第8話 約束
その日に届いたのは子供の大きさの手の模型であった。同じく、嫌な臭いのする赤い液体。ケヴィンスに確認してもらい、底には同じような陣が描かれているとのことだった。
「マリー……、本当になにもわからないのか」
「……えぇ、これに関しては本当になにがなんだかという状態です」
正直、言葉通り私としても困惑していた。身に覚えがない上に連日こういったモノが届くのであれば、ケヴィンスや職場自体に迷惑をかけてしまう。
「オホン」
私が怪訝な顔をしているのにケヴィンスは勘付いたのか、大きくわざとらしい咳払いをする。
「君が何を考えているか、そんなことは正直私にはわからん。ただこんなことで私が有能な君を手放すのではないか、などという無駄な憶測をしているのであれば、そんなものは時間と頭の容量の無駄だ。すぐに捨てたまえ」
丸眼鏡の奥のギョロっとした青い瞳が私をじっと見ている。
「……ありがとう、ケヴィンス。ちょっと時間をいただけるだろうか」
「あぁ、少し頭の中を整理するといい」
そう言って、私は所長室を後にして、一旦裏口から外に出た。目の前には分厚いレンガの壁が立っているが、その先には暗闇の森が広がっている。そのせいもあってか、少しばかり気味の悪い感じがすると言われていて、あまりこの裏口を使う人間はいなかった。つまりはそんな気味の悪さなど感じない私にとっては恰好の休憩場所である。
「子供の頭、茶色い髪の毛、子供の手……」
改めて箱の中に入っていたものを思い出す。おそらく既に気付いていたのかもしれないが、ずっと関連付けたくないものがそこにはあった。
「……コーギィ」
決まったわけではない。そんなわけがない。そう自分に言い聞かすも、その可能性が完全にぬぐえない限り、私の胸の鼓動は治まりそうになかった。今このときにでさえ、コーギィに何か起きているのでは、そう思ったと同時に私は裏口のドアを勢いよく開け、改めて所長室にノックして入った。
「すみません、今日は帰ります」
そうケヴィンスに告げて、彼の承諾のもと、私は職場を後にする。
大丈夫、大丈夫だと必死に自分に言い聞かせるも、その足はただただ速度を増していく。鼓動もその速さによるものなのかわからないまま高まり続けている。今どこにいるかわからないので、彼の意識を追うこともできない。こんなことならば今朝の段階で彼の潜在意識の中に入ってしまえばよかったと後悔する。
「コーギィ!」
いつもより随分早く家に着き、扉を開けてその名を呼ぶが中には誰もいない。時間を確認してもそろそろ家に帰ってきていても良い時間であった。
「コーギィに手を出したら、許さんぞ……」
誰に言うわけでもなく、私は小さくつぶやく。目の色も変わってしまっているかもしれない。そんなことも気にせず、荷物を玄関に置いて再び街へと足をのばした。
コーギィ、コーギィと心の中で彼の名前を呼び続けた。そんな声に彼は気付くこともなく、私はただひたすら早歩きで彼の姿を探し続けた。
もし彼が何かに巻き込まれたのならば、それはきっと私のせいだ。自分らしくもなく、なんだか目頭が熱くなってくる、その時、コーギィが見知らぬ男とパン屋から出てくるのが見えた。
「コーギィ!」
思わず、そう叫んでしまった。
「ま、マリーさん」
あまりに必死に叫んでしまったせいか、コーギィはとても驚いたように私を見た。それを見て、安堵と少し取り乱した自分への自責を感じてしまう。私は出来るだけ、冷静にコーギィに接することにした。
「……こちらの男性は?」
「これは失敬、私はディーンと申します。コーギィの伯父です。失礼ですが、あなたは?」
「……あぁ、あなたが」
この人がコーギィの伯父か、と全身を見回す。彼の言うほどそんなに悪い人ではないようにも見える。
「私はマリー。今の彼の保護者といったところだ」
なにやら驚いたように目を丸くしていた。女性ということは知らなかったのか。それにしても先ほどから黙りっぱなしのコーギィに目を向ける。
「コーギィ、反抗期の子供ではないのだから、紹介くらいしたらどうだ」
あまりにも無口だったので、少しばかり言い方が強くなってしまった。
「すみません……」
やはり、彼はどうにもこの伯父が苦手なようであった。いつものように歯切れの悪い回答ばかりであった。
「今ちょうど、いつか一度ご挨拶に向かおうかと……」
その言葉に体を強張らせるコーギィを見て、私はそれを丁重にお断りした。
「いや、まぁ、であればいいのです、ん」
ディーンは咳払いを一つし、少したじろぎながら私をチラチラと見ている。
「……、伯父として、その……」
ディーンは、なにかをボソボソと言っていたが、うまく聞き取れず、なにやら困惑している様子である。それに少しばかりおでこに汗の粒が浮き出ている。
「どうしました、顔色が悪いようですが?」
「いえ、大丈夫です。いやほんと、コーギィがお世話になっておりまして……」
