第三話 想い
何日、何時間、何ヶ月、今の私に日の感覚はない。どれくらいか、分からない。
『曼珠沙華』、今日は珍しく十七時に仕事を終えた。バイトの子が真っ青な私の顔を見て『店長、私もう少し働いて稼ぎたいのでシフト交代してください』と言ってくれたから。私の思考はまるで空の上にあるようで、無意識に『ありがとう、助かる』と返していた。
空が暗くない。いつもクローズだった。やる事が山積みで終わらないからと無理矢理私のシフトはそうしていて、そういえばどのくらいぶりだろうと考える。
明るい空だ——とにかく車を停めてある駐車所目指して歩いていると、ふとお店が目の前にあった。
駅ナカの仕事とはいえ、そこそこ大きな駅だからチェーン店やデパート等が通りにはたくさんある。私が帰る時はいつも真っ暗でどこも閉まっていたけれど、とはいえこんなお店いつからあったのだろう?
少し駅前にある家のようなお店だ。洋館風で、ただ色が凄くパステルというか手描きのパンケーキがたくさん描かれている。パンケーキ屋さんなんだろうか。
夜だからあまり目に入ってなかったのかもしれない。そもそも私は外の世界をあれからちゃんと見てなかったから、気づかなかったのだろう。
——でも、凄く美味しそうな匂い。何故だか急に食べたくなった。今までご飯どうしてたんだっけ?思い出せない。でもこのお店に入れるのは今日だけかもしれない。
お店の名前は『アマリリス』。私のお店といいお花に関連してるんだなって思いながら、お店のドアを開いた。木製のドアは想像よりも軽くて、ドアにつけられた鈴が音を鳴らして、私を迎えいれてくれた。
お店の中に入ると右側にはレジがあり、そのままの並びでカウンター席が続いていてそこには男性が立っている。左側はスペースを大きく取ってテーブル席が四席ほどある。
「いらっしゃいませー!」
明るくて元気な声でショートヘアの店員さんが私に近寄ってくる。白いシャツに黒いシガレットパンツを履いた女性で愛くるしくてその笑顔が私には眩しく思えた。
「おひとり様ですか?」
「え、あ……はい」
「じゃあカウンター席にご案内します!店長と喋りながら楽しく美味しいパンケーキをご賞味ください!」
「
明空、と呼ばれた店員さんは小さく舌を出して「ごめんなさい」と言いながら私をカウンター席へ案内する。カウンター席で、パンケーキ食べるのはちょっと緊張する。
「こちらがメニューです」
そう店員さんが渡してくれたメニューはパンケーキの写真と手描きでカラフルなクレヨンやポスカを使った手作り感満載のお店でびっくりした。
『水彩』と書かれたメニューの説明は『ふわふわとした生地でまるでわたあめのように溶けてしまうような感じが味わえるパンケーキです。上にはホイップクリームがありますが、甘さは控えめ』
『藍色』の説明は『明るい空をイメージした前向きになれるようにトッピングに煮た青リンゴの食感とバニラのソフトクリームが相性抜群なモチモチのパンケーキです』
『白闇』の説明は『生地自体が重厚のぎっしりとしたパンケーキ二枚でチョコレートスポンジとチョコレートアイスを挟んでいます。トッピングにはバナナとイチゴ。お腹いっぱい食べたい方にオススメです』
『砂糖菓子』の説明は『周りはカスタードクリームとチョコスプレーで囲まれていますが、キャラメルソースたっぷりのふんわりした生地のパンケーキです』
『深夜』の説明は『抹茶アイスと黒みつをかけた和風ながらももちもちとした重厚なパンケーキです』
『優しい味』の説明は『梨のシャリシャリとした感触と、イチゴとあずきと蜜豆とバニラアイスにたっぷりと練乳をかけた、わたあめのようにとろけるパンケーキともちもちパンケーキの二段重ねですが、食が細くても食べやすく完食しやすいです』
『ぱんけえき』は『オーソドックスなパンケーキですが、しっかりとした焼きとバターとメープルシロップが病みつきになります』
と書かれていた。パンケーキにこんなに名前と説明書きがビッチリと書いてあるとは思わず、驚きながらも何度も読み直す。『店長がひとつひとつ丁寧に焼き上げるため時間がかかります』と注意書きも書かれている。私の座ったカウンターの目の前でニッコリと微笑んでいるこの優男みたいな人が店長なんだろうか。
メニューを見直す。
