第二話 放課後の時間


「なぁ、紫雪」

 文化祭の前々日。皆が先に帰ってもその日私は仕上げきれずに居残りで絵を描いていた。

 上手く色が乗りきらなくて納得が出来ずに色を淡く淡く表現しながら苦戦していると、慶樹が唐突に声をかけてくる。

「なあに?」

 私が小首を傾げると「これ」と慶樹から何か手渡された。

「なあに、これ」

「元気になる美味しいデザート」

 慶樹がポリポリと顔を掻く。

「もしかして、わざわざ作ってくれたの?」

「兄貴に教えてもらいながらだけどね」

 そう言って舌をだす。

「そっか、慶樹にはお兄さんがいるんだっけ」

「そうそう。デザート作りは得意なんだ」

 そう言って手渡されたデザートは布で包まれていたのでゆっくりと開けた。

 透明で奥深さも少しありながら、平らな面積がまあまあある、ちょっとしたデザートには見えない。けれど表面から色が鮮やかだった。

 チョコレートクッキーだろうか。小さな本を表したクッキーに小さく『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』や『十角館の殺人』『ゴールデンスランバー』『贖罪』様々な小説のタイトルが並んでいる。そのクッキーの下はピンク色のゼリーのような物が波打つように描かれていて、容器の縁はたくさんのフルーツが並んでいた。

 なんて食べづらい高クオリティーなデザートなんだろう、と私はびっくりしてしまい「え、食べにくいよ!」と思わず声に出してしまう。

「勿体ない」

 私の言葉に慶樹は「分かってないなぁ」と言う。

「食べ物はまず、目で見るもの。次に、食べるものなんだよ。だから最初は目の保養として堪能してもらわなくちゃ」

「それにしても凝りすぎ!これ何で作ったの?」

「ん〜、食べてみてから、だな」

 ニヤリと慶樹が笑う。

 食べないと教えてもらえないなんて、なんて意地悪なんだろう。

 いつだって慶樹は私のピンチを救いながら、私には意地悪だ。

 少し恨みがましい目で見ながらも、私は布に隠れていたスプーンを手にとってまずフルーツとゼリー状の何かを口にした。

 これは桃だ、と思う。そしてゼリーはイチゴだ。桃にイチゴジャムってこと?