「私としても彼がいて、成り立っているような生活ですので」
そう言って、コーギィの頭に手を置いた。
「そ、そうですか……。ま、まぁ何はともあれ、コーギィを守ってやって下さいまし」
「……はぁ」
「では、失礼」
そう言うと一方的に背を向けて立ち去って行った。一度ばかり振り返り、コーギィに向けて手を振る姿は甥が心配でしょうがないという様子が垣間見える。
「お前の伯父はいつもあんな様子なのか?」
思わずコーギィにそう尋ねる。
「まぁ、おおよそはあんな感じです……」
「そうか、お前が苦手だという理由がわからなくもないな」
なんとなく笑ってみるも少しぎこちなかったかもしれないと自分で思ってしまう。ひとまず、彼は無事だったと小さくため息をついた。
「マリーさん、なんか疲れてますね」
「……そんなことはないぞ」
コーギィに痛いところを付かれ、思わず見栄を張る。このままでは分が悪いので、さっさと夕食にしようと提案をする。この時に繋いでいた手は不思議とお互い、強めに握り合っていた。
*
夕食を済ませて、少しばかり会話をした後で私は話を切り出す決心をした。
「コーギィ、ちょっとだけいいか?」
「なんですか?」
コーギィは少し空気が変わったことに気付いたのか、しっかりと私の話を聞いてくれる様子であった。そんな彼を前にして、私はなぜか言葉を選ぶことに必死であった。送られてきているものに関して、コーギィとの関連性の有無は明確ではない。ただ単に入っていたものが、コーギィを示すものなのかもしれないという私の思い込みで彼に不安や心配を分けてしまう可能性もある。
彼の目を再び見ると、彼はそれらさえも受け入れてくれそうないつもの優しい茶色い瞳をしていた。私は覚悟を決める。
「実は、ここ最近、私の仕事場に変なものが送られてきてな……」
「変なもの、ですか?」
コーギィは当然のように困った顔をする。
「人の頭部や手の形をした模型だ……。それも今のところ、毎日な」
「……、大丈夫なんですか、それ」
コーギィが心配そうに私を見る。少しずつ後悔の念が大きくなり始めるが、私は話を続ける。
「いたずらかとも思ったが、その箱の中に何かに血のようなものが入っていて、その奥底に魔女にしか効かない呪紋が記されていたんだ」
「呪紋……。この前、本に書いてあった」
「あぁ、本を出しっぱなしにしてしまっていたかもしれないな。あれは魔女の力について理解のある者しか知りえないものだ」
「つまり、どこかの魔女がマリーさんに対して嫌がらせをしている?」
本題に入ろうか、私はそう自分に指示をするようにコーギィの目を見た。
「最初は私もそう思っていた。私個人に向けた攻撃、だと。ただ、今日になってなんとなく違和感を覚えた。まだ私の憶測にすぎないのだが、箱の中に入っていた茶色い髪の毛、子供のものと思える造形物。これらはコーギィ、お前のことを言っているんじゃないかと……」
それを聞いたコーギィは少しぽかんとして、しばらくして苦笑いを浮かべる。
「僕が……?」
「別に決まったわけでない。本当に私の憶測なのだ」
「どこかの魔女が、僕を狙っている……」
コーギィはそうつぶやくとハッとして言葉を続ける。
「その魔女が、もしかしたら……」
そう、私は口にはしないがその犯人こそがコーギィの家に火を放った張本人なのかもしれない。ただ、そう考えたとして、なぜそいつはコーギィを狙うのか。
「マリーさん、ほかにその送り主の情報とかは……」
先ほどまでと違い、若干興奮気味なコーギィを目の前にして、私は話を続ける。
「コーギィ、一つ言わせてくれ。はっきり言って危険だ。この件については、まずは私が調べる」
「な、なんでですか」
少し声を荒げる彼に、私は俄然とした態度で彼の目を見続ける。
「こうなることはわかっていた。だから私も最初は自分の中の問題としてとどめておこうとも思った。だがな、コーギィ。この問題はお前とも共有すべき内容だと思った。だから話した」
彼の声に無意識的に声のボリュームが上がってしまっていることに気が付いて呼吸を整える。
「コーギィ、お前はまだ私たち魔女の血に刻まれているおぞましい世界を知らない。世の中に存在するどうすることもできない恐怖。それは一度、暗闇の森で体験しているはずだ」
「…………」
「一つ、昔話をしよう。そう遠くない過去の話だ」
*
それは、私が生まれる少し前くらいのことだ。
魔女の世界には「仮面会」と呼ばれる組織があったと言われている。年齢に関係なく、選ばれた血筋のみが入ることの出来ると言われていたが、そのメンバーやその組織の存在は明確なものではなかった。
ただ、彼らは決して表の世に姿は現さず、その痕跡だけは歴史上に残してきていた。魔女の力には贄が必要だということを知っているであろう。植物や動物、そして人間、この星の存在するものを贄として、私たち魔女は力を得ることが出来る。
