる仕事になるんじゃないか、と勝手に予測する。
俺は一体、何になりたいんだろう。
「将来の夢?」
央雅は「うーん」と悩む。
進路希望を出す事、と担任の先生に言われたけれど、俺には将来のビジョンが一つも見えていなかった。
やりたいことも見当たらない。才能もない。
どんな大学に入って、どんな人間になりたいんだろう。夢が決まらない。成績だって普通か普通以下の成績で、央雅はいつも成績上位らしい。
「あんまり考えた事ないけど」
央雅は俺を見る。
「しっかりとお給料貰えるようなお仕事につければなんでもいいかな」
「バイトでもお給料貰えるぞ」
「ダメだよ、ちゃんと高給取りになれるようにならなきゃ。それが僕の恩返しだから」
そう言って央雅はニッコリと笑った。
病気だって央雅がなりたかったわけじゃない、それでもいつも緑さんのことを気にしている兄弟に俺は何も言えなくなる。
「じゃあ、結構良い大学に行かないといけないな」
「うん。だから僕高校生になったらバイトするんだ。学費くらい自分で出さなくちゃ——あ、兄ちゃんには内緒だよ?」
央雅は慌てて僕の腕を掴む。
「兄ちゃんには絵の才能があるんだ。僕、もっと兄ちゃんの絵を見たいし、それに——」
央雅の微笑みがゆっくりと剥がれ落ちる。
「僕のせいで、兄ちゃんからお母さん奪っちゃったし」
俺はもう「ぼく」にはならない。
それなのに大人になるにはまだ早くて、身体は大きいのに子供のまま取り残されてしまったようだ。
朝、マンションのエントランスホールに行くと待ちくたびれたように央雅が手を振る。
その仕草はあの頃と変わらない。
黒いランドセルには無数の傷がある。小学一年生の時は専用のカバーをつけていたので、退院した時はピカピカの状態だった。
それから早いもので三年でこんなに傷だらけにするのはさすが男だ、と俺は思う。
理由も簡単、そのまま空き地へ一直線してランドセルを放り投げ、宿題だけ取り出すから。
伸び切った雑草やベンチの気にぶつけられ目立たないながらも傷を増やしていく。
なんだかそれが生きている証のようで俺は嬉しくなる。
「琉玖は?」
俺の言葉に「もうちよっと」と笑って言う。
「筆を入れてくるの忘れたんだって」
その言葉に俺は首を傾げる。
「美術部にはないの?筆」
央雅はにっこりと笑って「違うよぉ」と俺に言う。
「美術部の画材道具も借りれるらしいんだけど、兄ちゃんは自分の筆が良いんだって」
俺には筆の違いが分からず、央雅に問いかける。
「何か違うの?」
「別に普通の筆だよ。ブランド物でもなんでもないけど、初めて貰ったプレゼントなんだって」
央雅はランドセルと共にその場でくるりと廻る。
「お父さんとお母さんから、初めて貰ったプレゼント」
俺は言葉を続けられず、央雅を見る。
「あ、僕は大丈夫だよ?お父さんとは会ったことないから。僕、お母さんしか知らないんだ。ね、僕達がおとなになるのってすっごく遠いんだね。たくさんお母さんが頑張ってくれたから、僕も早くおとなになって、お母さんを養ってあげたいなぁ」
俺の最初は無数の憧れだったけれど、様々なことを経験すると子供は無力だと思い知った。
でも、琉玖はいつからか弟の世話を必死にこなしていたのだろう。
あの時、ケーキは作れないけど料理なら作れると平然と答えた琉玖。
俺よりも大人で、しっかりとしていて、凄い部分を持ってるのにいつも涼しい顔をして。
俺はもう、唇を噛む琉玖の姿は見たくない。いつも我慢してた分、央雅のようにたくさん笑って欲しいと思う。
「お待たせ」
エレベーターではなく階段を使ってきたのかゼエゼエ、と少し息を切らしてる。
「兄ちゃん、美術部員だからって運動不足はダメだよ」
央雅の言葉に「うるさい」と琉玖が言う。
「間に合わなくなるだろう、急ぐぞ」
琉玖がツカツカと自動ドアを抜けて外に出る。
「あ、兄ちゃん待ってよ!」
央雅も慌てたように走り出す。俺も後に続く。
「学校まで誰が一番早く走れるか、競争する?」
にっこりと央雅が笑って言う。
「馬鹿。高等部は初等部よりずっと奥にあるんだ。それに俺は今走って体力を使ってきた。不利な状態での勝負はフェアじゃない」
「兄ちゃん、いつからそんな屁理屈言うようになったの?物理は苦手でしょ?」
央雅の言葉に琉玖は顔を顰めた。
「物理は難しいぞ、お前はまだ体験出来なくて残念だな」
「僕、理数系は得意だもん。きっと大丈夫だよ」
央雅が勉強に置いて困ることがほとんど無いようでスラスラと問題を解いていく。
あの夏休み。俺と琉玖が苦戦した宿題もきっとあっという間に解いてしまうのだろう。
「口が減らなくなったな」
琉玖の言葉に央雅がケラケラと笑う。
「知ってる?兄ちゃんのウケウリだよ?」
琉玖が口を結び、歩く始める。
「今回は央雅の勝ちだな」
俺の言葉に央雅は「やったあ」と甲高い声をあげた。
不服そうな顔をして琉玖はポケットから細長いガラス瓶を取り出した。
「砂糖菓子が相変わらずお好きなことで」
俺が茶化して言う。
「馬鹿。これも熱中症予防みたいなもんだ」
「熱中症予防ねぇ」
「それにこんぺいとうってポルトガルからきて日本の名物菓子みたいになってるのって不思議じゃないか?」
「名前がってこと?つまり、パクリ?」
俺の言葉を無視してこんぺいとうを口に入れる。そして小さな笑みを浮かべる。
本当に昔から琉玖は何故か、こんぺいとうが好きらしい。
俺は違う話題に移ろうとさりげなく琉玖に尋ねた。
「それより、美術部ってどんな感じなの?」
俺の言葉に琉玖は「ああ」と口を開く。
「みんな好き勝手に絵を描いてるよ。何か描き方に問題があったら先生に言われるくらいかな?こうした方が良いんじゃないってアドバイスくれたり。そういうの、沼留先生は上手いかな。あとはやっぱり、絵が上手い奴が多すぎて、ちょっとだけ心折れそうになる」
琉玖の言葉に俺はびっくりした。
「そんなに?俺は、琉玖の絵は凄いって思うけど」
「そんな風に思ってもらえるのは光栄だが、世の中って本当に甘くないなって実感したよ。こどもコンクールに入賞した後、キャンバスに向き合う時間が少なすぎたんだろうな。みんなの絵に圧倒されて、恥ずかしくなったけど、俺は俺なりに、しっかりと描いていきたいって思ったよ」
琉玖が俺を見る。
「俺の部員の絵、見て欲しい。凄いんだ。風景とか想像の世界とか、切り取り方がしっかりしてて、こんな知らない世界があるんだって感動する。いつか、見にきて欲しい。文化祭だったら部としても色々出すと思うし、そうしたら絵って凄いってもっと思えると思う。きっと俺の言ってること、太紀なら理解してくれると思うんだ」
そう話した琉玖の瞳はキラキラとしていた。
今まで唇を噛んでいる印象や、どこかやけっぱちになったり、悲しい表情が多かったけれど、高校に入ってどんどん琉玖が変わっていく。
外の世界に触れると、それだけ人は変われるんだろうか。
俺には分からないけれど、それで琉玖が輝くなら、構わない。
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