第2話 保護者 中編

 いつもの冒険者用の酒場に入る。

「どもー。なんか頼んでって、アヤト」

「……チキンカツバーガー」

「はいはい」

 代金は、クエスト報酬が貯めてある場所から引かれていく。

 個人用に管理されていて、登録すればそこに預けたり、引きだしたりできる。銀行のようなものだ。

 席に座ると、正面に腰を下ろす小さな影。

「やあ、アヤト。おすすめを持ってきたよ」

「そりゃいいや。はい、俺が選んだ分。読もうぜ」

「ああ」

 彼女はソーサラーのアンリエット。

 ――『太陽の斜塔』

 そこを出て、今は俺と同じく弟子を取って隠居しているらしい。

 読書が趣味のようで、出会いは簡単。俺が読んでいた本が気になって声をかけてきたらしい。

 趣味も合い、互いに無用な口は叩かないので、居心地が良かった。

 本の世界に没頭していると、ふと話しかけられ、現実に戻る。

「弟子にはどうやって稽古を付けているのだね」

「……普通? 水晶入魔とか、イメージ論とか……」

「まぁ、そんなところだろうね。必殺は教えたのかい?」

「一種類くれてやるけど、さすがに早過ぎる。まだ一週間だぞ?」

「そうかい。ボクは隠者に育てられた弟子の行く末が気になってね。隠者というものは、俗世という概念を忌み嫌う。その呼び名を付けられるならば、そのはずだ」

「……ああ。俺は現実が嫌いだ。結実しない努力、努力を嘲笑う社会、社会を乱す悪者、悪者を正義と称して処罰する騎士、騎士の名を叫びながら振るわれる暴力、暴力で解決するもの事――その全てが嫌だ」

「ふふっ、案外子供っぽいんだね。努力が結ばれないと嫌なのかい?」

「嫌さ。俺は頑張ってるやつが好きだ。……俺は、見たくないんだよ。何もかも。汚いことは、全部。どうせ見るなら、綺麗な夢がいい。見ていて、何もかもが癒される何かがいい」

「それが幻想だとしても?」

「だとしても。悲しまない筋書きがいい。楽しい文章であってほしい。心から笑える演技であってほしい。シリアスなんて、誰も望んじゃいない。俺は推理小説とかミステリは嫌いだね。大体人が死んだり、不幸になる」

「それがお話の緩急だよ」

「そんなもの書き手の都合だ。ずっと楽しいままがいい。ずっと可愛いままがいい。けれども、世間はそうじゃない。風景画はいつか色褪せる。俺達もいずれ消えてなくなる。だから、俺はこの世の中が嫌いなのさ」

