第一話 追憶
状況を理解するのに時間を要した。私はどうやら覚えることが極端に苦手になってしまったらしい。それは事故の後遺症だ、と書いてある。そう、書いてあるのにまた「何故だろう」と思う。私は忘れないように毎日飽きもせず日記を書いているようだ。
私は「その日」の事は覚えている日もあるようで、ある日の日記にはこう書かれている。
○月○日
今日は突然、あの日を思い出すことが出来た。けれど思い出せない方が幸せなのかもしれない。でも未来の自分が今日の自分のように不安にならないように書きとどめておこうと思います。
あれは夏米と久しぶりに休みが被ったとはしゃいでいた日に起きた出来事です。私、
ここまではきっと私の記憶に存在すると思います。
そしてあの日、夏米は珍しく私に言いました。
「たまには高速でもう少し遠くにデートしようか」
私は「良いの?」と控えめに聞くと彼は少し拗ねた顔をして私に言います。
「なんだよ〜、俺が近場しか行かないみたいだなぁ」
だって彼の業務については詳しくは知りませんが、彼はいつだって忙しくて今までだって遠くに行く事はありませんでした。思い出してみると最後に遠くへ出かけたのは大学生の頃だったでしょうか。
あの頃はよく二人で旅行を楽しんだものです。
その頃から彼は警察官になるのが夢でした。私も看護の大学に入っていましたが彼は目を輝かせてよく語っていて、それはまるで子供の「大きくなったら警察官になるんだ」と同じようなものです。
「本当は早く警察官になりたかったけど、やっぱり給料や出世スピードが高卒と大卒が変わってくるからさ。とにかく立派な警察官になれるように色んな知識を詰め込むんだ」
弁護士になるのかな、と思うほど重たい六法全書を持ち出してきたり、本当に勉強熱心で情熱的な夏米といる時間が大切で、幸せでした。
だから、彼の目指している警察官の邪魔にならないように、私は心を押し殺してきたんです。
もっと会いたい、もっと声が聞きたい、もっと抱きしめていたい。
それは私のワガママな願いだから。だって、夏米は時間を作ってくれているのです。
彼の理想の警察官になって一緒になる時に、彼の温もりをたくさん感じて生きていこう。私は、そう思っていました。
だから。
「だって……忙しいんでしょう?」
「たまには平気だって。波瑠にはだいぶ我慢させちゃったしさ」
そう、私の事を気にしてくれてる。優しい彼が大好きで、嬉しくて。
「やば……嬉しくて泣きそう」
「デートはこれからだよ」
そう夏米は笑って私の髪に触れました。直接肌に触れているわけではないのに、夏米の温もりに心が落ち着きます。
「とりあえず今日はさ、高速道路乗って海の方に行かない?」
「賛成」
助手席に乗りました。
近場で時間を過ごすと思っていたのでお弁当も何も準備していなかったけれど、お気に入りの真っ白なワンピースを着ていたからセーフでしょうか。
夏米と久しぶりに遠くへ出かける。海。少し肌寒いかもしれないけれど、夏米と二人なら構いません。
夏米の仕事の話は聞けませんから、私の仕事の愚痴とか面白かった事とかたくさん話します。この間も一緒にご飯を食べた時にも似たような話をしましたが、私の話にウンウンと頷いて時折「そうなんだ」と笑って共感してくれて、高校生の時に出会ってからもう十年経とうとしているのに、今でもこんなに愛しくて心の底から溢れる好きを持ち合わせてくれる夏米に感謝していました。
夏米と結婚したら子供が欲しい。そして夏米と笑って過ごせる家があればそれだけで幸せだ。
そして沢山他愛ない話に花を咲かせている時です。
衝撃音が聞こえて私も夏米も息を呑みました。咄嗟に夏米は急ブレーキをかけ、身体も車と共に揺れます。夏米は確かに咄嗟に判断してブレーキを踏みましたが、それにも関わらず私たちの眼前に何かが迫ってきます。それは逃れる事を許さない糸のように絡みつかれたように吸い込まれ、私の視界は真っ白になりました。身に覚えのない痛みと共に目がチカチカとして開けていることも出来ず、そのまま真っ暗闇の中に、私は意識と共に落とされたのです——
これが私の中にある「事故」の記憶です。これを書くだけで疲れてしまったので、今日の日記はこれで終わり。
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