第一話 不器用な勘違い

「こりす店長」

慶樹 けいきくん、お疲れ様。何かあった?」

 私の名前である夏来 なつりこ 莉寿 りずが「こりす」に見えることから慶樹くんがつけた渾名だ。元々は「こりす」だったけれど、社員になって一応「こりす先輩」になり、更に店長になったので下の文字が変わってしまって、ちょっと寂しい。

 慶樹くんは肩をすくめて笑みを浮かべる。

「もう閉店の時間、過ぎましたよ」

 本当は私が閉め作業を行わければいけないのに、考え事しながら書類仕事していたせいだ。私は咄嗟に手を合わせて謝る。

「ごめんなさい!私がやる事なのに。レジスターに鍵かけただけかな?そしたら——」

「こりす店長にふたつ、言っていいですか?」

 お叱りだろうか。仕方ない、私が疎かにしてしまって慶樹くん一人でお店を回したことになる。なんでも甘んじて受け入れよう。

「まずひとつに謝らないこと」

「ごめん——え?」

 私は顔を上げて首を傾げる。

「ふたつめは、閉め作業は全て終わったことかな」

「終わった……?」

「掃除もシャッターも、レジの閉め作業も終わったよ。ほら、これがそのお金。これを事務所の精算機にいれて、鍵かければ店長の閉め作業は終わり。そもそも掃除とか、店の閉店仕事は現場に任せれば良いって思えば良いんだよ」

 ああ、このタメ口を聞くのは1ヶ月ぶりだ。私が店長になったから新しいバイトも含めた皆の気を使ってくれて、私に店長という威厳を持たせるために使われてきた敬語じゃない。本当の、いつもの、慶樹くん。

「でも、 のん店長は、どっちも上手くこなしてたのに、私が不器用で……」

「こりすはバカだなあ」

 慶樹くんは悪戯な笑みを浮かべて私を見る。でもどこか優しくて、それでいて暖かい瞳。瞳だけで温もりと感じて良いのかは分からない。でも、そう感じる。

「じゃあ、問題。アルバイトとして入ってまもないです。アルバイトの子は品出しやレジ、精算や清掃、備品の発注、補充、ほかにお客様への気配り。全部完璧に出来ますか?」

 なんて無茶苦茶な問題を出すんだろう。

「入ったばかりなのに、出来るわけないじゃない!」

 驚いたせいか少しキツめな言い方になってしまった。

「それ、今のこりすに置き換えてみて?こりすが店長になって1ヶ月です。店長の仕事量が全然分かってなくて毎日覚える事やこなす事に必死です」

 慶樹くんの言っていることに言葉を失う。

「対して穏店長はこのお店で五年。前の店でも店長をやっていました。果たして、五年以上店長歴のあるベテランの穏さんと1ヶ月のこりす。何が違うでしょう?」

 私は小さな声で「経験……」と呟いた。慶樹くんはロッカールームのキーを宙に放って「そう」と手に取る。

「こりすと穏さんじゃ、経験が違う。穏さんが売り場も書類仕事も上手くこなせたのは慣れてるからだ。どの程度のスピードで処理すれば間に合うのか、売り場を回せるのか把握してるんだ。でも、こりすの場合は売り場の事は回せても書類仕事のこなし方が慣れてないからスピードは出ない。分からないことは本社に問い合わせて対応せざるを得ない。つまり時間がかかるのは仕方ないことなんだよ。こりすが一年、二年と店長を続けて身につく技を、今出来ないのは当たり前。そしてその壁にぶち当たってるのは、真剣に仕事と向き合ってるから。そう思ったら、まだ出来なくても仕方ない、売り場はバイトに任せて、でやってくれたら【ごめん】より【ありがとう】の方が人は嬉しい気持ちにならないかな?別に感謝を押し売りしろって話じゃなくて、なんていうか……人間ってさ「ありがとう」って言われると、なんていうかよし、頑張ろう!って思うけど「ごめん」って言われるといたたまれないっていうか、もっと頼ってくれてもいいのに頼りがいないって思っちゃう所もあるっていうか。それなら、「ありがとう」を伝えたら、ある意味どっちもハッピーじゃん?言われた方も気にしないっていうか……そんな風に意識変えたらさ、こりすももうちょっとやりやすいのかなって思ってさ」