「……面白い人生観だよ、アヤト。ボクは君みたいなやつに会ったことがなかった。また世界が広がったよ」

「お前の夢だもんな、アンリエット。世界を見ることが」

「そうさ。旅をしたい。ずっと、果てまで旅をしたい。海を越えて、本当に世界が平たいのか、見に行ってみたい」

「……俺は、真逆だな。新しいことが怖い。この生活が変わってしまうのが恐ろしい。だから、旅なんて絶対ごめんだ」

「ボク達はいいカップルになると思う。真逆だし」

「カップルは似た嗜好が好まれるんだぞ。補い合うのは夫婦だ」

「おや、そうだったか。まぁともあれ、そんな君の弟子はどんなふうに育つんだろうね」

「ったく。知らねえよ」

「これも実験の一つ、といったところかな」

 くすっと彼女が笑う。

「お待たせしました、チキンカツバーガーです」

「お、うまそー」

「美味いし。うちのお父さんお手製」

 厨房でサムズアップをするウェイターの娘で、受付もこなす無表情なウェイトレス――アイゼルンがそう言って去っていく。

 その背中を眺めつつ、バーガーに齧りつく。

 じゅわっと柔らかいチキンが口の中で解けていく。肉汁が銀製の皿に滴る。

 このマヨネーズソースが美味いんだよなあ。チーズも上手い具合にとろけてて、最高。

 ここのハンバーガーは外れないなあ。

「ふむ。後学のために訊くが、そのハンバーガーとやらは美味いのかね」

「美味いね。野菜、肉、パン。全部が一緒に摂れる」

「いや、携帯性と利便性と性能は認めるが、どうにも本を読みながら食べていると本を汚してしまいそうでね……」

「読みながら食わなきゃいいんじゃないか?」

「しかしだね、片手で食べられるサイズなのに空いた片手を有効活用しないのはこの食物に対する冒涜ではなかろうか」

「いいからお前も頼んで食え」

「むむむ……今日はパスタのような気もするのだよ……」

 あどけない顔で難問に挑む彼女を余所に。

 騒がしくなった室内に耳を傾ける。

「おい、聞いたか。『紅い爪』が降りてきたんだとよ! 外の冒険者が捕まったって!」

「は? 誰だよ」

「なんか、小さい子も混じってたって聞いたけど、一組や二組じゃねえって。恐らく、女はお楽しみの後、奴隷商人行きだろうよ。男も殴り倒されるんじゃないかな……」

「討伐チームが騎士団で組まれてるって話だが」

「馬鹿、間に合うかよ、騎士なんか」

 ……。

「おや、どこへ?」

「それ、食っといてくれ。ちょっと出てくる」

「あ、おい。間接キスだぞ、君。こら、戻ってくるんだ! ボクだって純情なんだぞ!」

 それを背に聞きながら、平原に戻る。

 その影があることを、願いながら。



「むーっ! むぅぅぅっ!」

 暴れても、暴れても。

 縄は外れないし、牢屋は狭くて暗くてくさいし。

 幸いなのが、三人一緒だったってこと。

 わたし――キャロルはずっとあがいていた。

 でも、詠唱破棄も使えないわたしは、無力だった。

「へっ、魔術師のメスガキね。賢そうだし、高値で売れそうだ」

「商品に傷つけんなよ?」

「分かってますって」

「にしても、気の強そうな嬢ちゃんだな。そうじゃねえと」

 舌なめずりしている。気持ち悪い。

 ここは、どこだろう。

 彼らは山賊だと、何となくわかる。こんな、牢屋まである建物を所有してるなんて……大規模だ。

「ぷはっ! こら、解け!」

 アミュの口布が解けた。

 ぎゃんぎゃんと怒鳴る彼女を黙らせるために、鉄格子を棍棒で殴りつける男。

「黙ってろ、ガキ!」

「黙らない! さっさと解放しなさいよ、このブ男!」

「んだとォ!? この『紅い爪』の色男、ローランド様にケチつけようってかぁ!?」

 ドアが開く。

 そして入ってきた男が、アミュを殴打した。

「きゃああああっ!?」

「むー!」

 思わず、彼女に折り重なって庇う。

「なんだ、テメェ! 邪魔すんじゃねえ!」

 蹴っ飛ばされる。

 痛い……痛い痛い痛い……!

 怖い……。

 怖いよぉ……!

 やっぱり、ダメだったんだ……。

 ペガサスに乗ってた女の子を追いかけまわしてたんだけど、それを庇ったのが、やっぱり……ダメだったんだ。

 分かってたんだ。

 誰かを助けることは、誰かを犠牲にすることだって。

 だから、後悔しないようにと師匠はずっと教えてくれたのに。

 でも、わたしは……助けたことを、後悔している。

 なんて、みっともないんだろう。

 親友が殴られているのを、ただ、見ているしかできないなんて。

 何のために、魔術を習ってきたの?

 何のために、修行してきたの?

