第9話 共に食卓を
翌朝、私は一旦職場に向かい、ケヴィンスに二日ほど休むことを伝えた。彼は何も言わずに私の肩を叩いて、小さく微笑んだ。
職場から出て、ふと家を出るときに見たコーギィの顔を思い出す。まだすべてにおいて納得をした様子ではなかったが、なんとか私を送り出し、自分は留守番をしていることを許してくれた。犯人の素性はまだわからないが、見つけ出し、その目的を聞き出してやろう。私は常時、力を出せるようにうっすらと瞳の色に黄色を混ぜた。
最初に向かったのは荷物を届けた集積所である。ここに持ち込まれた荷物はどこから来たのか、まずはそこがスタート地点である。
「この宛名書きに見覚えはないか」
配達員がいるカウンターで私は送られてきた箱についてきていた送付状を見せる。とはいえ、こちら側の職場の住所しか書いておらず、判別が難しいことは私にもわかっていた。
「んー、これだけだとなぁ……」
眼鏡を持ち上げて、細い目をしながら、配達員の男はちらりと私を見る。
「あまり、客の荷物に関して詮索できる身ではないが、なにか問題でもあったのかい?」
「まぁ、な」
男はふむ、とうなって口をつぐみ、あたりをキョロキョロと見回してから、私に顔を近づけてきた。
「連絡先を教えてくれれば、もし同じような送付状を持ってきたやつが来た時に連絡してやろう」
「……もしかしてナンパか、いい歳をして」
ちょっと疑いのまなざしで彼を見ると、少し慌てた様子で首を横に振った。
「あんた、この住所に書いてある街はずれの調剤所のマリーさんだろ。あんたは俺のことを知らないだろうが、この前うちの母親があんたの薬のことをやたら褒めていてな……。しばらく寝たきりだったんだが、ここ最近じゃ散歩に出るくらいまでになったんだ」
「…………」
記憶を巡らせると、数か月前に肺に違和感があるといって過呼吸気味であった女性に処方をしたことを思い出す。
「失礼した。もしかして、あなたはリングヘルさんの?」
「そう、俺はトリスタン。トリスタン・リングヘル。あまり大きい声で言えないが、もしなにか困っているんだったら、力になるよ」
「……ありがとう、トリスタン。では、ここに私の家の住所を書いておく、何かあればすまないが教えてもらいたい」
奇妙な出会いだったが、この街で働いていればこういった患者の家族とは良い意味でも悪い意味でも会ってしまうものだ。私はトリスタンに別れを告げて、集積所を後にした。
今日はまだ荷物が届いていないようであった。もしそいつが今日この集積場に荷物を持ってくるようであれば、トリスタンはそれを知らせてくれるはずだ。
「……」
しかし、早くも手詰まり感がある。私は頭をくしゃくしゃと掻いて、思いついたまま、コーギィの家の跡地へと向かった。
こんな調査などしなければ、とても心地よい小春日和である。次の休みにはコーギィと一緒にランチを食べようか、なんて考えも浮かぶ。平穏な生活、それを取り戻すためにもいち早くこの犯人を見つけなければ。
コーギィの家の跡地に着いて、辺りを見回してみるが、これと言って何かアテになるものはなかった。ただただ、そこには悲しい記憶が置き去りにされているだけで、今一度、彼の身のことを考えると胸が締め付けられる思いであった。
「そこ、立ち入り禁止ですよ?」
はっと振り返ると一人の赤髪の女の子が立っていた。ふと、その女の子の持っているスケッチブックに目が留まる。
「君は、もしかしてミリア?」
そう尋ねると彼女はまじまじと私の顔とみる。
「ごめんなさい。どちらさまですか」
少し困ったように笑顔を取り繕ってミリアは言った。
「いや、直接面識はないんだ。コーギィの保護者と言ったら伝わるかな?」
その名前を聞いて、彼女の笑顔は本物へと変わった。
「コーギィの! これからちょうど噴水広場に行こうとしていたところなの」
噴水広場、おそらくコーギィに会いに行く途中だったのだろうか。
「すまない、ミリア。実はコーギィは昨日の夜から少し体調を崩していてな。今日は一日寝ておくように言ったばかりなのだ」
「コーギィが! 大丈夫かしら。ああ、お見舞いとか言った方がいいかしら」
この子もなかなか癖のある子だな、と思って腰を落として目線を合わせた。
「大丈夫だ、明日にはきっと元気になるさ。すまないが今日は休ませてやってくれ」
ミリアは、仕方ないかと呟いて左右に体を揺らした。
「えーっと……」
私の顔を改めて見る。
「あぁ、マリーだ。すまない。名乗るのが遅れたな」
「ううん、平気! マリーさんはコーギィの絵を見たことある?」
「あぁ、そりゃあ毎日のように見ているからな」
「私ね、コーギィの絵を見るの好きなんだ。線がきれいだし、造形も単純なんだけど、しっかりと大事なポイントを押さえているの」
確かに、コーギィの描く絵は意外とシンプルに見えて、それでも姿かたちはお絵かきというレベルを超えていた。