何を頼もう。お腹がすいた。そう思う事が久しぶりな気がする。悩んで落ち込んで泣いて、ただ毎日過ごすことに一生懸命になっていた。うーん。パンケーキはオーソドックスなものにちょっとしたトッピングをイメージしていたけれど、画像のパンケーキはそれぞれ厚みや中身やパンケーキの種類が変わっている。どれも美味しそうだけれど、画像だけだとボリュームが凄そうだし、と悩みながらも私は口にした。
「この『優しい味』を、お願いします」
「かしこまりました!飲み物はどれにしますか?今ならオマケ、一杯無料です。ねえ、店長?」
「明空さんも意地が悪いですね……でも良いですよ」
明空と呼ばれた女性の店員さんは「ラッキーですね!」と私に笑いかけてドリンクメニューを見せてくれる。これはドリンクが手描きだ。誰が描いているんだろう。心が温まるようなタッチで、飲み物がこんなにも分かりやすいなんて。
ホットミルク、はちみつレモン、オレンジジュース、カモミールティー、フラワーミルクティー、フラワーレモンティー、お花の入った紅茶もあるんだと思っていると「オススメはカモミールティーです」と男性が言う。ネームプレートを見ると『影木』と書いてある。かげきさん、かな?
面倒だから、影木さんと明空さんと心の中で呼ぼう。
「……じゃあ、それで」
オマケの無料だし、勧められたものにしよう。今度来た時にフラワーミルクティーとかたのんでも良いかもしれない。って、私はなんで次に来ることなんて考えてるんだろう。
明空さんがカモミールティーを直ぐに運んでくる。大きめなティーポットと、淡い色のティーカップ。どこまでこのお店は淡さを出してくるんだろう。
影木さんも奥から材料を取り出して調理器具を動かしている。
作り終わるのに時間がかかるのだから、ゆっくりとカモミールティーでも味わおう。そう思ってティーポットからカップに注ぐと独特な香りに思わず、顔を顰めてしまった。
苦手なあじだったらどうしよう——そう思いながらも口につけると口当たりが良くてその飲みやすさに驚く。香りにある渋みがない。
「美味しい」
「店長こだわりの一品だからね、ソレ。まあフラワー系の方が人気なんだけど、店長は絶対それを勧めるの」
グイグイと来る明空さんに少しだけちょっと変な人に出会ってしまったかも、と思いながらもこのカモミールティーを推すだけの価値はあるな、と思う。
真冬に放り出されて凍てついた心が、春に近づいて氷が少し溶けていくようなそんな感じがする。
ああ、これが私の求めていた暖かさだ。人の温もりだ。そう思いながら、ティーカップを両手で大切に覆った。
「外、寒かったですか?」
影木さんが言う。私は思わず「……え?」と聞き返す。
「寒そうだったので……カモミールティーって、身体を温めたり胃腸の不調とか、風邪の引き始めとか色々効くんですよ。寝る前に飲んだりとかもオススメですよ」
優しい声色で影木さんが言う。
「そうなんですか……」
体調不良だと思われているのだろうか。
「焼き上がるのに二十分って、結構時間あるよね」
明空さんが言う。
「……そうですね」
「それまで、お話しない?」
「……話?」
私が明空さんを見るとニッコリと微笑んでいた。
「なんでもいいよ、お客さんのこと。話して気が楽になる事ってあるじゃん?別に愚痴でも良いし、楽しかった事でも良いしさ」
私は首を横に振る。
「話したくないです」
慶樹くんの事を認めてしまったら、私の涙が止まらないから。
「そう?話したそうにしてたけど」
明空さんはあっけらかんと言う。
「まあ、言いたくないなら仕方ないね、結構影木さんに話聞いてもらうと楽になるけど」
「明空さん、休憩」
「ああ、もう店長特権は絶対ずるいですからね!後で話を聞かせてくださいよ!」
そう言いながら明空さんは奥に引っ込んでく。
影木さんは苦笑いして「ごめんね」と言った。
「明空さんは他人想いだけど不器用にズカズカと入っちゃうんです。多分、貴方が暗い顔をしていたから心配したんだと思います」
私は小さく頷く。確かにグイグイと来る雰囲気に最初はのまれていたけどサバサバしてて、ある意味話しやすいかもしれない。
「貴方も悲しいことがあったんですね」
「も?」
私は首を傾げる。
「僕にもあったんですよ、悲しい事が」
