第十二話 母の日
当日。僕はソワソワとした気持ちのまま目を覚ます。
普段の休日ならまだ眠っているけれど、僕は気分が落ち着かなくて洗面所へ行って顔を洗うことにした。
朝ごはんの準備をしていたお母さんが「あら」と声にして僕を見る。
「あんたが緊張してどうすんの」
そう言ってキッチンの奥へと戻っていく。僕はそんなに顔に出やすいんだろうか。
でも、僕だってお母さんに喜んでほしい。それが不恰好になったとしても。
いや、実際問題は不恰好にしたくない。琉玖が絵まで描いてくれた完成図。
どうしても、それに近づきたくて何度も頭の中でシミュレーションする。大丈夫、きっと今日は上手に作れる。そう、信じて。
朝ごはんは僕の家で食べるので、八時に琉玖と央雅は顔を覗かせた。
緑さんは一度眠るということで食卓には現れない。僕たちは朝ごはんを食べ終えると、もう一度手順書を見て話し合う。
そしてしばらくはテレビを見たり宿題をこなしたり、時間を使って昼ごはんを食べ終えた頃、母さんが「じゃあ私は部屋にいようかしら」と僕たちに気を使ってリビングから出ていったので必要なものをキッチンから取り出した。僕たちデザート班はリビングで基本的に作ることになる。
何故ならキッチンが狭いからだ。
料理を基本的に行う琉玖にはそこを使ってもらい、僕たちはテーブルが汚れないように使い捨てのランチョンマットをたくさん敷き詰めて汚れても捨てるだけで済むようにする。
これでもまだ汚れてしまうかもしれないけれど、どうなるのか僕たちには未知数過ぎた。
百円ショップで購入した小さな薄いまな板を置いて、僕はまずいちごジャムを作る作業が始まる。
包丁を使わせることがやはり僕は心配なので央雅にはやらせない。
荒くていい、と書いてあったが丁寧に細かく刻んでいく。
サンドイッチはたくさん作るからそれだけでもたくさんのいちごを消費していく
。刻んだいちごはボウルの中に入れて、その中に央雅がグラニュー糖とレモン汁を規定量入れていく。
いちごジャムに必要な分のいちごを刻み込んだら次はしばらくボウルはねかせておいて、ジャムとは別のいちごをスライスしてお皿の上に置いた。
別のボウルに央雅が生クリームと練乳とピンク色の食紅を入れていく。
泡だててホイップクリームを作るのは央雅の仕事だ。僕はそれを横で見守りながらも、琉玖の方を様子見に行く。
「何作ってるの?」
僕が見ると琉玖はフライパンでベーコンを炒めながら、鍋をかき混ぜている。それはパスタではなかった。
「カルボナーラだけじゃ、簡単だから。にんじんで作るポタージュ」
そう言ってフライパンにオリーブオイルを手際よく入れていく。
「簡単だよ。今はただ煮込んでるだけだから。こっちも生クリームいれるからちょっとこってりするかもしれないけど。コンソメスープの素入れて混ぜて作ってくだけだから」
オレンジ色ではないけれど、オレンジを少し薄くしたようなその色合いが淡くて、美味しそうだなと僕は思う。
「そっちは?色綺麗についてる?」
そう言いながらフライパンにニンニクを入れていく。話しながら普通に作っていく琉玖はすごいな、と僕は思いながらも「うん」と返事をした。
「ジャムがうまく作れれば」
そうだ、パンをたくさん均等に切らなくちゃ、僕がリビングに戻ると央雅が笑って言う。
「見て、綺麗にできたよ!」
綺麗なピンク色のホイップクリームが出来上がっていた。
兄弟二人の色彩感覚がきっと素晴らしいんだろうな。僕はそう思いながら「もう少ししたらジャムを琉玖のところに持ってって。鍋に入れなきゃ」
僕の言葉に央雅は「うん」と返事をする。
「だいじょーぶだよ。ちゃんと、ぼくだって覚えたもん」
「じゃあ、クリームの次はジャムを任せたからね」
僕が食パンを袋から取り出しながら言う。
「任せて!おにーちゃん」
僕がパンを何枚も同じ大きさに切っていく。それなりの人数で食べるだろうから、多めに作ることになっているので、形がバラバラにならないように気をつけながら。
たくさんのパンが切り終わり、キッチンへ向かうと央雅が鍋に入れたいちごジャムを混ぜながら琉玖に「そろそろ器に入れろ」と言われていた。
いちごジャムが完成したのか。
僕は急いでリビングに戻り、パンを並べる。