「――――!」

 声にならない叫び。微かに声が漏れて、魔力が乗り、風の魔術がその男を壁際に叩きつける。

 だが、それまでだった。

「この、クソガキぃぃぃぃッ!」

 男は凶悪な形相で、棍棒をわたしに振りかざす。

 殴られた。

 もう……怖くて。

 何もできずに、殴られて。

 ボロボロになって――

 涙で、恐怖で、もう、動けない――

「おい、何やってんだ? 商品が壊れたらどうするつもりだ?」

「ああ? なんだ、テメェ――」

「――ソード」

 その、男に。

 深々と、金属の何かが刺さっている。

「な……っ!?」

「……いい社会勉強になりそうだな」

 引き抜いて、蹴っ飛ばす。まるで、物のように。

 死体が、わたしの前に転がる。今まで動いていた人が、物になっている。

 暗い。だから、男の人を殺した、その人の顔がよく見えない。

 口に巻かれていた布を取ってくれる。

「……この馬鹿共が」

「し、師匠……!?」

 なんで、ここに?

「魔術を軽々しく使ったのはマイナスだな。だが、今回はその迂闊さで分かった。強い魔力の残滓を辿ってきたんだが、正解だった」

「あ、誰だ、テメェ――」

「――ウィンドカリバー」

 放たれた風属性魔術は――異様に鋭く、早い。

 あっという間に、真っ二つになっていく。

 人が、死んでいく。

「お、お頭! 侵入者だ! 魔術師が――」

「ウィンドカリバー」

 詠唱破棄なんて、デメリットにならないくらいの魔力の総量。

 どういう精神力をしているんだろうと思う。

 縄も切ってもらった。

「……あんた……」

「アヤトさん……」

「師匠、逃げましょう」

「外までは送ってやる。俺はこいつらを皆殺しにしなきゃならないんでね」

「……見届けさせてください」

「そうか? じゃあ来いよ。お前らも来たいなら来い。お前らが鍛えているのは、人を殺す術だ。遅かれ早かれ、こういう日は来る。そして、冒険者を続けるかどうか判断しろ」

 言い放って、師匠が先を歩いていく。

 アミュとリリスが後を追う。

 その背を、わたしも追った。



 ……。

 これが大規模盗賊ねえ。

 全員を解放した後、殲滅に戻る。

 数が多いだけだ。気力持ちも数人いたが、俺の下級呪文を打ち消せなかった。

 奥にまで来ると、玉座に座り、ぱちぱちと手を叩く顔の整った男。

「やあ、ようこそ魔術師君。さぞや気分がいいだろうな、この『紅き爪』をここまで追い込んだんだからな……!」

「拍子抜けだよ。『紅き爪』って名前だけ有名だったんだな」

「……このゲルデスク様に勝てると思っているのか! プロミネンスウェイブ!」

 炎の呪文か。しょうもない。

「流転のアクアプロテクション」

 水属性でそれをかき消し、左手を払う。

「見せてやる。『隠者』たる者の必殺呪文を。壮絶断空、我が放つは流れ星――駆けよ、サザンクロス!」

 金属の杭が輝く。

 反魔の金属を具現する。その分、魔力はかかるが、これは魔術の防御では防げない。

 物理で盾を用意したとしても、これを防ぐには二十枚の金属の盾がいるだろう。

「し、シールド……ぐぁああああああああッ!?」

 飛来した金属の杭が男の急所と手足を撃ち貫く。



 あ……。

 その時、師匠の顔が悲しく歪むのが分かった。

 ……そうだよね。

 人なんて、殺したくないよね。

 なのに、わたし達がそうさせてしまったんだ。

 師匠に、人を殺させてしまったんだ。

 もう一度、師匠を見上げる。

 いつも通りの気だるそうな表情に戻っていたので、訊いてみた。

「あ……その、流転の、とかはつけないんですね」

「俺のオリジナルだからな。いつも付けてるやつは普遍的な魔術の名前を変えてるだけ。さ、撤収撤収」

「あ、あの……ち、治癒を……。アミュちゃんが、殴られて……」

「は? お前らは自分の不手際で捕まったんだろ? なら治さない。痛いまま、このことを覚えておけ。教訓としてな」

 冷たくそう言って、師匠は歩いていく。

 何とか、歩いてついていった。

 これ以上、みっともない姿を見せないために。

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