第九話 戻ってきた夏休み
当日。緑さんが病院から央雅を連れてくると言うので僕たちは最後の飾り付けや準備、クラッカーのタイミングなどの打ち合わせに余念がなかった。
今遊坐家の家は少しだけ改装されたような形になっている。玄関から入ってリビングの扉を開くと真正面から太陽の光をかざす太陽はカーテンで覆って光を少なめにしている。カーテンレールから紐で吊るすように琉玖のカテーンほどの大きな絵がくっきりと見れるように。
その絵は「一週間じゃ描きたいものが作れなかった」と少し悔いた琉玖の顔を見て驚くほど、美しい夕陽と、空き地から町を見下ろす僕ら三人が描かれている。
ああ、僕らはあの時出会ったのだ、と心から思い出して心にジンと来るような絵で、これにはお母さんも絶賛して、緑さんの事も含めて褒めていた。
そしてカーテンレールより上の天井から紐と布で「お帰りなさい」と描いてソファの周りの風船にはセロハンテープをくるくるっと巻いて両面テープのようにくっつけたり、ペンシルバルーンで動物をたくさん作って置いてみたり。
子供の国をイメージして壁にも色々壁が剥がれないように工夫して貼りまくった。
その日だけ、今まで大変だった央雅には特別な思い出を作りたい。これは事情を知らない大人に成れない僕たちなりの考えだ。
冷蔵庫には緑さんとお母さんが作ったケーキもあり、冷めても大丈夫な食べ物はいくつかテーブルに並んでいる。クリスマスでしか食べられないタンドリーチキンやビーフトローフなどご馳走は少しだけ温めるだけで良いように出来上がっていた。
「そろそろだ」
琉玖がクラッカーを握る。十ヶ月。独りでこの家を過ごした琉玖がようやく、弟を取り戻した記念すべき日。
僕も息を大きく吸って吐いた。クラッカーを手に取り、振り返ると笑いながらお母さんもクラッカーを手に持っている。大丈夫だ。
ガタ、音と声がする。僕たちはリビングを開ける瞬間を待つだけだった。鍵が外れて玄関のドアが開く。央雅が靴を揃えずリビングに走り出してきているようで「靴揃えなさい!」といった声が聞こえるがこの感じは止まらないだろう。
リビングの取っ手が動く。央雅がドアを開いて帽子を被りながらも満面の笑みだったことを確認して僕たちはクラッカーを央雅より上に向けて放つ。
パァーン!その音と共に央雅の頭上にクラッカーから放たれた紙の糸やキラキラとした紙が舞い降りる。央雅は少し驚いたようで大きく丸い瞳で見開かれ、そして満面の笑みを浮かべた。
「すごい!」
央雅は楽しそうにリビングを走り回る。
「お兄ちゃんの絵だ!まるであの時みたい」
三人が出会った時の。
「すごい風船もいっぱいだー!」
僕と琉玖は顔を見合わせ頷く。これは成功といっても良いだろう。
「ねぇ、これ本当にぼくのおうち?」
残りの壁いっぱいお菓子の家を連想させるように空き箱を貼ったり、残りの時間で琉玖がクッキーを紙に描いたり、お祝いのためのリビングになっている。僕が途中でアイディアを追加したせいでモチーフがちぐはぐになっているけれど、央雅は駆け抜ける。
「わあい、ぼくのおうち、すごーい!」
すぐにお母さんが温め直した料理も並び、四人で囲んで食べ始める。
「おかえり、央雅」
琉玖の言葉に「うん」と央雅が頷いた。
「ただいま、お兄ちゃん」
僕と琉玖は笑ってご飯を口に運ぶ。
これから戻って来る日常。央雅が戻ってきた現実に、感謝して。
央雅は一週間だけ学校に通い、夏休みに突入した。
幸い終業式は同じタイミングで終わったので、僕たちはマンションへと歩き出す。
本来なら、三人で思い出の空き地に寄りたい気分はあったけれど、肌を焦がすような夏の暑さと央雅の事を考えるとそれは憚(はばか)られた。
「ぼく、みんなとまた一ヶ月も会えないの寂しいよ」
央雅が不満そうな声で言う。琉玖は央雅の頭を優しく撫でて答えた。
「大丈夫、今の央雅は体調万全じゃないから体育とか出来ないだろ?一ヶ月我慢すれば、みんなと同じように過ごせるから、夏休みは大事な期間なんだ」
央雅は「うん」と小さく頷く。夏休みに体調を崩した央雅にとって一年ぶりの級友との再会だったのだから、午前授業のみの一週間は久々に会えても慌しく過ぎて不満の方が強いのだろう。
「央雅は夏休み、何がしたい?」
琉玖の言葉に央雅は「うーん」と考えて「プール!」と大声で言った。
「みんなね、泳げるようになったんだって。ぼくも泳げるようになりたい!」
僕と琉玖は少し様子見だよね、と目で確認しあって央雅に告げる。
「先生から許可貰ったら行こうな」
「はーい」
央雅が僕たちを越して走っていく。
「央雅」
不安そうな琉玖の声に、央雅は満面の笑みで僕らに言った。
「ぼく、もうへっちゃらだよ」
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