央雅がジャムを入れた器を手にリビングへ入ってきたので、二人で手分けしてパンにジャムを塗っていく。パンにジャムが濡れたらその次はスライスしたいちごをパンの上に丁寧に均等に乗せていく。
いちごジャムを塗ったパンを次は二枚に重ね、そこでようやくホイップクリームを一番上に塗るのだ。さらにその上に二枚載せていく。
それを並べて一度きっちりと冷やすために冷蔵庫の中に入れる。
一旦僕たちの作業は中断した。
琉玖の様子を見にいくと、人参のポタージュが完成していた。
僕のお父さんの分までちゃっかりと作っていて、六人分のお皿に何か飾りの葉っぱのようなものが飾られている。
透明な器で薄いオレンジ色のポタージュが彩りを僕たちに見せ、上にある葉っぱは上から見てもポタージュの器のようにまとまっていて、すごく美味しそうに見えた。
カルボナーラもお皿に移動されていく。
どうするんだろう——僕がそう思っていると僕の家にはなかった四角いお皿を六枚、琉玖が取り出す。
六枚の四角いお皿にカルボナーラが乗せられていき、さらにその上からオリーブオイルを入れていく。パスタの麺も普通より少し太めだし色も濃いのでカルボナーラ自体しっかりとした味付けをしているのかもしれない。
四角いお皿に収まったカルボナーラの上に、琉玖は茹でていたアスパラガスを縦と横に置いた。プレゼントの紐のように見える。
縦はそのままの大きさなのに横になるアスパラガスはしっかりと切られていて、お皿に収まるようになっている。
そしていつの間に作っていたのか、ベーコンをリボンに見立てて真ん中に器用に作っていく。
ベーコンがくるりと輪を作り、紐のようにふわり、とその場所に。そしてお皿の中、端っこには星型の小さな人参を置いていく。
本当にプレゼントの包装紙みたいで、それを料理で作ることが出来るなんて。
僕がじっと見ていたことに気づいたのか、琉玖は小さく笑う。
「な、こってりしてるだろ?」
別に僕が言いたいのはそこじゃないんだけれど、と思いながらも「そうだね」と答える。
見とれている間にタイマーが鳴って僕は冷蔵庫からサンドイッチを取り出す。
琉玖のカルボナーラやスープが冷めてしまう前に、と急ぐ気持ちを抑えながら縦長にまとめたサンドイッチの側面にいちご色のホイップクリームを塗っていく。
それが合計三個。
やることのなくなった琉玖と央雅と僕、三人でそれぞれ一つ担当するように絞り出し袋にホイップクリームを詰めて、花びらに見えるように丁寧に形を作っていく。
カーネーションは買わない。その代わりのお花がこのいちごのサンドイッチだ。見栄え良く、綺麗に。
一番先に作り終えた琉玖はテーブルのセッティングを始める。使い終わったボウルやフライパンや包丁は洗い始めて、僕たちの作業が終わればテーブルクロスを引いて、ランチョンマットの上にそれぞれのカルボナーラとスープとスプーンやフォークを置いて、小皿と真ん中にサンドウィッチでお出迎え。
今日は部屋の飾りをする余裕はなかった。
僕たちの苦手なこと。
でも、お母さんたちが普段してくれていること。
感謝の気持ちが上手く伝わるかは分からないけれど、僕たちに出来る精一杯の事はやったと思う。
なんとか央雅の作ったいちごのサンドイッチが完成したので急いで僕たちは準備し、央雅じゃ緑さんを呼びに行った。お母さんも玄関前で緑さんを待っている。
喜んでもらえるかな。そう思いながら僕はいちごのサンドイッチを見る。
僕が作ったのは少しへなっとしてるのに、琉玖も央雅も綺麗にバラまで描ききっている。こういうのは器用の問題じゃなくて、本当に絵とかそういうセンスなんだろうな。
僕はそんなことを思いながら琉玖とリビングで待つ。やがてお父さんもちょうど帰宅してみたいで四人の賑やかな声が聞こえてくる。
ドキドキ、僕たちはなぜかひどく緊張していた。
三人で作り上げたもの。それはどこか久々なような気もして、不意に過去へ引き摺り込まれそうになる。
声が次第に大きくなってリビングの扉が開かれる。
央雅は緑さんの横にいたのに、クルリと身体の向きを変えて迎え入れるように言う。
「おかーさん、いつもありがとう!」
央雅の無邪気な声がリビングに響く。
ありがとう。
上手く言葉に出来ない感謝の気持ち。
緑さんとお母さんはテーブルに動いて「まあ」と声を上げる。
