第11話 三杯目の紅茶

 日課である部屋の掃除を終わらせた後、僕はダイニングのテーブルで時間を潰すために絵を描いていた。今朝、マリーさんが家を出ていってからもう六時間ほどが過ぎている。

 何度か、本当に扉が開かないか確認してみたのだが、やはり僕が最初にこの家に来た時のように扉はまるで壁のようで、ピクリとも開く気配がなかった。

「……大丈夫かな」

 絵を描いていても集中できず、窓の向こうの青空を見てしまう。マリーさんの話していた通り、仮面会という魔女の組織がまだ存在していて、それらが僕の命を狙っているとしても僕にはその理由もわからないので、実感が湧いてこない。そもそもそんなものが存在していたことさえ僕は知らないので、いまひとつ昨晩のマリーさんの話がピンときていないのが正直なところであった。力がある者であれば、僕なんかすぐに連れ去られてしまいそうだが……。

 今日はミリアにも会えないので、なんだか絵を描く筆にも力が入りきらないというのもある。僕は一旦筆を置いて、今まで描いてきた絵を見直してみた。自分でも良く描けているなと思う絵や、これはちょっとと恥ずかしいくらい下手だ、というようなさまざまな絵でスケッチブックの半分以上が埋まっている状態だった。いくら絵を紙から剥がすことができるからと言って、剥がしたものを紙に戻すことは出来ず、それらは消されてしまう運命なのだが、やはり今までこうして描き溜めた絵を消してしまうのはなんだかもったいないような気がする。

「ミリアにも見てもらいたいなぁ……」

 そこで、僕はふと思いついたようにもう一度筆を取り、白紙のページを開いた。

 少し癖の強い髪の毛、灰色で透き通った瞳、少しばかり頬にはそばかすも。さらさらとミリアを思い出しながら似顔絵を描いてみる。そして描き終わったものをペリペリと剥がしてみた。今まで、特定の人物を描いたことがなかったので、これが紙から剥がれていくとどうなるのか、僕は試したことがなかった。もしかしたら、話し相手になってくれるかもしない。

 ぼんやりとミリアの似顔絵がぎこちない様子で表情の動きの練習をするように顔を歪ませたりしている。なんだか、機械的にこれから人間の動きをしますよというような準備体操にも見えて、僕の期待値は多少下がってしまった。

「……こ、こんにちは」

 試しにそう話しかけてみると、それに反応したのか、絵の彼女は口をパクパクさせ始めた。だが、その口からはなにも言葉は発されなかった。

「なるほど……」

 言葉は話せないけど、そのミリアのようなものは僕に何かを言いたげにひたすら口を動かしている。

 なんだか、ミリア本人にも申し訳ない気持ちが芽生えてきたので、可愛そうだがそれを消すことにした。筆を持って、僕が消えろと念じると煙のようにミリアのようなものは消えていった。

「まぁ、さすがにおしゃべりはできないか」

 少しばかり期待していたこともあってか、思わず落胆してしまった。


 窓の外の空が次第に青からオレンジ色、そして紫へと変わり始め、僕は夕食の支度を始めることにした。マリーさんは絶対に帰ってくると言っていたので、用意するのはもちろん二人分だ。今日は買い物にも行けていないこともあり、今家にあるもので簡単に炒め物を作ろうと考える。

 思っていた以上に時間がかからずに出来上がってしまい、おなかも減ったので一足先に食べてしまおうかと悩んでしまう。ちょうどそのタイミングでテーブルの上にあったペンがひとりでに動き出した。

「うあ……、びっくりした」

 ペンはメモに「少し遅くなる」と書き記してから再び、元あった場所へと戻った。

「便利だなぁ」

 なんて思いながら、マリーさんからのメッセージに安堵し、一人で夕食を摂ることにした。

 今、マリーさんはどこにいるのだろう。犯人の情報は揃ってきたのだろうか。そして、僕は明日からまた外に出られるのだろうか。マリーさんのことだから、きっともう犯人を追い詰めているかもしれない。そのうちにあの動かない扉が開いて、彼女が帰ってくるのだろう。きっと大丈夫だ。