影木さんの言葉に私も頷いた。
「それは乗り越えられたんですか?」
「乗り越えられたというか、乗り越えたと思わないと叱られるなって、僕は思いました。悲しみを持ったまま真っ直ぐと歩いていかないと、って」
私はその言葉に慶樹くんを思い出す。私が立ち止まったら絶対怒る。それは分かっていても心から溢れる悲しみは止まることを知らない。
悲しみの世界に囚われたまま、戻ってこれない。
「私は無理です」
自分でも驚くくらいハッキリと声に出た。
「悲しくて、辛くて、乗り越えられないんです。どうしてこの世界からいなくなってしまったのか、理解出来ません」
話そうと思ったわけじゃないのに、口から言葉が溢れてくる。
「だって、私がへこたれそうな時にいつも声を掛けてくれて、その子の方が年下なのにすっごく支えてばかり貰っていたたんです。私の事をちゃんと見ててくれて……だから、これから頑張ろうって思ったら……突然」
後悔。伝えられなかった気持ち。
私がただ泣いた時に戸惑いながらも傍にずっといて励ましてくれた。
それなのに、私は、何が出来たんだろう。
「私……何も返せなかった……」
貰ってばかりで、与えられて、甘えて。
「どうしてだろうって。なんで死んだのは私じゃないんだろうみたいな……私みたいな使えない人が生きてるのに、優秀な彼が死んじゃうんだろうみたいな……そんな事ばかり考えて……ダメ、って思いながら……慶樹くんはきっと私が落ち込んでたら怒るって思って……でも、悲しくて辛くて……きっと生きてる間にやりたかった事や伝えたかった事があっただろうに……私だって伝えたかったのに、帰ってきたら言おうと思っていたのに、伝えたかった事も悲しくて……そう思ったら辛くて悲しくて、痛くてどうしようもなくなって」
ヤバい。私はなんでこんな事まで話してるんだろう。視界が滲みそうになるのを堪える。ダメ、ダメだよ、ここは——
「そうやって人想いな貴方が優しいと思います」
「え?」
「亡くなった人の無念を感じることも、痛みも、貴方が優しい人だからですよ。それに生きれなかった事は無念だと思いますが、そうやって心で想って貰える限り、その人は生き続けてるって事ですよ。だから、ある意味亡くなってません。身体はありませんが、魂として。そして心の中でずっと生き続けていて、多分聞こえてないけど話しかけてると思います」
優しく笑いながら、影木さんは私の前に『優しい味』を出した。
「食べてみてください」
私は涙を堪えながら、小さく頷いて「いただきます」とフォークもナイフを手に取る。
下のパンケーキは普通のパンケーキよりかは厚くて、その上のパンケーキはおどろくほどの厚みを持っている。こんなに厚いパンケーキがあるんだ、と改めて思いながらもその上には梨やイチゴと蜜豆とあずきのトッピングとバニラアイスが愛らしく、さらに練乳がたっぷりとかかっている。お皿の上にはチョコペンで『リコリス』と書いてあった。
ふと思う。別名ではなかったっけ——曼珠沙華、アマリリス、リコリス全て同じ花。そして慶樹くんは笑って言っていた。
『こりすの名前ってさ、 じゃん?夏は夏水仙って感じだし、ずをすに変えたらリコリスじゃん?どれも同じ花っていうか科っていうか。でさ、リコリスの花言葉に『深い思いやり』ってのもあるんだよ。それって、こりすにぴったりだと思わない?人の事、想ってるこりすらしいよな』
運命の誘いのように、感じながら改めて『優しい味』をナイフとフォークで少し切り分けて口にする。
上のパンケーキは本当に説明のようにわたあめみたいに口の中で溶けてなくなってしまう。驚く程の厚みを持っているのにそれを感じさせない。
そして梨に練乳が意外と合っていてくどくない甘さとシャリシャリとした食感が凄く優しい……ああ、だから『優しい味』ってタイトルなのか。
そう思いながらも、次々と口にしてしまう。美味しい。優しくて、ほっとした気持ちになる。
ふいに涙が頬を伝う。視界が滲む。どうしてだろう。なんで食べながら、慶樹くんを思い出すんだろう。優しい。優しい味に触れて、どうしてか手を伸ばしたくなった。優しくて温かいパンケーキ。まるで、慶樹くんみたいだ。
「それ」
影木さんが言った。
「慶樹が提案した料理なんです」
「……え?」
思わず影木さんを見る。今、なんて?
