第二話 虚無



 翌日から、良いと思ったところは口に出すようにして謝るよりは感謝を伝えたら、慶樹くんが言うように皆が少し変わった。率先してやってくれる事も増えたし、頼ってくださいって声を掛けてくれるようになって。だから私は、来たら最初に言葉にしようと決めている。

『おかえりなさい、ありがとう、慶樹くん』

 そう口にしようと思って、バイトの小崎 こざき  りょうちゃんと待っていた。今日は二人で午後出勤で、慶樹くんは平日はいつも部活を終えてからシフトに入るので十八時から二十一時までの勤務。土日はオープンから入って仕切って回してくれる、本当に頼りの年下の男の子。

 あれから、私の心が少し軽くなって、どこかウキウキして、待ち遠しくて。

 けれど、十八時を過ぎても、慶樹くんが来ることがなく、緊急連絡先を探し当てて電話した時に『ご連絡が遅くなって申し訳ありませんでした』と告げられた。

『慶樹は——亡くなりました』


      ◆


 何度も、心が追いつかないと思っては泣いている。

 いくら泣いても、笑って聞いてくれる慶樹くんはもういない。その心も身体も温もりに触れることはなくなった。

 凍てついた心は真冬に放り出されたまま、時間を止めている。

 神様はやっぱり、選んでいるんだ。誰よりも優しくて太陽みたいな人を傍に置きたいから、慶樹くんを連れていったに違いない。

 そして太陽を失った私はバランスを崩す。結局私は神様に嫌われて、不必要だからどう転んだって良いと思われているんだ。

 報告が遅れた事について謝罪された。そもそも大きな事故だったこと、現場は悲惨な状況なため、家族もまだ対面が許されていないこと、お葬式もいつになるか未定なこと。あの時、そう告げられた私はただ電話を持つ手が震えていた。

 ただ生存者がほとんどいないこと、バスに乗っていた人間で生存者はいないことは確認されているから、これからバイトには入れませんと淡々と事実を告げられて、ただこの世界に居ないことだけを実感させられる。

 カッターナイフを手に持って、何度か後を追うことを考えた。肌にピタリ、と刃がつくとヒンヤリとした冷たさに私はまた嗚咽をもらす。

 困った時にいつも傍にいてくれて、言葉にしなくても助けてくれていたのに、私は何も返してあげられない。

 でも、私に死ぬ勇気もなかった。

 痛いのは怖い。死ぬのも怖い。生きていることも辛いのに、死ぬことが凄く怖い。

 でも、死にたくなかった慶樹くんはどんな気持ちなんだろう?そう思うとまた涙があふれた。

 きっと、生きたいと思ってるに違いない。

 でも今の慶樹くんには、それを伝える術を持ち合わせていないから、一人でどこかで葛藤してないだろうか。

 天国への道を迷いに、未練を残して。

 言葉にすることが大切だと私に教えてくれたくらいだから、本当はたくさんの人に言いたかったと思う。私が感謝を伝え損ねたみたいに、慶樹くんも言えなかった未練があるなら、こんな残酷なことは無い。

 慶樹くんの言葉が聞けなくて泣いて、泣いて……もし私がその後を追いたいと思ってると知ったら、怒るかもしれない。

『こりすには、こりすのやることがあるだろ』

 でも、心はぽっかりと穴が空いて、寒くて震えている私に出来ることは何もない。

 何も無かったかのようになんて過ごせない。

 会いたい、会いたい、会いたい、会いたい——。

 どうして、会えないんだろう。ねえ、と言いたい。叫びたい。涙が枯れることなく溢れて、誰かに伝えたい。私の気持ち。伝えられない、この気持ち。

 

 私は、どうしたら、良いですか?


      ◆



 

 

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