彼女らが何のためにその贄を必要としていたのかはわからないが、彼女たちの手にかかり、犠牲となった人間は少なくはなかった。というのも、彼女らは贄にする人間を捕まえた際にその場所に必ず呪紋を書き残したという。それが仮面会の痕跡だった。その呪紋は被害者の血で描かれており、その効果というのは、被害者の魂をその場所に縛り付け、彼女らが必要とする肉体のみを手に入れるためのものだとされていた。
仮面会の正体は決して誰も分からない。自分の身内がそうかもしれない、隣に住んでいる人さえも見知らぬところで仮面をつけて、夜な夜な怪しげな儀式を行っているかもしれない。そんな時代があったという。彼女らが決まって贄にするのは、魔女の力を持たない、普通の人間たちだった。そして、その話をしてくれた私の里親の夫も、私を引き取る前にその仮面会によって贄にされてしまったと言っていた。魔女である里親の母親は自らを贄にされることはないと分かっていても、近所に仮面会の魔女がいると分かって、犯人の追及は出来なったそうだ。皮肉にもその夫が受けるべきであった愛情は私に向けられ、私が二十歳になると同時に彼女は病でこの世を去って行ってしまった。自分の夫が誰に殺されたのかも知ることもできずに、な。
仮面会は純粋なる魔女の集まりとされている。だからこそ人間をただの道具としか見ていないとも言われていた。つまり、彼女たちは人間であるものは容赦なく贄にしてしまうのだ。
*
「その仮面会と、今回の件は……」
私が話し終えたあと、コーギィは少し怯えた様子でそうつぶやいた。
「関係している可能性が高い、と言ってもいいだろう。まず呪紋だ。私に直接ダメージがあったものの致命的なものではなかった。そして、その箱に入っていた茶色い髪の毛、そして子供の頭部の形をした造形物。私が懸念する意味がわかっただろう」
「そんな……、でもなんで僕が」
「彼女らは純粋な魔女の一族だ。力に置いても私など足元にも及ばないだろう。もし、今回の相手がその仮面会の者であったとしたら、正直私でもお前を守れるかわからない」
私はコーギィの両肩それぞれに手を置いた。
「事実確認が取れるまでだ。コーギィ、しばらく家から出ないでじっとしていてくれないか」
「でも僕だって、知るべきこともあるはずです。ミリアとだって約束もしているし。それに今の僕は自分の身だって」
「コーギィ。わかっているかと思うが、今回はあの暗闇の森にいた化け物とは話が違うんだ。それよりももっと恐ろしいものなんだ」
コーギィはここぞとばかりに眉間にしわを寄せている。
「もしそうだとしても僕だけ家にいるのはおかしいです。それだったらマリーさんと一緒に……」
「ダメだ!」
あぁ、やってしまった。大声をあげた後にそう思った。
「さっきも言っただろう。今回ばかりは私もお前を守り切れるかどうかわからないと……」
「それでも僕だって、役に立てることがあるはずです」
両親のこともあってか、少し熱が入ってきてしまっているようだった。彼の瞳の中には先ほどまでと違い、強い意志を感じる。
「コーギィ。私は両親を失い、そして……、愛すべき恩人さえ失った。私はこれ以上大事な人を失いたくはないのだ」
「それは僕だって一緒ですよ! マリーさんに何かあったら僕はどうすればいいんですか。一人でこの家で泣いていろっていうんですか」
そのコーギィの言葉は今まで聞いていた言葉の中でもとても鋭く、ゆっくりと私の胸に刺さっていった。
「私は、大丈夫……」
それ以上の言葉が私からは出てこなかった。しばらく間をおいて、私が口を開く。
「コーギィ、頼む。わかったくれ。せめて一日でいい。私に時間をくれないか」
コーギィは口をへの字にして、次に反発する言葉を選んでいるように見えたが、その言葉を出さないように我慢しているようにも見えた。
「絶対に」
彼の口から出てきた言葉。
「絶対にちゃんと帰ってきてください!」
色々な言葉を押し殺して、彼はぼろぼろと涙を流しながらそう言って私に抱き着いてきた。
「大丈夫、絶対帰ってくるから」
私も力いっぱい彼を抱きしめた。これほどまで失いたくないものが今、こんなに近くにある。それを脅かすものがいることは、今の私の幸せへ与えられた罰なのであろうか。
胸の中で鼻をすするコーギィの顔を見て、くしゃくしゃになった顔の頬に手を当てて、お互いに額を合わせた。
「さぁ、今日はもう寝よう」
もし、なにか不幸なことが明日起こるのだとしても、今日だけは平和であるだろう。だから今日の残り時間を大事な、愛する彼と共に過ごそう。安っぽい表現であるかもしれない。だけど、私にとって今この時間、一分、一秒が、一ミリ秒も取りこぼしたくないほど、愛おしくてたまらないのであった。
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