第一話 小説の時間

 

 雪空学園高等部二年一組。青穂 あおほ 紫雪 しゆき

 クラスの中ではどちらかというと目立たないかもしれない。

 何故ならクラスとあまり馴染めずに本ばかり読んでいるからだ。

 一度グループに入ろうか悩んだこともあったけれど、様々な事情があって諦めてしまった。

 今日はお昼にお弁当を直ぐに平らげてしまい、栞をすっと取り途中だった本を捲る。ああ、そうだ。朝通学中の電車で読んでいる時、まさに犯人が解る寸前で駅に着いてしまった事を思い出し、犯人はあの人だよね?と心の中で問いかけながらページを進めていく。

 するとまた展開がガラリと変わり、ここから一体どうやってひっくり返すのだろうと逸る気持ちを抑えきれずに読み進めていく。

 クスクス、と笑い声がして私は口を一文字に結んだ。

「それ、最後どうなるか教えようか?」

 ニコリと微笑みながら悪魔の囁きをするのは一人しかいない。

  はん 慶樹 けいき

 同じく雪空学園高等部二年一組。同じ美術部だけれど、悔しいくらいに私より絵の才能があって、たくさんの絵を生み出しコンクールでも賞の常連。それでいて私より先に本を読み終えていることが多くて、私が読んでいる本を見ては「あ、それ」と笑って先に答えを言おうとする、意地悪な男の子。

 私は顔を背けるように窓に顔を寄せ、体勢をずらして本を手に持った。

 こんな面白い場面で邪魔されるのは、凄く嫌。

 だって大体の話の流れが読めたって、好きな作者なら知らずに読みたいし、好きなものは飽きるほど読み返したって構わない。

 それにこの本は作者のことが好きだから尚更譲るなんて出来るわけなかった。私は慶樹が話しかけてこないように本へと目を走らせる。

 慶樹は爽やかだし、どちらかというとイケメンだけれどマイペースでいつも自分のペースに人を巻き込もうとするような所がある。

 男子は男子で話していればいいのに、慶樹は私の傍で本の話をする。

 今、夢中になっているのに「あの作者のあれ、見た?」としきりに話しかけてくるのです。

——ああ、神様。私はお昼休みにゆっくり本が読みたいだけなのです。それなのにどうしてこんな邪魔をされなければいけないのでしょうか?

 そもそも、同じ美術部なんだから、その時に話しかけてくれば良いと思いませんか?そう問いかけた自分が馬鹿らしくなって、私は小さくため息をついた。

 どこにいたって慶樹は変わることはないんだ、と知っている。

 だって、彼は慶樹だから。どこにいても、彼は彼のままなのです。


     ◆


 お昼休みも終わり、午後の授業も虚ろげに受ける。

 先生は進路相談の事についても話しているけれど、今の私は特に進路が決まっていなかった。これからの事なんて、上手く考えられないよ。

 私は絵を描くことは好きだけれど、慶樹みたいな才能もない。

 好きだから描いているだけで、それを職にすることが難しいということは理解している。どうしたら私も親も納得出来るような将来設計図を描けるんだろう。小さくため息をつきながら私は窓の外を見る。

 校庭ではどこかのクラスが体育の授業をやっているようで、賑やかな声が聞こえてくる。

 何をやっても上手い人は上手い。

 成績も、運動も、絵も、慶樹はそつなくこなしている。

 私もそういう何かになりたい、なんでも出来たら、選択肢が増えるのに。

 私は絵を描くことが好きで、本を読むことが好きなだけで、それじゃあ将来の夢も進路も決めようがないよ、と自分に苛立ちを感じてしまう。

 当たり前の日常。当たり前の風景。

 ホームルームが終わると、一目散に美術室へと駆け込んだ。真っ白なキャンバスが光って、私を迎え入れてくれる。

 ホッとしながら、キャンバスを眺める。

 まだ太陽は明るいから、何色にも染まっていない、真っ白なキャンバス。

 私が油絵が下手で、色鉛筆も上手くいかなくて苦戦していると水彩画にぴったりな紙があると教えてくれたのも慶樹だった。

『イラストレーションボードならキャンバスに描けるよ。普通のキャンバスボードと比べると厚みはないかもしれないけどな』

 そのお陰で私は水彩画で、キャンバスボードで絵を描くことが出来た。

 今、私の目の前にあるのは真っ白なキャンバスボード。

 色を塗れば良いだけなのに。

 白さえ塗ることが出来ない。

 前なら目を瞑ればたくさんの風景が浮かんできた。

 みんなの笑い声。些細な表情。

 青空、夕日、夜空。全てが溢れて止まらなかったのに。

 今は目を瞑ると真っ暗で、何も浮かばない。

 目を開けると真っ白なキャンバスが私を迎え入れてくれる。

 色がない。筆を持てばどうにかなるかもしれない。

 そう思って私はいつもの引き出しを開けて、筆を手に取る。

 筆だって自前じゃなくていいのに、水彩画を描くのならと慶樹と一緒に画材も扱っている文具屋へ行ったのだ。

 そして水彩画だったら特別な筆じゃなくても良くて、安価で買えたので私と慶樹は本屋に行った。

 私が気になって手を取る本、慶樹が「ああ〜それかー」と意味ありげに言うので「結末は絶対言わないでね」と念を押す。

 じゃないとうっかり喋ってしまいそうなほど「あれはなー」と口にするのだ。

 もう、絵以外の私の趣味を取らないでよ、と言いたくなる。

 唯一慶樹が手にしてないのは、洋書じゃないかなって私は思いながらふと一つの作品を手に取った。

「ハチノ」

 慶樹が言う。

「引退したって噂になってる作家だけど、紫雪は読んだことある?」

 知らない。

 私は首を横に振る。

 一体どんな作家なんだろう。

 少し禍々しい本だったから、私はそっとその本は買わずに置いた。


     ◆

 

 

 

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