「……大丈夫、だよね」

 なんだか、段々と自分に言い聞かせるようになってきていることに気が付く。少し遅くなるという「少し」とは、いったいどれくらいなのだろう。

 一人分の食器を洗い終えて、改めて椅子に座ると不安は急に増大した。思わず、先ほど遅くなると伝えてきたメモに、「遅すぎます」と書いてしまうほどだ。

 自分を落ち着かせるために、紅茶を淹れる。マリーさんも帰ってきたら飲むであろうから少し多めにお湯を用意しておく。

 一杯目、ちらりと扉を見るが、開く気配はない。二杯目をゆっくりと飲みながら、カップに描かれた花柄を模写する。

 そして三杯目の紅茶をカップに注いでいると玄関の扉のほうからカチャリという音が聞こえた。ほとんどの神経を扉のほうへ向けていたので間違いはない。

「マリーさん!」

 僕は注いでいる途中でポットを置いて玄関に向かう。だが、扉は一向に開く気配はなく、どうやらマリーさんが帰ってきたわけではないようであった。

「……?」

 なんとなく、扉のノブに手を置くと、ガチャリと扉は開いた。

「……解けてる?」

 扉から外に出て、辺りを確認してみるも、その周りにはマリーさんの姿がなかった。

 だんだんと息が荒くなりはじめ、次第に手にしびれを感じ、心臓がドンドンと高鳴るのがわかる。

「マリーさん?」

 もう一度、彼女の名前を呼ぶも、それに反応は帰ってこない。家から少し離れたところまで出て、近所を見回しても彼女の姿はどこにもなかった。

「……ま、まさか」

 彼女に何か起きてしまったのかもしれない。だが、助けに行こうにも今彼女がどこにいるのかさえわからない。

「……そうだ!」

 いてもたってもいられなくなった僕は、急いで家の中に戻り、スケッチブックと筆、あとロビーからもらっているメモを手にとって、家を飛び出した。



「ロビー!」

 以前、ロビーからもらっていたメモに書いてあった自警団の住所にたどり着くと、僕はその名前を呼んだ。事務所は少し大きいホールのような場所に、突貫で用意したと云うようなサイズや材質がバラバラな机が無造作に並んでいる。奥の方には話し合いを行うようなスペースがあり、そこで円を描くようにして六名ほど男が立ちながら何やら話し合っている。その六名の中からロビーが僕に気付いて、驚いた顔をしている。

「ん、おお、コーギィ」

 彼は「失礼」と断りを入れて、僕の方へやってきた。

「どうした、なにかあったのかい?」

「……マリーさんに、なにかあったかもしれない」

「マリーさんって今一緒に住んでいるっていう、あの魔女の……?」

 その問いに対して、首を縦に振って答える。

「一緒に探してもらえませんか。今日は絶対に帰ってくるって言っていたのに、まだ帰ってこないんです」

 なんとか理解を求めようにも、結果ばかり話をしていまい、ロビーは少し困ったように僕の両肩に手を置いた。

「コーギィ、一旦落ち着いて。マリーさんが今どこにいるかわからないんだな?」

「……はい」

 それを聞いて、ロビーは少し待ってて、と言って一旦僕の元を離れる。そして腰かけバッグに自警団お決まりのキャップ、手には懐中電灯を持って戻ってきた。

「ロビー、出るのか?」

 ほかの自警団メンバーがロビーに話しかける。

「あぁ、ちょっと行ってくる!」

 そして僕に再び向き合った。

「マリーさん、一緒に探そう」

 ロビーは今まで見たことがないほど、頼りになる笑顔で言った。

「ありがとうございます!」

 僕とロビーは拠点を後にして、まず彼女の職場に言ってみようかと、ロビーが提案する。僕もそれに賛同し、僕は初めて場所も知らないマリーさんの職場に向かうこととなった。

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