 本は流石にまだ食べることに抵抗があったので、その下を掬ってみる。

 一体これはなんだろう。ヨーグルトのようにも見えるけれど、どこかプルンとしたヨーグルトの柔らかさがない。

 眺めていてもわからない、と口にする。

「ん?なあに、これ」

 私が戸惑いの表情で聞くと慶樹は満面の笑みを浮かべた。

「ヨーグルトプリン」

 どこか酸っぱいのに、それを消すようなでも甘すぎないこの口溶けはヨーグルトゼリーなのか!と私は驚きながらも、その爽やかな味わいの虜になる。

「勿体ないのに食べちゃうよ」

 わざわざ一文字ずつ作ってくれた本のクッキーも頬張る。

 焦げすぎず、丁度良い味わいが口に広がる。どちらかというとビターチョコレートなようだ。

「ありがとう、慶樹」

「うん、食べてくれる人が笑顔っていうのが良いっていうのが沁みてくるわぁ」

「なんの話をしてるの?」

 私の言葉に、慶樹は慌てて「なんでもない」と言う。

「これで元気出た?間に合う?」

 慶樹の言葉に私は笑う。

「もちろんだよ」


 それでも前日になってもあと少しだというのに描ききれない私につきそうように慶樹はその日もいた。

「もう少しなんだよ」

 美術部員は描ききれている。もう少し作りたい色を描ければ、と私が思っていると「塩分より糖分らしいぜ」

 そう言って今度はどこからかカップケーキを取り出した。私は驚いた表情で、慶樹を見る。

「良いの?」

「もちろん、だって紫雪のためだし?」

 誰もいない放課後。夕暮れ時の美術室で。照らされたのはクマのカップケーキだ。

 カップは夜空と星が描かれている。

「え?これ慶樹の絵?」

「まあ、そんな感じ」

 どうやって作ったんだろう。まじまじと見つめる。

 クマの耳はチョコレートの丸いクッキーで再現されているが市販のものではなさそうだ。

 目と鼻は白いチョコレートペンで描かれているのに、ほっぺは何故かこんぺいとうが乗っている。

「どうしてこんぺいとう?」

「あれ、知らないの?紫雪。まあそれなら良いか」

 慶樹はにっこりと笑って「さ、食べて。保養用ならまだあるから」と言った。

 私はフォークをもらいクマさんに罪悪感を覚えながらも口にする。もっちりとしたチョコレートの生地の甘さにくるみの苦味が効いていて程よい味になっていた。

「え、美味しい」

 当たり前なことを口にする。

 可愛いクマさん、食べてごめんね。それでもくるみのかたさと、チョコのカップケーキのもっちりとしたなんともいえない食感に私は次々と口にした。

「良いね、お菓子作り上手なお兄さんがいて。色々教えてもらえるなんて、良いなぁ」

 私は一人っ子だから、兄弟や姉妹に少しだけ憧れている。

「お菓子作りだけしか教えてくれないけどね、兄貴は俺を持ち上げて褒めてばっかだぜ?」

 慶樹の言葉に私は笑う。

「でも教えてもらえるんでしょう?羨ましい」

「絵が描けてもさ、食べ物ってどうしたら美味しくなるかちっとも分からないんだ。だっていつも兄貴が美味しいもの作ってくれて、俺はそれを美味しいって食べてるから。ある意味甘えてたのかも。でも、紫雪が食べてるの見たら、兄貴の気持ちわかったかも。やっぱり、美味しいって言ってもらえるの、すっげぇ、嬉しい!」

 いつもより子供のようにはしゃぐ慶樹に私はつられて笑う。

「ねえ、どうやって作ったか教えて」

 私がいうと慶樹はうーんと、と困ったような顔をする。

「生地自体は兄貴独特なんだけど、それは企業秘密って言われて、とりあえず俺がやったのはくるみを砕いて小さくしてボウルに砂糖と、卵と、牛乳入れるだろ。で、普通ならホットケーキミックスを入れるんだけど兄貴が作った謎のもっちりする生地の粉をふるいにかけてさ、である程度溶かしたバターを入れて混ぜるんだ。その時にはもう粉が結構チョコの色になってて、どうやったのかは教えてもらえなかった。だから決して一人では作れてないんだけど。混ざったらカップに入れてオーブンで焼き上げるんだ。で、さらに上にコーティングするためにあらかじめチョコも溶かしててさ、焼きあがったらそれを上から乗せて、冷ます前に耳だけつけて。ああ、これもカップケーキと一緒に焼いたんだ。あとはペンで描いただけ。俺、特別何もしてないでしょ?」

 慶樹が少しだけつまらなさそうに言う。

「そんなことないよ、生地以外は全部作ってくれたんでしょう?」

 私の言葉に慶樹は「まあ、そうだけど」と少し不満げに言う。

「ありがとう。嬉しいよ。私ね、それだけで頑張れそう」

 あと少しだから。

 慶樹は私を見て「それなら良いけど」と言った。

「水彩だから、もっと慎重にな」

 慶樹の言葉に私は頰を膨らます。

「分かってますー」

 慶樹はそれ見て「淡いなぁ」と呟いた。

「ねぇ、慶樹」

「うん?」

「私のクラスに中村くんって子がいるんだけどね」

 私の言葉に首を傾げながら慶樹が頷く。

「その子が、遊坐くんの弟の面倒を見てるじゃない?」

「うん」

 美術部の慶樹並みに上手いと言われ続けていた遊坐琉玖。彼の描く世界観が私も好きだった。独特な夜空を描きあげて、あ、そういえば——

 彼はこんぺいとうが好きではなかっただろうか。

「クラスの人はそれが嘘だって言うの、酷いと思わない?遊坐くんのお家、複雑なんでしょう?」

 私の言葉に「そうだよなぁ」と慶樹が頷く。

「でもさ」

 私はあの時、クラスで放たれた言葉に少なからずショックを受けた。

 なんて酷いことを言うんだろう。どうして、嘘だなんて決めつけてしまうんだろう。

 そんな酷い人じゃないのに、そう思って口にしたけれど。

 慶樹は違うのだろうか。

「知らない人間って、結局誰の痛みも分からないんだよ」

「痛み?」

「だから家庭が円満でさ、年の離れた弟とか妹とか、大病するような家族がないってだけで、想像することしか俺には出来ないんだけど、きっと紫雪も想像した上でその優しさだったり複雑なことを考えているんだろうけど、それすら想像出来ない人もいっぱいいるんだ。だから「痛い」と俺が言ったとして「大げさだなあ」って思ったりする。わかりあえないわけじゃないんだけど、その痛みを想像する努力もしないし、経験したことがないから、平気できっと言えるんだよ。遊坐だって気にしないだろうし、きっと中村も気にしてないよ。紫雪は優しいから」

 慶樹の言葉に私は「うーん」と唸る。

「優しくないよ。だって、酷いじゃない?」

「仕方ない。割り切るしかないんだ、そういうのって。どんなに絵を描いても、言葉にしても伝わらない人間がいるように、今はみんな自分のことでいっぱいなんだからさ。だから、紫雪は紫雪の思うまま、人に優しくしてあげたら良いんじゃない?」

 そうかな、と私は口ごもりながら筆に触れる。

「誰も傷つけないような言葉が増えたら良いのに」

 慶樹がプッと吹き出すように笑う。失礼。

「なんで笑うの」

「いやあ、だって『人が傷つく言葉がなくなればいい』じゃないんだあ、って思ったらさ。なんか紫雪らしいなあって」

「でも、笑うのは失礼」

「ごめんごめん」


 こんな会話をしたのは、いつだっただろうか。


     ◆

 

 

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