「慶樹が、貴方を優しい人だと、そう言って提案したのが『優しい味』なんです。貴方が『夏来』さんですよね」
私は小さく頷いた。知り合い……?
「え、どういう……?」
私は驚いて上手く言葉が出てこなかった。
「
私は頷く事しか出来ない。
「数ヶ月前にお店を出しまして。外観の絵も、メニューも全部慶樹に描いてもらったんです。絵を描くのが得意でスラスラと描いていました。本当に細かな事に気がつく自慢の弟です。僕のパンケーキを食べていつも喜んでくれて、ある意味お客様第一号です。だから、僕もいなくなった事が受け入れられなかったんです。最初は会わせてもらえない、どこかで生きてるんじゃないかって願ってました。もちろん、すぐには立ち直れなかったんですけど、ふと慶樹が喋りかけてるような気がしたんです。『今の状態を望んだわけじゃない、何やってるんだ。バカ兄貴』って叱る声が。そこで僕は慶樹が残してくれた絵に囲まれたこのお店で前を向こうって決めたんです」
手描きのポップ。外観いっぱいのパンケーキ。美術部の活動をして、バイトして、たまに休日はボランティアにまでいって、兄の店を手伝っていたなんて知らなかった。
それなのに、飄々とムードメーカーで笑わせてくれたり励ましてくれたりしてたなんて。
「夏来さんは人に優しいから、俺も見習うんだって慶樹はよく言ってました」
「違います……ッ、私がいつも助けてもらってた」
「夏来さんが慶樹の事を助けてくれたと思ってるように、きっと慶樹も夏来さんからたくさん感じたんだと思います。人それぞれの感じ方がありますからね、だから良いんじゃないでしょうか。どちらも助け合っていたということで。そして慶樹は、未だに生きてます。きっとそこら辺で笑ってますよ」
影木さんもなんて、優しい微笑み方をするんだろう。なんて優しい人なんだろう。私より辛いだろうに。一番身近な人を失ったのに。
「あー!店長が泣かしてる!大丈夫?セクハラ?パワハラ?あ、それは私か。とにかく何されたの?お姉さんに言ってみて」
「ち、ちがっ……」
そう言いながらも涙が止まらない。
影木さんは苦笑いしながら、明空さんに言う。
「明空さん、お客様を困らせないでください」
「だって、泣いてるじゃん!」
私は可笑しくなって、思わず笑ってしまった。
「え、なに?どうしたの?」
きょとんとした顔で明空さんは言う。
「いえ、なんだか可笑しくて——ふふっ、失礼ですよね、ごめんなさい。でも、久しぶりに笑いました」
「んー、なら良かった、のかな?」
「良かったんですよ」
影木さんが言う。私はそして『優しい味』をあっという間に平らげてしまった。ハンカチで涙を拭いたもののお化粧は剥がれ落ちてしまったけれど、今更気にしていられない。
「また、来ても良いですか?」
ここには、慶樹くんがいる。
「ええ、お待ちしております。また焼き上げている間にお話しましょう」
「ありがとうございます」
きっと、私はまだ影木さんみたいに前を向けない。
苦しさや辛さに押しつぶされそうになりながら、慶樹くんを探す。
そうしたらまたここに来よう。
きっとここに居る気がする。
そして彼の絵に囲まれて、優しい味を何度でも食べたい。
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