 辛くて悲しくて、でも頼っちゃいけないと思ってた。

 だって、私は店長だから。責任じゃだから。

 甘えちゃいけない、弱さを見せちゃいけない。誰からも必要とされなくなる事が怖くて、私がこのお店をせおわなきゃいけないんだって思ってた。

 穏店長みたいに器用にこなして、誰からも頼りにされるような。そして人に優しい店長に憧れて、私もそこを目指したくて。

 成れなかったから、きっと神様に嫌われてると思ってた。

「こりす……泣くことないだろ」

「だって……」

 どこかで私は、穏店長に認めて貰いたかったんだ。

 店長おめでとう、サポートするからねって。

 違う言葉でも、言葉じゃなくても良かった。だって、私がここに正社員になるって決めたのは穏店長の事が大好きで、仕事を頑張ってると褒めてくれて、それが嬉しくてもっともっと頑張って。なのに急に冷たくなって私の心が苦しくなった。

 認められる人間にならなくちゃ、私が半人前だから怒ってるんだ、店長の器じゃないから——

「わたし……立派な店長にならなきゃって思ってたた……シフトも皆の希望に応えたかったし、誰かの負担にならないように、とか……でも、そもそも私が売り場にいたら、そういう負担だってなくせるから……私がダメな人だからって……愚痴とか不満とか他人に言ったら、その人の気持ちも嫌になるでしょ?そんな人になりたくなくて頑張ってるのに上手くいかないの……」

 涙が溢れて止まらない。私より二歳も年下の男の子の言葉に揺れ動いて泣いてる。

「良いじゃん、愚痴ったって。人間だし」

「そうかな……?」

「こりすは、穏店長に褒められたことあるだろ?」

 私は小さく頷いた。

「嬉しかった?」

「……当たり前でしょう?」

「それを、こりすもやってみたら?」

「え?」

 慶樹くんから溢れる言葉に私の思考が追いつかずにいる。心と意識が融合しなくて、どこかふわりと浮いているような、そんな私を置いて言葉を紡いでいく。

「こりすの店長としての仕事はこれからゆっくり慣れるとしてさ、こりすが嬉しかった事を他のバイトにもやればいいっていうか。こりすは元々他人想いで優しいじゃん?だから本来のこりすに戻ってみようぜ?良かったところは褒めて……あ、ダメなところはもちろん怒れよ?人の良いところ、見つけるの得意じゃん?それを口にすれば良いんだよ。それはこりすの特権」

 バカ、と口にしそうになりながらひたすら頷いた。

 優しいのは私じゃない。

 人に頼る事を自分で禁じて、勝手に溺れていた私を、水面から地上に引き上げた慶樹くんなのに。

 本当に優しいのは、貴方だよ——そう言いたかったのに涙が溢れて嗚咽にかわり、言葉にする事が出来なかった。

 あの時、言葉にすれば良かったと思う。

「それに、こりすは勘違いしてるけどさ」

 言いにくそうに慶樹くんが口にする。

「穏さんは今でもこりすのこと心配して、すっごいメール送ってくるの、知ってた?」

「へ?」

 私は思わず一オクターブほど高い声で聞き返していた。

「こりすに引き継ぎが間に合わなくて、穏さんは穏さんでやることいっぱいあって、最後の方ちゃんと教えられなくて心配だって。でも、穏さんがこりすのこと心配してるって連絡したら、こりすその期待に応えなきゃってもっと頑張っちゃうんじゃないかって不安で、連絡取るの悩んでるみたいでさ。それ聞いちゃうと、俺もだよなあ、こりすだし、穏さんのこと大好きだから余計張り切って自分が上手く出来ないこと責めそうだなって思って黙ってたんだけどさ」

 ただの、私の勘違い——?

 私によそよそしかったわけじゃなくて、引き継ぎが満足にいかない事に対する申し訳なさだった?

 私、なんてバカなんだろう。

 どうして、大好きな人のこと、信じてあげられなかったんだろう。

 また涙が溢れてくる。

 私は穏店長のこと、どうして信じてあげられなかったんだろう。

 なんで疑って、些細なことも聞けずにいたんだろう。

 バカだ。本当に、私はバカだ。

「だから話しにくかったんだけどなぁ」

 頭をボリボリと書きながら私の頭を優しく撫でる。

「こりす、自分を追い詰めんなよ。何かあったら俺でも、穏さんでも良い。仲間がいるんだから」

 私は何度も声をあげながら頷いた。

 言葉に出来ないほど涙が溢れて、そして申し訳なさと、有り難さと複雑な心で涙がなかなか止まらず、私自身も困惑する。

 結局、泣き止むまで付き合ってくれて、そしてとびきりの笑顔で私に告げた。

「合宿で二、三日あけるけど、お土産楽しみにしててくださいね、こりす店長」

 優しいんだね、慶樹くん。ありがとう。

 そう言葉を紡げたら、こんなに後悔はしなかっただろうか。

 合宿の日、交通事故によりバスが横転し、慶樹くんが死んだと聞かされたのは、四日後だった。


      ◆

 


 

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