「コーギィのおかげで、こうやってスケッチブック持って外に出るのがすごく楽しいの。だからね、コーギィに早く元気になってって、伝えてください」
ミリアは満面の笑顔でそう私に言った。
「あぁ、ちゃんと伝えておくよ」
「あ、マリーさん。今少しだけ時間大丈夫ですか?」
「あ、あぁ」
そう答えると、彼女はスケッチブックにさらさらと何かを描き始めて、十数分後にそのページをスケッチブックから切り離した。それを折りたたみ、四分の一になったところで、コーギィへと書き加える。
「これ、コーギィに」
どうやら手紙のようだった。
「わかった。ちゃんと渡しておくよ。コーギィもきっと喜ぶと思う」
「へへへ」
そして、ミリアは一人でも噴水広場へ行くといって、街の大通りの方へと消えていった。
再び静かになった跡地で、私は神経を研ぎ澄ませた。
「…………」
微かだが、魔女の力の残り香のようなものを感じる。この場所に魔女がいたことはどうやら間違いではなさそうであった。ただ、それが一体誰なのかまではもう読み取ることは出来ない。やはり、仮面会が動いているのだろう、と私は自然と拳に力を込める。今、この状態でも何者かに見られている可能性はゼロではない。あたりを探ってみるも、今は私に敵意ある視線を感じることはなかった。
緊張の糸をほどき、頭を現実へ戻す。
「……おなか、すいたな」
*
「あれ、マリーさんがくるなんて珍しいですね。私もしかして入れる豆を間違えました?」
珈琲屋のレイリィは冗談めいてそう言った。彼女が注文を間違えるなんてありえないことは私も知っていたし、彼女も自負していることだ。
「今日はちょっとした休みでな。ランチをしに」
「だとしてもコーギィは一緒じゃないんですね」
「あいつはちょっと体調を崩していてな。今日は晴れて子守から解放といったところだ」
「ふーん……」
ちょっと強がってみたものの、彼女はそれに何か勘付いている様子であった。
「ま、人の家庭事情にはあまり口を挟まないようにしているので」
そう言うと二人して笑った。
「あまり長居はしないよ。とりあえず珈琲とサンドイッチを」
「はぁい」
これからだが、どうしたものかと店外の人の流れを見ながら思考を巡らせる。
今のところ調査するあてがない。今はトリスタンからの情報を待つのが唯一の情報源である。この日はまだ荷物は届いていなかったこともあるが、いつもは午前中かお昼ごろに届いていた。一旦、自分の職場に行ってみるか。トリスタンの所に赴いても忙しいところにあまり邪魔をしては悪い。
「……あれは」
ふと、外に見覚えのある中年男性が横切っていくが見えた。
「レイリィ、すまない。すぐに戻る」
「へ、は、はぁい」
そう言って、私は店の外に出た。そこにいたのはコーギィの伯父のディーンであった。
「ディーンさん」
「おや、あなたは……」
ディーンはぎょろりとした目を私に向け、ペコリとお辞儀をした。
「マリーさん、でしたかな、ん」
「えぇ、そうです」
彼の片手にはパン屋の紙袋があり、どうやら買い物中のようであった。
「すみません、呼び止めてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ。それより何かありましたかな。なにか焦っている様子でしたが」
「少し、お時間をいただけないだろうか。そのコーギィのことについて……」
「コーギィの……」
そういうと彼は何度か小さく頷いて、わかりましたと微笑んだ。
「ありがたい」
「ただ、申し訳ないのですが、夕方ごろでもよろしいですかね、ん」
「はい、時間はいつでも」
「では」
そう言って、彼はレシートの裏にサラサラと文字を書いた。
「ここに16時頃に来ていただければ。ぜひ、我が家のディナーに」
そう言って、ディーンはそのまま人ゴミの中へと消えていった。
「ふぅ……、助かったな」
私は改めて珈琲屋に戻る。
「おかえりなさい。デートの相手にしては随分と年上のようで」
いたずらっぽくレイリィが言う。 そして彼女は頼んでいた珈琲とサンドイッチをテーブルに置いた。
「茶化さないでくれ。あれはコーギィの伯父だ。ちょっと聞きたい事があってな……」
「ほうほう」
手の甲でレイリィを追い払ったところで珈琲をこくりと飲む。
コーギィの伯父に聞きたかったこと。それは昨日、コーギィとディーン、三人で会話していた時のことだ。最後に彼は、コーギィのことを守ってやってくれと言っていた。よろしく頼むでも、お世話になるでも、面倒をかけるでもなく、何者かから守れと言っていた。私の考えすぎなのかもしれないが、今の私やコーギィが置かれている状況とその言葉に関連性があるような気がしてならなかった。ひとまず、今偶然、ディーンと出会えたことで夕食の約束は果たせた。そこで私の知らないコーギィのことを聞いてみよう。
私はその決意と共に珈琲をグイっと体に流し込んだ。
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