お父さんも「凄いじゃないか」と笑ってくれる。
不意に緑さんの肩が揺れていて、僕は思わず見てしまう。
「——ありがとう……ごめんなさい」
緑さんの頬を伝う涙に央雅がショックを受けたように不安そうな顔で緑さんに近寄る。
「おかーさん、どうして?ダメだった?」
緑さんは言葉にならずに首を横に振る。
僕のお母さんが笑って代わりのように答えた。
「嬉しいのよ。ここまで三人が作ってくれたことが。ありがとう」
僕たちからの「ありがとう」なのに、どうしてお母さんたちに「ありがとう」と言われてしまうのだろう。
僕がそう疑問に思っていると、緑さんが口を開く。
「勿体ないから、冷めないうちに食べたいわ。本当にありがとう。央雅、琉玖、太紀くん」
憂い気な瞳で感謝されてしまう。
僕は言葉に悩みながらも、みんなで食卓を囲むことにした。サンドイッチは良いけれど、琉玖が作ってくれたカルボナーラとスープは早めに食べた方が良い。
みんなで座って「いただきます」と口にする。
まずは人参のポタージュに手を出す。透明な器が本当に綺麗にポタージュの世界を出していて、僕はそれが一番気になっていた。
スプーンですくって口にすると、人参とは思えないほど甘味とトロッとした味わいに僕は驚く。
野菜ってこんなに美味しいんだっけ?
僕は別に野菜が嫌いなわけじゃないけれど、それでも味が違う。
まろやかで、コンソメスープの素で簡単に作れると琉玖は言っていたけどそうとは思えない。口当たりが良くて、あっという間に飲んでしまいそうで、僕は人参のポタージュを掬うのをやめて、カルボナーラに手を出した。
リボンを崩すのは勿体なかったけれど、切られたアスパラガスと麺を絡めて一緒に口にする。
普通のカルボナーラとは何かが違う。
カルボナーラというよりかはチーズの濃厚な味が一番前に出ているのにアスパラガスがその濃さを薄めるように味わいを変えている。
塩分が多そうなくらいしっかりと塩や胡椒、卵の味もするのだけれど、チーズの味わいが今までと違う。
一体なんのチーズを使ったのだろう。買い出しの時はチーズは家にあるから、と買わなかった。僕はあれこれ考えてみるもののチーズの正体は分からずにいる。
緑さんはひたすら「美味しい」と口にしていたし、お母さんも「これだけ作れるならお母さんいらないじゃない」と琉玖を褒めていた。
琉玖はひたすら「得意料理、これしかないんです」と返しながら笑っている。
美味しいご飯をみんなで食べつくすと最後のデザートだ。これは本当に飾りのようで、手を出すのが勿体無い。
緑さんもお母さんも、困ったような顔をしている。
「美味しくなさそう?」
央雅は悲しそうな顔をすると、慌てるように緑さんが言った。
「違うわ。綺麗に作ってくれたから、勿体無くて。クリームの形、崩れちゃうでしょう?」
緑さんの言葉に央雅は「えー」と返す。
「食べてほしくて作ったのに、勿体なかったら意味ないよぉ」
央雅の言葉に「そうそう」と琉玖も口にする。
「食べ物って最初は目で見て楽しんで、その後口にするのが良いんだから」
緑さんはううーんと悩み仕草をした後、意を決したようにサンドイッチに手を伸ばした。
もちろん、ナイフとフォークを手にして。
ホイップクリームは潰れてしまうけれどそれは仕方ない。そして食べる分を切っていく。
僕たちも次々にいちごのサンドイッチを切って小皿に入れていく。
僕と央雅が作ったもの。
口の中に思い切り放り込むと、いちごの酸っぱさとホイップクリームの甘さが丁度良くて重たくない事に気づく。
美味しい。
甘い。
でも、この甘さってなんだか——
僕はじっと琉玖を見た。
『塩分より、糖分が必要なんだ』
この感覚は口の中にこんぺいとうを入れてるみたいだ。
味は違うけど、きっとそういう事なんだろう。
甘い。
美味しい。
僕たちはずっと、こうやって一つ一つ色々な事を覚えて、成長していくのかな。
そうやって【大人】にいつか、なれるのかな。
「本当にありがとう」
緑さんの言葉に僕たちは改めて口にする。
「お母さん、いつもありがとう」
恩返しは、大人になってからになるのかな。
◆
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