第五話 生きていること
あの日を境に記憶が継続するようになった。吹炉先生は「良かったわ、一時的に健忘症になっていただけみたいね」と安心したように私の頭を撫でる。義足のみで歩くことは出来ないけれど、義足と松葉杖を使って歩くことは前よりも早くなった。
そして毎日のように夏米の見舞いに行っている。私の病室は一般病棟だしリハビリもそこで行なっているので、移動だけでもかなりの苦労はあるけれど、毎日夏米に会いに行かないと気分が落ち着かないのだ。
今日は目覚めるかもしれない。
そう何度も願いなら、夏米の顔を見つめている。
そして動かない夏米に、ふとした瞬間に涙が溢れてくるのだ。
私じゃ何も力になれないことに、私が夏米の面倒を見てあげたいのに。今のリハビリが上手く行って夏米を支えられなければ、夏米のことを介護することも出来ない。
義足で夏米を抱えることが出来るだろうか。
夏米は私を守ってくれただろうに。
このまま夏米は目覚めないのだろうか。目覚めなかった場合、夏米はいつまでもここにいられるか分からない。そして私自身も、これから先どうすれば良いのか解らない。
私も夏米も、どうやって生きていこう。
これならいっそ……
そんな気持ちで毎日心が揺れ動く。いけないのに、ダメなのに、知っていたのに——
毎日お見舞いしていたある日、夏米の両親から告げられた事がある。
どうやらあの事故の被害者遺族会なるものがあるらしく、それに参加してみないか、と。
私は夏米の事ばかり考えていたから他の人のことを気にしていなかったけれど、あれだけの犠牲者が出たのだからあって当たり前だとも思う。
気乗りはしなかったけれど、顔を出してみることにした。少しだけ「なんで生きてるの」と詰められたらどうしようと考えたけれど、他の人たちは今どうしているのか、気になったからだ。
高速道路の向き的に地元の人たちが多いらしく、割と近くの公民館を借りて集まっているようで私はタクシーと松葉杖を使ってその場所へと向かう。
【交通事故被害者・遺族会 ひなた】というプレートがかかった部屋のドアをなんとか開けて足を踏み入れる。皆私を見て首を傾げる。
「見ない顔ね」
そう言って近寄ってきた女性に私は小さくお辞儀を——といっても首からぺこりと下げるくらいしか出来ないけれど——して、自己紹介をする。
「
私の紹介に「ああ」と小さく呻く声が聞こえる。
「ごめんなさい、私の名前は
私はドアに近い椅子に腰を下ろす。
一体どういう会なのか分からずにいたので、何も知らないのですがと最初に断りをいれたため全て説明してくれた。
そもそも今回は大規模な事故だったにも関わらず、捜査も杜撰な事に腹を立てたところから始まる。まず事故の一報があったのが遅かった事。これは現場が悲惨な火の海であり、まずは消化や交通規制などの体制に時間がかかった。更に身元の確認の取れるものを探す事に時間を要し、救急車も中々到着しなかったなど様々な悪条件が重なったため、本来なら生きている人数はもう少し多かったのではないか、というところから始まっているという。
「救急車が来たのは交通事故の知らせから一時間も後。なかなか到着出来なかったらしいけれど、ドクターヘリを呼べば来れたはずよ。多分、貴方と鮎川さんは真っ先に運ばれたけれどその頃には黒タグがほとんどだったみたいね」
と吐き捨てるように誰かが言った。この人も医療関係者なんだろうか。救急事故現場では救急搬送の順位がつけられる。黒タグの場合は死亡と確認されたかあるいは処置を行っても助からない人間につけられるのだけれど、この場合黒タグをつける人の無念と悲しみは想像を絶する。生きていて欲しいのに、自分が死んでいる証しの黒タグをつけなければならない。
そして警察、医療、全ての人間が被害者の身元確認を急がされたものの身元判明が早かったのはバスに乗っていた雪空学園が合宿に使っていたバスの残骸に学園の名前が明記されており、そこから学園に連絡が入り犠牲者となった生徒が判明した。なので比較的に「誰が犠牲になったか」が判明したのは生徒と引率の先生であるが、遺体の損傷が酷い上に更なる現場検証に時間を費やし、家族が対面出来たのは五日後の事であった。部分遺体と完全遺体で分けられ、現場では多くの遺族が涙を流し、これは違うと否定して現実逃避する者もいたという。
そんな壮絶な現場になっていたのか。私が意識を失っている間にたくさんの悲しみがあって、その中で偶然的に私と夏米は生き残ることができた事が奇跡みたいだと実感する。
そして今は金銭的な問題で話が続いているという。
今のところ交通事故が複雑に絡み合っており、そもそもの原因は高速道路でエンジントラブルで止まってしまった乗用車が原因になる。この乗用車に乗っていたのは70代の老人だがトラックに突っ込まれた際に即死している。またトラック、タンクローリー、バス、最初にバスに追突した車も炎上によりなくなりそこから数台の玉突き事故が出ている。
高速道路にも関わらず急ブレーキをかけた夏米にも部分的には非はある者のあの場合ブレーキをかけていなかったら生存者は0になっていたところで、咄嗟にハンドルを切って他の乗用車に押されながらも爆発に巻き込まれなかったのは夏米の決断力による。
後方から追突した車は夏米の車を押し出しながらも前に進んでいたためそのまま炎の中に突っ込んでしまったのだ。だから犠牲者がここまで大きく膨れ上がっていまい、その責任は一体どこにあるのか、とそういう議論になっている。
一家の大黒柱を失った家、子供を失った親、それぞれが悲しみと怒りと、苦しみを語っている。
一体誰を恨めば良いのか。
誰かを恨まないと生きていけない。
どうして死んでしまったのか。
聞いているだけで苦しくなる。私は生きているのに。こんなにもドロドロとしてしまうのだと、初めて知った。こんなにも命とお金の天秤に掛けられながら話されるとは思っていなかったけれど、改めて思えば夏米の両親もきっと、金銭的に困っているのではないだろうか。特別病棟はそれなりにかかる。
でも、私が聞いても困る話だ。私は命がある。右足を失ったけれど。だけれど、誰かを恨んで生きていくことは難しかった。恨むべき存在を知らない。
ただ私はあの日の行動を、あの日という事を後悔するだけだ。
小さくため息をつきながらみんなの話を一通り聞いていると、良い香りと共にドアが開く。温和な笑みを浮かべた男性がカップケーキを大量に持って入って来たのだ。
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