第三話 初めての気持ち
辛い、と日記には書いてあった。日記はどんどん短くなっていき、今の私はまだ朝だからこんなに冷静なんだろうか、と考える。
天井、壁、そしてカーテン、ドア。全てが白い。
なんだか天国みたい。患者さんはそんな事を思いながら入院していたんだろうか。
私はふわふわとどこか落ち着かない思考のまま、日記を閉じた。どうやら、私は義足を使った歩行が苦手なようだ。
松葉杖を使って、義足にそこまで体重をかけないようにして歩く事で生活をしているのだろうか。
車椅子は使っていないようなので、義足とのリハビリは順調にいっているのかもしれない。
私はそう思ってベッドの横に立て掛けてある松葉杖を手にして、歩いてみる。
義足の動かし方が分からない。とにかく手の力で、松葉杖を支えて左足を投げるようにしてしか前へ進めない。これでは歩く時間が酷くかかる。この動作だけでも額から汗が噴き出してくる。
これで義足も上手く使わなければいけないのか。なるほど、大変だ。
そう思いながら松葉杖を使って病室内を歩いていると、ドアが開いて「あら」と驚いた顔をされる。
「
私が口にすると吹炉先生は「ちょっと驚いただけよ」と返す。
「何故ですか」
「なんか、今までの波瑠ちゃんと違うみたいで」
今までの私と違う?そう言われてもしっくりとこない。どこが違うのだろうか。
「
吹炉先生の言葉に私は「さあ」と口にした。
「なんだか実感が湧かなくて」
そう言ってベッドまで松葉杖をなんとか動かして座る。
「日記は全部見たんですけど、現実に起こったと思えないんです」
吹炉先生は「そう」と呟いてベッドの側にあるパイプ椅子を私に近づけて座る。
「それじゃあ聞くけど、今はどんな気分?何か聞きたいことはある?」
吹炉先生の言葉に、私は何度かこのやりとりを繰り返したのだろうか、と記憶の糸をたぐろうとするが何一つ事故後の事は思い出せない。最後の記憶は院内学級だろうか。あやふやになってしまっている。今がどれほどの月日を重ねてしまったのかさえ分からない。
けれど、日記を読んでも読んでも私が知りたかった事は一つもなかった。
それは決意がなかったのか、それとも未来の私に知らせたくなかったのか、どちらなのだろう、と考える。これ以上ない絶望を味わう事を意識的に避けていたのかもしれない。けれど真実は聞かなければ分からないし、明日の私が気にしなくても違う日の私が気にする事は十分にあり得る話だ。
「ひとつだけ気になったことがあるんです」
「何かしら」
私は吹炉先生を、ジッと見る。
「
日記の全てに目を通した。私の記憶にある夏米も話も出てくれば、事故当日の会話もあったし、リハビリの辛さや今現状の私の心境はたくさん書かれている。それなのにも関わらず、愛しいと書いている夏米の事について一切触れられていないのだ。
これはおかしい、と思う。
だから私は恐ろしくて聞けなかったのかもしれないし、聞いてあえて書かなかったのかのどちらかしかないと思った。だから聞くなら今だし、それを日記に書きとどめて私にはしっかりと覚えて刻みつけたいと思う。
「……初めてね」
吹炉先生は柔らかな笑みを浮かべた。
「貴方、今日は本当に変なの」
「答えてください。
声が震える。夏米は、どうなったんだろう。生存者が少ないと聞かされているのだから、ある程度は覚悟はしている。でも、夏米が生きているなら、私は今すぐにでも会いたい。
「夏米は、どうなったんですか」
震えながらもう一度言う。
「生きてはいるわよ」
さらりと吹炉先生が告げる。
「本当ですか!?」
私は思わず立ち上がろうとし、すぐにバランスを崩しそうになり慌てて左足で踏ん張ってベッドに座る。
「夏米に会いたいんです」
「でも、彼は未だに目を覚まさないのよ」
「……それって」
目を覚まさないほどの怪我。私でさえ足がなくなってしまったのだから、夏米も大怪我なのだろう。事故から何ヶ月の時が経っているのか数えていないがそれなりに経過してもまだ目を覚まさない。と言う事は……
「
私は頷く。簡単に言えば重度の昏睡状態の事で、植物状態とも言われている。目を覚ます可能性が限りなく少なく、この場合は事故により頭部を強くぶつけて
「事故から、今どのくらい経ちました?」
「事故からは五ヶ月。貴方が二ヶ月目を覚まさなくて、それから三ヶ月がたったから」
「夏米はこの病院にいるんですよね?」
夏米の状態に吹炉先生が詳しいという事で確信を持った私は聞く。
「ええ、いるわ」
「お願いします。夏米に会わせてください」
吹炉先生は少し困ったような顔で私を見る。今、私に夏米の事を告げたのだから、会わせないという答えはないだろう。
「……後悔しないでよ?」
「嫌だな、吹炉先生。私、これでも看護師ですよ」
吹炉先生が「ちょっと待ってて」と私に言い「車椅子を取ってくるわ」と告げた。
こうして私は、五ヶ月ぶりに夏米と会う事になる。
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